第8話 「未知に満ち満ちている道」

「ああ――えっと、どこから話した方がいいかな? というか、名前は――」


 と、コメディアンはそこで手元の紙を見た。礼一少年から見えた一瞬によれば、それはどうやら何らかの名簿のように見え――そして、ある一つのところに大きく赤のばつ印がつけてあった。礼一少年はそこにあのゴロリとした目の幻覚とベチャリとした赤い音の幻聴を感じた。


 その内にニッキーなる男が書類を取ってきたらしく、コメディアンにそれを手渡した。


「ありがとうニッキー。さて――ナカジマレイイチ君……だよね?」


 礼一少年は何も言わなかった。疲労が極限に達していたこともあるのだが、最も大きく最も強い理由は、コメディアンたちとその所持物、ひいては彼ら全体の雰囲気が不審で、全くもって信用するに足らなかったということだった。あんな名簿をもっていることがまず怪しかったし、巨人が倒れるやいなやこの部屋に来たこともあまりにタイミングがよすぎて、つまり奇妙だったし、何よりも今も彼に向けられているカメラとマイクは、明らかに準備してあったものとしか説明がつけられそうになかった。そもそも、こんな書類を最初から持ち歩いていることから、もう善意の第三者――つまり、通りがかって何らかの異常を検知して礼一少年を助けに来た勇気ある男たちということ――のようには見えなかった。


 礼一少年は、建物の形をした大きな怪物の中に飲み込まれているかのように思った。


「レイイチ君、僕の名前はアルファーノという。見て分かるだろうけど、まあ要するにコメディアンをしている、んだけど…………その、聞いているかい君? 僕の得意のジョークを言っているわけじゃあないから笑わないのも道理だろうけど、少しぐらい何かないものかな?」


 礼一少年は何も言わずにアルファーノを見ていた。西洋的な顔だ。とすると外国人である、と礼一少年が考えるのも無理はあるまい。しかしそうなるとアルファーノは随分と日本語が上手い。


 礼一少年はそう考えた一瞬後に、何故日本語が話されているんだ、と不思議に思った。どう見ても西洋人顔であるのに、こうも当たり前のように日本語を話すというのは明らかに不自然だった。言語の習得というのはもっと難しいもののはずだ。しかしアルファーノのそれはほとんどネイティブと言って差し支えないような滑舌と語彙であった。さっきのニッキーなる人物との会話でもそれが使われていたから――そして、今礼一少年の視界の端にいるニッキー氏も、正面にいるカメラマンも(彼はまだ一言も喋らなかったが)、西洋系の顔立ちだったのだから――尚更不思議だった。


「無口なんだね、君……まあいいや、文字は読めるかい?」


 その結果、礼一少年は関わる気がなさそうに固まっていた。信用ならないのなら、信用しないことが一番の対処方法に違いなかった。しかし、その体内では、急展開の連続で悲鳴を上げる頭脳が最後の一踏ん張りと言わんばかりに思考の歯車をフル回転させていた。


 目の前に差し出された書類の一枚目には、二本の線が書かれていた。片方にはAと、もう一つにはBと書かれていた。それだけなら、まだ悪質なパズルとでも笑えたはずだ。それが出来なかったのは、その上に「転生者よ、ルメンシス教国へようこそ」と書かれていたからだ。


 ルメンシス教国なるものはまあ国名として……転生者?


 ……ライトノベルで流行っている、あの?


 礼一少年はライトノベルというものを好まないわけではなかったけれども、転生ものは、実は今まで忌避していた。端的に言えばただ強者が敗者を駆逐するだけの物語で、少なくとも彼の読んだ作品においては、タイトルが長ったらしいくせにそこにドラマを見いだすことができなかったからなのだが、その忌避していたものに――者になってしまったのだから、世界史嫌いの人間が百年戦争中のフランス、しかもオルレアンにでもぶち込まれるようなものだった(これは転生というよりもタイムスリップだが)。


 礼一少年は頭を振った(ただし、不自然に思われないよう心の中で)。そんなことが起こり得るだろうか。確かに人という生き物は、かつて海を渡り、空を飛び、果ては生身では少しだって生きていられないのに宇宙に足を運び、その上で、その先にある新たなる(過酷な)大地へすら踏み出そうとしているほど、かねてから既存の世界が気に入らないものだ。玩具を買ってもらっても、すぐに気に入らなくなってしまう子供のようでもある。


 しかし、こうして別の世界、という概念となると、未だかつて誰もやろうとすらしなかったに違いない。何故なら、やる方策がまるでないからだ。海なら船を浮かべればいい。空なら鳥のように翼で空気を掴めばいい。宇宙など、乱暴に言えば空の延長線上に過ぎない。だが、共通点はある。海も空も星も、全て観測する手段がいくつか存在したからこうして渡ることが出来たのだ。失敗や見込み違いもあったに違いないが、方策もある程度推測出来たのだ。


 では、別世界はどうだろう? 平行世界という概念こそあれ、それはまだ未明の時代の宇宙観のようなもので、空想でしかないと言われてもおかしくはないのだ。もし海も空も星も観測出来なかったなら、船も飛行機も宇宙船も、その形さえ想像できまい。


