第12話 ワーキング・オーバータイム

 

 

 

 

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 「ここに入って、一つだけ良いと思ったことがあるんです」

 

 「何、藪から棒に」

 

 食堂。自動化オートメーションされたそこに人は二人だけ。

 時間の針は歩を進め、九時を指していた。

 残業ロスタイム。社内には既に彼らと床を這う清掃ロボや巡回する警備ドローンくらい。

 

 というよりもここ、米国系多国籍企業郡が一角である〈マーキュリー〉は〈エンパイア〉支部はあるが、社員は基本的に自宅勤務だ。ここに出社することは殆ど無い。

 米国系多国籍企業郡〈マーキュリー〉のメイン事業は自動車産業・・・・・

 他にも自動車技術を活かした軍事系の部門やそれに追随して出来た食品部門も存在している。

 その業務も基本自身の端末を通じて行え、会議なども音声チャット等を介する以上、彼らが毎日通う必要はない。

 普段から出社しているとすれば、件の食品部門の研究員くらいだろう。彼らは作り、人の舌で実験する必要がある。

 作るのは機械の手を介して行えばいいが、味に対してはそうもいかない。

 エンパイアにおいても、未だ五感に対する完璧なフィードバックは行えていない。

 特に、嗅覚と味覚。他もまだ完璧には遠い。

 だからこそ、人が必要とされた。

 

 とまあ、そういう理由もあり、支社としての体裁もあって設備は整えられていた。

 この食堂もその一つだ。

 

 「このカレーですよ」

 

 言葉の先には、カレーライスが一皿。

 二人それぞれの前にあった。

 湯気が上がっている。出来上がったばかりのようだ。

 

 全自動万能調理器具オートクッカーというものがこの食堂に出される料理を作成・・している。

 その名の通り。

 入力インストールされているレシピを高精度で再現する自動機械の一つだ。

 その再現度もそうだが、これはレシピに記載されているレシピ通りの材料でなくとも注文オーダーがあればある程度再現する、してしまう。 

 

 ――値段や性能である程度左右され、やはり完璧には遠いが。

 

 まあ、健康被害等は上がっていないし、仕上がりに不満を上げるのは懐古主義者や脳みその凝り固まったクレーマーくらいだから問題は無いのだろう。


 「……そうなの?」

 

 不思議そうに同僚は、湯気の上がるライスとカレーの境にスプーンを差し込むとまとめて掬った。

 カレーの具材は人参、ジャガイモ、玉ねぎ。メインは牛。

 よく煮込まれている。特に野菜は掬うだけで崩れるほどだ。

 

 「辛い……」

 

 それを口に入れて、舌を刺激する辛さと熱さを味わい終えてから彼女はやや不満げな感想を口にした。

 

 「僕はそう思わないですけどねえ……」

 

 意見の相違。同じ様に口に運ぶ。

 まずは熱さと辛味。強烈なのは蕩ける牛肉。煮込み加減もだが脂と肉のバランスも堪らない。

 口いっぱいに強いスパイスと肉の旨味が広がるのは快感の一言でしか現せなかった。


 「美味い」

 

 思わず溜息が出た。

 中層ではまず味わえない。これが驚きの社員食堂価格で食べれるのだからここに入った介があったとユキカゲは思う。

 

 ――全自動万能調理器具を用いて料理するのは中層でも上層でもこういう施設では共通だ。

 しかし、〈マーキュリー〉は材料やその全自動万能調理器具自体の性能が違う。

 まるで高級レストランかなにかと思わせる程に高精度かつ高機能、そして天然素材。

 だから、彼はただのカレーライスに感動していた。


 「私が作ったほうが美味いわよ?」

 

 不満げに同僚が言う。

 なぜ張り合ってくるのか、ユキカゲには分からなかった。

 

 「それにこれ、甘み足りないでしょ?」

 

 取り出した調味料入れのようなものをカレーの上で振った。

 茶色くて細かい粉末が振りかけられていく。

 ラベルには――チョコレート(試作品)(遺伝子組換え)、甘味百倍とある。

 ……隠し味に入れることはあるが……振りかける量が異常だ。ライスを真っ茶色に染めていく。

 というか甘味百倍とはなんだろうか。

 

 「いや、それはおかしい」

 

 とても微妙な顔でユキカゲは言った。

 しかし、彼女は止まらず二つ目を取り出して振り始めた。

 今度は、シュガーのラベル。隅には食用ではありませんという注意書き。油性マジックできゅきゅっと書いてある。

 ライスが再び真っ白に。カレーにシュガーは溶けていく。

 

