第15話 吉五郎怒る!

「いぶせ! キツネの穴をひとつ残らず、松の葉でいぶしてまいれ!」

『え』

 おどろいて伝助は顔をあげたが、信長の恐ろしい顔にあわててまた頭を垂れた。

 主君の命令は絶対である。どんな命令であれ従うしかない。

『なんということだ。殿は乱心なされたのだろうか』

 伝助はわけがわからぬまま、キツネの穴があるとされているところを松の葉でいぶしてまわった。伝助も早くからキツネびいきになっていたので、そんなことをして心が痛まないわけはなかった。松の葉を燃やしながら、我知らず涙をながしていた。それはもちろん煙のせいばかりではなかった。

 煙でいぶされたキツネたちは、苦しみながら穴から出てきた。しかし行き場はない。神社やほこらの林の奥に身を寄せあってふるえた。

『ああ、どうしてこんなことに。殿は口には出さなくとも、吉五郎のことを認めておられたではないか。それなのになぜ』

 首をかしげる伝助の頭を吉乃御殿での出来事がよぎった。

『もしや。うん、そうか。わかったぞ』

 伝助はひざを打って顔をあげた。

『吉乃さまのお屋敷に出る、あの黒い影。あれだ。信長さまは、あの影の正体が吉五郎だと思いこまれたに相違ない』

 伝助の見たかぎり、あれは本物の武者だった。何者かが化けたようなものではなく、黒い影そのものの恐ろしさがあった。

『とてもじゃないが、この世のものではない。その正体が吉五郎であるはずがないではないか』

 そうは思っても、殿のあの腹立ちの有り様はふつうではない。あれは吉五郎ではないと申しあげても聞く耳など持たれぬであろう。そう思って、伝助はしぶしぶ、心ならずも信長の命令を実行してまわったのだった。

 キツネたちがいぶされて苦しんでいるという話はすぐに、小牧の町衆の知るところとなった。

「どうしゃあた、信長どんは」

「なんでいきなりキツネんたらあを、いじめやっせるやしらん」

「いままであんだけ吉五郎に世話になっときながらよお」

「大目に見とらっせたんになあ」

「ほうだて。大目どころか味方っちうか、身内みてゃあに思っとらっせたと思うぜ」

「信長どんがあんなことさっせるなんてなあ。どっかで頭でもぶつけやあたか、それこそタヌキにでも化かされやあたんだわ。そうに決まっとるて」

 小牧の町衆は、直接であれ間接であれ、みな、吉五郎のご利益を得ているので、キツネたちがひどいめにあわされていると知って、だまってはいられなかった。

 ある者たちは信長のやかたへ、いぶすのをやめるよう直談判に出向き、また、ある者たちは、ふるえているキツネたちに食べ物や水を運んでやった。

 信長の耳にもそうした町衆の行いが伝えられた。信長にとって町衆は、自分を支えてくれるかけがえのない者たちである。その町衆が涙ながらに訴え出てきたと聞かされては、考えを変えぬわけにはいかなかった。

 また伝助が呼ばれ、命令の中止が言いわたされた。伝助は、ほっと胸をなでおろした。

 しかし、いぶすのは中止されても、けむりがくすぶっていて元の穴には住めたものではない。キツネたちは、町衆にもらった食料をもって、新しい住まいをさがしに、どこかへ行ってしまった。

「あーあ、こんなことになってまって。吉五郎がだまっとらんぞ」

「ほうだて。えりゃあことにならんとええがなあ」

 町衆は、せめて吉五郎をなぐさめようと歌をよんで、神社やお寺におさめた。それは、こんな歌だった。


小牧山に けだかき強き キツネあり

そは吉五郎 われらとともに


 信長は、そんな吉五郎人気をよく知っていたが、見張りの者によると、あの、吉乃御殿に出る影は、以前と変わりなく吉乃のところへ忍び入っているようす。いくさ続きで信長自身がそうそう出向くわけにもいかない。吉五郎のしわざとばかり思いこんでいる信長は、歯がみしながら、ようやくのこと、こらえていたが、それも長くはつづかなかった。で、また伝助が呼ばれた。

