エピローグ ハンター・イン・ザ・エンパイア

 

 

 

 

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 ――夏が終わった。

 

 刃金の異形ソードウィングと呼ばれた異形からの一連の事件、通称〈低層事変〉は、〈エンパイア〉に侵入したテロリスト達の仕業になった。〈エンパイア〉史に残るほどの大事件の爪痕は大きく。低層街の住民の半数近くが死滅した。

 低層街の住人そのものは、公式の市民ではないため書類上の死傷者は実際の半数ほど――それでも、大規模テロの死傷者に届く――だったが、書類通りの処理は出来なかった。

 何故か?――無碍に出来るほど人心はまだ死んでいない。

 低層街は、公に黙認されている存在だ。市民が知らないわけではない。今世界を席巻するのは企業群であるが、市民、つまり、社員あっての企業だ。それを無視して、企業は成り立たない。そして、彼ら、下層街の民の被害に見て見ぬ振りを決め込むのは、市民の心象に悪い。

 結果、今も低層街の復興は進められている――そこであったゴタゴタはまた、別の話。

 

 御堂ヨシカゲに関係あることは今の所、

 

 「夏らしいこと、何一つ出来なかったな」

 

 ぼやきながら歩いていた。場所は、スクールの角張った廊下。見慣れた玄関口から、三階にある教室に。

 夏前の惨劇はあらかた片付いているはずだ。だから、この扉を開いたとしてもいつも通りの……そこまで考えて、いいや、有り得ないな、とヨシカゲは思う。

 異形に関する一連の事件は大概、隠蔽され、真実はすり替えられる。異形の存在そのものが企業郡の最大の秘匿対象になる。このスクール自体、そもそも富士山傘下だ。隠匿は容易だった。

 だから、扉を開けてあるのは前と違った形の平穏だ。きっとヨシカゲの知るクラスメイトは居ないだろう。

 

 「…………なんだ」

 

 がらっと開けてすぐ、ヨシカゲはふっと肩から力を抜き、教室に踏み入れた。

 

 「誰も居ないのか……」

 

 半すり鉢状の教室は、夏休み前と変わらない。何一つとして変わっていなかった。血痕もなく、ただ静謐な空気がしんと満ちている。

 

 「緊張して損したな」

 

 教室中腹の席に背負ったリュックを置いて、腰を掛ける。すると見慣れた景色がヨシカゲの前に広がっていた。

 ヨシカゲは、それから左手に視線をやる。勿論、誰も居ない。そこには、ケンゴが座っていた。出席率は低かったからかなり稀だったが、出席していればそこで寝息を立てていた。

 

 「…………あいつ、今何をしてるかな」

 

 咬切ケンゴ。狩人であり御堂ヨシカゲの親友は、あの低層での一件の最中に姿を消した。無論、ヨシカゲの前からも。

 

 

 

 

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 最初の授業はつつがなく終わった。あの後、ヨシカゲ以外のクラスメイトが集まり、見知らぬ顔と簡単な自己紹介を兼ねたホームルームを終え、講義は夏休み前の項目の続きから始まった。夏休みの宿題なんてものはないから、予習復習は勿論だ。

 ヨシカゲが授業に遅れる事はなかった。なにせ、入院中は勉強くらいしかやることがなかったのだ。あまり娯楽や趣味に熱中する質ではなかったから自然と数式や元素記号を追っていた。

 

 さて、講義と言えばだが……何事もなかったように始まり、何事も無く終わった。一日目ともあり講義も短縮され、

 だがまあ、何事も無かったのは良いことだろうと。ヨシカゲは納得することにした。

 

 「あんなの、一回で十分だしな」

 

 目を瞑ればいつでも思い出せる。あの血の惨劇は克明と脳裏に残っている。当時の恐怖をヨシカゲは、一度も忘れた事はない。強化外骨格エクソスケルトンを纏わないこの体はただの人だ。

 あんなものに勝てるはずがない。纏った上でも、あの巨大な豚の様な異形は恐るべき脅威に見えたのだから。

 

