変態観測〜午前二時フミキリに〜

狐狸夢中

上を見上げるのは


上を見上げれば藍色の幕。

星か飛行機なのか分からない小さな光が散らばっている。

日中は人々を痛めつける太陽も今は顔を出ていない。若干の肌寒さがちょうどいい。


カタンカタン カタンカタン


貨物列車がすぐ近くを走り抜けてく。


『君に見せたいものがある。あの場所で会いたい。』


昼頃に来た先輩からの電話で呼び出された約束の時間は午前二時。周りに人の気配などない。辺りは静寂に包まれている。


「……先輩、何でこんな時間なんかに。」


私は、事の詳細も聞かされず呼び出された。自転車に乗って、午前二時に、いつも先輩と会う踏切で。


「おーい、こっちこっち。やっと見つけたよ。」


いつも登校時間にこの場所で先輩の後ろから私が声をかけていたが、今日は逆。背後から先輩の呼ぶ声が聞こえた。


「あ、せんぱ」


後ろへ振り返る私の体は完全に振り返る前に停止した。


「いやー、暗くて分からなかったよ。久しぶり。夏休みに入ってからは会ってなかったね。ごめんね。こんな時間に。」


先輩は乗ってきた自転車を停止させ、スタンドを立てる。


「…………え?」


「でも、この時間じゃなくちゃダメだったんだ。」


「え、あ、えぇ……?」


「どうしたの?」



午前二時にやって来た先輩は、全裸だった。



「その、その格好は……?」


「これかい?ふふ、初めてみたでしょ。望遠鏡さ。実は子供の頃から星を見るのが好きでね。今日の要件というのも…。」


「その、服は……?」


「……? どうしたんだい?そんな固まってしまって。別に派手な格好じゃないと思ってきたんだけど。こんな夜にオシャレしてもしょうがないからね。質素な感じにして来たんだけど。」


「質素どころか。」


「ま、立ち話してる時間がもったいない。目的地に行こう。」


「??????」


「あ、ごめん。まだ目的地を言ってなかったね。さっきも言った通り今日は星を見ようと思ってね。僕のお気に入りの展望スポットへ行くつもりだ。ちょっと遠いから早く行こう。」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


「……そうだよね、深夜に呼び出されて、いきなり星を見に行こうなんて。あまりにも自分勝手だったよね。ごめんね。無理矢理連れていこうとして。やっぱり僕一人で…。」


「いや、天体観測は別にいいですけど。それよりその服を」


「本当かい!一緒に星を見てくれるのかい!?ありがとう…!ありがとう…!」


今まで見たこともないぐらい喜ぶ先輩。中学からの知り合いだったけど、初めて見たかもしれない。


「本当に、本当によかった……!」


これほどまでに歓喜する先輩を見たらもう何でもいいやと思えてしまった。それに、もしかしたら私の目がおかしいのかもしれない。先輩は全裸だと言うのにあまりにも平然と振る舞っている。私の先輩を想う気持ちがあまりにも強すぎて変な幻覚を見てしまっているのかもしれない。そうだと願いたい。


