第14話 「ノーガッツ、ノーグローリー」

 礼一少年の知識によれば紅茶と思しき液体がカップに入れられて目の前におかれていた。その湯気は孤児院にはないらしい空調魔術の効いた空気の中で怪しく踊り、いよいよ敵の城に乗り込んでしまったような恐怖心を少しばかり煽った。


「飲まないのか? 毒は入ってないぞ?」


 礼一少年はそれに手をつけようとはしなかった。もったいない、と小さく呟き、商人は自分のカップをテーブルの脇の方におくと、礼一少年のカップをひったくって代わりに飲み干してしまった。


「全くもったいないことをする――『パンザス帝国』原産だぞ? 東方の本場の一品だぞ? 飲まないわけないだろうに」


 そういうと湯気だけを残すそれを元の位置において、礼一少年をジロジロと見た。宝石の品定めでもするような目だった。それが礼一少年には恐ろしかった。この商人の事務所についに来てしまった。これから自分はどうなるのか――。


「ナカジマ・レイイチ君……だったな? ――随分大胆なことをしてくれるじゃないか、えぇ? 平和的な話し合いの場に乱入したくせして何をするわけでもなく棒立ちのままとはな」


 礼一少年があの場でしたことと言えば、まさにそれだけのことだった。乱入こそしたものの、何ができるわけでもなかった。殴る? 以ての外だ。ヨハナが見ている。例え見ていなくたって、商人がジロリと見るだけで凍り付いてしまったことだろう。事実彼はそうなった。


「さて――色々調べさせてもらったよ。君、確か異世界人だったそうだね? 例の『ゴリアテ・レスリング』で喚ばれた内の一人、久しぶりの生還者だったか……今は、まあ、自由の身のようだが」


 商人はどこからか煙管を取り出しそれを吸い始めた。嫌がらせのつもりなのか、その煙を礼一少年の顔に吹きかけた。そして、それはそれなりに彼をせき込ませることになった。


「その自由の身で、転がり込むのがあそことは、いやはや運がない。いや、見る目がないのか? あそこほど金に困ってる馬鹿はいないんだぜ?」


「別に、お金が目当てじゃありませんから」


「そうかい、じゃあ何が目当てだったんだ? そういう言い方をするってことは間違いなく何かしらがあるってことだろ?」


 礼一少年は、何も答えなかった。ここで何が目当てだってわけじゃない、とでも言えばよかっただろうにそうしなかったのは、単に、彼の頭の回転の方向はこういうことに向いていないということだった。


「――ふん、金じゃないとしたら、女か」


「……! 違います、僕はただ単にあの孤児院を」


「へっ、どうだかね。……取りあえず座ったらどうだ?」


 商人の何気ないその言葉で、礼一少年は自分がけたたましい音を立てて立ち上がっていたことにようやく気がついた。そしてすぐに、しまった、と思った。


「お前さんには深く考えるということが足らない。いかに相手を出し抜くかということもだ。絶対に商人にだけはなろうとするなよ、お前さんみたいな馬鹿を騙すとなるといくらなんでも心が痛むんでな」


 ――それにしても、どうしてそれを、か。本当に馬鹿だな。と商人は礼一少年が立てた音と同じぐらいけたたましく笑った。


「まあ座れよ――確かにお前さんは嫌いだが、何も取って食おうってわけじゃないさ。ちょっとばかしお話ししようじゃないか」


「僕は話なんてしたくありませんよ」


「ほーん、あの孤児院を救いたくないのか。それならいいんだが……」


「救う?」


 礼一少年は聞き返した。


「救うですって? あなたが苦しめているのでしょう? だったらあなた一人でやればいい。借用書なりなんなりを破いてしまえばそれで終わりでしょうが」


 商人は呆れたようにため息をついた。


「お前さんは馬鹿だねぇ、実に馬鹿だ。それは一時的解決に過ぎんだろうが。それに、そんなことをして俺様に何の得になるんだ? 交渉ってのはウィン・ウィンじゃなきゃあならんだろうが」


「まるで両方が両方とも幸せになれるかのような言い方ですね」


「事実、そうだからな。まあ座れよ」


 礼一少年がゆっくり座るのを見ながら、商人は足を組んでふんぞり返った。そしてにやけ面を隠しもせずに煙管を吸った。


 まずあの孤児院の成り立ちから話そう、と商人は言った。


「あの孤児院が出来たのは神聖帝国の独立戦争が終わる直前のことだ。要するにもう二十年も前のことになるから、ヨハナがまだガキの頃のことだな。その頃はヤツの親父さんもいた。神聖帝国じゃあ別の宗派が流行っててな、そんときルメンシス国教会信徒を排斥してたんだ、それで連中亡命してきたのさ」