 やがて、例によって、町じゅうの辻々に高札がかかげられた。こんどは、こんなことが書かれていた。


  運命の戦い

信長軍 対 吉五郎軍

さけて通れぬ道なれば

正々堂々、いざ、ゆかん

戦いやせまる、明日、山北の原にて


 信長が吉五郎と戦うと知らされて、小牧城下は大さわぎになった。

「やっぱ、信長どん、頭どっかで打ったんだて。打ちどころが悪かったんだわ」

「だれか止めたらな、いかんて」

「まーかんわ。信長どんのこったで、言いだしたら、あとには引かっせえへんわ」

「おう、どっちの応援したらええんだ」

「どっちにも、負けてもらいてゃにゃあで」

「ほんでも、どうやって、戦わっせるんだろなあ」

「信長どんは刀か槍か鉄砲か弓だわ。吉五郎は、またえらいもんに化けて来るわ」

「あれ、これ、軍て書いたるがや。信長軍て。どういうこった」

「あ、ほんとだがや。信長軍と書いたる」

「わ、どえりゃあ、こっちゃ。信長どん、本気だがや」

「キツネ相手に軍を出さっせるとは、よっぽどひどう、頭、打たっせたんだわ」

「かわいそうになぁ」

「どっちがぁ。信長どんか、吉五郎か」

「どっちもだわ。こんな戦い、やめてもらいてゃあわ」

「それでもよう、キツネんたらぁ、どっか行ってまったんだで、吉五郎のほうは軍なんか作れえへんがや」

「ほうだて。かんじんの吉五郎が、そこらにおらへんだろ」

「ほんなら、戦いになれせんな」

「そのほうが、ええて」

「吉五郎、来るなよぉ」

 伝助は今回も、吉五郎に伝えるよう言われたので、手紙をばらまこうとしたが、キツネの穴はもぬけのから。どこへまいたものかと考えていると、足首にふわりとふれたものがあった。

 見ると、猫である。

 口に、大きな葉っぱをくわえている。

「なんだろう」

 手に取ってみると、なにか書いてある。

「こ、これは!」

 そこには、ただ一語、大きな文字で『のぶなが』と書いてあり、その上から×で大きく消してあった。

「これは吉五郎の挑戦状にちがいない。キツネたちが、ひどいめにあわされたので、吉五郎も怒っておるのだろう」

 猫の頭には、小さな葉っぱがのっていた。キツネに化かされて、使いをさせられているのだ。伝助は用意してきた紙を、猫にくわえさせた。その紙には、こんなことが書いてあった。


吉五郎どん、逃げてくれ。

信長どのが、たいそうなご立腹。

軍まで出して、吉五郎どんをやっつけると。

だから、たのむ。みなと逃げてくれ。


 伝助は、いのるような気持ちで猫を見送った。

「キツネたちが、どうか、安心してくらせるところへ逃げてくれますように」

 そして、あらためて、手に持った葉っぱをじっと見た。

「それにしても、へたくそな字じゃな、吉五郎」

 伝助は、その葉っぱをふところにおさめた。もちろん、信長には見せなかった。

 あくる朝、山北の原では、昇ったばかりの陽を背にして信長軍が早くも陣取っていた。足もとから冷気がただよってくる。

「吉五郎、来とらんな」

 町衆は見物席をこしらえて見守っていた。だれもが複雑な思いだった。せっかく朝早くから来たのだから、なにか見て帰りたいとは思う。しかし、信長と吉五郎が戦うのは見たくない。

 落ちつかないのは町衆ばかりではなかった。信長軍のなかでも、動揺する声がとびかっていた。

「殿、なにとぞ、思いとどまっていただきますよう」

「さよう。キツネごときに、このものものしさ。他国の者に物笑いのたねとされまする」

「それにキツネとは申せ、吉五郎は大の人気者。たとえ勝っても、町衆の気持ちがはなれてしまいますぞ」

「民の心をうしなえば、犬山の信清どのや、斎籐龍興と同じこと。天下が遠のきましょうぞ」

 家来衆は口々に信長をいさめたが、信長は聞こうとはしない。

「ええい、やかましい! わしに逆らうか」

 町衆や信長軍がざわざわしているところへ、西のほうで砂けむりがどっとあがった。同時に何十騎もの馬のひづめの音がせまってくる。

「あ、あれは!」

「まさか、このようなときに敵軍では!」

「うろたえるな! 物見を出してある。敵の斎藤方は木曽川から一歩も入ってはおらぬ。あれぞ、吉五郎にちがいない」

 信長が言うとおり、それは吉五郎だった。「吉」という文字を○で囲んだ旗やのぼりを、風にさっそうとなびかせ、武者すがたになってやって来たのだった。それを見て町衆も、おおっとどよめいた。

「あーあ、吉五郎どん、来てまったぎゃ。どーなるんだろ。わし、見とれえせんわ」

 何十騎もの派手な装束の武者たちが、信長軍の列に間近く迫って足を止めた。隊列の中央にいた武将がひとり進みでる。金糸銀糸をふんだんにあしらった鎧と兜、まばゆいばかりの白銀のマントをひるがえし、ひときわ目を引くその者こそ、だれあろう吉五郎である。兜の前立はもちろん「吉」の一字である。

