八〇三フロア  ミツオシエの宝物 後編

 謎の建造物が太古の賢人、クサハリ博士の関連施設かもしれない――。その事実を知り、ケルヌンノスは心底驚いているようでやした。そりゃ神話伝説の世界を垣間見たら当然で。


「つまりこの絵に描かれているのは、クサハリ博士の一家なのかもしれないっすね。お嬢」

「まあ。たしかにそうかもねえ……」


 お嬢はいつもどおり、特になにも考えていないようでやす。


「単なる同姓って線もありやすが」

「わあ。かわいい」


 今度は一番奥の棚を調べていたお嬢が、ひとこと。


「これ夜飛び鯨かしら」


 見ると、水晶製らしき、透明の彫刻でやす。見たことのない生き物の形の。手でつかめるくらいの大きさで。


 かたどっている生き物は、たしかに夜飛び鯨に似てやす。でも羽が生えてないし、未知の動物か魚かモンスターかと。それにどういう仕組みか不明なものの、とにかくかすかに鳴き声を発してやす。


「ミツオシエは、もしかして、これに反応してたのかも」

「たしかに」


 三人とも納得でやした。というのも、あっしらを追って部屋に入っていたらしいミツオシエが、その像の脇にとまって、しきりにさえずってやしたから。入り口の扉は開いたっきりで、壁面に頑丈な金属のロックが出てやしたから、これから閉じることは二度となさそうでやす。


「ウロが開いて、中の音が漏れ聞こえるようになったから、ミツオシエも気づいたんだな」

「鳥を引き寄せる仕組みなのかしら」

「いやこれは……」


 なにかを思い出そうとするかのように、ケルヌンノスが斜め上を見上げやした。


「なんだか、懐かしい響きがする」


 エルフに特に響くってもんでもないようで。あっしもたしかに懐かしく感じる鳴き声でやしたから。


「さいっすな。魂の奥底を温めてくれるような……」

「もしかしてこれ、心を癒やす仕組みなんじゃないかしら」

「心を」

「ええ。クサハリ博士って、偉大な賢人なんでしょ。きっと毎日、ものすごーく疲れたりしてたはず。そんな深夜、緊張を解いて気持ちを鎮めるために、古代の生き物の声を聴いて、この素敵な彫刻を眺めたりとか」