 「そうすると、」

 

 やっぱりあの人は化物だな。次に浮かんだのは、やはりクロウの姿。御堂ヨシカゲの人生の中であれほど人間離れしていた人間は居なかった。単身でドラゴンに立ち向かった話を聞いた時は耳を疑った。いや、疑うだろう。傷一つ、あの人にはついていなかった。

 恐怖への耐性が高すぎるのか、もしくは感じ心が壊れているのか。知ったことではないが。あの人と仕事はしたくないとヨシカゲは思った。


 ――その頃、某所で誰かが盛大にくしゃみをしたのと。同時に提出された転属要請書に、ヨシカゲの名があること。受けった女性がノータイムで了承したこと。それらを彼はまだ知らない。 

 

 「……なんだか嫌な予感がするな」

 

 背筋に走る寒気に一抹の不安を未来にヨシカゲが抱いた時。

 

 『――――病院駅に到着。――――病院駅に到着致します』

 

 アナウンスだ。ヨシカゲの目的地の名を合成音声は告げると急速にモノレールは減速していく。立ち上がったヨシカゲの体を揺らす事も無く、他の乗客の話し声よりも遥かに小さなブレーキ音をたて、慣性を完全に殺したモノレールは停止した。到着を知らせる音楽と共に扉はヨシカゲの目の前で非常に滑らかに開いた。

 ホーム自体が病院に組み込まれている。眼の前のエスカレーターかエレベーターに乗ればあっという間に受付だ。こういった構造は〈エンパイア〉では珍しくない。張り巡らされたハイウェイやモノレール等に対応するための構造である。

 他の降車客と同じ様にヨシカゲもエスカレーターへ足を運ぶ。

 彼の目的は見舞いだ。見舞い先は、二つある。一つは、母。そして、もう一つは、兄。

 

 一ヶ月前のあの後、〈マーキュリー〉という企業は、半場瓦解となった。

 

 〈富士山〉からの数々の追求――元CEOがテロリストの首領であること、〈富士山〉への明確な戦闘行為、〈エンパイア〉への敵対行為。突きつけられた無数の結果を前に、〈マーキュリー〉は早々に折れた。なにせやらかした元CEOは行方知れず、後任者も同じく雲隠れ。降って湧いた地獄に、責任者の大体が首を吊るなりなんなりと死体を量産し、最終的には、哀れな生贄が全ての責任を押し付けられることとなり、〈マーキュリー〉という企業は、〈富士山〉に吸収合併された。

 従業員達は残され、〈マーキュリー〉社員として今も働いている。一から染め直すのではなく、徐々に色替えしていくことに。心象やコスト面を考慮した為だ。

 その枠に、御堂ユキカゲも入ったのだが……所属部署と先の戦闘での成果が問題だった。

 

 クロウ=Y=オキタの撃破。〈富士山〉屈指の剣士を二人がかりとはいえ、打倒してしまったのは、衝撃的なニュースとして〈富士山〉社内隅々を駆け巡った。こうして出来た評価は、高い実力を証明したものの扱いが難しく、待遇を決め兼ねた上層部は時間稼ぎと治療を兼ね、この〈富士山〉系列の総合病院に入れられている。

 そこで、いや、実はというか当然ながらテロの対処――対エンボルト――に一際尽力したヨシカゲの評価も上がったが、上官への反抗、職務放棄のマイナス値はプラス値を上回りかねないほどで、今後の処遇が決まるまでの間、彼は謹慎処分を下された。

 ヨシカゲはこうして、暇を持て余すことになる。夏の一時はまるで遠い夢のよう。放課後はこうして、見舞いに来るか自宅で勉学に勤しむか。そういう生活がここ最近の日常となっていた。

 

 エレベーターを上がればすぐに正面ホール。各受付や端末をスルーして、ヨシカゲの足は歩み慣れた道を変わらぬ歩調。行き先は、兄の病棟だ。今日も先日と同じ説得をするため。

 スニーカーの足音を響かせながら、ヨシカゲは顔見知りになりつつある看護師に軽く会釈をし、目的の病室の前に辿り着く。


 「居ない……」

 

