第29話 「我こそが帝王なり」

 ごう、と風が吹き、狼煙のように揚がり続けている黒煙が揺れる。


 首都ルメンシスのコロシアムに至るまでのその道のりにはかつて――少なくとも十分前までは人で満ちていた。

 

 例え東方へどれほど領土が広がろうと、例え西方がどれだけ栄えようと、ルメンシス教国の中の中心はどこかと言えばここに他ならないからだ。


 建国の父の後継者にして俗権を司る皇帝と、建国と国体維持の陰の立役者にして聖権の公使者である教皇の権力争いの中で富が集約され、その流通の中で人が集まるのは自然なことだろう。


 しかし今やそのお膝元には屍ばかりが並んでいる。


 観光にきた他国の民。職場に向かう西方からの出稼ぎ労働者。高い装飾品を自分の体重の倍はつけてふんぞり返っていた太った聖職者。東方出身の愛人の写真を懐にしまっていながら自分の妻と語らう休暇中の兵士。


 それらが全て、各々の血の湖を作ってその中で安らかとは言い難い眠りに落とされてしまった。


 一人は腕がもげ、また別の一人は腹が割け中身が飛び出している。


 その横に頭のなくなって身長の更に低くなった子供が倒れていて、バラバラになった頭を寄せ集めようと母親が片足がないのに頑張っているが、それも無駄なあがきだ。


 だから暇潰しも兼ねて、それを犯人である真っ黒な機装巨人は自慢の75mm25口径魔砲の炸裂術弾で親子共々木っ端微塵にした。


 死の瞬間、母親は自分の背後に常識や正気を超えて巨大な影を見てそれに発狂したに違いないが、石畳が粉塵になって、彼女らの死の表情をひた隠しにしようと努力したので、彼の興をそそるようなことはなかった。


 彼とは、例の、細身にしてボサボサ髪の老人の彼である。

 

 それと対照的に手足が図太くそれに負けず劣らずのいかにも頑丈そうな胴体をしたその機体のゴツい手には、当然一人の金髪碧眼(意識を失っているので碧眼かは見えないだろうが)の美女が握られている。当然そこに感圧センサーはついていないので、潰さないようにするのに実はかなり苦労するはずなのだが、初老はそれほど苦労している様子もなかった。


「ゲームでチートしたりするのを悪いとかはあんまり思わなかったりするんだけど……でもここまで簡単だと思わなかったんだけど……東京ぐらい人がいれば面白かったのかもしれないけど……」


 ルメンシスの街に転がっているのは無辜の市民の死体だけではなかった。それの約二倍ほどの大きさをもつオリカルクム製の人形があちこちに、やはり死体同様バラバラの状態で転がっていた。


 その半分以上は人型兵器としての形を保っていない。


 初老は、そのメカニカルな死体の山の中に一機、まだ両脚を失いながらも手だけで後退しようとするのを見つけて、これを踏みつけた。


 その結果、「Type202 フォルゴーレ」の35mm装甲は奇妙な唸りを挙げた後に、パイロットを守るという用途を果たせずにペタンコに潰れてしまった。


 それも、あまりに簡単に、であったから、ここに関してそれを詳しく描写することができないほどである。


「全く失望させてくれるなぁ……暇。全くあくびが出るね」


 そう言いながら、ふあぁ、とあくびを一つ打つ。


 この残虐無比な殺戮をしながら、そこに何一つ罪悪感を覚えていないように見えるが、実のところ本人なりに罪悪感を覚えてないでもないのだ。


 だが、可哀想に、と思いながらも、それとは別に体が動く。


 「死」という単語に悲しみを覚えても、そこに「虫の」とか、そういう形容詞がついたときにそれが消えてしまう人が多いように、だ。


 彼にとって、ある一人を除いて、全ての生命は平等である。


 全て、平等に、価値が、「ない」。


 なくはなくとも、非常に小さい。


 そしてその小さいなりのそれも、価値のある「彼」に連なるかどうかでしかない。


 眠いなぁ、と彼が二度目のあくびをしたところ、地獄めいた炎と血液の中を彼のいる大通りに飛び出してくる何かを見つけた。


 ついに待ち望んでいた「彼」が来たのだ、と早合点して喜色満面にそちらの方を振り向いたが、そこにはさっき踏み潰したのと同じ機体が三機編成二小隊合計六機いたので、それは失望の色へ変わった。