 信長は吉五郎の武者すがたを見て、とたんに頭に血がのぼった。吉乃御殿の武者を思いだしたのだ。

「おのれ。やはり、うぬの仕業であったか。身のほどをわきまえぬたわけ者め。思い知らせてくれるわ」

「殿、お待ちを。あれに見えます吉五郎の色白の細面と、吉乃さまのお屋敷に出る真っ黒な武者とは、ようすがまるでちがいまするぞ。ようくごらんなされ」

 吉乃御殿で警護にあたっていた者たちが口々に訴えたが、信長はやはり聞く耳をもたなかった。

「いや、装束を替えてまいったのであろう。そもそも化けておるだけゆえ、どんなようすにもたやすくなれるはずじゃ。どんななりをしてまいろうと、わしの目はごまかせんぞ」

「いえ、殿。わたくしは、くせ者の顔を間近で見てございます。あれはこの世のものではありませぬぞ。吉五郎とてあの世のものなどに化けようがございませぬ」

 足軽として背後にひかえていた伝助が思わず叫んだ。 

「なんじゃ、伝助。そのほうまで申すか。ならば、いま、あやつの正体をあばいてくれるわ。見ておれ」

 吉五郎へのこれまでの思い入れが、いまとなっては可愛さ余って憎さ百倍、火に油をそそぐがごとく、信長の怒りをあおった。刀をさーっとひとふり、刃が朝日を切りさいてぎらりと光った。それを合図に信長軍はいっせいに進撃した。

「わぁー!」

「うぉー!」

 武将たちはひとたびいくさがはじまれば、相手がたとえ吉五郎たちであろうと全力で襲いかかる。迎え撃つ吉五郎軍もひるむようすもなく、一気に馬を走らせて信長軍に真っ向から立ち向かった。

「うおおおおお!」

 両軍がぶつかりあって争う声がとどろいた。町衆は思わず目を両手でおおった。

「いかんて。見とれえせん」

「ほんでも見てゃあわな」

「見てゃあけど、見とれえせんがや」

「とろくさい。わし、じっくり見るわ」

 そんなことを言いながら、そこは物見高い町衆のこと、ふさいだ指のすきまから、しっかり目をあけて成りゆきを見守った。

 そのとき伝助は、足軽連の最前列に陣どっていた。吉五郎軍が騎馬武者ばかりなので、伝助ら足軽の出番はなかった。その伝助の目から見た戦いのもようは、どんなだったかというと。

 信長軍と吉五郎軍、両者入り乱れて、敵も味方も刀をふるい、槍を突き、くんずほぐれつ、やみくもに走りまわる者、わけのわからないことをさけんでいる者、ひたすら両手をふりまわしている者、ひそかに後方で馬上から弓を引く者、いつものいくさと変わりなかった。

「おや。うーん」

 いつものいくさ風景ながら、なにかがおかしいと伝助は気づいた。

「へんだ。だれも馬から落ちていない。いつもなら、最初の刀のひとふり、槍のひと突きで、何人もが、どっと馬から落ちるものだが」

 伝助は首をひねり、思わずふところに手を入れた。ふところには、吉五郎がよこした葉っぱがあった。その葉っぱに指がふれると、あーら、ふしぎ。戦場の風景が一変した。

「あれ」

 伝助は目をまん丸くした。

「相手がいない」

 伝助は目をこすったり、まばたきしたりした。しかし、いくら目をこらしても、見える風景にかわりはなかった。吉五郎のほうの馬には、だれも乗っていない。

「なるほど、さすが吉五郎だ」

 相手がいないのだから、信長方の武将が刀をふりまわしても当たるわけがない。どちらの軍にも、落馬どころか切られている者がいないのは当然だ。空振りした刀や槍が、いきおいあまって馬を傷つけようものだが、それもまた、うまいこと途中で止まっている。

「こりゃ、すごい」

 伝助はすっかり感心した。

 入り乱れている馬はおそらく、いつぞや、まぼろしの城で化かされたとき、見つからなかった馬だろう。馬の背には葉っぱが一枚ずつのっかっているはずだ。

「はて、信長さまは」

 信長のすがたをさがしてみると、すこしはなれた前のほうで、さかんに刀をふっていた。相手の馬には、やはりだれも乗っていないだろうと思ったら、

「おや」

 なにかいる。

「あれは」

 キツネだ。

 まばゆいばかりに黄金色に輝くそのキツネは、馬の背にあしをふんばって、信長をにらみつけていた。牙をむき、怒りの形相ものすごく、とびかからんばかりに毛を逆立てている。

