第34話 「そして巨人は倒れる」

「何ッ!?」


 堀末は面食らった。


 これは「面に食らった」という意味でもあるが、それ以上に、自分の予想を上回る行動に驚いていた。礼一少年がここまで自分の「予定」を裏切ってくれるなんて――。


 非常に「嬉しい」。


 手がわなわな震えて、頭に血が上って、ブツブツ何かが切れるような音がして、この上なく目が血走って、「気持ちがいい」。


 心臓がバクバクと高鳴って、思考が全て礼一少年についてで占められる。自然に頬が限界を超えて引き上げられる。


 息が荒くなって、苦しくなって、それでも「幸せ」だった。


「やっぱり君は最高だぁ……最高だよッ……ああ、君を殺したい! ブッ殺したい! いやブッ殺す! いやいやブッ殺した! あはは! まだだけどさぁッ!」


 そう言いながら、堀末はモイスヒェンのリミッターを解除した。普段はその巨体の重量故に関節やアクチュエーターへの影響を考慮して出力制限がかかっているのだが、それを取っ払ったのだ。


 元々様々な構造上出力上のクリアランスを無視した設計のために通常の戦闘出力ですら九時間ほどしか動けない機体を更に酷使し、何と三時間にまで寿命を削るその装置の起動と同時に、75mmを射撃。


 回される魔力の増大により威力が倍近く伸びたそれは、しかし、頭への着弾の衝撃でバラけてマトモに当たることはなかった。


 その隙に、礼一少年はオスカーを更に一本先の路地へ走らせる。弾切れになった機関魔砲を道に捨てて、最大出力での疾走。


 モイスヒェンはさっきまでの倍の速度――ほとんどオスカーと同じ速度でそれを追った。


 だが、徐々に、徐々にだが、モイスヒェンはオスカーから引き離されていく。


 曲がり角でのスリップや、建物との衝突(による減速)を防ぐためにモイスヒェンは入り組んだ道を曲がる度に減速しなければならず、加速では最大出力であってもオスカーより劣っていたからだ。一本道でなければきっと見失っていたに違いない。

 

 対する礼一少年も必死だ。予想よりもあの巨体が素早く移動しているのだ。


 もっとゆっくり待ち伏せする形になるはずが、急いで「アレ」の準備をしなくてはならなくなった。


 現状唯一、アレに対抗できる可能性のある方法。


 ただしチャンスは一度。


 角から飛び出したところを「狙う」しかない。


 先に大通りに出たのは言うまでもなくオスカーだった。


 大通り――元の、コロシアム前のそれである。


 モイスヒェンがあの大砲を捨てた、あの!


 無論、礼一少年はそれを知らなかった。だが、推定はつく。少なくとも最初の射撃以外は全て75mmだった。


 あの建物を崩壊させた砲撃がどちらであろうと、射線からすれば明らかに大通りから――そして、今は素手である――ならば、ここに捨てたに決まっている。そう礼一少年は考えたのだ。


 そして賭けたのだ。駆けたのだ!


 そして、彼は賭けに勝った。


 そこにはいかにも重そうな15cm38口径魔砲が転がっていた。


 それはオスカーの二倍もの全長があるから、まるで担ぐようなサイズだ。


 ならば、その低いパワーでそうできるか、機体のフレームは耐えられるか、それも賭けだろう。


 それだけではない、そもそも「チャージ」がなされていて、それが今も継続しているか、それもギャンブルだ。


 だが、あの小さな巨人に襲われた瞬間からヨハナの世話になるまで――この男に殺されてからこの世界に来て、こうして戦いに至るまで……今までの人生全てがギャンブルだった。

 病院でアルコールの瓶があったことも、孤児院近くまで歩いてきていたこともだ。


 そして、彼はそのほとんどに勝ってきたのだ。


 ならば、勝てぬはずがあるまい。


 だから、強欲にも彼はそれら全てに勝った。オスカーはその丸太めいたそれを抱え上げ、勢いよく跳ね上げて肩に乗せた。


 そのときミシ、とフレームから嫌な音が聞こえたが、すぐに壊れるような兆しはないようだ(長くは持たないだろうが……)。


 というのも、これも礼一少年の知らないことだが、砲というのは基本構造が空洞であるから、例え大口径といえども、案外軽いのだ。


 例えばかの有名なアハトアハトでさえも、基本的には八トンに満たない。それを用いるティーガー1重戦車約六十トンのアバウト七分の一といったところだ。


 その上、砲は――魔砲はオリカルクムでできている。鉄よりも遥かに軽く、遥かに強固な、この世界特有の金属だ。


 つまり、より薄くできる。軽くできる。


 ただ、サイズ差の問題はあった。


 トリガーは指で引くには大きすぎるから、オスカーの右の肘打ちでそうする。照準は勘だ。


 というよりは、長すぎて曲がり角の方に向けるので精一杯なのだ。修正するのには機体ごと動かすのだから、そしてその度に機体が軋むのだから、そういうリスクを背負うのは最低限にしたい。


 セットを終え、礼一少年は深く息を吸う。足音が迫る。その振動で機体が上下に揺れる。右腕の痛みはその度に波を高くして襲いかかる。


 だが、それはゆっくり遠くなっていく。

 音が聞こえなくなる。


 それから目は曲がり角の一点を睨む。

 そこしか見えないからだ。

 そこしか見る必要がないからだ。


 目と操縦桿を握る右腕だけが浮き上がって、心臓がそこにリズムを与える。


 ……それから程なくして、ルメンシスのいくつかの石畳に不意に影が落ちた。建物のそれに並んでいるが、それは建物のそれよりも重く、濃く、響く。


 そして、何よりもどれよりも禍々しい――!


