第7話 「さよなら平和また来て地獄」

 巨人は燃えていた。


 礼一少年はただそこに立ち尽くしていた。そうしてそれをジッと見ていた。ハサミと巨人とがぶつかって上がった火花が引火したから頭が全て炎に包まれてそれが胴まで広がっている巨人は、池の鯉を陸に上げたかのようにのたうち回っていた。首関節の隙間から消毒用アルコール――濃度百パーセントと書かれていた、よく燃えているそれ――が胴体内部に染み込んだのか、胴の外を消すよりは胴の中をかきむしるようにしていた。巨人はしばらくそうしていた。しかしその内まるで燃え尽きたように動かなくなってしまった。巨人を弔うように炎だけはしばらくそこにたゆたっていたが、それも、やがて自然に消えた。


 礼一少年がしたことは、至極簡単なことだった。一方に目を向けさせておいて、その他方から攻撃を仕掛ける、一種の陽動のようなものだった。またゲリラ戦法や待ち伏せの一側面でもあった。敵を奥まで引き込んで、その上で致命的な一撃を加える――徹頭徹尾、何もかも巨人に遥かに劣る礼一少年にはそれしか出来ることはなかったのだ。


 もちろん、致命的なダメージを与えうるものがここにあるかどうかは完全にギャンブルだった。しかしどちらに分があったかといえば礼一少年だった。ここを病院と思い込んでいたからこそ、消毒用アルコールの一つや二つがあるに違いないと踏むことが出来たのだ。事実、ボロボロで戸の開いていた薬品棚に余るほどそれはあったし、金属製のハサミや万年筆――当たれば火花が散るに違いない、文字通りの火付け役も揃っていた。着弾と着火が随分とズレることにはなるが、即席の火炎瓶である。隙間がどうしても出来てしまう鎧や甲冑のようなデザインの巨人に唯一通じそうな簡易的兵器だった。そして、それは通じたのだ。


 しかし、上手くいった、という安堵や興奮の影に、礼一少年は恐怖と幸運を感じ取っていた。巨人は常に先手を取ろうとしていた。それが何故かと言えば、主導権争いで有利になるための一般的手法の一つだからだ――先手必勝、具体的戦術で言えば奇襲というやつだ。だから巨人は後手に回った状況から取り返そうと躍起になったし、その結果あんなブラフにも簡単に引っかかった。


 だが、礼一少年がそれを感じ取って勝ったのかと言えば、決してそうではない。子供相応のどうということもない悪知恵と子供特有のあてのないギャンブルの果てにこの勝利は子供でしかない彼の目の前にこぼれ落ちた。だから、もし巨人が後手であることを受け入れあのドアに鎮座されていたら、礼一少年は百パーセント負けていたのだ。巨人がどう出るかは、さっきまでの礼一少年にとって、二つのサイコロの目の和が奇数か偶数かというのと全く同じだった。


 礼一少年はそのもう二度と振られることはないだろうサイコロをただ熱心に、あるいは全く無関心に見ていた。それから明らかな違和感をもって見つめた。つまり、ようやく自分のおかれている状況の不審さに気がついたのだ。


 礼一少年はただの高校一年生で――ライトノベルにありがちな方の、謙遜的な「普通の男子高校生」ではなく、本来の意味で――ある。いや、今やそれは過去形で語られるべきに違いないが、本人の認識として――そうなのであるが、だからその科学的知識は大したことはないのだが、しかし、全くの無知ということでもない。その僅かばかりの知識・記憶・その他諸々を集約して考えると、これは、どうにも自分の知っている世界のものではないような気がした。彼の知りうる全ての科学知識からすると、ロボットはヨタヨタ二足歩行するのが限界で、その脆弱性とプログラミングの難しさからか、基本的には人型ロボットは廃れ――少なくとも、人より大きいサイズのものはほとんど姿を消していたはずなのだ。


 しかし、このロボット(仮称)は、二足歩行どころか走行までしていた。それどころか、これだけの分厚そうな金属の装甲板をもっていながら、自重で足まわり(特に関節部)が破損するようなこともなかった。その上で人型ロボットが多分まだなし得ないあらゆる攻撃的行動までやってのけた。礼一少年の知識では、まだ不可能であるはずの激しい機動だ。それに、今目の前に横たわっている巨人は、今までに見たことのない意匠のデザインだった。