 その各機体が密集してそれぞれの魔砲を彼に向けている。それらは全て一般的な37mm40口径クラスであり、同機の装備可能な75mm25口径に比べれば口径――射程や単純な火力では劣るが、しかし取り回しのよさや反動の小ささ、弾道の低進性を合わせた総合力ではそう悪いものではない。よほど重装甲でもなければ、充分機装巨人を撃破しうるものだ。


 が、恐怖していたのはそれを扱う兵士たちの方だった。


 話が違う。


 俺たちが相手するのは、「ただの」機装巨人だったはずだ。


「た、隊長……これは、何ですか」


 なら、何なんだ、これは?


 この、「巨人」に過ぎる「これ」は。


 それにしてもあまりに大きな、これは!


「『Type202』かぁ……芸がないなぁ……同じ機体ばっかりじゃないか……」


 その黒い影、彼らの憎むべき殺戮犯は、まさしく「巨人」であった。


 その筋骨隆々の戦士を巨大化させたと言うよりは、巨大な神話上の化け物に無理矢理鎧を着せたようなサイズ感の原因は、つまるところ「全高12m」という規格外のサイズである。


 それに加えて横幅がそれに比しても大きいためである。


 それを際だたせるのは、やはり巨大な魔導エンジン音であり、Type202の何十倍もの出力を誇るのが感覚的に分かってしまうほどだ。


 やはり巨大に設計してあるはずの主脚はそれでも自重に比して小さいようで、石畳を砕いてそこに埋まらんばかりであった。


「隊長ッ! これは、これは一体何なのですかッ」


 二番機が酷く怯えている。彼は何年も前の「東方民族戦争」でも自分と一緒だった。


 ルール無用の、あの不毛な対民兵の戦いを生き残った一人ということだ。


 つまり、自分に次いで経験があるということでもあるのだが――彼でさえそうなるということは、それに連なる他の彼らも同じように震えているに違いない。


 そして、隊長その人自身も、雨晒しになった子犬のように震えていた。


 気温は、そりゃまだ夏であるからには低くはないはずだったが、この首筋の薄ら寒さを幻覚と呼ぶには、あまりに彼は余裕を欠いていた。


 息も荒く、彼は後ろを振り返る。あるいは辺りを見回す。


 ただし、その「後ろ」も「辺り」も、真っ赤に染まっている。「冷静」の字に含まれるような青はない。


 故に、狂気。


 あるいは死が彼を包んでいた。


 そこここから沸き上がった色と音が蒸気めいて、彼を通り抜け、ただ一つの化け物を、いかなる伝承や伝説にも勝る「巨人」を作り出してしまったようですらあった。


 ――だから、だから何だ!


 隊長は頭を振る。「冷静」になれ!


 死が我々を包んでいるというのなら、つまり我らに逃げ場はないということだが。


「……だとするならば、寧ろ、ここでこうして戦うしかないということだ、ここで逃げ出して何になるッ」


 そうだ。そもそも、逃げ出すという選択肢は存在していないではないか。


 逃げれば、「これ」が広がるだけだ。だから食い止めるだけだ。


 そして、それをこなすのが自分たちである。


 いつだって、そうだ!


「一斉射撃――てぇッ」


 そう考えた隊長の号令と同時に、兵士たちは恐慌状態寸前になって各々が狙うまでもなく撃ちまくった。術弾が唸りを挙げて敵に突き刺さり装甲が削れた破片が煙のように宙を舞う。


 大きいから何だと言うのか。必ず強いわけではない。そもそも機装巨人が大きくても四メートルほどなのは――そう「だった」のは、そうあるべき様々な事情があるからだ。


 補給や整備、被弾面積や重量や運動性の兼ね合い、そもそもの製造コスト――それらを鑑みるに、巨大化は実用的ではないのだ。


 が、と兵士たちは同時に気がついていた。つまり遅かったのだ。


 そういえば、この場合の実用的か否かとは、あくまで用兵上の問題ではないか、と。


 前線における連続使用を前提とする話ではないか、と。


 たった一機。


 つまりはワンオフの使い捨ての機体ならば――あるいは可能なのではないか?