 ドアには留守を示すARサインが浮かんでいた。珍しい。思わず口に出していた。ユキカゲは捕虜同然の扱いだが、病室からの外出は許可されている。病院外には出れない。いや、出れないことはないが出ると、ユキカゲの応急処置の際に使われたナノマシンが彼の肉体を完全に破壊する。義体サイボーグの電子機構や金属部などに癒着し、血流に乗ったナノマシンは、そうしたリプログラミングを受けている。治すが易しなら、壊すも易しということだ。

 だから、外には出ていない筈だ――と少し考え。

 

 「……もしかして」

 

 思い立つとともにヨシカゲの爪先は二つ目の見舞い先に向いた。

 同じ病院だが、ユキカゲの病室のある軍人向けの病棟と彼らの母が居る病棟はやや離れている。だから、自然と時間は掛かる。掛かるとしてもほんの僅か。

 

 「入るよ、母さん」

 

 返る言葉がないのは知っている。そして、居るのも分かっている。ドアが極めて静かにスライドした。

 

 「来てたんだ。兄さん」

 

 「約束、しましたからね」ぽつりと返答。「いつまでも約束を引き伸ばして後に回すのも、ね」苦笑。

 

 御堂ユキカゲがそこに居た。簡素な患者衣を纏った兄の姿をヨシカゲは見た。と、ユキカゲはヨシカゲから視線を、部屋の中央に座するベッドに向けて。

 

 「こんなに小さかったでしょうか。 昔はもっと、大きく見えたんですけどね」

 

 「寝たきりになってから一気に痩せたんだよ。それに、最近は起きてるのも稀だ」

 

 視線の先には、女性が一人、穏やかに眠っていた。艶を失った灰混じりの髪、体は骨と皮ばかりに痩せ細り、青ざめ、真っ白な顔色は病魔の気配を濃く感じさせる。名を、御堂ケイ。ヨシカゲ、ユキカゲ、二人の母親だ。

 

 「そう、ですか」

 

 暫し沈黙。後、ユキカゲは踵を返した。真っ直ぐにドアの方へ。掛ける言葉に迷う。ヨシカゲに二人の仲を繋ぐ何かを見出す事はまだ難しかった。だけれど、ここで引き止めなくてどうする。内心の重々しさを乗せないよう、唇を極めて急がせる。

 

 「――――ユキ、カゲ?」

 

 ハッとヨシカゲは吐き出す前に呑み込んだ。声は、彼のものではない。ベッドだ。女性の声だ。ならば。


 「…………」――足が止まる。

 

 「ユキカゲ、よね」――声が、掠れた声が足を止めさせた。

 

  一歩、踏み出した。

 

 ヨシカゲは迷う。割って入り、引き止めるべきか。

 

 「ごめん、なさい」


 ユキカゲの眼前で、ドアは静かにスライドした。

 

 「私、ずっと言いたかった。本当に、ごめんなさい」

 

 二人の間をドアが無情に遮った。背中はもう見えず、言葉は届かない。反射的に、ヨシカゲは病室の外に飛び出していた。

 

 「兄さん……!」

 

 ようやく、ヨシカゲは兄の名を呼ぶ。呼べた。すると、ユキカゲは立ち止まり。

 

 「――――また、」背中を向けたまま、「そうですね。また、秋にでも来ましょうか。多分、きっと。それくらいなら……」

 

 遠ざかる背中をヨシカゲは見送った。見えなくなるまで、いや、見えなくなっても彼はそこに立っていた。

 

 「……よかった」

 

 それから、小さく小さく呟いた――直後、着信。

 

 「よお、元気してるかぁ?」軽薄な声に眉を顰め「なんのようだ、クロウ」

 

 「なんだ、不躾だなあ」

 

 けらけらとおかしげに。癇に障る笑いが言葉から滲む。

 

 「さっさと要件を言え」だからツンケンと言葉を放てば「謹慎解除だ。御堂ヨシカゲ」

 

