第31話 男と女

「細井さん」

 私は久しぶりに細井さんのお店に行った。

「あっ」

 細井さんは私を見るとものすごく驚き、気まずそうな表情を浮かべた。

「お久しぶりです」

 そんな細井さんを私は見上げた。

「無事だったんですね・・。も、ものすごく心配してたんです」

 細井さんの目は、泳ぎまくっていた。

「大丈夫でしたか」

「はい」

「あの時は、その・・、あの方がいいかなって・・、君もついて来ていると思って・・」

「・・・」

 私の手を取ることもなく、一目散に思いっきり一人で逃げて行った時の細井さんの背中が頭に浮かんだ。

「ほんとに・・」

「もういいんです。そのことは」

「えっ」

「もういいんです」

「えっ、あっ、そうですか」

 私がそう言うと、細井さんは、ものすごくほっとした表情になった。

「あ、どうぞ」

 細井さんは店の中に私を誘った。

「今度また、海に行きましょうよ。新しい車買ったんです。今度はそれで」

「あ、いえ」

「はい?」

「いえ・・、あの、今日はお金のことで来たんです。溜まっているツケ、もう少し待ってもらいたいんです」

「あ、ああ、そのことなら、大丈夫。いつでもいいです」

 細井さんの表情は若干引きつっていた。この前のこともあるし、言うに言えないのだろう。

「それじゃ」

「えっ、あ、はい」

 去っていく私を、呆然と見つめる細井さんの視線を背中に感じながら、私はその場から離れて行った。

 全てがなんだか夢の中のことだったみたいに、私ははっきりと目覚めていた。夢から覚めてしまえばなんのことはない、目の前にいた男はたんなるホストでしかなかった。


「まっ、男と女は理屈じゃねぇからな」

 マコ姐さんが言った。

「くっつく時はくっつく、離れる時は離れる。それがたとえどんな相手だってな」

 私とマコ姐さんは、いつものごとく、いつものように屋上でたばこをふかし、仕事をサボっていた。

「まっ、どこまでいくか。どうなるか。やってみたらいいじゃない」

 マコ姐さんは、私を見た。

「考えてたってしょうがねぇよ。行動あるのみ」

「はい」

 マコ姐さんらしい考え方に、私は少し元気が出た。やはり相談してよかったと思った。

「惚れちまったもんはしょうがねぇさ」

 そう言って、マコ姐さんはたばこの煙をゆっくりと、風に乗せるように吐いた。

「女はさ。地獄に行くと分かっていても、惚れちまうもんなんだ。そんなどうしようもない生き物だよ」

 マコ姐さんはいつになく感傷的な表情をした。

「地獄ですか・・」

「そう、地獄・・」

「・・・」

「まあ、地獄に行ってなんぼよ。女は」

「はあ・・」

 地獄には行きたくなかったが、マコ姐さんの言う地獄まで、人を愛してみたいとは、なんとなく思った。

「地獄・・」

 私は一人呟いた。

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