 大きい分装甲板を分厚くし、その分出力を高くし、燃費とパーツ互換性をかなぐり捨てた設計にすることも、できるのではないか?


 最初と同じように、誰かが撃たなくなったのを見て、全機が発砲を止めた。敵影はまだ着弾煙の中に埋もれている。


 ひょっとすると、ただのかかしだったのかもしれない。


 ただ見せかけだけの張りぼてに過ぎなかったのかもしれない。


 そんな願望にも似た気持ちは、37mmよりも75mmよりも遥かに野太い、煙を突き破ってきた発砲音にかき消された。


 たった一撃。


 たった一撃で第一小隊隊長以外の機体は炸裂術弾の魔力でコックピットを蜂の巣に変えられたり、構造を滅茶滅茶にされた魔導エンジンが火災を起こしたり、機体のフレームが歪んだりして、行動不能になった。


 隊長機はその経験に基づく勘からか、ギリギリで横道への回避を選択できたが、それでも機体の左の手足が吹き飛び、胴体も衝撃でフレームが歪んでしまい、動けない。


 その大通りの方を向いた視界に、ヌルリ、と黒く長く太いものが入り込んできた。一般機の狙撃用の魔砲なぞ比べものにならないそれは、彼の推定では150mmクラスに見える。


 その上で口径長は40に届くか届かないか。


 その長い砲身から少し遅れて、その化け物は前後にやたらと長い頭部をようやく現した。それがゆっくりと動けない彼へ向いていく。


 その顔は、顔とも呼べぬものだった。


 穴がいくつも数え切れないほどズラリと並び、視覚センサとして働くのはその内の一部だけで――つまり、残りは魔砲か何かだろう、それも充分機装巨人を撃破しうるレベルの、一般的なものを!


 隊長はその瞬間に息が止まったように感じて、脱出ハッチのハンドルを焦点の合わない目を血走らせながら回そうとした。しかしフレームが歪んでいるせいで、それは開こうとしない。


 彼は不意に振り返った。その異形は、口を三日月のように吊り上げて笑っているように見えた。


 それを見て、必死に生への逃避を試みたが、「他は五点だけど、君だけは二十点」という無慈悲な低評価と共に繰り出された75mm術弾で、隊長機に乗っていた彼「ナッソス・クセナキス」は文字通り跡形もなく消えてしまった。


 だのに、例の如く、その死は男の心を動かすこともなく、むしろそれに対して無感動にこうボヤいた。


「はあ……早く来ないかなぁ、礼一君。僕の愛しの礼一君。このヨハナとかいう人を守りながら戦うのも疲れるんだよ。何せ破片でも死んじゃうんだから。いくら君のためでも……ん?」


 そのとき、またも大通りに機影があることに気がついた。茶色い、鋭いデザイン。


 そこに野暮ったさは微塵もなく、猛禽類を思わせる顔パーツはその性能を如実に表すものだ。


 コロシアムでの試合では見たことのない魔砲――グリップ正面の箱からして恐らくはカートリッジ式――を握ってはいるが、それは確実に「それ」である。


 だから、誰が乗っているのかはっきりと理解できる。その姿が、機体から透けて見えているようだ。


 プシュ、と背面左右にあるハッチを開け、感極まった通り魔はその姿を機体の大きな肩の上に現した。


「やっと、だね」

「…………どうして、お前がここにいるんだ……!」


 そして、そこから脂ぎってドロドロとしたガラス玉をくっつけただけのような眼をもってオスカーを睥睨した。


 その眼を、礼一少年が見間違えるはずもない。見紛うはずもない。


 それは、年の頃こそ違えど、彼が経た歳のためか、目の「感覚」こそ僅かに違えど、礼一少年を「前の世界」で殺した、あの黒いパーカーを着た枯れ木男のものだった。

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