父へ

ABE

第1話父へ

 8月24日 

 舌の上で熱く溶けるアルコールを転がし、幼年に見た父の晩酌姿を真似た。頭上から降る橙色の光が、グラスに揺れる琥珀色の液体と氷を透過し、光をゆらり歪める。

 サクラチップで燻製にしたチーズを口に含み、煙の美学を思いつつ暗い窓の外を望む。

 車のヘッド・ライトが蛍のように飛び交い、寝静まった街を小さく照らした。

 ×××

 父は常にタバコをくわえ、ヤ二の匂いをさせていた。コンビニエンスストアで父の吸っていた銘柄を見ては懐かしみ、マッチを擦ってはマッチ売りの少女の様に、炎の揺らめきを眺めた。

 僕は父の子ながらタバコがからっきし駄目で、吹かしたくてもそれは難しかった。ふと寂しくなるとファミリーレストランに赴き、吸いもしないのに喫煙席に座る。そんなことでしか寂しさを拭えない僕をその度に無力に思った。そして、そんなことで満足できるならと、自身を無力に思いながらも、また足を運ぶ。

 父は無口だったと思い返す。多くを語らなかった父は、一挙手一投足で僕に語り掛けていたのだと。子供の手本となるよう規則を守り、決して乱れぬ姿は偉大であった。父の姿は僕の人格形成に大きな役割を成した。そのために、僕も父の様に背中で語ることの出来る父親になろうと志すも、父がいかに偉大であったかを思い知らされるだけだった。息子の手本になれたのかと僕は自問するも、答えは返ることは無かった。これからも返ることはないだろう。

 子供時代から時は流れる。僕も父親になり、息子から「父さん」と呼ばれるようになった。そうして、子供の頃は分らなかった父の行動が父親になり、ようやく分かるようになった。親の心子知らず、実に思い知る。

 父は何を思い僕を育てたのか。聞きたかった気がしなくもない。しかし、尋ねたとしても父は核心までは語ることは無かっただろう。やはり父はそれを行動で教えようとする。そういう人だったのだ。僕の胸の内にいる父はいつも何かを背中で語っていた。頭に浮かぶ父はそうやって僕の前に立っていた。

 父の背中を見て、僕が感じたものこそが、父が伝えようとした大事なことなのだろう。

 来年、息子が成人を迎える。巣立ちの時は近い。息子は僕の思いを汲んでくれるだろうか。心配になる。でもそこに言葉はいらない。息子の背中が語ってくれるだろうから。

 ×××

 自室にて、父と初めて交わしたスコッチ・ウィスキーを舐めながら。

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