「……じゃあ、行きますか?」


「ああ!」


2つの光が線路を沿って進んでゆく。星の見える場所を目指して。


♢


「着いたよ。ここが僕のお気に入りの場所さ。」


「……ここが、先輩の。」


そこは何の変哲もないただように見える山だった。周りは木々で囲まれ、いつも暮らす街中から少し離れただけの場所とは思えない。

先輩と私は自転車を道の外れに停める。2人で山の上を目指し歩く。


「ここからは歩きだ。階段もあり、そこまで傾斜ではないが、長いこと歩くことになる。ごめんね。せめて要件は言いたかったんだけど。」


「その、先輩は山をそんな軽装で歩いて大丈夫なんですか……?」


「大丈夫だよ。この靴はバイキング専用だからね。この程度の標高の山なら楽勝だよ。」


「(よかった。靴は履いてた。)」


私と先輩は山の頂上を目指し歩き始めた。


「ここ数年は来れてなかったが、ここは小さい頃から父と来ていた場所なんだよ。父が僕にだけ教えてくれた秘密の天体観測スポット。」


「そういえば私、先輩のお父さん見たことないですね。どういう人なんですか。」


「父は学者さ。普段は物静かだったが、時折見せてくれる笑顔と優しさが、僕は大好きだった。」


「学者さん……。さすが、全国模試トップクラスの先輩のお父さんですね!親子揃って頭いいなんてすごいです!」


「ああ、父さんは偉大な学者だった。」


「だった…ですか?」


「……父は、病に倒れ、学者を辞めた。」


「えっ……。」


「感染症を海外に行った時に貰ってきてしまってね。徐々に目が見えなくなっていって、最終的には失明してしまった。父は盲目になってしまってから生気を失ってしまった。」


「そんな……。」


「それも何年も前のことだけどね。」


「ごめんなさい、私、そんなこと知らなくてお父さんの話を……。」


「いいよ。父は昔のようには戻れないが生きている。寂しくはないよ。ごめんね、こっちこそ暗い話をしてしまって。」


「……そ、そう言えば先輩この夏休みどこか行きましたか?」


私は暗い話のムードを止めるために話題を逸らす。


「いや、どこにも……。実は外に出たのも今日が初でね。ずっと寝っ転がってたよ。最後の夏休みだってのに、なんともったいないことか。」


「そうですよね。先輩は3年生ですから高校最後の夏休み謳歌しないともったいないですよね。大学にも長い夏休みはありますが、やはり高校の夏休みが一番青春って感じですよな。」


「青春……か。」


「そりゃ、先輩ほどの成績となると当然大学も上のレベルを目指しますから勉強三昧になるとは思いますけど、高校生らしく過ごさなきゃですよ。」


「じゃ僕の青春は君だね。」


「えっ……!」


「だって僕の夏休みの思い出は今日ぐらいしかないもの。」


「そ、そんな……。私なんかじゃ、先輩と釣り合わないですよ……。」


否定しつつも、頬は紅潮する。突然の先輩の言葉で深夜だろうが眠気が完全に吹き飛ぶ。


「嫌だったかな?」


「いえいえいえ!そんなことあるはずございませんよ!私も今日が最大の青春です!」


「君は本当に僕のことを気に入ってるね。」


「気に入るどころか大好きですよ!」


「ありがとう。そう言ってもらえて僕も嬉しいよ。」


「その、先輩は、か、彼女とか作らないのですか。」


「彼女?」


「だ、だって先輩は勉強も学校トップだし、顔もかっこいいからモテるんじゃないんですか?」


「かっこいい?僕が?あははっ。そんなことないよ。僕は学校で女子生徒と話すことなんてほとんどないよ。話すとしても君だけさ。」


「そうなんですか!」


「君といるだけで僕は楽しいからね。君が僕と同じ高校に来てなければ、僕は高校生活の中で一度も女子と話すこともなかったかもね。」


「私、先輩と同じ進学校に入るために勉強凄く頑張りましたからね!」


えへん。と誇らしく胸をはる。


「僕と君はただ下校中に少し世間話等をするだけの他校の生徒同士だったのにね。」


「私、先輩と喋っていた時間が大好きでした。喋っているとぽやーっと不思議な感覚になって、少しでもこの時間が長く続けばいいなと思ってました。」


「僕はそこまで話し相手じゃなかったけどね。」


「あの時はお話が自体ではなく、先輩といたあの時間が大好きだったんです。正直、話の内容はどうでもよかっです。なんて。」


「おいおい、酷くないかそれ。」


「ふふっ。でも先輩が中学を卒業して、一緒に帰らなくたった時にふと感じる寂しさに気づいたんです。胸の中にぽかんと穴が空いて、そこを冷たい風がひゅうひゅうと吹きぬけてるような。」


