第7話 勇者許される

 【勇者ミーリア】


 フェンリルを引き連れてきた男性を前にして、勇者ミーリア達は、ただその脅威に怯えていた。


 幻獣フェンリル。

 伝説のような最強の魔獣を目にしたが最期、なんぴとたりとも死の軛からは逃れられない、と恐れられている存在だ。目撃した者の大半は死んでいるので、報告例は僅かしかない。故に伝説級の幻獣と呼ばれている由縁である。

 今まで追われていたヘルタイガーも災害級の魔物と恐れられているが、フェンリルを前にすると、可愛い猫に見えてしまうほどだ。それだけ次元が違う。


 フェンリルを引き連れている男性は何者、という以前に、フェンリルが恐ろしい。そんなフェンリルが4匹もいるのだから絶望を余儀なくされるというものだろう。

 全員が最悪の結末を思い浮かべていた。


 男性は畑の作物を拾い上げ、涙を浮かべながら怒り心頭だ。

 きっと農作物を大切に思っているのだろう。農民上がりの勇者ミーリアは、恐怖と同時に畑を荒らしてしまった事を深く反省した。

 自分も畑仕事をしていた時にイノシシなどに畑を荒らされた日には、烈火の如く怒ったことを遅まきながらに思い出したのだ。


 ──ごめんなさい。


 男性が怒鳴ってきたが、心の中で謝る事しかできなかった。

 恐怖の余り口を開くこともできなかったのだ。


 きっと優しい男性なのだろう。そう思ったが、次の瞬間真実を知ることになる。

 だてにフェンリルを従えているわけではないことが、ようやく分かったのだ。


 勇者ミーリアたちを追って来たヘルタイガーが、敷地内に入ってきた時男性の存在感が一気に増した。

 退け! と言われ男性が剣を鞘に入れたまま横薙ぎに振ると、凄まじい剣圧が勇者ミーリア達を襲い、全員が枯れ葉のように地面を転がされた。

 これが抜き身の剣だったなら、恐らく全員が既に死んでいる。そう思わせるほどの凄まじさだった。


 その後男性は勇者ミーリア達には眼もくれず、ヘルタイガーへと突進した。そのスピードたるや凄まじく、誰一人として移動している男性の姿を捕らえられない程だった。

 男性の実力はそれだけでも判断できる。これはそうとうな強さだ。畑を荒らしてしまった罪悪感はあるものの、この男性に報復されようものなら命が幾つあっても足りない。

 だから逃げるなら今の内かも。と思ったが、そう上手くはいかなかった。

 勇者ミーリア達は動こうにも動けなかった。なぜならフェンリル4匹がぐるりとミーリア達を囲い、逃げられないようにしていたからだ。

 鼻梁に皺をよせ唸り、『御主人様が戻るまでおとなしくしていろ』と言わんばかりの形相で威圧してくるのだ。

 ミーリアたちは観念するしかなかった。


 そして男性のヘルタイガーとの戦いで、またもや次元の違う強さをまざまざと見せつけられる。

 自分達があれだけ絶望した相手を、男性は臆することなく挑発し、あまつさえ最初の攻撃を相手に譲る強者の器を見せた。

 猛然と襲い来る、身の丈ほどあるヘルタイガーの右手の猛攻を、なんの防御もなく涼しい体制で受け止めたのだ。

 キャッ! と小さく悲鳴を上げたのは言うまでもない。

 普通の人間なら確実にバラバラになって死ぬような攻撃だった。それを平然と受け止める男性の力量は、計り知ることができない。


 そして男性は攻撃に転じた。

 何か話しながら小さく首を振っていたが、なにを言っているのかは聞こえてこなかった。

 次の瞬間空間がブレるような途轍もないパンチがヘルタイガーの顔面に見舞われた。

 骨の砕ける音と共にヘルタイガーの巨体は地面に一瞬で沈んだ。


「一発かよ……」ガングルが目を丸くして言う。

「素手だよね……」サンが武器も使わずに攻撃したのを見逃さなかった。

「なんか空気が歪んで見えた……」リーがあまりの攻撃力に空間が歪んで見えたことに感心する。

「ゴクリ……」ハルは生唾を飲むしかできない。

「み、みんな……これは逆らっちゃいけないやつだよ……全面降伏だよ……」


 勇者ミーリアの発言に全員が静かに頷いた。

 ヘルタイガーに追われていたとはいえ、自分達が畑を荒らした事実は変わらない。その畑を見て男性は烈火のごとく怒っていたのだ。

 この後必ず男性は怒りの矛先をこちらに向けて来て、最悪は戦う羽目になる。そうなればミーリアたちなどきっと10秒と立っていられないだろう。

 それほどまでの実力の差を見せつけられたのだ。


