一年生 十月 [中間テスト編]

第19話 もぐもぐお弁当


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 午前の授業が終わる鐘が鳴り、僕は教科書などをカバンにしまっていく。お弁当の入った袋を机におき、前に坐っている満水さんを見た。まだ板書が終わっていないようで、黒板とノートを交互に見ながらシャーペンを動かしている。


 待っているのを気づかれないように、黙ったままそのようすを眺めていると、満水さんがノート類を机のなかにしまっていく。カバンの横にかかっていたお弁当袋に手を伸ばすと、教室全体を見渡すように顔を動かしてから、こちらへ振り返った。


「終わった?」と僕は笑いかけた。

「うん。見てた?」

 僕はうなずいた。「必死に写してるから、声かけにくくて」

「いいのにもー」と満水さんが笑った。「行こ」


 僕と満水さんは同時に席を立ち上がった。中央の席のあたりにいた若藤と沼にアイコンタクトを交わすと、にやにやしながらどっちも親指を立てていたので親指を突き立て返す。


「なにいまの?」

「今度、満水さんとお弁当食べるからって話したら、弁当の中身絶対教えろって」

「やだもーなにそれ。それ聞いてどうするの?」

「知らない。ただ気になるんじゃない?」

「ふつうだよ。特別なもの入れてないよ」


 満水さんと話しつつ、並びながら廊下を歩いていく。すれ違う他クラスの人たちは、僕らの関係を知っているのか知らないのか、どっちか判別できないような目を向けていた。まだ付き合っていることは広まっていないみたいだけど、それも時間の問題だろうな、と僕は思った。


 相合傘をして帰った日から、クラスメイトの何人かにどういう関係かを訊かれ、僕は正直に付き合っていると答えた。それから、教室では僕らが付き合っていることが公になった。


 というより、実はバレていたのだ。


 はやい時期だと終業式、夏休みに行った映画館、花火大会――新学期になってからは下校中などなど、僕らを目撃した人が多数おり、どういう関係なのか気になっていたらしい。


 まあ逆にバレないほうがおかしいよね、と云われてから感じた。終業式に大勢の人に目を向けられ、夏休みもそこそこ人の多いところで会うことが多かったから。


 新学期になってすぐに訊かれなかったのは、気づいていたけれど、訊くに訊けない雰囲気だったからとのこと。隠していたせいもあるのか、互いに教室で目立たない地味な感じなせいも関係しているのか、からかい混じりにさりげなく訊いてみるといった、軽いノリで触れてはいけないと思わせていたようだ。


 教室での僕らの立ち位置なども影響し、あるいは付き合っていることになど興味がないのか、公になっても茶化されることはなく、嘲笑されるようなこともなかった。与り知らぬところでなにか云われているかもしれないけれど、それは知らぬが仏だろう。どんな美男美女が付き合っても、批判の声は絶対にでてくるのだから。


 そんな考えてもしょうがないことに頭を使うより、満水さんとの『これから』を考えたかった。


「僕さ、特別棟の雰囲気好きなんだよね」

「わかるー。なんかいいよね」

「なんでか説明できないんだけどね」


 話しながら階段を下りていき、二階にある渡り廊下を通っていく。下には中庭が見え、濁った溜め池や緑豊かな木々が生え、眺めているだけで目の疲れがうすれていった。進んでいくごとに雑音が遠ざかり、廊下に反響する乾いた足音だけが聞こえるようになる。


 僕の通っている修成(しゅうせい)高校は理科室や音楽室などがある特別棟、教室がある教室棟にわかれている。教室だと恥ずかしさもあり、僕らは教室棟に比べて人のすくない特別棟でお昼を食べることにしていた。


 特別棟につき、満水さんが階段を上がっていく。三階のさらに上、屋上へつながる階段をのぼっていくと、途中の踊り場のあたりで立ち止まった。


「ここでいい?」


 目を細めながら見上げると、小窓から差しこむ光が舞い散る埃を照らしてダイヤモンドダストのようにきらめかせ、満水さんの髪の輪郭をうすく茶色に染めていた。どこか神々しさを感じさせるその姿に見とれてしまい、僕は口を半分開けたまま、こくんとうなずいた。


 満水さんが階段に腰を下ろす。僕もそのとなりに坐ると、お弁当を膝の上におき、包みを開いてふたを持ち上げた。二段重ねの上段がおかずコーナーで、目玉焼きの乗った大きなハンバーグが中央にあり、隙間を埋めるように添え物のにんじんやブロッコリーなどが入っている。いやバランス。適当すぎでしょお母さん。これ絶対めんどくさいからぶちこんだでしょ。


「豪華だねー」

「たまたまだよ。きのうの夜、ハンバーグだったから」と僕は箸を持った。「いただきます」


 僕は目玉焼きを割り、ハンバーグといっしょに口に入れてから白米を頬張る。冷えたご飯にも合う濃い味つけで、自然と箸が進んでいった。


「いただきます」


 満水さんが髪を耳にかけてから手を合わせ、ミートボールを箸でつまんだ。目線を下へ向けると、オレンジの四角い容器にスクランブルエッグやミニトマト、キュウリとハムが串に刺さったもの、フライドポテトなど、色彩豊かなおかずの数々が詰まっている。


