第10話 どきどきトーク
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スマホの充電がなくなりかけてきた。僕はベッドの近くにあるコンセントに充電器をさし、コードを引っ張ってスマホに接続する。電池のマークが表示されてから『17:34』と時刻がでて、外へ目を向けた。空はまだ青かったけれど、雲がほんのりとオレンジ色に染まりはじめている。
スマホが震えて画面を見てみると、満水さんから『散歩行ってきます』とメッセージが届いていた。僕はベッドにうつ伏せになり、スライドしてトーク画面を開くと、なんて返そうかを考える。
お盆休み中、朝起きて寝るまで、ほぼ絶えることなく満水さんとラインをしている。ご飯を食べているときや、お風呂に入っているあいだはスマホをいじれないため、それ以外はなるべくはやく返事をするように心がけていた。
『行ってらっしゃい』と僕は送った。『そっち、涼しいの?』
『どうだろう、そっちと、そんなに変わらないかも』と満水さんと満水さんが絵文字をつけて返事をした。『夕日、きれい』
画像が送られてくる。逆光で周囲は真っ暗でほとんどわからないけれど、田んぼらしきものと、遠くにうっすらと工場っぽい建物が見えた。小さな雲が無数に浮かび、沈みかけた朱色の光が雲に色をつけている。
場所が違うだけで、景色がこうも変わってくるんだなと思う。僕は率直にきれいだな、という感想しかでてこなくて『ほんとだね』と送ったあと、親指を立てたキャラクターのスタンプをつけ加えた。
『犬、好き?』
と流れを断ち切って、満水さんから返信が届く。僕はさして深く考えずに心のまま『好きだよ』と答えた。
そしたら、まっしろな毛に包まれ、鼻筋の整った柴犬の写真が送られてきた。夕日に照らされている道路の上で舌を垂らし、首輪を隠すように青いバンダナがつけられている。画像の端には、サンダルをはいた足が映っていた。おそらく満水さんの足だろう。
「えっ、かわいい」
その写真を見て、僕はつい独り言が漏れてしまった。指先が自然と動き『かわいい!』とテンション高めに返信をして、それからすぐに『そっちで飼ってる犬?』とつけ加えて送ってみる。
『うん、チロっていうの』『かわいいよね~』『犬ほしくなる!』
連続でぽんぽんと送られてきて、文章もすこしずつテンションが上がっているように思えた。ずっとラインのやりとりをつづけていたのに、犬を飼っていたことは教えてもらっておらず、それを知れたことがなんだか心を開いてくれているような気がして、胸がふわっと軽くなる。
『チロと散歩中だったんだ』
『あと妹と。リード持たせてもらえない』と満水が残念そうな絵文字をつけて送ってきた。
『妹いたの?』
満水さんがすこし間を空けて送ってきた。『中一の妹がひとり。小暮くんは兄弟いる?』
『一人っ子。兄弟ほしかったけどね』
『そうなんだ』と満水さんがつづけて送ってきた。『写真送りたかったけど、絶対やだって』
そうだろうな、と僕は苦笑いをしてしまう。
『名前は?』
『真治子(まちこ)だよ。お父さんのセンス古くない?』
いやそれ僕が同意しちゃ絶対ダメなやつ。でもそういえば、クラスの女子の名前に『子』がついてる人ってあんまりいないような。
『いまだと逆に目立つ感じがしていいと思うけどね』
『そうかなー』と満水さんからすぐ返事が届いた。『マチが小暮くん見たいって』
えっ、とつい声がでてしまう。これって自撮りして送ってくれってことだろうか? いやそれとも直接会いたいってこと? どっちにしても、自分の顔立ちに自信があるわけではないから、応えられそうにないんだけど。
『恥ずかしいので。ごめんなさい』
僕は送り返して「はぁー」と息をついたら、胸に溜まったなにかが抜けていく。たぶん、僕のことを品定めするつもりだったんだろうな。
『イケメンだよ、って伝えておくね』
『それだけはやめてくださいお願いします』
満水さんが敬礼をしたスタンプを送ってくる。ほっと息をついたら、訪問を告げる呼びだしのベルが鳴った。廊下からパタパタと足音がして「はいはーい」とお母さんの声が聞こえてくる。もうすぐ夕飯なのに、だれだろう。
「お父さーん。ちょっと手伝ってー」
「どうしたー?」とドア越しにお父さんが声が聞こえた。気になってドアを開けると、明かりのついた玄関に大きめの段ボールがふたつもおかれていた。どうやら配達の人が来ていたらしい。
半袖短パンのお父さんが中腰になり、ひとつを持ち上げてくるりと振り返る。
「おおケイ。おまえも運ぶの手伝え」
「なにそれ?」
「いつも来るだろ枝豆。今年も来たぞー」とお父さんがウキウキした声で通り過ぎていった。
「それにしても送りすぎだってお母さんってば。毎年一箱なのに、今年はふたつも送ってきて……こんなに食べられるはずないじゃない」
「いつもみたいにご近所さんに配ればいいだろー」とお父さんの大きな声が飛んできた。
お母さんが呆れたようすで腰に手を当てた。「配りきれる量じゃないでしょ。あー、どうしよ」
スマホをポケットに入れて玄関のほうへ。角に手をかけてダンボールを持ち上げると、これが意外と重かった。お父さんがあんなに軽々と持っていたから油断していた。僕は一歩一歩、慎重に歩きながらリビングへ向かう。
「サンキュー。そこでいいぞ」とお父さんが指をさしながら云った。
うなずいて、キッチンの近くにおいた。お父さんはガムテープが貼ってあるところをハサミでぴーっと切って蓋を開く。新聞紙が所狭しと詰まっているなかに、透明なビニール袋が三つ入っていて、そのすべてに大量の枝豆が詰めまれていた。二つ目も同じだったので計六つ。