 故にありえない。と、礼一少年は心の中で断言したかった。大体、彼の記憶では彼はとっくのとうに刺殺されているではないか。そうでなくとも、科学的には不可能に違いないと、そう考えてはいた。しかし目の前にあったのは一体何だっただろうか。あの巨人は、現代のロボット工学の更にその先――ある種「科学的に不可能」な部類ではなかっただろうか。あれだけの分厚そうな金属を振り回すだけのモーター、アクチュエーターが「科学的に」存在したというのか。そもそも、あれだけの瞬発力とパワーを既存の科学の一体どこから引き出すというのか。


「聞いていなくても始めるけど――まず、驚かないでほしいんだが、君はとっくのとうに死んでいる」


 だろうな、と礼一少年は思った。もちろん信用は出来ないから話半分に聞いている。それでも第三者視点からのこの情報は重要だった。ほとんど、確定と見ていいのかもしれない。しかし、そうなると謎が残る――何故こうして生きているのだろうか。


 いや――と礼一少年はすぐに思い当たった。彼はこの時点でアルファーノに会話をはじめとした情報の主導権を全て明け渡していた。そもそも彼がどうこうしたとして、もつ情報の差が果てしなく広がっている以上、握れるものではない。しかし、そのことさえも「転生」の一言で説明がある程度までは付く。死んだとして、異世界で生き返ったとしたら? 異世界人が、何らかの理由・方法において礼一少年を「喚」び出し、その説明のプリント類をもっていたとしたら?


 ……その喚び出した理由については考える余地があろうが。


 巨人の襲撃についても、考える必要がある。


「転生、なんですよね」


 礼一少年は初めて口を開いた。アルファーノは目を見開いて、少しばかり驚いた様子を見せた。しかしすぐに自分の仕事に戻った。


「――ええ。その書類を見ていただければ分かりますが、あなたの死んだ世界から、意識だけを拾って、こちらで新たな体にくっつけた、そんな認識をしていただければ」


 まるで科学的ではない。礼一少年はすぐにそう思った。ふざけたことを言うのはコメディアンの仕事だろうが、しかし真面目であるべきところは真面目であるべきだろうに。


「そんな魔法みたいな話、信じられると思いますか」


「確かに、そうでしょうね――でも、そう仰いますと、その紙に書かれている文字を読めているのは、一体どういうわけなのですか?」


 礼一少年は、何を馬鹿なことを、と思いながらも、その書類を条件反射的に見直していた。そして、驚きに目をかっ開いていた。


 日本語ではなかった。


 英語ですらなかった。


 既存のどのアルファベットですら――なかった。


 もちろん、スワヒリ語でもアラビア語でも甲骨文字でもない。


 それは全く未知の言語だった。画数の多いところと少ないところの分布があったから、日本語的な漢字とひらがなの混合文のようにも見えなくもない。でも結論から言えばそれは気のせいとすら言えるもので、全く違った意匠の文字だった。それには発展も後退も出来なさそうなほどに。


 しかしその一方で、礼一少年はそれを日本語として理解していた。これでは語弊があるからより正確に言えば、日本語「のように」読めるのだ。そして、その謎言語のネイティブスピーカー「のように」喋れるのだ。その上で日本語「でない」と認識していた。今まで気にしてはなかったが、恐らく、発音すらも全く未知であろう。あまりに自然に最初から理解していたから、それが日本語だとしか認識していなかった。


「アナタを喚ぶときの魔術式はこちらの世界の術式で綴ったので、言語だとかの部分はどうにもこちら側のものになってしまうようで……結果的にあなたの頭や思考をいじってしまう形になり大変申し訳なく思います。しかし、どうして人の常識をここまで自然に、つまり本人にも気づかせずに変化させられますでしょうか?」


 答えは一つ。


 魔法があるからだ、とでも言いたげなアルファーノの発音は、注意して聞くと、日本語のそれとは全く違っていたが、はっきりと礼一少年には日本語的に理解できてしまった。


 幸い、礼一少年はまだ若かった。そのため、旧来の科学世界に基づく常識を変える必要がありそうだというところにまで頭を柔軟に出来た。巨人の襲撃という大きな事件が少しばかり礼一少年の、若者特有の柔軟さを助長していた。


 常識を叩き壊すには、物理的破壊を伴うのが一番であった。


「なる、ほど――その巨人も魔法の産物ということですか?」


「そういったところです」


 いとも簡単に、礼一少年はその自らの新たな土台を受け入れた。そして、その新しいものを入れた器には古いものが浮かび上がってきていた。


 ずっと目の前にあって、先送りしていたことなのだが。


「ところで……何で僕を撮影しているんですか?」


 そして、ここはどこなのか?


 そもそもこのやたらに礼一少年の転生に準備のよい男たちは一体全体何者なのか?


 確かに彼らの言説は状況とはっきり当てはまる言葉ばかりではあったからある程度は信用していた。しかしこの点――ここがどこかかはともかくとしても、何者かというのは、特にその目的は――全く霧がかかったように礼一少年には見えてこなかった。


 それは簡単なことですよ、とアルファーノは言って続けた。


「実に簡単なことです――これが、エンターテイメントだからですよ!」

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