「いつも見てて思うんだけど、女子のお弁当って小さすぎない? それだけで足りる?」

「わたしは足りるかな。でも、わざと小さいの持ってきてたりする子もいるよ」と満水さんが云った。「男子のって、お弁当、って感じあっていいよね」

「どういうこと?」と僕は笑った。「大きいってこと?」

「んーなんかさ、見た目とかじゃなくて、お腹を満たすために作ってる感じがしていいなーって」と満水さんが笑い返した。

「たしかに彩りとかあんまり気にしないね。おかずでお弁当のすべてが決まる感じ」

「好きなおかずは?」

「肉類」

 満水さんが笑いながら手で口を隠した。「幅広すぎ。もうすこし絞って」

「えーなんだろ。無難にからあげかな。あと、ゆで卵も好き」

「え、卵焼きじゃなくて?」

 僕はうなずいた。「うちの甘いから、おかずにならないんだよね」

「今度めっっっっちゃ、しょっぱい卵焼き作ってきてあげる」

「めっっっっちゃうれしいんだけどそれどうなの。卵焼きとして」

「真似しないでもー」と満水さんが肩をはたいてきた。


 僕らは和気藹々としゃべりながらお弁当を食べ進めていく。付き合う前、付き合ったばかりの頃と比べると堅さがほぐれて気軽に話せるようになった気がした。でも友達とはまた違う独特な空気があって、それを感じると自然に頬が綻び、胸にじんわりとあたたかさが染み渡っていく。


「よかったらハンバーグ食べる?」

「うんほしい。あ、代わりになにかいる?」

「ミニトマトちょうだい。これけっこう味濃くて。さっぱりしたい」

「いいよー」と満水さんがミニトマトを箸でつまんだ。「はい」


 持ち上げた箸をこちらへ近づけてきた。照れくさかったけれど、僕は口を開けてミニトマトを食べさせてもらうと、甘酸っぱい味が口いっぱいに広がり、胸がきゅっと切なくなる。


「ぁー……どうぞ。好きなだけ取って」と僕は手で顔を隠しながらお弁当を差しだした。

「いただきまーす」


 満水さんはいまのことをまるで気にしていないそぶりで僕のお弁当を持ちながらハンバーグを箸で割った。ほんと、こういうことをさらっとしてくるから困る。


「はい。ありがと」

「どういたしまして」


 さっきよりも箸が進まず、途端に食欲がなくなってきた。しかし残すわけにもいかないので、ペースを上げておかずと白米を交互に口へ入れていく。


「ごちそうさま」と僕は手を合わせた。

「え、はや。もう食べたの」

「待つからゆっくり食べてていいよ。あ、そうだ。テスト勉強してる?」

「うん。このあいだはじめた」

「僕もそろそろはじめようかな。中間終わったら、デート行きたいね」


 どこかいいところがないかなと思い、ポケットからスマホをだして足を伸ばしていると、満水さんが「いっしょに秋物見に行きたいなー」と云ってくる。


「いいよ。どんなの買うの?」

「大きめでレトロな感じの流行ってるから、そんな感じの買おうかなーって」


 僕はスマホを操作し、いくつか検索キーワードを入力したら、今季のトレンドなどを紹介しているサイトがヒットする。僕は満水さんに画面を向けつつ「こういうの?」と聞きながら指でページをスクロールさせていった。


「そうそう、こんなの。かわいくない?」


 満水さんが両膝をくっつけた上にお弁当をおいて、もぐもぐと口を動かしながら画面を見つめている。


「かわいい」


 服じゃなく、満水さんが。もちろん当の本人はその意味にまったく気づいていないようで、首を伸ばしながら画面を指で勝手にひょいひょいやっていた。


「あ、ちょっと」

「ん?」と満水さんが片方の頬をふくらませながら振り返った。


 僕はポケットからハンカチをだし、満水さんの顎に手を添えながら口元についていたソースを拭った。きっとハンバーグを食べたときについてしまったのだろう。


「はい。いい、よ?」


 満水さんが真っ赤な顔で唇同士を合わせ、恥ずかしさを堪えているような顔をしていた。両サイドの髪を耳にかけているせいか、耳の赤さまでよくわかる。


「そのハンカチ、洗うから、かして」

「いやいいよ。だいじょうぶ」

「いいから」と満水さんが手を伸ばしてきた。

 僕はハンカチを遠ざけた。「ほんとだいじょうぶ。ごちそうさま」

「なに? どういうこと? まだ食べ終わってないよ」と満水さんがなぜか笑いはじめた。

 僕はつられて笑ってしまった。「あーあぶない、あぶないってお弁当。落ちる、落ちるって」

「持ってるから落ちないってば。はやくー。かしてよー」と満水さんがシャツを引っ張ってきた。

「あー、ちょーシャツだすのやめてー。わかったから。渡す。渡します」


 ハンカチを手渡すと、なぜか満水さんが勝ち誇ったように笑みを浮かべる。僕はスラックスのなかにシャツを押しこみながら笑い返した。この笑顔を見ると、やっぱりここに来て正解だったな、と思う。


「いいにおいする」

「ちょ、嗅がないで?」


 周囲の目がある教室で、こんな風に恋人らしく接することなんて、できるわけがないのだから。

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