 「……君が作ったカレーは僕の好みに合いそうにないですね」

 

 とても微妙な顔でユキカゲは言った。

 そして、食事を再開した。

 

 ……うん、カレーはやっぱり辛い方が良い。

 

 そう内心で納得したのだった。

 

 「それで、件の狩人については?」

 

 「中身は分かったよ」

 

 スプーンを持っていない方の指を、今の今、髪を耳に掛けていた指を空中で滑らせる。

 

 「流石です」

 

 するとユキカゲの前に滑り込んでくるホロウィンドウが一枚。

 生体組込式端末バイオデッキを介したデータ送信だ。非常にシームレスで遅延は皆無だった。

 

 「咬切ケンゴ、ですか」

 

 プロフィールだ。几帳面さが滲み出るように整頓されていた。

 載っているのは、名前、年齢、性別。

 そういう、基本的なところは載っていた。

 

 「……なんか空白多くないです?」


 「とりあえず年齢に合わせて高から中層のスクール。病院や適当なチェーン店の会員情報。後は……刑務所とか。

 ――まあ、順当に捻りなく何も出てこなかったよ」

 

 スプーンを口の手前でとどめて、同僚は言う。

 

 「貼ってある顔写真も君の記録から切り取ったやつだし、名前性別年齢は動画解析……ちょっと屈辱ね」

 

 やや不機嫌な声色だった。

 

 「……隠されてるか、消されたか」

 

 ユキカゲの推測。同僚も頷く。どうやら彼女も同じ意見らしい。

 

 「そうね。普通ならメガフロートここのデータベースに欠片も残さないなんて出来ない」

 

 「それができる程ってなると……上層のお偉い方と関係があるか、できるほどに凄腕のハッカーか」

 

 「もうちょっと時間があれば情報は集められると思う」

 

 スプーンを皿と唇の間で往復させながら、彼女は語る。

 

 「ネットやその辺のデータベースから存在を消せても、カメラだとかに記録は残るし――」

 

 間を置いて。

 

 「〈エンパイア〉の中枢機関メインコアから欠片も残さず消えるなんて出来ない」

 

 「――――そこは駄目、じゃないです?」

 

 真顔。彼の顔には笑みの欠片も見えない。

 いつもの彼、優男的な甘さや弱々しさは何処にやら。

 その瞳は真剣で、奥には恐怖がチラついていた。

 心底、畏れていた。

 

 「そこだけは、いくらなんでも触るべきじゃないですよ」

 

 拒絶の言葉。

 口調こそ崩さないものの語調は強かった。

 中枢機関メインコアへのハッキング行為は重罪だ。あらゆる情報とこの都市の制御を司っているため、触れてしまえば最後、文字どおり、あらゆるものに狙われることになる。

 彼は、それを危惧したのだ。


 「……言ってみただけ」

 

 撤回。特に反論もなく。そして、肩を竦めてみせる。

 

 「私だって虎の尾を踏みたいわけじゃない」

 

 微笑と共に彼女は首を振る。

 

 「……そうです、よね」

 

 それを見ると、いつもの表情にユキカゲは戻った。

 安堵の息を吐いて。

 

 「すみません。早とちりでした」

 

 苦笑。スプーンをカレーとライスの間に差し込み、掬う。

 

 「食べてから、また調べてみましょう。ブラッドフォードさん」

 

 「ええ、そうね。そうしましょうか」

 

 「しかし、この顔……」

 

 傍らに浮かび続けるホロウインドウプロフィール

 ユキカゲは、見覚えがあった。

 今になって。そう最初見た時には感じなかった既視感。

 多分、弟の方に集中しすぎていたのだろう。

 ああいう事をしているというのは、少しショックだったから。

 兄弟だからといってそういうところまで似ていなくてよかったのに。

 

 ――逸れた思考を正す。そうじゃない。それは、また今度で良い。


 ユキカゲはスプーンを口に運び、舌を焼く辛さで思考をリセットさせる。

 今考えるのは、この狩人のこと。

 言い聞かせて、口の中の残滓を傍らの水で押し流す。

 

 「何処で見たんだったか……」

 

 加速させる。想起する。思考を回転させる。

 こうして、夜は深けていく。

 スプーンが皿の隅々までさらい終えたのは会話が途絶えてから少しの後のこと。

 

 ユキカゲが思い出し、ブラッドフォードが咬切ケンゴの一端に指を掛けたのは――――。

 

 

 

 

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