 にやにやと目に浮かぶ調子でクロウは、

 

 「仕事の時間だ。さっさと病院から出てきな」

 

 逃げ場などどこにもないと告げる。

 

 「やっとか」ヨシカゲの爪先は、ある方に進みだし「というか、なんでアンタがそれを?」問うと。

 

 「お前ら兄弟、俺が面倒見るようにしたんだよ。感謝しろよ?」

 

 「…………は?」

 

 歩みが止まった。

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 池上浩二は、ようやく手に入れた自店舗の裏の勝手口を蹴り飛ばすように開くと一目散に逃げ出していた。

 

 「ひっ……ひっ……!」

 

 恐怖満面の顔面から悲鳴を呼吸と同時に洩らして、彼はひた走る。カッカッカッ! 革靴の底を折れ曲がった複雑な裏路地に叩き付けながら全速力でなりふり構わず逃げる。

 何がいけなかったのか。何を間違えたのか。何をやってしまったのか。

 浩二には、分からなかった。真面目に仕事をしているはずだ。手痛い思いを、あのカルト宗教の儀式――彼の中では、異形との出来事はそう修正されている――に巻き込まれてから、自制して、極めて真面目に生きてきたはずなのだ。

 なのに、これはどういう事なのか――分からない。全力疾走の中、余った酸素を脳に回し、浩二は思考する。

 

 「なんで、だよ!! なんで……!!」

 

 回り切らない、理解を超えた現実に浩二は思わず声を出す。出して、答えを求める。

 

 「なんでこんな目にあってんだ……!!!!」

 

 誰かに求める。誰も居ないのに。

 

 「その答えは一つですよ」

 

 ――無いはずだった。応える声は浩二の耳朶を揺らす事など、あってはならなかった。何故なら、

 

 「ひっ……」

 

 情けない悲鳴が彼の口端から転げ落ち、かつんかつんと路面を鳴らせば…………踏み潰された。ハイヒールの爪先は鋭く、ヒールの底は何より固く。浩二の悲鳴を粉々に粉砕する。

 

 「なんで逃げるんですか?」

 

 女が笑う。正面、路地の入口を背中に向けて、笑う。真っ赤に染まった貌に青白いルージュは浮いていて、笑みは不自然な、軋みとでも言うべき何かを内包している。素肌を秋風に晒しながら、彼女はぽたりと返り血を落とす。点々と連なりながら着実に、浩二に迫りつつ合った。

 

 「私が、会いに来たのに」一滴、また一滴。「あまりにも酷くはありませんか?」笑みの中、唇がへに曲がる。

 

 浩二は、自然と後退る。彼はこれから逃げてきたのだ――いいや、違う。

 

 「ホントだよ。酷いなあ」

 

 音もなく腕が浩二の首に絡みつく。まるで恋人を抱きしめるような心地と柔らかさ。背中で形の変わる大きく柔らかな感触。しかし、確かに鼻孔を衝く死臭は、新鮮で生暖かさを孕んでいた。

 

 「ねーお姉ちゃん」

 

 浩二の肩辺りに顔がある。今見た顔、迫りつつある脅威と同じ顔。血塗れに浮かぶルージュはオレンジで、ハツラツさ、快活さを感じさせる。

 

 「お、お前ら……! 自分が何をやって…………!!」

 

 血塗れが意味すること。浩二が逃げ出したこと。二つは繋がっている。

 時刻は夕刻。黄昏が街に差す頃。浩二の店は繁忙時だったのだ。居酒屋だから、仕事帰りのサラリマンに酒とツマミを提供する。

健全な店。遊びをやめた彼が短期間で手に入れた彼の店――だったもの。

 もう、見る影もない。今あるのは物言わず、消えゆく熱を留められない骸達。骸の寝所。それが彼のユメの成れ果て。

 

 「酷い……酷いです」――ぐずぐずと笑みを崩し、青白い唇に悲痛を浮かべる。

 

 「私達に、何をしたかも忘れて、ほんと酷い」――耳元で執着に包まれた憎悪が囁かれる。

 