「それはまたどうしてです? 信仰の自由があるはずでは」


 商人は頭痛がするように頭を押さえた。


「……何言ってんだお前さんは。国が宗教を決めるなんざこの辺じゃなくてもよくあることだろうが。頼むから考えてからものを言ってくれ。でなければ黙っていてくれ」


 そうだった、と礼一少年は思い出す。ここは異世界だ、何一つではないだろうが、前の世界の常識は通用しないのだ。信仰の自由など、まだその萌芽すらないのかもしれない。


「んで、亡命してしばらくは何もしてなかったんだが、というより出来なかったんだが、あそこに土地を見つけて、俺の先代から金を借りてアレを建てた。信仰に篤かったんだろうが、当然運営が上手く行くはずもない――そりゃ、よくて余所者、悪けりゃ敵国人だろ? その上立地もそれほどよくはない。そして金稼ぎは二代続いて下手くそだった、連中、戒律に縛られすぎてんだよ。それで、アソコに行くのは相当な物好きだけの話になったわけさ」


 ここまでが現状、さて本題と行こうか、と商人は言って、こう切り出した。


「コロシアムって知ってるかい?」




 コロシアム――それは、ルメンシス教国において最も残虐で、最も市民が楽しむもので、最も金が集まるものだ。かの大魔導師が作り出したとかいう「機装巨人」なる人型兵器を男たちが駆り、戦い、殺し合う――古代ローマのコロッセオをただこの世界に合う形に整形しただけの代物だった。


 人々はそこで賭けをし、殺し合いを楽しみ、そして勝ったら調子がいいと更に賭け、負けたらそれを取り返さんばかりに更に賭けをするのだった。賭けに負けた者の金は、運営と皇帝と教皇の、それぞれの懐に入るのだが、もちろんその試合の勝者にも賞金という形で入るのだ。


「――つまり、その賞金を返済に当てるということですか?」


「そういうことだ――お前さんからはギャンブルに見えるだろうが、少なくとも俺は損をしない。機体はタダ同然で手に入ったものをお前さんに貸せばいいわけだし、成功すれば金が入る。そうなりゃお前さんもヨハナにいい顔ができる……おいおい、そう睨むなよ。本当のことだろう?」


 礼一少年は睨むのを止めて深い思考の中へ入っていく。確かに、この男はどうにも信用できないところがあるが、しかしこれは案外悪くない賭けかもしれない。だが、一番の問題がある。最も大きな――。


「そう悩むなよ」


 商人は急かすように言った。


「ヨハナには俺が何とか騙しといてやる。今までだってどれだけ騙してきたか知れない、一つぐらい増えたって地獄への道がちょっと広くなるだけのことだ。むしろ通りやすい方がいいだろう?」


「……人を殺せというのですか」


「おいおい、別に無理強いはしてないだろうが。どうしても嫌なら手加減でもすりゃあいい」


 無理強いみたいなものじゃないか、とは言わなかった。言う余裕がなかった。礼一少年にとってみれば、自分とヨハナの未来を人質に取られたようなものだった。そしてその天秤の先にはまだ顔も名前も知らない誰かがいる。彼らはこちらを見ている。自分に手加減など出来るのか、と聞かれれば、不可能だ、と答えねばならない。


 かといって、彼の側に立つヨハナも不安げに彼を見るのだった。もし彼らを取って、真面目に努力して彼女をも両立させようとしたとして――それが成功への道へ繋がってるかは分からない。そもそも、自分は単純馬鹿だ。そう言われたばかりだ。仮にあの孤児院を何とか出来たとして、その翌日にはこの男かあるいはそれ以外に騙されて何もかもを失う可能性も、ある。


 もちろんその一方で、この話自体が壮大な罠である可能性もあるのだが。


「お前さんは、どっちが大事なんだ?」


 商人の声だと礼一少年は思った。しかしそれは違うようでもあった。鼓膜を震わせる声に被る鼓膜を震わせない分のその声は、自分の声のようだった。


「ここで逃げたっていいさ、でもそれは結局自分可愛さじゃあないのか? お前さんは自分が殺すかもしれない相手を気にしてる。が、だ。それは相手じゃなく、自分の手が汚れないか怖がってるだけじゃないのか? お前さんはどっちを選ぶ? 女のために戦って人生謳歌するか、自分を後生大事にして惨めに生きるか……!」


「…………僕は」


 礼一少年は決断した。商人に言われるまでもなく決断していただろう、と自分では思った。もちろん、そんなことはない。むしろそうなったら、その選んだ反対側を選んでいただろうが。


「戦いますよ――ヨハナさんのためにも、孤児院のためにも」


「交渉成立だな」


 商人は笑った。そして、今更交渉相手との礼儀を思い出したように座り直し、名乗った。


「俺はミヤシタ・サンキという。以後覚えておきたまえ、レイイチ君?」


 礼一少年は、少し苦笑いした。

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