第16話 か、帰りたくありませんっ!

 ――数十分後、オカンは俺とフィーリアの見守る中、目を覚ました。


「うう……」

「大丈夫ですかぁ」


「ああ、フィーちゃん。おはよう」

「おはようございますですぅ」

「まだ夜は明けてねぇぞ。とりあえず水飲め」

 

 オカンは素直に、差し出された水を飲んだ。


「……私どうしてた、寝てたの?」

「フィーのことを聞いて倒れられたのですぅ」

「フィーちゃんのこと……?」

 

 オカンは少しずつ思い出したらしい。

 みるみる内に顔面蒼白になっていった。


「い、異世界人って本当なの?」

「はいですぅ」


「い、いせかい……ハフゥン」

「待ってください、マダム・さくら!」

 

 再び倒れそうになるオカンを、フィーリアが助け起こした。


「アチラの世界は怖くないですぅ! むしろとってもいいところなんですよ」

「そ、そうなの?」


 そういう問題じゃないだろ、と感じたが、オカンはそれを聞いて少し安心したようだ。フィーリアはオカンをなだめるように、ゆっくりとした口調で続ける。


「フィーはアールヴヘイムで暮らしていましたですぅ。みんな優しくていい人で……緑豊かな素敵なところですぅ。きっとマダムも気に入りますぅ」

「アールヴ、ヘイム?」


「エルフの国、フィーの故郷ですぅ」

「みんなフィーちゃんみたいなの? 男の人も?」


「勿論。殿方はみんな背が高くて、素敵なんですよぉ」

「それ、いいわね!」

 

 オカンがガバッと身を乗り出した。


「ディカプリオみたいなのもいるかしら!?」

「デ、デカプリンですかぁ?」

「これ、これよ!」 


 オカンは玄関に這っていき、放りだしてあったバッグの中から携帯を取り出した。今や絶滅危惧種の「ガラケー」だ。


 中の写真データを引っ張り出して、フィーリアに見せる。


「ほら、これ! ディカプリオよ」

 

 俺が脇から覗きこむと、有名映画「タイタノック」時代のディカプリオが表示されていた。


「若い頃のディカプリオじゃん、いつの写真だよこれ」

「昔雑誌に載ってたのを写メしたの。それよりフィーちゃん。ディカプリオみたいな人は、なんとかって国にいるの!?」


 フィーリアは難しい顔で、画面のディカプリオと見つめ合った。


「うーん、いたって普通ですねぇ……」

「普通って、どういうこと?」


「いえ、フィーの国ではどこにでもいらっしゃる顔なので……」

「どこにでもいる?」


「はい。典型的なエルフ顔ですぅ」

「ゆ、夢の国だわっ!」

 

 オカンは舞い上がった。

 幸か不幸か、やはりオカンは筋金入りの天然だ。


 もうフィーリアが異世界人だとか、そんなことはどうでもよくなったらしい。


「行きたいわ、フィーちゃんの世界!」

「はい! ご案内いたしますですぅ」

 

 あっという間に出自問題も解決してしまった。

 オカンは完全にフィーリアを受け入れたのだ。

 

 あまりに早い展開に、俺の方がついていけていない。

 オカンはもう一口水を飲むと、ウキウキしながら言った。


「まさかそんな国の方の親戚になれるなんてね! 人生いいことあるわぁ」

 

 これはもうしっかり訂正しとかないと、後々面倒だ。

 俺はオカンの目を見て宣言した。


「いいか。俺はフィーリアとは初対面だし、付き合ってもないからな。勘違いすんな」

「あら、そうなの……? しょぼぼん」

 

 オカンはあからさまに哀しそうな顔をする。


「付き合っちゃいなさいよ光一。こんなに可愛いし、いい子よ?」

「そういう問題じゃねえから」


「老い先短い母に、孫の顔を見せたいと思わないの!?」

「そういうところが重いんだよ……。孫は諦めろ」


「ああ、哀しいわぁ」

「フィーリアだって迷惑するだろ。それに今からアッチに帰るんだよ」

「あら、もう帰っちゃうの?」 

 

 彼女はフィーリアの手を名残惜しそうに、握った。

 

 こういうことは早い方が良い。

 オカンが騒ぎ出さない内に問題を解決すべきだ。


 俺は開いた3DLを、ちゃぶ台の上に突き出す。


「ほら、もう飯もお茶もしたろ。こん中に帰れ」

「……嫌ですぅ!」

 

 フィーリアは突然叫んだ。

 バタンと3DLを閉じて握りしめ、茶の間から隣の玄関へ逃亡する。


「ちょ、3DL返せ!」

「だ、ダメですぅ!」

 

 俺も玄関に飛び出した。

 外へ続く扉の開け方が解らないフィーリアは、それ以上逃げるところがなくて立ち往生していた。


「ったく、何やってんだよ」

「か、帰りたくありませんっ!」


「帰りたくないって……、アッチが実家だろ?」

「マスターはどうして、フィーリアをいじめるですかっ!」

「はあ? 意味不明なんだが」

 

 見兼ねてオカンも追いかけてきた。


「ちょっと光一、女の子をいじめるんじゃありません!」

「いじめてねぇよ!」


「帰りたくないって言ってるんだから、もういいじゃない」

「はぁ? 異世界のエルフだぞ、家にいられたら困るだろ。近所の目もあるし」

「ふ、ふぁ~ん!」

 

 絶叫泣き、再び。

 しかも今までにない音量で、全力で泣きじゃくる。


「ほら泣いちゃった! 光一のイケズ!」

「ま、マスターぁのイケズぅうう!」


「ああもう、うるせぇ!」

「うわぁああああああん!」

 

 俺が喋ると火に油だ。

 フィーリアは癇癪を起して、もう手がつけられない。


「よしよし、フィーちゃん」

 

 オカンがフィーリアをなだめる。

 そのおかげでなんとか、フィーリアを茶の間に回収した。


「グスッ、グスッ……」


 依然としてフィーリアはしゃくり上げているが、少し興奮が落ち着いて、話が出来そうな雰囲気になりつつあった。


 しかし慎重にやらねばならない。

 まったく女ってのは面倒だ。


「大丈夫か?」

 

 返事はしないが、フィーリアはコクンと頷いた。

 第一段階クリア、といったところか。


「いきなり本題だが、どうして帰りたくないんだ。お前の家だろ?」

「……重い、んです」


「は、重い? お前の体重か?」

「失礼よ光一!」

 

 オカンがすかさずツッコむ。


「フィーじゃありません……、周りです……」

「周りのヤツの体重か?」


「違いますぅ!」

「じゃあ誰のだよ!」


「……ッシャーですぅ」

「ッシャーって、何だよ? ワケがわからん」

「周りからのプレッシャーが重いんですぅうううううう!」

 

 どこもかしこも、夢も希望もない。

 異世界ですら、若者は憂鬱を背負っている。

 

 彼女は逃げ出したのだ、自分を縛る「世界そのもの」から。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る