最後くらい有澤の所感でも述べておけばいいんじゃない
こんにちはご無沙汰しております。稼働しないエッセイ、それを管理することの難しさ。エッセイですらエタりかねないという体たらく。そうです私が有澤です。
いろいろと間があいてしまいまして、最近では読書日記の方をメインにこつこつ続けられそうなので、こっちでわざわざエッセイ開いてなくても? と思い(発信したい所感というものも、あんまりなくなってしまったので)、エタるよりは畳んでおきたいなと筆をとっております。
今後、何か書きたいことがあれば近況ノートで済むのでは? など流行にのってエッセイをやってみたミーハー心が囁いています。自分語りってのは難しい、ほんとに。
ということで、こちらを今回で完結設定して畳もうかと思っております。今までおつきあいいただき、ありがとうございました。でも私の活動はまだまだ続くのでどうか見捨てないでほしいです。
ということで、最後だからというあれでもないのですが、感想書きとしての個人的意見をつらつら書いてしまおうと思います。別に共感も批判も求めていないので、あくまでもメモ書きとして。
何度も何度も、創作界隈の論争というのは議題がループするものです。最近ですと感想の「辛口」が話題ですね、SNSで。これは別に今に始まったことではないし、私の書評に関してもそう感じる人がいるかもしれない。受け取り手の問題です。
「辛口」とは言いますが、私は感想には甘いも辛いもないと思っています。感想というのはその人が感じたことや思ったことを述べる行為です。そこに甘いとか辛いとかいうランク分けはありません。
でも中には向上心のある創作者で「辛い意見がほしい」「厳しい目で見てもらいたい」「元編集者など、経験ある人から認められたい」といった意図で突撃をかます場面もよく見ます。それを否定はしません。上達のために忌憚なき意見を欲しいと思うのはその通りなので。
問題は、「辛い意見を言う人=その人は見る目がある」という、よくわからない構図ができていることです。また、辛い意見と誹謗中傷の見境がなくなっている「自称★辛口感想書き」がいることです。
私は以前「辛口の感想書き」だと言われたことがあります。私の今の書評のやり方は魅力と改善点をそれぞれ提示するスタイルですが、とにかく改善点や指摘がひとつあるだけで、それを否定と受け取る。そうして「こいつは辛口だ!」と囃し立てる。そういった人間を多数派だというつもりはありませんが、指摘されることに慣れていないのかしら、とは思います。
感想とは繊細なものです。フリーで「感想ください!」と言う中には「改善点を指摘してください!」が含まれていない場合が多い。もちろんすべての作家ではなく、感想は好意的なものであって、まあ初見の人間相手にいきなり批判かますとかありえないよねって精神かもしれませんが。
じゃあ逆も同じじゃね? と思うわけです。なんで初見の人間が褒めることしかしないと思ってるの? って。
うーんとっちらかってきた。
まあ、そういう書き手と受け手の「想定内」が異なるので、確かに見ず知らずの人間を相手にいきなり改善点を提示するのは心の準備が必要ですよね。誰かは「信頼関係」だと言ってました。それが「辛口」感想に繋がるわけですが。
相手がどんな感想を書くかもわからないのに、どんな人間かもわからないのに、辛口という言葉を「この人は作品をしっかり見てくれる、そんな視点を持っている」と盲信し、タグに群がっていくのは違うかな、と感じた次第です。で、ああいうタグは切れ味のよさがウリですから、過激な表現を使うパフォーマンスが多いわけです。カクヨムの自主企画でもありますよね、厳しい視点で見るとか一刀両断するとか。そのラインナップを見て書き手は「指摘がされた=見てもらえた」と舞い上がり、この感想書きはしっかりした視点を持った人間だと思い込む。
私だって自主企画で書評を書かせていただいた身ですし、やり方は同じじゃね? と言われたら否定できない部分もありますけど。でも、何事も言い方はあるでしょって話。
「クソつまんね、小説書くのやめろ」っていう中傷を「辛口」と捉える、厳しい意見と誹謗中傷の違いを理解できない書き手と受け手が溢れている。中身を、本質を見ていない。これも多数ではないでしょうけど、それと私をいっしょくたにされたらそりゃあブチギレ案件ですよ。
オチが見えなくなってきたなー? もうどこに収束すればいいのかわからん。まあとにかく、辛口って言葉とそれを盲信して感想をねだりにいく構図にちょっと辟易したってだけです。そんでもって、私はそうなりたくないし、私は私なりのスタンスでもって「辛口」なんて揶揄されない感想書きでありたい、と思っています。
ありがたいことに、私の書評を「辛口」だと言う方はあまり見かけないように感じます。それは作者が感想書きを選ぶように、私も作者(物語)を選べるようになったからでしょうか。感想を書くという行為に対して、まるで魔法のようにポンと出す気軽さを想像してらっしゃる方もいましたが、感想だって文字書きですよ。作家ならわかるでしょ、数万字、数十万字の物語を「読んだうえで」自分の所感を書くんですよ? 楽なわけあるかい。「楽しかったです」なんて当たり障りのないテンプレ書くために時間を使ってるわけじゃないんだ。
そんな非常識な方を私が弾けるようになったのがいいですね。感想書きを無意識に軽んじ、下に見るようなタグ爆撃犯を相手取る必要なんてないわけです。私の労力は、感想は、私を必要としてくれる人に届けばいいし、その人のためにエネルギーを使えばいい。
そういう、ともすれば殿様商売だと批判が飛んできそうなくらいのスタンスでないとやってられない。それくらいのしたたかさをもってないと感想なんて書いてられない。だって私の書く感想は応援コメントやレビューとは本質として違うわけです。違う種類の感想だから、わかりやすく別のラベルを貼っている。
と、いうのを改めて決意したのでした。ちゃんちゃんと。
うまくまとまらなかった! 長々ありがとうございました。
別に、新しい意見が出てきたわけではないので再認識って感じですけど。自主企画や評論ランキングで厳しめの感想を書くものにつどう方々を見るとそんなことを考えてしまいます。その方々を批判する意図はなくて、そういった感想書きの着眼点に感服して読んでいるのです。足跡はつけないですが。
私はちゃんと感想書けてるかなって、そのたびに自省しています。
私の活動はヨムもカクもこれからだし、アマチュアであることは変わりないのですが、どうせやるなら極めたい。プロフェッショナル(専門家)でありたいとは思います。感想書きとして、より質の高い、着眼点のしっかりした、頼んで良かったと思われる感想を書く。商売人ではありませんがそんなマインドでやっていきたいと思います。
㈲アリサワ解体新書 有澤いつき @kz_ordeal
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