 今!


 礼一少年は操縦桿をクンッと引いた。その一人の人間には小さな動作が、小さな機装巨人を突き動かし、その身の丈より遙かに大きい大砲を揺るがせた。


 それは反動で大きく踊り、機体はそれに引きずられるようにして転ぶ。


 大きな衝撃。


 機体の硬い魔導モニター(見た目に反してガラスなどではないらしい)にガンガンと頭をぶつけて、一瞬意識が遠のくが、頭からの鋭い痛みにすぐに引き戻される。


 目を開けると、左の視界が真っ赤でよく見えなかった。


 そこから上に左手をやると、いつぞやの腹のようにべっとりと紅葉めいた真っ赤になった。


 礼一少年は悪態をつきながら、足のペダルを踏んだり操縦桿を押し引きしてみたが、最早オスカーはうんともすんとも言わなかった。


 発砲の衝撃で完全に故障してしまったらしい。


 よく見ると、血か何かが詰まっているらしい鼻にも感じられるほどの焦げ臭さが、目に見える白い煙のような形を取って機体の中を漂っていた。


 脱出、脱出だ。


 段々と苦しくなる呼吸と戦いながらコックピットハッチと格闘すると、歪んでいるのかやや開きが悪かったが、それにしてはあっさりと道を開いた。


 首が意志なさげにガクガクとしている3mの巨大な金属製の死体から何とか這い出ると、激しい熱風が礼一少年の血まみれの肌を焦がした。


 彼は反射的に一時は目を細めたがすぐにそれを確認しようとそちらを向いた。


 轟々と音を立てる大木が、そこには横たわっていた。ルメンシスの都会的建造物に体を預けているところは、その元々の荘厳さとは裏腹に寄生植物のようでもあった。


 その幹はオリカルクムで出来ていた。


 木が耐えることの出来ない高温にも耐えうるそれは人の足や胴体の形をしていて、しかしその隙間隙間から水蒸気か何かを傷口から吹き上がる血液のようにしていた。


 その人間的なのにもかかわらず、礼一少年にはそれが機装巨人だとは思えなかった。


 何故なら、本来その太い上半身、特に右腕部があるべきところにはただ間欠泉のように燃え上がる魔力性の火炎のみがあったからだ。


 それは、モイスヒェンのオリカルクムの装甲板を難なく貫いた術弾が、魔力液タンクだとかアクチュエーターだとかいった何もかもを無茶苦茶に引き裂いて起こしたものだ。


 あの非合法とまで言える暴力に苛まれては、あの巨体といえども無事にはいかなかったようである。


 そして、それは最早自力では動こうとはしない。


 それでも金属の軋むような音と共に少しずつ動いているのは、機体の関節だとかが、被弾によるバランスの急変や設計上考えられていなかった衝撃により限界を迎え、さっきまでの最大出力の代償を構造の崩壊によって想定より早く支払っているせいだろう。


 ――まだだ。


 礼一少年はポケットから拳銃を取り出すと、撃鉄を起こして、その火炎の中へ走っていった。


 無論、自らの宿命に引導を渡すべく。




「――……礼一君!」


 堀末は暗闇の中で目を覚ました。


 勢いよく身を起こすことはなく、ただその分勢いよく瞳を開いただけだ。


 機内右にあった、小道具入れの扉だとか細かい留め金だとか、そういうあらゆるものが飛び散って右半身に突き刺さっていると「気絶しながらに」理解していたからだ。


 いや、正確には刺さっていく瞬間は起きていたから知っていたのだ。


 右から大きな衝撃が来る寸前に機体を捩らせて避けようとして、その後までは何とか。


 何とかコックピットへの直撃は避けられたようだが……。


 ただ、堀末にとって、そんなことはどうでもよかった。礼一少年を愛しに行かなければならなかったからだ。


 件の右半身はそれそのものがなくなってしまったようにズルズルとしていることだ。神経が切れているわけではないようで、それは何かに触れる度に酷い痛みを起こしていたが、つまり堀末の意志に従ってはくれなかったのだった。


 しかし、彼は芋虫のように体を動かして、匍匐前進めいた方法でコックピットハッチへ左手を伸ばそうとした。


 多分、左側のハッチは建物にめり込んでいるだろうから、と右のそれへと、だ。


 が、いくら手負いでも、それぐらいは今の堀末にもできるはずなのに、それは遂行できなかった。


 何故なら、そこにハッチはなかったからだ。そもそも、それはあるべき場所になく、既に解放されていた。


 代わりに、無骨な洗練されていないリボルバー。

 つまり魔導拳銃が一丁。

 そして、その後ろの光の中には――。


「――礼一君」


 やっぱり、君は――!


 堀末平次は、その台詞の後半までを言い切ることはできなかった。


 彼は、愛する人の名前を呼ぶことしかできず、それすらも今までの騒乱に比べればあまりに小さい発砲音にかき消された。


 しかし、その音そのものは彼の聴覚神経を揺るがすことはない。


 彼の脳は魔力によって物理的に乱され、その後ろにうがたれた穴から生臭いものとして熱されたコックピットの中に飛び出したからだ。


 彼と同じく血まみれの堀末が動かないのを見て、礼一少年は拳銃を下ろした。


 殺した息は荒いまま、その殺人道具をゆっくりと下ろしたのだ。それから、ふう、と炎より熱い息をつく。


 そして、その次の瞬間には、弾かれたように、あの最初のビルへと走り出していた。


 あのヨハナが横たえてあるビルへである。

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