「だから登校中もずっと話しかけてくれたんだね。」


「はい!私は流石に先輩の進む大学へは行けないかも知れませんが、それでも卒業まではずっと後ろをついて行きますよ!」


私はその日一番のとびっきりの笑顔で答えた。作ってと言われてできるようなものじゃなく、顔全体がくしゃっとなるような心からの笑顔。


「あれ……?」


「どうした。」


「あ、いえ。なんでもないです。」


今ほんの少しの間だけ先輩が裸ではなく服を着ていた気がした。


♢


「そろそろ頂上だ。まだ下向いててね。やっぱ頂上に行って一気に見る方がいいよね。」


「楽しみです!先輩が小さい頃から大切にしていた星空!」


「よし、着いた。じゃ、ここに座って。何の敷物もない草原の上だけど。」


「は、はい。」


「上を見上げてごらん。」


「はい!」


私は上を見上げてみた。



「うわぁぁぁ……!」


星が降ってくるような、圧巻の星空。ここまで星が空を埋めつくしているのは見たことがない。星座を数えることなどどうでもよくなる。


まるで空の上に……だめだ。どうしても比喩が見つからない。言葉に表そうとすること自体すら無礼なのではとも思わせる荘厳さがそこには広がっていた。


「すごいですね……。」


星空を見てから人の言葉を発せられるようになるまでは時間を要した。


「あぁ……。何度見てもここだけは変わらない……。」


「私、感動のあまり涙出てきてしまいましたよ。」


「喜んで貰えて僕も嬉しいよ。予報だとここまで綺麗に見えるのは今日だけらしいからね。」


「ありがとうございます……。こんな、綺麗な星空を見させてもらって……。私、今日の事は一生忘れません!あ、そうだ写真とろう。」


私はスマホのカメラ昨日でこの星空を収めようとするが


「あれ?なんか地味になってる。」


「ふふ。そこが星空のいいとこだと僕は思うよ。」


「いいとこ?」


「確かに、専用のカメラを用いればこの美しき星空を撮ることは可能だ。だが、僕ら一般人が容易に持てるものじゃない。よってこの星空を簡単に記録することなど出来ないんだ。」


「それがなんでいいとこなんですか?」


「美しいものが簡単に見れるようになってしまうと、それの価値は一気に下がる。例えばだがモナ・リザの絵を僕たちはメディアを通じて何回も見たせいで、実際に見たとき、初見で実物を見た人より感動はとても薄れてしまうだろう。それと同じさ。」


「なんだかロマンティックですね……。」


「星空は何千年何万年と変わることなどないからね。この瞬間だけ!ということはないのさ。僕も数年ぶりに見れてよかったよ。」


「先輩はどうして星空を見に行くと電話で言ってくれなかったんですか?言ってくれれば私もそれ相応の準備はしましたよ?」


「………サプライズさ。やっぱりそっちの方が驚いてくれるだろう。」


そう言っている先輩の顔からはどこか寂しさを感じた。薄くなって、消えていって、居なくなってしまいそうな、そんな感じがした。


「そ、そう言えば今日は星は綺麗ですけど、月は出ていませんね。」


そんな嫌な感触を振り払うため話を変える。


「新月、か。そうか。」


「どうしました?」


「月が綺麗ですねとは言えないみたいだ。」


「……それって。」


「漱石の思想は僕にはまだ難しいようだ。何故、愛を伝える言葉が月の美しさを表す言葉となるのだろう。もし、君が仮に僕にそう言われたらどう返すかい?」


「え……!それはもう……!」


「どうした?」


「え…あ、はい!月が綺麗ですねと言われたらですね……。無難だと、「死んでもいいわ。」となるんですかね。」


「うん。定番のセットだね。」


「でも、そうですね、私なら、「あなたと見ているから。」と返しますかね。」


「ひゅー。いいね。いいセンスだ。」


「こ、これもどこかで見かけた受け売りなんですけどね。」


「じゃ、I love youを君風に訳すならどうなるのかな。」


「私が訳したらですか。そうですね。ちょっと待ってください。」


「ちなみに僕が好きな言い回しにはこんな物がある。「話したいことよりも何よりもただ逢う為に逢いたい」竹久夢二の言葉さ。」


「あぁ。それも素敵ですね。」


「ふふ……。」


「なんで笑っているんですか?」


「いや、なんでもないよ。それで、君ならどう訳すんだい。」


「んとですね。「私の幸せの意味はあなたといること。」とかどうでしょう。ちょっと歯切れが悪く、あまり捻りもない気ががしますが。」


「いやいや。とても素敵な言葉だよ。幸せの意味、か。気に入ったよ。」


「本物ですか!ありがとうございます!頭のいい先輩に褒められるとなんだか誇らしげに思えますね。」


にへへ。と顔が緩む。


そしてなんだかこの会話をしていた時間は先輩はいつもの先輩になっていた気がする。裸ではなく服を着た、毎朝私が声をかける先輩。


「僕には文才がないから、別に誇るようなものじゃ。」


「いえいえ。先輩に言われるから意味があるんですよ。なんてったって私は先輩が、」


言葉がつまる。危ない危ない。勢いで先輩に告白してしまうところだった。


「僕が?どうしたんだい。」


「その、私にとって先輩が一番尊敬できて、憧れの人物ですから。その人から褒められれば嬉しいものですよ。嘘じゃありません。本当です。どんな形でもずっと先輩の後をついて行きたいぐらいです。」


