〇〇〇九九号室 「アパートの外」に出る日 前編

「久し振りねえ……。『楡の木荘』の外に出るのは」


 午後の管理人室前庭、いつもの読書卓。お茶を味わいながら、お嬢がしみじみ口にしやした。


「でも、そろそろやらないと。なんやかや理由をでっち上げ……じゃなくて忙しくて、締め切りを破ってきたんで。大家からも、とてつもなくせっつかれてやすし」

「だあってえ。アパートの外に行くと、いっつもなんだか気が滅入るんだもの」


 素知らぬ顔で、紺地に水玉模様のレトロなカップを口に運ぶお嬢。


「はあー……。春もそろそろ終わり。沼桜の新茶シーズンは、これまでかあ……。楽しみがなくなるわぁ」


 溜息なんかついて。


「ちょっと古くなった沼桜の茶葉だって、軽く焙じて淹れ冷やしにすれば、夏でも最高ですぜ。茶請けに西瓜の浅漬とか。アントニウスさんから届いた『里の夜露・改二』、浅漬が意外にいけやしたし」

「それもそっか」


 気を取り直したようでやす。さすが食い意地の――あわわお茶にこだわりのあるエルフっす。

「じゃあ、ちゃちゃっとやっちゃおう。トラブル処理じゃなくて、見回るだけだもんね」

「そうそう。肉体的には、楽ーな仕事で」


「ジーコ。ジーコ。ジージーコ……ジーコ」


 黒電話の「取っ手」を耳に当て、お嬢がフロア情報を入力しやす。アパートの外に出るには、〇〇〇九九号室、つまり「楡の木荘エントランスホール」を経由しやす。〇〇〇フロアは特殊階層なんで、真鍮製の円盤を回してのフロア情報入力にも、けっこう時間がかかりやす。


 九九号室だからか、エントランスホールは「おしまいの部屋」と呼ばれてやす。ここから歴史が始まったんだから「はじまりの部屋」のほうがふさわしいと、あっしには思えるっす。でも「はじまりの部屋」と呼ばれているのは、なぜか管理人室でして。管理人室が〇〇〇〇〇号室、つまり〇〇〇フロアの〇〇号室だからかもしれやせん。


「ふう。やっと入った」


 ほっと息を吐くと立ち上がって。


「さあ、行くわよコボちゃん。エントランスホールに」

「へい」


「ギギギギーイッ」


 いつもより渋めに軋ると、嫌々といった雰囲気で、亜空間扉が開きやした。あっしとお嬢は一歩踏み出しやす。エントランスホールへと。


「……まあ、よく言えば、ホール自体は落ち着くわよねえ。懐かしい雰囲気で」

「さいですな」


 久し振りの訪問だけに、お嬢も周囲を見回してやす。


 亜空間扉の先にある部屋は、このエントランスホールだけ。なのに他の階層とは異なり、そんなに広くない。あっしらの暮らす管理人室や平均的なアパート居室より、ちょっとだけ広い程度で。


 〇〇〇九九号室には廊下も階段もない。亜空間扉がひとつとアパート出入り口がひとつあるだけの、一軒家風の建物で。見回すと、さすが年代物だけあって、いくつかある窓は全部ひび割れて、汚れで外も見えないくらい。壁の棚にはなにも置かれておらず、こちらもホコリが積もってますな。


 壁に貼られた大きな地図は長持ちする、ロストテクノロジーの特殊素材製のようでやす。とはいえ長い年月には逆らい切れず、見る影もなく、ぼろぼろ。真ん中に「楡の木荘」と古代エルフィン語で書き込まれた建物があり、四方八方、周囲すべては荒野の地図記号で囲まれてやす。


 壁際の小さな読書卓には、壊れかけの椅子がひとつ。テーブルの上には、ホコリの溜まったコップひとつと、管理人室と同じ異世界古代端末「黒電話」が置いてあるっす。ただこの端末、壊れてるようで、なにもできない。ケーブルは壁の奥まで繋がってるんですがね。


 窓から射す外光はなく、天井にぶら下げられた小さな電灯が、黄色い光を頼りなげに投げるばかりで、薄暗いっす。


「落ち着くとは言っても、やっぱり雰囲気暗いか……」


 手を腰に当てて、お嬢がぽつりと呟きやす。


「荒れてやすからね。まあ部屋の中自体は、以前来たときと変わらないようで。……外を見回りますか」

「業務だもんね」


 言いながらも、あんまり気が進まないようでやすな。ここ〇〇〇階層は特殊フロア。アパート内部の保守管理を担当する営繕妖精は、基本的には手を出さないんでやす。そのため修理も掃除もされておらず、この有様ってわけで。


 あっしらは大家に命じられて、定期的に見回りやす。それであまりに問題が大きくなっているようだったら、報告して特殊な営繕妖精を修理に出してもらうって算段でして。


「入り口の扉も、段々傾いてきてるみたい。ボロよねえ……」


 外に出るには、大きな両開きの扉を抜けやす。片方は無事なものの、もう片方は下の蝶番ちょうつがいが外れ、取れかけて傾いてる始末。そこから外の風景が、少しだけ覗けやすな、ほぼ闇夜も同然の。


