第30話 「魔『人』見参」

「やっほー、礼一君。中島礼一君――わざわざフルネームで呼び直すのハマってるんだ。カッコいいだろう、これ。僕は堀末平治っていうんだ。知ってるかな? まあ知らないと分かっている上で聞いたんだけど。僕が有名になったのは君を殺してからだからね。とにかくおはよう。いい天気だよね。こういう天気だと気分まで良くなるよ。人の焼ける臭いと金属粉の臭いがなければもっといいんだろうけど……そこは、その、ごめん。無理だ。本当に申し訳ないと思ってるんだ。こういう表情だといまいち伝わってないと思うんだけど……ところで、君にもその物騒なモノ下ろしてほしいな。というかド素人の君にも教えてあげると、それ多分自動でチャージされるエンジン直結型じゃないからそこの側面のレバーを引かないと撃てないよ? ちゃんと分かってる?」


 支離滅裂。


 それが礼一少年が彼から受けた第一印象である。


 いや、この言い方は正しくない。


 彼は東京でもう既に一度会っているのだから、第二印象と言うべきだ。


 だが、思わず錯覚してしまうほどのコントラストがそこにはあった。


 それでも別人ではない、と確実視できたのは、その精神的バランスを欠いた眼だ。ガラス製のような、無機質で、見るもの全てが均質に見えているかのようなその眼は、彼特有の眼だろう。


「――ねぇ? 聞いてる? レバーを引かなきゃ撃てないよ、って言ってるんだけど」


 その言葉で現実に引き戻されて、慌てて礼一少年が最初のカートリッジを魔導回路に入れて狙い直す頃には、堀末は機体の左手に握られているヨハナの近くに立っていた。


 これでは、彼女に当たりそうで撃てない。


 何しろ彼はオスカーの隣に置いてあった37mm機関魔砲を適当に引ったくってきただけなのだ。狙い方どころか構え方も覚束ない。


「そりゃあ、撃てないよね。でもおかしいと思わなかったの? 何の裏打ちもなく僕が外に出る訳ないじゃん――って君は僕の性格なんて知らないか。君がこの世界に来た瞬間から一緒だったのに寂しいなぁ」


「この世界に来た瞬間? お前は何を言っている?」


 これは、魔力を使ったスピーカーによる声だ。


「僕は集団でこっちの世界に呼び出されたんだぞ。お前がこの世界に僕と同時に来たとしても、その年を取った姿になるのはおかしいだろう。あのときはまだ、もっと若いはずだ。それにそもそも同時に来るなんて」


 そこで礼一少年の言葉が詰まったのは、思い当たる節があるからだった。


 そういえば、あのとき、あの病院もどきで、何か変な感覚がしなかったか? と。


 それはまるで、それこそ「コイツ」が真後ろに立っているような――そんな感覚だった、と。


 あの邪知暴虐の変態的な眼が見ていたようではなかったか、と。


「感づいたみたいだね」


 と堀末は満面の笑みを浮かべた。その凄惨さからして、むしろそれは蔓延の膿と言ったところだったが、もう、礼一少年は慣れた。


「うん、そうだよ――君に出会ったときは三十一歳八ヶ月十一日だったかな。それで、『君と一緒に』この世界に喚ばれたのは六十二歳十ヶ月と六日。あれ、そうするとこっちに来る間にもう一歳年取っちゃったのかな? この年になると流石にもう年は取りたくないね、節々も痛くなるし、体力はなくなるし……」


「質問に答えろ……!」


「うーん、君はいつだったかの警察官に似てるね。視野狭窄だよ。もっとちゃんと俯瞰してものを見た方がいい。


 君にも分かりやすく言うと、君は人質を取られていて、対して僕はこうやって……例えばこのオリカルクム製のナイフでその首をサクッと切ることができる。あはは、常に持ち歩いてるんだ、これ。まあ、頸動脈は、君も覚えがあるだろ? なら、脅すのは僕の方じゃないとおかしい。違うかな?」


 そう言って彼は気だるそうに、どこからか取り出したナイフをヨハナの首筋に当てた。


 大丈夫だよ、まだ切るつもりはないから、と反射的に身を固まらせた礼一少年に告げながら、何故かうっとりとした表情をして、無造作な円柱の造形をした機装巨人の腕の上へ器用に座ってみせた。


「ちなみに、視野狭窄なのは、君の推理にも当てはまるよ――確かに、君と僕とが同時に、あのふざけた番組のせいでこの世界に来たのは間違いがない。だけど、僕があのときに来る必然性は、一体どこから来たんだい?」


「……? どういうことだ?」


「分かんないか。分かんないよね。じゃあもっと端的に、もっと分かりやすく言うと――僕は、君が死んでから――正確には君と、あと三人の男と二人の女の子を殺してから、何十年も後に死んだんだ」


 ――盲点。


 もしアルファーノとかいうコメディアンの言っていたように、死がトリガーとなって転生する――「させられる」のだとしたら、その死の瞬間は、理論上、いつでもいいはずだ。


 礼一少年の住んでいた時代の数百年前でも、あるいは後でも。例えばジャンヌダルクだって連れてこれるわけだし、未来の、まだ名も知らぬ英雄すらも連れてこれる。酷い話、人に限らなければ「現代」では絶滅したマンモスでも可能なわけだ。