「……ありがとう。」


先輩のありがとうからは感謝より哀愁が感じられた。先輩は再び上を見上げ、星空を眺める。


「先輩……?何か、悲しいことでもあったのですか?」


「……なんでもないよ。さ、そんなことよりこの美しき星空を見ようじゃないか。」


「そ、そうですか。」


「…………。」


星空を見ようと言った先輩の瞳は星を見ているようには思えなかった。本当に天体観測がしたいのならば、好きならば、林雑木でカブトムシを探す好奇心旺盛な少年のような力の入った瞳をすると思うのだが、先輩の瞳は星空ではなくただ上を見上げているだけのように思えた。


「……あ、先輩!あれ、夏の大三角形てやつじゃないですか?」


「うん?どれだい。」


「あれですよ。あの一際大きい3つの星。」


「大きい星……。」


先輩は望遠鏡を覗いて確認する。


「あ、あったよ。確か上がベガで下の二つがデネブ、アルタイルか。綺麗だね。」


「ですね。夏の大三角形はよく歌なんかの詞にもされてますし。夏の天体観測にそれを見ないなんて手はありませんよ。」


「君は目がいいな。よくこのたくさんの星の中から見つけ出したね。」


「私、あまりスマホとか弄りませんからね。普通の高校生よりは視力はいい方なんですよ。」


「……君は、来年の夏もまたここに来たいかい?」


「来たいですよ!こんな素敵な場所を知って行くなって言われる方が私には無理ですよ。」


「それはよかった。僕も最後にここの景色を誰かに伝えることができて。僕も父と同じことができたのかな。」


「最後?何を言ってるんですか。駄目ですよ。いくら進学の関係でここより遠い場所に一人暮らしをするからって。夏ぐらいには帰ってくればいいじゃないですか。」


「大学、か。」


「そう言えば先輩はどこの大学に行くんですか?やはり東京の?それとも別の…はっ!もしかして海外ですか!それでここに来れるのも最後だって言って」


「大学には、行かない。」


「…………え?」


信じられない言葉を聞いた気がする。あの先輩が進学しない?名のある進学校の首席で、全国模試もトップクラスの点数を取るあの先輩が?そんな話あるはずがない。


「先輩、今なんて……?」


「僕は大学には行かない。」


先輩は何のためらいもなく、さも当然のように言い放つ。コンビニへの同伴を拒否するかのような軽い面持ちで過ごしている。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


「なんだい。」


「おかしいですよ!先輩のその能力で大学に行かないのは!」


「正確には、行けないだ。」


「行けない……?」


「僕には無理なんだ。」


「無理ってそんなわけないじゃないですか。先輩の成績で行けない大学なんて。」


「違う。成績じゃない。」


「じゃ、なんですかっ!」


「僕にはこの美しい星空はただの光っている何かにしか見えない。」


「…………?」


それはなにかの比喩表現なのだろうか。先輩の言葉は冷たい氷のように、重く、冷たく、触れられない。どんどん先輩が遠くに行ってく気がする。


「君の顔もただの肌色にしか見えない。」


「…………!」


もしかして。私は気づきもたくないことに気がついてしまった。それを考えただけで涙が出そうだ。いや、もう出てる。間違いであってほしい。そんなはずない。そんな淡い気持ちは一秒も経たずにうちにサラサラと散っていった。


「僕は目が見えなくなってきている。」


私は気づいたらその場に膝を落とし、顔に両手を当て泣き崩れている。たった数分の間だが、その時間に、愛について語り合っていたあの時間に戻りたいと何度願ったことだろう。だが戻りはせず進んでいることに失望を繰り返す。

全身が少しずつ釘に打ち付けられていくような。どっどっどっと心臓が動く度に釘は打たれ、痛みは増してゆく。貼り付けにされ動けない。動こうものなら痛みは増す。


「泣かないでおくれ。」


なぜ先輩はそんなに平気に振舞うのだろうか。確かに先輩が涙を流している所は見たことがないが、無理をしているようにも見えない。


「だって、ばって……。せ、せん。うぁっ。あ、あぁ。あぁああああ……!」


肺の呼吸が、心臓の鼓動が、身体の震えが、喋ることの邪魔をする。私には言葉を発することができない。できるのはただ地面を濡らすのみ。もしかしたら私は今どろだろに溶けて地面に染み出しているのかもしれない。


「だいたい君も察しているかもしれないが、父が盲目になった病気と同じ病気にかかってしまった。今はまだ見えてはいるが高校を卒業するまでには完全に僕の視界は闇に閉ざされているだろう。」