 はっきりと言えば、気味が悪かった。ずっと眼前の身の危険で礼一少年の目は曇っていたが、こうして巨人が横たわってようやくその霧が晴れた。そうじゃないか、自分は死んだのではなかっただろうか。ここ十分ほどの記憶があまりに濃すぎて軽く朧気にこそなってはいるが、あの粘性の高い目はまだ礼一少年の臓物がはみ出ていたはずの腹を、あるいは血まみれになっていたはずの首を、彼の後ろから眺めているように彼には思えた。あの感覚、あの痛みとも呼べぬ鮮烈な何かをはっきりと記憶していた。もちろん、証拠はない。奇妙なことだが、体はもちろん、服にすら傷はなかった。しかしあれが幻だとは、そしてこれが夢だとは到底思えなかった。


 そのとき、また再びドアの開く音が聞こえた気がした。さっきまで殺し合いをやっていたせいか、礼一少年は近くの机の残骸(巨人に吹き飛ばされたものだ)に素早く隠れた。巨人レベルの敵が来たとしたら、体力的にも装備的にももう勝ち目はない。礼一少年は自分に待ち受けている結末の一つにゾッとしながら、目とその周りを物陰から出すようにして覗いた。


 ドアから出て来たのはようやく見慣れた人間だった。目だけがゴロリと転がってくることも、地獄の炎のごとき目をした機械人形でもない、オーソドックスな人間だった。三人組の男だった。服装も、それほど奇妙ということはない。黒いパーカーでもなければ黒いコートでもない、黒のスーツだった。それでも礼一少年には少しばかり、どこか古臭いように思えたが、それも気のせいと言えるだろう。一人は背が高くて力が強そうで、もう一人は何か箱状のものを抱えていたし、最後の一人はコメディアンのような雰囲気のある男だった。しかし、全員がキョロキョロと辺りを見回して何か――誰かを探しているようだった。


 そうして影から礼一少年がジロジロと監視する内、コメディアンがこちらに気がついた。礼一少年は軽率だったか、と思ったが、どうやら友好的な雰囲気だった。


 の、だが。


「……さあ! 今回の挑戦者――いえもう勝利者と呼んでもいいでしょう、というか呼びます! さあ――彼に話を聞いてみましょう!」


 と言って、コメディアンは懐から棒状のものを取り出した。それは礼一少年にはマイクのように見えたが、何というか、それはとんでもなくミスマッチに思えた。あんな現実離れした機械人形――近代というよりはデザイン的には中世的なものの登場後にえらく現実的・近代的なものが出て来たとなれば、無理もない。


 しかしそれ以上に、テレビ番組のようなセリフに戸惑っていた。それは近代も近代、括りを大きくしてみれば、礼一少年の世界に発展を大きく遂げた代物じゃないだろうか。もちろんここが剣と魔法の中世ヨーロッパ的世界だとは、礼一少年は思っていない。むしろ彼の以前までいた世界のままだとすら思っていた。しかし、壁の質感や建物そのものの雰囲気だとかでそのどちらでもないことは、何となく分かっていた。それに、仮にテレビだったとして、あの目玉はどう説明づけるのだろうか? それに、礼一少年の首に残る痣を一体どう納得させるのだろうか?


 礼一少年が固まったのを見て、コメディアンは少し首を傾げていたが、ああ、と納得したような素振りを見せた。


「ん? ひょっとして、まだ元の世界にいるとお思いなのかな? ――ああ、ニッキー、ちょっと例の説明用の書類、持ってきてくれない? 彼、多分文字は分かるだろうけどさ」


 と、言うと、大柄な男の方――ニッキーというらしい――がドアから出ていった。礼一少年は彼がこの階から出るまで目で追って、そのまま、もう一人の男の持っていた箱状のものに目を向けた。それから、箱状というのはいくらなんでも乱暴な表現だったと礼一少年は恥じた。そしてマイクのときと同じような違和感、恐怖感を覚えたのだった。


 何故なら、それは大きな、テレビ用のビデオカメラだったのだから。

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