 「「酷い人。貴方は、酷い人」」――女達は揃って、浩二を非難する。攻めてたてる。

 

 浩二は声を出せない。迫力に押さえつけられていた。言葉の圧力に。身に覚えのない――いいや、覚えがないだけで、どこかで何か、彼女たちを傷つける事をしたのかもしれない。一夜を過ごした女の顔を覚えていない事などこの男にはよくあること。

 ――だった。過去の話だ。今は無い。この短期間で変わったことは事実だ。男は変わった。確かに変わった。

 しかし、それは罪の精算にならない。成してしまった過去を変えるなど今を生きる只人に出来ることではない。

 エンボルトですら、あの男ですら過去を変えられなかった。未来を変えることにしか執着できなかったのだ。それがこの男に出来るわけがない。

 

 「――――」

 

 か細く、浩二の唇が言葉を作った。

 

 「は? 何?」

 

 強い語調でオレンジの唇は訊く。青白い唇は言葉を作らない。じっと浩二を見つめていた。

 

 「――めん、なさい」言葉が形を作る。「ごめんなさい……! ごめんなさい……!!」

 

 謝罪が路地の空気を揺らす。ひたすらに謝罪を零す機械に、池上浩二は成り下がる。只々、唇が紡ぐ言葉はそうだった。

 

 「…………巫山戯るな」ぼそりとどちらともなく「巫山戯けないで」呟き。

 

 「巫山戯るな」「巫山戯るないで」「巫山戯るな」「巫山戯るないで」「巫山戯るな」「巫山戯ないで」「巫山戯るな」

 

 謝罪を受け入れない二重奏デュオ。煮えたぎる憤怒/寒々しい悲痛は段々と秋の風情を砕いて、現る。現れるのは、怒りのみに非ず。

 

 「っ……!」

 

 浩二は突き飛ばされて、無様に路地に倒れる。彼の背後と前方にそれは人の皮を脱ぎ捨てる。

 女達は上を向く。怒り以外を湛えぬ瞳は空を見、口を開く。唇の両端が裂け、顎が物理的稼働限界を超えていく――入口を無理矢理、出口に変え、何か達は浩二に姿を見せつけるように現れた。

 そうして、彼女たちは裂けた。真っ二つ。上顎、下顎。二度と触れ合うことが無いよう、分かたれて、ほろりと臓物、温かに零れ落ち、赤々な血飛沫はあらゆる体液と混じり合い、路地に吹き出る。

 酷い臭い。酸鼻に極まり、凄惨に過ぎる。まるで、恐怖劇グランギニョル――陵辱の果て、妊婦は裂かれ、引きずり出された胎児は笑い歌う。

 しかし、女達が吐き落とすのは、胎児に非ず。胎児とは子宮より生まれ落ちる。喉奥から来るのは生まれたものではなく、死したものだ。死したものが憎悪の汚泥に塗れ、忌まわしき思念の同調により形を得る。

 

 

 ――発狂/生誕――

 

 

 赤く身を汚すのは、異形である。人の身ではない、鋼と死肉で形作られた狂きより成る者達。

 女の肢体であった。胸があり、柔らかなラインが形作っている――足元をよく見れば、服を脱ぎ捨てたように元となった女の皮だけ。しかし、指先や爪先をネイルアートが如く鋼で飾り、頭部に称える大眼球は青白く、片や、オレンジの色彩がある。腹は妊婦が如く腫れ上がり、浮かぶ巨大な唇は、声高に贖いを求める。

 こうして二体の異形は、路地で牙を剥く。腕を広げ、掌を広げ。爪は壁を削りながら男に迫った。瞳、逸らさず。じっと見つめ。

 

 「巫山戯るな」――囁く。叫ぶ。求める。彼女たちは赦さない。

 

 彼を赦さない、絶対に。

 

 「―――――――――ッ!!!!」

 

 絶叫。男は叫ぶ。無様に、何よりも無様に。いつかのあの部屋で叫んだように。罪は彼を逃さないから。ただ、叫んだ。

 