「なんで、なんで、先輩はそんなに平然と話が出来るんですか。悲しくは、ないのですか。」


「悲しいさ。」


「じゃあなんで!」


「……ふぅ。」


先輩は大きく息を吐き、まるで身を焼かれているような苦悶の表情を浮かべ、私にこう叫んだ。


「勉強しか能がない僕が!それだけを期待されて育てられた僕が!視力を失う!君は想像したことがあるか、視界だけでなく、未来さえも闇に蝕まれてゆくこの感覚を!家族を失ったも同然となった母の哀しみを!自分がいらい存在となった絶望を!」


先輩はそう言い切ったあとに、はっと我に帰り平静を取り戻す。


「ごめん。君に八つ当たりしてもどうにもならない事だ。」


「先輩は、どうするんですか。これからの未来。」


私はゆっくりならやっとまともに話せるようになり、間に深呼吸を挟みながら話す。


「さぁね。」


「さぁねって……。」


「盲目でもできる職業は探してはいるが。どうにもやる気が出なくてね。もうどうでもいいんだよね。」


こんな先輩、初めてみた。確かに人生を投げ出したくなるとは思うが、先輩がここまで下向きな言葉を発することなど今までなかった。


「……もう、いいかな。」


ぼそっと呟いたその一言。

その一言で先輩は壊れてしまった気がした。今まで積み上げてきたものを全て叩き割ってしまったような喪失感が先輩の顔に現れていた。


「いいかなって……。何ですか。」


聞きたくもない。想像したくもない。最悪の結末が待っている気がするから。嫌だ。嫌だ。止めてくれ。


「……さいごに君と会えて本当によかった。」


そのさいごは最後ではなく、最期に聞こえた。先輩は、望遠鏡の入っていたリュックから何かを取り出そうとする。

止めなきゃ。でも、動かせない。これから起こるであろう悲劇を想像し、私の体が現実拒否している。私の足ではなくなったようだ。

ふざけるな。動け。足よ、手よ。人間の脆さに生まれて初めて気づき、嫌いなった。


「今までありがとう。」


先輩は何かの錠剤を取り出した。勿論それが飲み込んでいいものではないと、分かりきっている。だが、止めるために動くことができない。口だけは動くが、説得で止めることはできないことは明白であった。


「さようなら。」


喋らなきゃ。止めなきゃ。でも、どうやって?注意、叱咤、嘆願、どれでもだめだ。ああ、先輩が口に運ぶ。どうする。止めて。お願い。だめだ。お願いだから。

まだ話したい。先輩といたい。だって。伝えなきゃ。今すぐ。動け。逃げないで。私はまだ。

何を言えばいいか分からない。止める言葉も思いつかない。でも、先輩に言いたいこと。それは。






「好きだああああああああああっ!!!」







私は今、何て言った?


先輩は、動きを止め、錠剤を地面に落とした。そして、糸が切れた操り人形のように、尻もちをつき、そのまま仰向けに倒れた。


先輩は止まる。私は動く。

先輩のとなりへ駆け寄る。


「自分をいらない存在と言わないでください。私の幸せの意味はあなたといることなんですから。」


私は先輩の隣で仰向けとなり、2人無言で星空を見ていた。

何も言わずともに繋がった手からは温もりを、生命いのちの証を感じていた。



♢



「……ずっと、息苦しかった。僕は将来を大きく期待されていた。上にいるのが当たり前。常に上を目指さなければならない。勉強が得意なだけなのに。」


「私は、常に上を向いて生きている先輩が大好きでした。憧れでした。」


「僕には後ろを振り返ることなど許されなかった。」


「私はずっと後ろを追いかけてるだけでした。」


「でも、突然前が見えなくなってしまった。どこを見回しても闇だけ。」


「先輩が見せたかったものを見させてもらいました。」


先輩の体が起き上がる。


「でも、振り返れば君がいた。」


先輩は、上を見上げる。

今、上を見上げたのは、上を目指すためでも、星空を眺めるためではなく、こらえきれなくなったから。



「これからは、並んで星空を見上げましょうよ。」


「そうだな。見えなくなっても見上げよう。君と一緒に上を向こう。」



先輩が着ている涙でぐしょぐしょになったシャツは触れても冷たくなかった。


「あ、先輩も告白してくださいよ。私中学で先輩と離れ離れになって、高校で再会したときにこの気持ちが恋だと気付いたんですよ。何年も片思いにさせる気ですか。」


「何年も片思い?何を言ってるんだ僕は君と出会った、中学の時の下校中の話し相手の時から、話したいことよりも何よりもただ逢う為に逢いたいと思ってたよ。」



星空はこれからも、決して変わることなく、私たちの上で、煌めく。

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