「だから、絶対に反抗しないようにしよう? なにがあっても平謝りね」

「あ、ああ、しかしこんな森の中に凄い人がいたもんだ……」

「魔国ってこんな人ばかりなの……?」

「だったら魔王なんてもっと次元が違う強さを持っているのか……?」

「2000年もの間勇者が魔王に勝てなかった理由が分かった気がします……」


 全員がしみじみと現実を理解した。

 いくら今時点国で一番の強さを誇る勇者ミーリア達のパーティでも、この深淵の森を無事に抜けるだけでも至難の業。そして魔国にはこんな猛者がたくさんいるとなれば、魔王などと闘うまでもなく勝敗は決している。

 何故なら目の前の男性にすら勝てないと、既に本能が負けを認めているのだから。


 しかしその後勇者ミーリア達は何故か簡単に許された。


 男性が首をゴリゴリと鳴らしながら近づいてきて、最初から最上級の土下座で謝ると、すんなり許してくれたのだ。

 そして一行は男性の家へと誘われた。





 そして今、ミーリアたちはこの状況に狼狽えることしかできない。


「ね、ねえ……ここって本当に深淵の森の中間辺りなのよね?」

「う、うん、多分そう……だよ?」

「信じられません。こんな広いお風呂など、貴族でも作れませんよ」


 湯気の中で顔を突き合わせながら、このよく分からないこの状況を確認する。

 まずは女性陣が風呂に入ることになった。この深い森の中の大豪邸に驚き、そこで案内されたお風呂場。先程までギリギリの死線を潜ってきた森の中とは到底考えられない光景に、なんとも夢のような気分になるのだった。


 特に農民上がりのミーリアにとっては、お風呂など勇者になってからようやっと入った程度でしかない。こんな広いお風呂に浸かる日が来ようとは、まるで夢のようだった。


「でも気持ちいいから考えないことにしよう……」

「そうね、ここまで来たらもう何を考えても無駄なような気がするわ」


 うっとりと湯につかりながら考えないようにすると言うミーリアに、魔法使いのサンも同意した。


「あっ、外にもお風呂がありますよ!」


 一人湯から出て広い風呂場を探検していた聖女のハルが、外にも湯気が立つ風呂があることに嬉々とした声を上げた。


「えっ! 外にもあるんですか?」

「あたしも行くーっ!」


 三人の女子は、嬉々として露天風呂へと向かうのだった。


 結局悩んでも仕方が無いと悟った女性陣は、この状況を楽しむことに決めたらしい。



 ゆっくりとお風呂に浸かり、部屋で寛ぐ。

 部屋も一人一部屋あてがわれ、内装も非常に凝っていた。王城にある部屋とまではいかないが、高級宿の一室を思わせる造りに、ミーリアはただただ感心するのだった。


 ミーリアが勇者になる前など、小さな家に両親と兄弟姉妹3人がひしめき合って暮らしていたことを考えたら、この部屋はそれよりも広いのだ。なんとも贅沢で、こんな森の中にある家だとは到底思えなかった。


「いったいあの人は何のためにこんな場所に住んでいるのかな? 私一人なら、多分三日と生きていられない気がする……」


 そう疑問に思うが、考えても分かるわけがない。

 

「でも結局は、私達は助けられたのよね……」


 ミーリアはベッドに横たわり先程までの事を想い返す。

 自分が居眠りしてしまったことでヘルタイガーの接近を許してしまい、この家に逃げ込んでしまった。

 この家が無ければきっと今頃は、全員がヘルタイガーの餌になっていたに違いない。

 彼がいなければ、そう考えると今更ながらに恐怖で身が縮む思いだ。


「みんなにも迷惑かけちゃったな……それに、あの人の畑をぐちゃぐちゃにしちゃったし、これはちゃんと謝らないといけないな……」


 居眠りしてしまったことでみんなに危険な目に遭わせてしまい、挙句の果てに見も知らぬ男性の畑まで荒らしてして迷惑をかけてしまったことは、全部ミーリアのせいである。

 そして助けられた。


「でも、ちょっとカッコ良かったな~あの人……」


 ミーリアは、ぽっと頬を染め枕に顔を埋めるのだった。


 しばらくベッドでうとうとしていると、部屋の扉がカリカリと鳴った。

 扉を開くと小さいフェンリルが廊下におり、顔をぐいとしゃくり『こっち来い』と合図する仕草をした。



 ミーリアはそのまま食堂へ誘われ、みんなで食事をとるのだった。

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