「実がでかくて美味そうだなあ、おい」
お母さんがリビングにやってきた。首元が開いたうすいグレーのカットソーを腕まくりし、太めの紺色のパンツをはいている。
お父さんがひとつを手に取った。「なあ。これいまから茹でてもいいか?」
「別にいいけど、ビールないよ」
「えっ!? ほんとに云ってる?」
「あなた休み中にどれだけ飲んだか覚えてないの?」とお母さんが少々きつい声で云った。「飲みたいなら自分で買ってきてよね。あ、ついでにご近所さんに配ってきて」
「へいへーい」とお父さんが立ち上がった。「それじゃま、配ってくるついでにスーパー行ってくるかな」
「あ、あのさ。ちょっと待ってくれない?」と僕は云った。「写真、撮らせて」
ポケットからスマホをだし、お父さんが持っていた袋を奪い取ると、元の位置に戻した。手ぶれしないようにしっかりと固定し、指で画面のボタンを押すと、乾いたシャッター音が鳴る。うん、よく撮れた。
お父さんとお母さんが近所のだれに配るかを話しているあいだに、僕は写真を満水さんに送った。すると即効で返信が来て『!!!!!!!!!!』と大量のびっくりマークだけが届いて、どれだけ驚いてるかを的確に表現してくれる。
「ねえ、これ、全部配るの?」
「まあ、うちで食べるぶん省いたらな」
「渡したい子がいるんだけど、ダメかな?」
満水さん、枝豆が好きって云ってたから、もしもいいなら渡してあげたかった。自分に気を持たせるためとか下心があるわけじゃなく、ただただ彼女に喜んでほしくて。
お母さんが明るい声で云った。「いいよいいよ。仲のいいご近所さんも限られてるし。あ、でもそれ渡しに行くのいつ?」
「え、ごめん、まだわかんない」
「すぐに渡せなきゃやめておいたほうがいいかな。枝豆って痛むのはやいから、味落ちるし」
「わかった。ちょっと訊いてみる」
僕はトーク画面を見ると、満水さんからメッセージが届いていた。
『美味しそう!』
ごめん、と心のなかで謝ってから、その内容を無視して、僕は指を動かした。
『こっちに帰ってくるの、いつになる?』
頼む、できるだけはやく帰ってきてくれ、と祈っていたら、それほど待たずに『明日だよ』と返信がきた。
「明日かな」
「ギリだいじょうぶかな」
「じゃあこれ、一袋取っておいて」
「一袋でいいの? 今年多いから、ふたつくらい持っていきなよ」
「なあ、おい。それってだ――」
お母さんがお父さんの胸板を軽くはたいた。僕はそれだけでお母さんがすべてを察していると気づき、すこし照れくさくなる。だけどいったいいつから、と訊ねることなんてできなくて、僕は「よろしく」と告げてリビングをあとにした。
『ごめん、いきなり。枝豆、確保しといたから』と僕は歩きながらメッセージを送った。『味が落ちるらしくて、できるだけはやく渡したいんだけど、帰ってきたら、会えないかな?』
部屋に入ろうとしたら、ブブッとスマホが震えた。
『話したい』
手が止まる。
僕は『いいよ』とドキドキしながらメッセージを送った。
着信がくる。
僕は軽く震える指先でボタンを押し、スマホを耳に当てた。
『もしもし?』
緊張しているのだろうか、満水さんの声はやたら硬かった。
「もしもし? えー、っと。どう、も」
僕は部屋へ戻らず、玄関のほうへ歩いていく。サンダルに足を入れてドアを開けると、穏やかな風が吹いていて、ふわりと前髪が揺らめいた。左右に首を振ってマンションの共有通路にだれもいないことを確認してから、あかね色に染まった空を見上げつつ、落下防止の壁に腕をつく。
「散歩、終わった?」
『ううん。あとちょっと』
「電話してて、平気? 妹さんといっしょじゃなかった?」
『だいじょうぶ。先に行っちゃってるから』と満水さんが云った。『ありがとう、枝豆。すぐ、お礼、云いたくて』
「たくさん食べたいって云ってたから、どうしても渡したくて」と僕は笑い混じりに云った。
『……なんか、恥ずかしい……』
「えっ、なんで?」
『わかんないけど、いろいろ……』と満水さんが小さな声で云った。『わたしも、おみやげ渡すね』
「え、いやいやいいよ。ぜんぜん、気にしなくて」
『お返し、とかじゃなくて。はじめから、買っていこうと思ってたから』と満水さんが云った。『たぶん、夕方くらいに、そっちに戻れると思う』
「うん、わかった」
『家に着いたら、連絡するね』
「だいたいの着く時間がわかったら、教えてくれないかな。合わせて向かうようにするから」
『うん、そうする』
話していると、遠くで、犬の鳴き声が聞こえてくる。
『家、着いちゃったから、切るね』
「うん。また」
『うん、またね。ほんとに、ありがと』
「気をつけて帰ってきて」
『ありがと』
なかなか切るタイミングがつかめず、すこしのあいだ待っていると、しばらくしてからプツッと通話が切れた。僕はスマホをポケットに入れて、玄関のドアを開けると、なぜかわからないけれど、お父さんが立っていた。
「あーその、なんだ」とお父さんが目をきょろきょろさせながら云った。「枝豆、配り終わったら、スーパーいっしょに行くか?」
もしかして、僕が玄関の前にいたからでるにでられず、待っていたのだろうか。それにこの態度は……うん、たぶん、バレてるっぽい。
断るのも申し訳ないので、僕は諦めてついて行くことにした。
その後、なぜかわからないけど、いっしょにいるあいだ、お父さんの恋愛談を延々と聞かされるはめになった。
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