「ギ、ギ、ギギギギーイッ……」


 無事なほうの扉を注意深く押して、アパートの外に出やした。


 闇夜も同然の暗さでやす。周囲は荒野……というか、見渡す限りなにもない。空を見上げると、月も星も、もちろん太陽なんかも見えない。黒と墨色の雲が、高速で渦巻いているだけで。


 あっしらを照らしているのは、入り口上部に下がっている、黄色っぽくて薄暗い電灯ひとつだけ。その下に年代物の看板。「楡の木荘」と黒く書かれた木製で、古すぎて少し反り返ってますな。ピシッとひび割れも走ってるし。


 入り口の左右には、営繕妖精の骸がひとりずつ、扉を守るかのように倒れてやす。


 営繕妖精は、極めて特殊なモンスターでやす。というのも、子を産まない代わりに不老不死なんで。とはいえ老化には無関係なものの、病気や事故で死ぬことは当然ある。ここの骸もまた、そうした経緯でやんしょう。


 金属の体躯を持つのでミイラ化したりはしていないものの、錆が浮かび、体表が膨れてたりしやす。


 不思議なのは、ふたり同時に死んだらしくないこと。片方はかなり古代に亡くなったらしく、錆が進んでところどころ形を失っており、触ると残りもぐずぐず崩壊しそうなくらい。


 もう片方は比較的最近――といっても百年は越えてそうでやすが――亡くなった感じ。ところどころ曇ったり錆びたり。それでも、わびしげな照明に、今でも体表を金属質に輝かせてるっす。


「さて……と、次は外観チェックね」


 荒涼とした光景に圧倒されたか、随分長い間黙っていたお嬢が、ようやく口を開きやした。


「一周しようか。コボちゃん」

「へい、お嬢」


 一歩踏み出すと、砂利がさみしげな音を立てやした。地表は硬く平たい土壌で、ちょっとやそっとでは掘れないって話で。その上に、風で飛んできた砂埃や砂利が浮いてやす。


 楡の木荘〇〇〇階層の九九号室――エントランスホールをふたり、ゆっくり右回りでチェックしやす。


 外観はもう、本当に古臭い家屋そのもの。管理人室データベースの「入居のしおり」フォルダには、店子さん達が小学校で読む「楡の木荘入居のしおり」だけでなく、超古代の異世界平屋建てアパート外観画像なんかが、雑多に収められてるんでやす。本当に、あの画像まんま。博士の話では、こうしたアパートを模して形作られたらしいっす、楡の木荘は。


 外観は木材の鱗板壁造り。窓枠だって木製でやす。壁板は焦茶色の耐蝕塗料かなんかで塗られてやすが、膨大な時間に攻撃され、もはや廃屋同然。


「あらやだ。ここの壁板、落っこちちゃってるじゃない」


 お嬢が指差す地面に、たしかに板が落ちている。


「前回来たときは、まだかろうじて壁にぶら下がっていやしたがね」

「大家さんに報告する?」

「そこまでのレベルじゃない気がしやすね。見たところ、壁は悲惨だけど、屋根はボロいとはいうものの、当面落ちたりしなさそうだし……。なぜだか大家は、このホールの修繕を極端に嫌がりやすしね」

「そのくせ頻繁に見て回れとか、意味わからないわよねえ」

「マジっすよね」


「ジャリ……ジャリ」

「ジャリジャリ……ジャリ」


 砂利の音を響かせながら、見て回りやす。注意深くチェックしながらゆっくり歩いても、一周五分かからない程度。なのでこの業務は楽なんでやすが、なにせうら寂しくてメンタルに響くので。


「特に問題なしね」


 安心したように、ほっと息を吐くお嬢。


「じゃあ戻りやすか」

「ちょっと待って」

「へ、へい」


 崩折れた営繕妖精の骸を見ながら、お嬢はしばらくなにかを考えていやした。


「……この子たち、門番みたいよね」

「まあ……そう見えなくもないっすな。ただ別に襲ってくる敵とかいないですがね。……敵どころか、アパートの外には生き物が一切いやしないし。だから門番的な役割はない気もしやす」


 あっしも思わず溜息が漏れたっす。


「ただ門番だろうが別の役目だろうが、見るからに古代にひとり亡くなったとき、どうして敬意を持って埋葬し、代わりを立てなかったのか。……大家からも、この妖精はそのままにしておいてくれって、特に言われてやすし」

「なんでも、なにかの思い出ってことでしょう? 教えてくれないけれど」

「へい。……ほっておくのは、かえってかわいそうな気がするんでやすがね。ただ大家はあっしらより、もっと大きな世界を見ている。その関係かもしれやせん」

「この子達……」


 しゃがみ込むと、お嬢は、崩折れた骸のカケラを、手に取りやした。


「生きているとき……こんなさみしい場所に立ったまま、なにを考えていたのかしら」


 お嬢の繊細な指で摘まれただけなのに、カケラは崩れ、砂に戻って風に飛びやした。


「長い時間、風吹きすさぶ荒野を見つめながら」


 どう返事していいかわからなかったので、あっしは黙ってやした。


「ねえコボちゃん」

「へい」

「ちょっと冒険してみようか」

「えっ……」

「お外の限界まで行ってみようよ」

「限界……。『世界の果て』まででやすか」


 あっしは、思わずお嬢の顔を二度見しやした。でもいつものほんわかエルフで、特に悪巧みしている風はありやせん。お嬢は、いったいなにを考えているんでやしょうか。

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