第2.5話 お墓参り

 太一は室内にある広い中庭で、お墓の前で目をつむり、両手を前で合わせていた。

 室内が本当の外のように美しい。壁の上から滝が流れ、中庭を川が囲って、はしゃぎ越えをあげる。芝生はそんな水の彼女を困ったようにはべらせる父親のようだ。

 ポツリと端っこに、ちっちゃな石碑がある。名前が刻まれたそれはグレンシ後の戦いに巻き込まれた戦士たちの碑石だ。戦争の碑石は人を惜しんでできるが、この碑石はたった一人のために作られたちんまりしたものだった。


 太一のよく似合う背広姿は、一回り大きくなった太一の心を表している。

 極東の国の背広は上と下の身ごろを重ねて折りたたむように着る特殊なもので、アンティークのボタンが印象的なシックでどこか重厚感がある。

 胸ポケットが五角形で、下の頂点から島国に迫る波を描いた流線が左半分に描かれていた。

 この背広を着る時は世界が平和になった時、そう決めていたことを少し思い出した。今なら胸を張って平和だと言えるはずだ。

 だが、彼の心も今すぐ生き返ってほしいと、声を悲しげに上げているように思える。少々涙と嗚咽を垂らし、細かく震えて泣いていた。

 その前には一輪のエーデルワイス。飾られてどこか優しげだ。


「お墓参りですか?」


 後ろから声がかる。その優しい礼節を重んじた声は、どんな時に聞いても身が濯がれるようだ。彼女はきているベージュの淑女服をはためかせて、凛とした顔で立つ。緑の芝生も、彼女に踏まれるなら本望だろう。

 太一は涙を隠して、しれっと答える。


「マリ様。お久しぶりです。ちょうどいま終わったところですよ」


 神妙な声、少しだけ寂しそうだった。太一はしゃがみ込んだまま、お墓に向かって手を合わせ続ける。健気でひたむきな彼は重い一つに集中して雑念から解放された。

 マリに苗字はない、彼女が皇族だからだ。グレンシアに立ち向かったマリを太一とキシヨは守り抜いた。戦いの終わった今、争いの犠牲者たちに勝利の事実をお墓参りで告げていたのだ。


「キシヨ。あなたはもう英雄なのです。お早く皆のところに顔を出しあげなさい。広場ではあなたがお立ち台に立つ姿をみんな楽しみにしていますよ」

「キシヨ? 俺がキシヨ……?」


”そうだよ、そして目の前のお墓が君の親友の太一を讃えた場所だ。”

”でもね、僕が君と生きるために選んだこの選択を”

”過ちだなんて思っちゃいないんだよ”


「そうでした、俺がキシヨ……ですね」


 キシヨは自分にだけ聞こえる友人の声を聞いていた。それは時に優しく。時に強く。時に邪魔で、時に愚かだった。

 イレギュラーか。こんなセリフはどこにもないはずだ。

 これだからこの仕事はややこしい。


 話を続けよう。


 マリの言葉にキシヨは悔しそうに、首を振る。


「こいつの前ではただの友達です。それ以上でもそれ以下でもない」


 キシヨは唇を食いしばって続けた。


「今となってはこんな紳士服を着ていますが、太一と一緒に戦っていた時には、みんなボロボロの服でした。あいつと一緒にお立ち台に立てなかったことが悔しくてなりません。わたしは一番大切な人間を失ってしまった」

 マリは傷心しているキシヨに気を使う。

「……では、もう少し会話をなさってください。私はいつでもあなたを受け入れます」


 丁寧な口調は彼女の地位そのものだ。それを言い残してその場を立ち去ろうとする。

 すると、中庭の入り口で大柄でたくさんの髭を蓄えた男が壁に背を預けて立っていた。

 勇ましいが突きつけるような低い声で、

「マリ様、キシヨはどうでしたか……?」

「見ての通りです。今はそっとしておきましょう」


 そう言い残し、マリは男の横を通って足早く立ち去ろうとした。

 しかし、男はマリを威圧する。


「本部が襲撃された日、キシヨは一人で戦いました。太一たちを逃がすために、あの軍勢をよくも一人でさばいたものです。キシヨが生きていたとき、私たちは大いに喜んだのを覚えています」


 マリが黙り込んだのを見て、淡々と続けた。


「その後、危機的状況に現れたキシヨが、太一と協力しその場を切り抜けようとしたあの時。追い詰められた二人は、太一一人でキシヨがやったようにグレンシア軍をひきつけ、キシヨを生き延びさせました。……そのあと、太一は消息不明。これは、あなたがグレンシアに交渉しに行って、あっけなく拘束されてしまったことが原因だと、皆が口をそろえて言います」


 マリはキシヨだけではなく反乱軍の皆が自分のことを恨んでいるのを知っていた。


「ですが、あの時話し合えなければ、延々と争いが続いていました」

「それでも! もっと警戒すべきだった!」

「わかっています!」

「しかし、なぜ太一が死ななければならなかったのか。もし、あなた様がもう少し警戒していれば、グレンシア支部を直接攻撃するなどという無茶なことはしなくて済んだはず」


 マリは寂しく俯いて、


「わかっています……」


 キシヨが泣いているのはわかっていた。その後ろで、その原因の彼女が泣くわけにいかない。唇を噛み締めて、下を軽く噛んだ。

 ヒゲの男もそれを承知している。だが、彼にはどうしてもガンマンならなかったのだ。今、反乱軍で最も勇敢だった太一を失って、お墓の前に座っているキシヨを見ると、もう彼の顔を見ることすら心が痛んだ。


「グレンシア日本支部を破壊してからは……」

「もういいんだ、その辺にしておけ」


 マリがお墓参りをしていたキシヨを振り向く。男は思わず咳払いをして、自分の声のでかさにうんざりした。キシヨが男を情けなさそうに見やる。

 彼の目つきの美しさがなぜか際立って、お墓の前に立っているのが男か女かわからなくなったところで、誰も責めない中性的な声がした。


「誰のせいでもない」


 そのまま静寂に包まれる場が気まずい。

「この戦争は誰のせいでもなかった。それでいいだろ?」

「キシヨ、本当にごめんなさい」

「マリ様、あなたは一番みんなのことを考えていた。誰にもあなたのことを責めさせはしません」


 キシヨは立ち上がり、マリと男の間を通って中庭を後にする。外の鐘が鳴り響く、優雅で平和な鐘の音は、国の繁栄を願っていた。ようやく掴んだ明日への希望を手に、三人は今式典へと向かう。


 そんなキシヨの頭の中はなぜかすっきりとしていた。まるで誰かに手を加えられて整頓されたように。













 あ〜、疲れた。

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