 「うっせえぞこら!」

 

 と、浩二の後頭部が蹴り飛ばされるまで。すれば、がくんと声が止む。力なく池上浩二は血の海に頭から沈み込む。

 

 「たっくよお。ぎゃーぎゃー大の大人の男がなっさけねえなあ……」

 

 飽きれ零す言葉は嫌悪に塗れ、意識のない男の背中に鞭を打つ。派手な赤髪、牙のような歯。クロウ=K=沖田は、どこまでも弱者へ残酷に振る舞う。

 

 「お前と他人を一緒にするな」

 

 新たな声は、路地の入口からだ。白貌は白刃片手に、うんざりした様子。

 強化外骨格エクソスケルトン――〈蟷螂=白金号カマキリシロガネゴウ〉。纏っているのは、御堂ヨシカゲ。

 

 ……勝ち目はないはずだ。異形を只人――それはクロウですら含まれる――に抗しうる手段はない。殺傷など論外。あの存在に掠り傷一つですら付けることは叶わないだろう。

 だが、彼らは異形に切っ先を向ける。明確な敵意を見せつけ、立ち塞がった――勝算を彼らには感じた。

 まず動くのは、クロウの眼前。大眼球にオレンジの色彩を揺蕩わせるもの。爪が大気を擦過し、掠れた切っ先が壁を引き裂き、炎を纏う程の速度でクロウの体を左右から、まるで包むように襲う。

 が、大眼球は何も映さない。いつの間にかまた、大眼球は大眼球と向かい合っている。オレンジの色彩に青白さが混ざり合った。

 空を抱き締め、踏み出したまま、大眼球は思考する。先のあれはどこにいったのか。

 

 「巫山戯るな」

 

 オレンジの唇が浩二を非難する。いつか焦がれた恋の残滓は、あまりに無様な様を晒して、倒れ込んでいるから。憎悪が滾る。滾った憎悪は直接力になる。異形にとっての感情は間違いなく力だ。込み上げる力の奔流は、一歩を踏み出させる。

 踏み出す足が無いというのに気づくこと無く。崩れた体を押し止める腕など無く。果てに、視界はずれ落ちて。

 

 「おーまじか。すげえな」

 

 クロウは感嘆の声を上げる。彼は崩れ落ちた大眼球の背後に居て、手に持った太刀を丸くした瞳で眺めている。以前と変わらぬ様相の鋼だ。太刀。彼が愛用するものと何も変わりがない。だが、今までと何かが違う。

 〈低層事変〉において、〈富士山〉はいくつも収穫を得ていた。その内の殆どを〈マーキュリー〉という企業の吸収合併が占めている。その合併による規模拡大と〈マーキュリー〉より新たな異形のサンプルや観測データを手に入れていた。

 結果、異形への対抗技術と、異形の出現に際して発生される精神波を探知する探査機構サーチャーの二つを手中に納める事に成功した。

 

 「殺れるもんだな、こりゃあ」

 

 そして、結果がこれだ。クロウは満面の笑み――修羅の笑みで顔面を彩る。が、すぐに気づく。

 

 「……殺れてねえな」一変、不満げに「これは、斬ってるだけか」

 

 自身でバラした異形の足を蹴る――反射。恐ろしい速度で跳ね上がる。爪先が触れるか触れないかくらいの感覚で、すると一瞬でパーツは集合し、合体。立ち上がる。

 

 「ふうん、なるほどねえ……」とんとんと太刀の背で肩を叩きながら「なるほど、ねえ……」もう一度、同じ事を呟いた。

 

 さて、ヨシカゲはどうかと言うと――彼も同じ状況に陥っていた。

 斬っても斬っても、異形は立ち上がる。基本的に異形に論理的な思考は存在しない。欲求が彼らを動かす動力エネルギーであり基本的な行動原理だからだ。

 

 「どうする、クロウ」訊けば「……どうするもこうするもなあ」不満げ満タンな視線をヨシカゲに送り。

 

 「こうなるのを待つしかねえだろ」

 

