なぜ書くのか
*何故書くのか
何故、書くのか。
書いていてふいに思った。私は文章をこちゃこちゃ書いている。でも、何のために書くのか?
答えはすぐ出た。嬉しいから。つらいから。嬉しくてどうしようもなくて、つらくてどうしようもないから、書く。主に後者だけど。
「書くことは自己療養ではなく、自己療養に対するささやかな試みに過ぎない」村上春樹が小説の中で言っていた。そのとおりだと思う。
では、誰のために書くのか。
自分自身のためだ。私は自分の読みたいものを書くため、自分に少しでも救いを与えるため、書く。主に後者だけど。
しかしこれから見てくれる人もできそうだ。これは本当に嬉しい反面、かなり緊張することでもある。
ひとりよがりが許されなくなるからだ。
今まで私は、たった一人の友人と細々作品を見せ合い、しかも感想交換はほとんどしないというようなことしかしてこなかった。
だから私は、読者の目を気にせず書いてきた。これは文章としては最低の部類に入ると思う。
つまり、完全なひとりよがり、自分の暴走だったわけだ。
しかしこれからはそうはいかない。一応、配布するのだ。作品が読まれるのだ。
そう思うと、私は緊張と高揚感でぞくっとなる。
実は主張したいことなんて何もない。
人はそれぞれ確固とした考えを持っているのだし、それを他人が変えることは容易ではないからだ。(この文章自体、私の「意見」である。)
私は他人に、私の考えに染まれなんて思ったことなんてない。
なら何故書くのか。
だから自分のためだ。
しかし誰かに見てもらいたいという。
自己顕示欲だろうか、自己顕示欲だろうか。
……やっぱり主張したいのかもしれない。ちゃんと考えないから、こうした矛盾がおこる。私の欠点だ。
他人のために文章を書きたいとも思う。
しかしそれはまだ先の話だ。
私の文章は、他人に捧げられるほどの代物ではない。
いつかいつか、だろう。
とにかく、私は馬鹿みたいに文章を書き続ける。実際馬鹿なんだけれど。
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