「不思議だ……。管理人殿に言われると、そんな気がしてきます」


 あっしも同意したっす。たしかにこれは、心を慰撫する、太古の芸術なのかもしれやせん。


「毎日精一杯生きているミツオシエにとっても、やっと見つけた宝物ってことなんですね」

「わたくしたちも、ミツオシエとおんなじ。精一杯生きて、命の宝物を探すんだわ」

「お嬢、今日は詩人っすね」

「そうかな?」


 少し悲しげにさえ見える微笑を、お嬢が浮かべやした。


「伝説に残る偉人と言えども、柔らかく傷つきやすい心を持っている。こんな詩的な楽しみを持っていたなんて」


 同感はしたものの、黙ってやした。あっしにとっては、お嬢も同じに思えやしたから。


「ところで興味深いものが、こちらに」


 ケルヌンノスに案内されたのは、一方の端の作業卓らしきテーブル。見ると、きれいに整頓されたテーブルに、一冊だけ、書物が大事そうに開かれている。


「ページを繰らないでください。古い紙らしく、触るだけで崩れ割れてしまいそうだから」


 印刷された書物ではなく、手書き文字――これまた古代エルフィン語――が並んでやす。


「あの……これは」


 古代語苦手で腰が引けるお嬢。救いを求めるかのごとく、あっしを見つめて。


「へい。読み下してみやしょう」




生涯をかけた大事業も、第一段階の完成を見た

予定通り、今後は実動しながら開発していくしかない

寿命をはるかに超える事業なので

私がそれを見ることはかなわないが

ここに命の軌跡を残す

私の生涯を支えた多くの友や家族、その思い出の品

愛すべき人生の軌跡を

やがてタカマガハラに消える際まで見守ってくれるに違いない

私は天に召されよう

アルトビエレの翼に乗って




「どうも、日記かなにかのようでやすな」

「アルトビエレというのは、古代の鳥か飛龍あたりでしょうね。死んで天国に行くことを表したと思えるし」

「この人は――」

「お嬢。多分、クサハリ博士で決定でやしょう。文面からしても」

「クサハリ博士は、ここで最期を迎えたのね、きっと。こんな狭い部屋で……」


 お嬢は悲しげに見えやした。


「なんだか、わたくしみたい。わたくしも、あの管理人室で生涯を終えるのかしら」

「管理人殿……」


 ケルヌンノスが、お嬢の手を取った。……これだからイケメンは。


「管理人殿は、私共と同じ種族。いずれ管理業務引退の折には、ぜひこのフロアに」


 手を優しく握り直して。


「……仲間として、謹んでお迎えいたします」

「ありがとう」


 珍しく、お嬢がうっすら涙を浮かべやした。


「このフロアなら、蜂蜜も食べ放題ですしね」


 いや、いいシーンが台無し。


「すごく楽しみ」

「それはそれは……その……」


 空気の読めないお嬢に、ケルヌンノスもタジタジの様子。


「ところで、なんでこんな最果てに引きこもったんでやしょうか。例のゴルディアスとは違って、別段幽閉されたわけでもなさそうなのに」

「すべての仕事を終えて、隠居したんじゃないのかしら。きっとご家族も亡くなってたのよ」

「古代の賢人なら、長生きしたはずでやすからね」

「ゴルディアス? それは誰ですか、管理人殿」

「いえ、ちょっとした行きがかりでしてねえ……」


 お嬢が微笑むと、ケルヌンノスはそれ以上追求する気をなくしたようでやした。それより逢引に誘う方法でも考えたほうがいいと判断したのかもしれやせん。


「いずれにしろ、ここは個人の荷物置き場のようでやす。インフラとは無縁ぽいので、壊してもいいと報告すれば、お父上も喜ばれることでしょう」

「ええまあ……」


 ケルヌンノスは、複雑な表情をしてやした。


「父上と相談します」


          ●


「これは管理人殿、お務め、ご苦労様でした」


 報告を受け正体がわかったためか、オイシン・キェルクプ族長は、安堵しているように見えやした。


「これで、部族の皆を安心させられます」

「その……」


 口ごもるお嬢。


「あの部屋を、どうなさるのでしょうか」


 なぜか不安げに見えやす。先ほど、部屋の主と自分を重ね合わせていたからかもしれやせん。


「あの部屋は、残しても壊しても、危険なものではないと判明した」


 族長は言い切りやした。


「壊せば、再開発できる利がある。だが……」


 ほっと息を吐いた。


「やめておきましょう。古代の賢人に敬意を表して」

「父上、私もそれがよろしいかと」


 我が意を得たりと、ケルヌンノスが口を開いた。


「あそこの陳列物を見ていると、なぜか魂が安らぎます。なにか私達のはるか祖先の心に通じているかのように。……あれはまるで、私達エルフの遠い過去のようで」

「我が息子がそう判断するなら、皆、いつでも自由にあの部屋に出入りしてよい決まりにしよう」

「よかった……」


 管理人としての立場を離れ、お嬢が思わず本音を漏らしてやす。


「ミツオシエも、あの置物とこれからも会話できて、きっと幸せです。……これで一件落着ですね」


 うれしそうに微笑んでから。


「実は……あとひとつ、気になっていることが」

「なんです。管理人殿。蜂蜜でしたら、お礼にいくらでも――」

「いえ」


 お嬢は首を振りやした。


「それはありがたい話ですが、族長さんの家族名です」

「名字ですか……」

「オイシン・キェルクプと名乗られましたよね。……その名前、聞き覚えが」

「そう言えば、お嬢、あの娘……」


 あっしの記憶の隅を、フードを目深に被ったエルフ娘が横切りやした。そう。オークとオーガの賭場をお嬢とふたりで荒らし――あわわ引っ越していただいたときに出会った、フロアの店子さんが。


「アーヴン・キェルクプと名乗るエルフの店子さんと、会ったことがあります」

「なんとっ!」


 心底驚いたように、族長の眉が上がった。


「それは、私の妹です」


 ケルヌンノスも驚いたようっす。


「どこで出会ったのですか」

「はい族長。たしか……九〇五フロアの、管理区域外市場で」

「ここは八〇三フロア。なんと百階層以上も下降したのか。しかも管理区域の外とは……。無茶しおって」


 感慨深げな表情でやす。たしかにそれだけのフロアを縦行したという話は、よほどの冒険家でも、めったにありやせん。なにせ途中ところどころ階段が断裂してやすし、治安の悪い階層や階段賊、階層賊も出やすので。


「アーヴンは元気でしたでしょうか」

「ええ」


 父親を安心させるかのごとく、お嬢は微笑みやした。


「あの階層に巣食う、質の悪い店子さんに引っ越していただくのに、協力していただきました」

「あの娘は、なにか訳ありでやしょうか」


 あっしは、あのエルフの言葉を思い出しやした。たしか自分がこのフロアにいることについては、「事情はいつかまたご縁があれば」とか口にしてやした。


「ええ、補佐殿」


 族長――というより、アーヴンの父親として、説明をしてくれやした。


「この森は暮らしやすいけれど、外の世界を全部知りたい」――。なんでも、そう言い張ったらしいっす。そう。世界の最果てまで。反対する親族一族をすべて振り切って、身ひとつ無一文で旅に出たそうで。


「まあ。勇敢な娘さんですねえ」

「エルフは本来、群れて生活する種族。家族や一族と過ごすことで、魂の安寧を得るのが普通。……ですが稀に、あのようなはぐれ者が出ます」

「……」

「い、いえ。はぐれ者とは、ひとり離れて暮らす、管理人殿のことでは……」


 余計なひとことを口にして、息子に脇をつつかれたようでやすな。


「管理人殿。冒険を好む古代の血が、ごく稀に先祖返りを呼ぶ。これはエルフ族の特質なのでしょう」

「お気になさらず。わたくしは実際、はぐれエルフですし」

「父上。管理人殿には、引退の折、この里で暮らしてはどうかとご進言したのです」

「おお。それは名案」


 族長は手を打ったっす。


「管理人殿もご存知のとおり、エルフの寿命は長い。引退してもまだまだお若いはず。ならば部族と共に、いくらでも人生を楽しめますし」

「そうだな、ケルヌンノス。一族も皆、喜ぶはず。特に男共が。このような美しいお方が来てくだされば。……そもそも、息子がまんざらでもなさそうだし――アウチッ!」


 今度はつねられたようでやすな。


お嬢はお嬢で、特に喜んだりはにかんだりもしていないし。あれきっと多分、お礼にもらえる蜂蜜のことを考えていたんでやすな。絶対。


 いえあっしもお嬢と長いんで、なんとなく考えが読める気が。


 いずれにしろ、お嬢にエルフ仲間のつながりができてよかったっす。あの管理人室に隔離されている身の上は、気の毒で仕方がなかったんで。


 今晩は、あっしがお嬢に、とっておきの蜂蜜料理を振る舞ってあげやしょう。夜の寝床で、幸せなエルフの里とミツオシエの宝物――。そういった夢を見られるように。

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