 と、返ってきた答えヨシカゲが眉を顰めれば――直後、斬風。旋風と見間違わんと吹き荒れて、後に、影が一つ。

 

 「ケンゴ……」

 

 黒き人影、無貌の彼、黒衣の彼。その姿を見て、ヨシカゲはすぐに納得した。

 

 ちらりと視線をやると「……よお」ケンゴは気怠げにヨシカゲに返事をする。

 

 「うまいとこ毎回持っていきやがって。出待ちでもしてんのか、この野郎」

 

 クロウが唇をひん曲げて、ケンゴの背中に苦情を投げれば、

 

 「お前、今までどこにいた……!」

 

 ヨシカゲは、ケンゴの方に詰め寄って、ぐいっと噛みつかんばかりに顔を近づける。

 

 「近え……」分かりやすくケンゴが嫌がると「こっちは心配して……!」しかし、ヨシカゲは引かない。

 

 「……見ての通りだ」

 

 仕方無しげにとケンゴは応える。しかし短い返答。だが明確に何をやっているのか、ヨシカゲにも理解"は"出来た。

 

 『おいこら、御堂! あんまり顔を近づけるな!!』――と傍に寄ってきた球体ドローンが抗議をヨシカゲに直接叩き込む。

 

 「お、オールドリッチか……?!」

 

 『あーそうだとも! ていうかさあ、前々から思ってたんだけど、ダーリンに近いんだよダーリンに。ほんとさ、身の程弁えとけよな!』

 

 「お、おう。なんかすまんな」

 

 急に吹き出した怒りの羅列にだじだじになるヨシカゲであった。

 

 「何キレてんだお前……?」

 

 意味が分からなすぎて、ケンゴが眉を顰める。

 

 「おいおい、少年少女共。おっさんだから別に仲間はずれでいいんだがよ」

 

 クロウがうんざりした調子で口を挟み、

 

 「狩人、ちゃんと殺せてねえぞ。やるときゃ、ちゃんと殺れ」

 

 「は? 何言って――」クロウが太刀で差す方を見ると「――この前もあったな、こういうの」

 

 思わず口に出すと、


 『あー……まあそういうこともあるだろう』

 なんて適当な答えがコールドから返って、

 

 『二度あることは三度もあるだろう』

 

 First:5thも同意するから、思わず溜息吐いた。

 

 「巫山戯るな」「巫山戯ないで」

 

 立ち上がるそれは、双眸であった。オレンジの色彩揺蕩う瞳と青白い瞳が仲良く並び、不自然な体勢で繋がった体に浮かぶ二つの唇が飽きずに懲りずと非難を口走る。

 

 「しつこいな……」

 

 「はっ、手伝ってやるよ」

 

 ヨシカゲとクロウが太刀を構えて脇から前に、すると、ムッとした様子のケンゴが二人の間を割って更に前に出。

 

 「邪魔だ。そこのおっさん連れてどことなり消えてけ」

 

 「おい、ヨシカゲどっか捨ててこい。上官命令だ」

 

 「なっ! それは理不尽だろ!」

 

 「上官は上官だっつーの! 恨むなら自分がアルバイトなのを恨むんだな!」

 

 『お前ら、無駄口叩くだけなら引っ込んでろ!! あ、ダーリン以外だぞ?』

 

 その時、オレンジと青白い双眸にそれぞれのカラーの輝きは収束し、放たれ――斬ッと刃鳴り散らす、白と鋼、そして、黒。彼らは閃光が如く駆け抜けた。

 

 

 ++++

 

 

 秋が来る。次は冬だ。その次は春。こうして夏は、また巡りくる。

 人の営みも変わらず、人は生まれ、生き、そして、死ぬ。

 こうした変わらぬ輪を乱す摂理として、異形はこれからもこの世界に在り続けるだろう。

 ならば、狩人は変わらず、刃を振るうはずだ。

 きっと、彼らは、これからもこの都市で戦い続けるだろう。

 

 

 

 

 

 

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ハンター・イン・ザ・エンパイア 来栖 @kururus994

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