「あれぞ吉五郎にちがいない」

 信長の刀は、吉五郎のまわりでスカッ、スカッと空を切っていた。

 やがて、ひと呼吸おいた信長は、息をととのえ、ゆっくりと刀を大上段にふりかぶった。吉五郎は目を光らせ、かみしめた口のはしから、ぶきみなうなり声を発した。

「あぶない!」

 伝助がさけんだとき、信長の刀がふりおろされた。朝日に光る毛がばっと空中に舞い、吉五郎がとんだ。

「ぐあっ」

 押し殺した声が信長の口からもれ、伝助は「あ」と息をのんだ。そのあまりの光景にさすがの伝助もおどろいた。

 なんと、信長の顔に吉五郎が張りついているのだ。

 信長は手にした刀をすて、あわてて引きはがそうとしたが、吉五郎は爪をかぶとにしっかりとかけ、少しも動かない。

 おまけに、もがいたせいで吉五郎の後ろ足がよろいのすき間から入り、両腕にがっしりと爪をかけられてしまった。これでは腕に力が入らず、自由に動かすこともままならない。小刀にも手がとどかない。

「だ、だれか」

 ほかの武将は、そこにいない相手との戦いで、せいいっぱいだった。それに信長は、吉五郎に顔全体をふさがれているので声もよく出ない。助けをもとめる信長の声は、そこにかけつけた伝助にしか届かなかった。

「信長さま、伝助にございます」

「おお、伝助か。槍でも鉄砲でもなんでもよい。こやつをなんとかせい」

 伝助は、とにかく、あばれる馬をしずめねばと、まず、手綱をとった。

『これだけ馬があばれ、顔をふさがれていても落馬しないとはさすが信長さまだ』

 伝助はみょうに感心した。

「信長さま! かぶとを脱ぎなされ! さすれば吉五郎もともに離れましょう!」

 伝助は手綱をにぎりしめながら信長に叫んだ。

「伝助、そのほうの腕ならばたやすいはずじゃ。このキツネを撃て」

 できないことではなかった。真横から吉五郎の大きな尾でもねらえばよい。しかし、これだけ馬があばれていると信長に玉が当たるおそれがあった。なにより伝助は吉五郎を撃ちたくはなかった。

「鉄砲などあぶのうございます。万が一もございますれば。それよりも信長さま、かぶとを脱ぎなされ!」

「ならば槍で突け」

「槍はわたくし不得手にござりますれば。それよりも、兜を脱ぎなされ!」

「おろかな! そんなことが・・できるか・・・」

「ほかに方法はございませぬ。兜を脱ぎなされ」

「たわけたことを・・う・・う」

「殿! そのままでは息が止まりまするぞ!」

 口も鼻も毛皮でふさがれていた信長は、伝助のことばどおり、息が苦しく気が遠くなりかけていた。

「ななな・・な・・にをっ」

「相手は吉五郎にござります! 不名誉ではありませぬぞ!」

 そのことばを聞くや、信長はかぶとのひもをとき、吉五郎もろとも、兜を力いっぱい引きぬいた。同時に吉五郎はぴょーんと跳んで、ゆうゆうと草原におりた。信長は、ぜいぜいと大きく息をし、脱いだ兜を投げすてた。

 吉五郎は、信長の兜がころがるのを見て、くるりと背をむけた。すると、それまで、いそがしく戦っていたほかの武将は、ぴたりと動きを止め、きょとんとあたりを見まわした。目の前には、だれも乗っていない馬がいるばかりだった。

 戦場が静まりかえった。

 吉五郎は、しっぽを高々と上げて左右にゆっくりと大きくふり、戦場をあとにした。黄金色の毛が、朝日にきらきらとかがやいていた。その背後では、兜を脱いだ信長が髪をふりみだし、武将たちがぽかんとあたりを見回していた。

「吉五郎が勝った!」

 町衆は信長に遠慮して小さな声で喝采かっさいした。そして両手で目をおおったまま、なにも見てなかったふりを決めこんだ。

 吉五郎が信長に勝った知らせを聞き、小牧の城下町は喜びにわきたった。しかし、信長をはばかって、お祝いはひそやかにおこなわれた。

 その祝いの席には足軽はもとより、何人かの武将たちも加わっていた。キツネごときと思っていたのが、今回の勝ちっぷりには武将さえも心をひかれたんだとさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る