 とすれば、もちろん、数十年後の、自身を殺した男すらも。


「何十年か後に、だと?」


 だが、それはおかしい。考えづらい話だ。有り得ない。


「だったら、何でお前は死刑になっていないんだ。六人も殺しておいて……そんなの死刑にならないはずがないだろ、おかしいぞ」


「確かに不思議だね。僕も不思議なんだよ。でも無罪に――正確には不起訴になったんだ。知ってるかな? 刑法三十九条って。後で調べたんだけど、簡単に言うと責任能力っていって、善悪の判断のつかない人は減刑されたり、僕みたいに不起訴や無罪になるんだ。もちろん精神鑑定はいるけど……まあ詳しいことは割愛するよ、僕はあまりその辺詳しくないからね」


 そう、何にせよ僕は生き延びたんだ、と堀末。


「あの瞬間から僕は変わったんだよ。君を殺した瞬間から、僕の人生は大きく変わったんだ。君が僕を救ってくれたんだよ。生かしてくれたんだ。君の血で今僕は生きていると言ってもいいだろうね。」


 堀末はハシゴのついている腕を登って、機体の肩から人間で言うところの鎖骨にかけての上に座り直した。


「僕はね、結論してしまえば、そうだな、君のことが好きなんだよ」


 うふふ、とナイフを持ったまま頬に両手をあてがって、彼は不気味に微笑む。


「いや、好きになったんだ――あのときまでは、僕は、ずっと他人なんてものが何もかも全て原則的に全般的に例外なく貴賤なく嫌いだったんだよ。というよりも、皆、敵だったんだ。殺してやりたいほどに。」


 彼は唐突に立ち上がってその狭い踊り場でつま先を中心に低速でクルクルと回った。


 視線は礼一少年の機体を見たままだが、それは彼を見ているのではない。そこに浮き上がる何か別のモノを見ているような目だと礼一少年は思った。


 比べるのも失礼な話だが、ヨハナが市場で彼に向けた目にも、少し似ていた。


「だって、皆他人を考えようともしてないんだもん。だって、皆他人なんて見ようともしてないんだもん。だって、皆他人がどう悩んでるかなんて本当は気にしてもいないんだもん。そうやって他人を無視するくせに他人は利用するものとしか思ってないんだもん。


 例え、それが自分の子供でもね。


 えっとね、だから僕は、ずっと無視されてたんだ。


 勉強ができたなら、それが当然だ。


 運動ができたなら、勿論のことだ。


 と。


 だから、僕はどこにもいなかった。僕を僕と見てくれる人は一人もいなかった。ずっと僕の胸についてる勲章だけ見て、僕の顔なんて見てくれなかった。


 いや――その勲章すら僕のモノだと認めなかった。それが僕そのものの否定だって知ってたかは知らないけどさ。


 僕が一番なのに、誰も僕が凄いと言ってくれないんだ。


 我思う、故に我ありとは言うけど、他人にそこにいると思われないなら、ここに自分がいるなんて言えないだろう?


 僕が一番なのに。誰よりも偉いのに。誰もが僕を下に見ているんだ。


 ああ、死のうとしたさ。


 何度だってね。


 でも自殺のニュースがひっきりなしに流れる度に、死にたくなくなるんだ。おかしな話だけど……まあ、結局のところナイフってさ、ほら、やっぱり痛いじゃん?


 でも、それなら逆に、と、僕は頑張ろうとしたんだよ。皆他人のためになることをしようって言ってたからさ。


 僕もまだ頑張ったんだ。信じてたんだよ。


 だから、有名国立大学に入ったり、少しでも多くの時間バイトをして親にその給料を渡したり、有名企業に入ってみたり――まあ、その全てが無駄だったんだけど。


 父親がね、死んだんだ。


 自殺だよ。


 事業でミスって、全財産パアだとさ。


 お前のような優秀な息子ができたのは自分の先見性あってこそだって叱ってたのに。


 その上借金まで作ってた。


 母親は実は親父の稼ぎでホストに貢ぎまくってたから、そんでもってその習慣を改めなかったからその借金は膨らみ続けたよ。


 これも、すぐに死んだけど。


 急性アル中ですぐに死んだくせに、まあ随分と使い込んだものだと今でも思うけど……。


 だから僕は親戚筋も頼ってみた。……でも、皆忙しいってさ。


 いや、忙しくなったのかな?

 それとも、「忙しくした」のかな?


 どうだっていいよ。

 それから僕もすぐに仕事を失ったんだ。職場の派閥闘争に巻き込まれて、辞めさせられた。


 それでも頑張って、何でもしたんだ。

 誰かが助けてくれるはずだって。

 誰かが見てくれてるはずだって。

 誰かが思ってくれるはずだって。


 君は笑うかもしれないけど――本当に何でもしたんだよ。僕ですら言いたくなくなるようなこともした。


 でもその一方で皆のためになるような仕事もしたんだ。ゴミ捨てのおじさんとかだね。他にも色々――。


 まあ、これも無駄になったんだけど。


 誰もありがとうと言ってくれない。

 誰も頑張ったねと褒めてくれない。

 誰もおめでとうと祝ってくれない。


 だのに、それで自殺したら、『どうして誰も見てなかったんだ』『社会が悪いんだ』って不特定の他人のせいにするんだろうぜ。


 それもいい格好を他人にお見せするためさ。好きな子の前でお洒落するのとそう変わらないよ。


 明日にはそう言ったことすら忘れてる。


 僕は皆のために何もかもやったのに、皆は僕のために何もかもしてくれなかった。


 だから、僕は、他人を、皆を、そして君を、殺したんだ。」

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