第20話『暴れる冒険者』

「ちっ、どうもおかしい……」


 天幕に覆われた仮設の指揮所から海を睨むように見つめてケニヒスは不機嫌そうに舌を打つ。

 警邏庁長官、フリックス・フリントの幼馴染にして片腕であり、その目つきの悪さとべらんめえ口調でフリックス以上にとっつきにくいと言われている。


 元々常に眉間にシワを寄せている彼だが、今日はそれが一段と深く、口調も荒い。


「連中どこへ消えやがった?」


 誰に対して放った言葉ではない。周囲にいる彼を補佐する参謀や上級衛士たちも渋い顔をするだけでその問に答える者はいなかった。


 マリンリーパーの襲来に備え、夜明け前から待機していた警邏隊の衛士500名。


 海岸には肉食であるマリンリーパーをおびき寄せるための獣の躯。その周囲には油を染み込ませた藁が敷かれている。


 マリンリーパーが食事に夢中になっているところを火攻めにする作戦だ。


 だが昼過ぎになってもマリンリーパーは現れない。数万の魔獣の群れが忽然と姿を消してしまったのである。


 捜索隊は出しているがどこからも報告はない。


 現れないリーパー。戻らない探索隊。長い待機は衛士たちの中でも苛立ちが募っている。


「大将」


 ケニヒスはその場の一番の上座に座るフリックスを呼ぶ。


 ケニヒスとフリックスは幼馴染で、大将とは昔からケニヒスがフリックスを呼ぶときの愛称である。それは国の重職に着くようになった現在でも変わらない。


「すまん。大将に頼ることになるかもしれねぇ。どうも嫌な予感がしやがる」

「心得ている」


 ケニヒスの言葉に頷くフリックス。


 名目上ここの総司令官は彼だが、部隊の指揮を執るのはケニヒスをはじめとする閣僚たちだ。 


 警邏庁の切り札であるフリックス・フリントは不測の事態に備えてそこにいる。彼が動くべき事態は起こらない方が好ましい。このまま本陣の置物になっていれば重畳。


 そのはずだった……


 不安な時間が過ぎていく。そんな中、衛士達の中でざわめきが起こった。


 何事かと訝しむ彼らの前に若い衛士が天幕の中へと飛び込んでくる。


 汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔、返り血で染まった具足。それはひとりサバミコの町を脱出してきたシラベだった。


 手順を踏まず指揮所に乗り込んだシラベを周囲の衛士が取り押さえようとするが、それを止めたのがフリックスとケニヒスだった。


「構わん通せ」

「お前、サバミコ支局所属の衛士か? 何があった!?」


 シラベは遥か上官の前で片膝をつくと悲痛な声を上げる。


「報告します! リーパーの集団が川をさかのぼってサバミコの町に上陸! 現在住民を襲撃中です!」

「なんだと!? そういうことかっ!?」


 彼らが海岸で呑気に待ち構えている間に、マリンリーパーは彼等を素通りして護るべき民を襲っていた。


 受け入れがたい事態。ケニヒスは上司であり最も頼りになる友に向かって叫ぶ。彼は既に愛用の大太刀を背負い立ち上がっていた。


「大将!!」

「この場は任せる」

「あいよ!!」


 魔族を上回る身体能力を持つフリックスの戦力はこの場にいる全ての衛士を相手にしてもおつりが出るほどである。


 誰よりも早く、誰よりも強い。人の希望であり、英雄。それがフリックス・フリントなのだ。


 軽装で機動力に優れた精鋭の小隊がその後を追う。


「くそっ! 川だと!? なんで今までわからなかった!」


 声を荒げるケニヒスに、見張り部隊を統括していた上級衛士の顔は真っ青だ。


「すみません! 人員が足りず……マリンリーパーが川から現れたという報告はこれまでありませんでしたので……」

「……ちっ!」


 舌打ちするが彼を責めることはできない。


 限りある人員で海岸線をカバーするために無駄のない配置を求めたのはケニヒスだからだ。


 これまでリーパーは海の魔獣とされ、淡水の河川沿いに現れたという報告は無かった。そのため河川付近への上陸の恐れは無いとされ見張りを配置していなかった。


「結局、俺たちはまだまだ魔獣について何にも分かっちゃいないってことか。おいお前! 町にはどのくらいの数が入り込んでいるかわかるか?」


 シラベはただ真っ直ぐ本陣へ向かったわけではなく、より情報を掴むため、リスクを犯して川沿いを走ってきた。そこで彼は川を埋め尽くす程のリーパー群れを目撃した事を報告する。


「よし! よくやった!」


 ケニヒスはシラベを労うと、周囲に向けて声を張り上げる。


「これより我々は河川に侵入したマリンリーパー共を殲滅に向かう!! この場は放棄だ!! 撤収を急げ!!」


 ケニヒスの指示で慌ただしく動き出す警邏隊。だが、マリンリーパーの群れの規模が警邏隊の予想を遥かに越えていたことに気がつくのは、それから間もなくのことだった。



***



 河川敷ののどかな風景は無数のマリンリーパーによって不気味な鉛色に変化していた。


(こいつらがエルさんを……ラッテを……!!) 


 彩兼は憎しみをこめてそれを見つめる。これほど何かを憎んだことなどこれまで一度もない。譲治が死んだときは、加害者への怒りはあっても復讐を考えたりはしなかった。


 彩兼はポーチからマイクロ酸素ボンベを取り出す。マイクロ酸素ボンベにはつまみを回すと5秒後に圧縮空気を一気に開放する機能がある。マイクロ酸素ボンベが爆弾扱いされる原因になった機能だ。


 水中作業で人の手に余るものを動かしたいとき便利だろう? と譲治は笑っていたが……


 彩兼は手持ちのそれを全て河川にめがけて放り投げた。


 次々と水柱が上がり、すし詰めになっていた多くのマリンリーパーが圧死する。 


 それを見届けた彩兼は作業を始めるため、まだ生きているマリンリーパーにアンカークローを撃ち込んだ。



***



 一方、サバミコの町ではチョウタを中心に町の人間が集まって決死の防衛戦が展開されていた。地の利を活かして最初こそ優勢だったが、次から次へと現れるリーパーに対して次第に疲れも見え始め逆に追い込まれる形となっていった。


「よし! あの集団を路地に誘い込んで挟み撃ちだ!」

「おい! ロニンの奴が喰われてるじゃねぇか!?」

「あいつ何やってんだよ!?」

「くそっ、こいつらビビらなくなってきやがった」


 マリンリーパーは元々臆病で、最初のうちは反撃を受けると一目散に逃げていったのだが、今は反撃されても目を血走らせて襲ってくる。血の匂いが町中に充満したことで興奮状態にあるようだ。

 襲いかかってくる大量のマリンリーパーに、今ではチョウタ達の方が気圧されてしまっている。


「がんばれ! 弱ってる所を見せたら狙われるぞ!」


 彼らの中心に立つチョウタだったが。斯く言うチョウタもその顔は汗と返り血で汚れ、何百回と重い鉄の剣を振るった体は披露困憊。集中力も途切れかけている。


(本隊からの救援はまだか……シラベ)


 一緒に戦ってきた町の連中の体力もそろそろ限界だろう。

 エルとラッテが殺されて熱くなり、怒りに囚われた結果、相手の戦力を見誤って犠牲者を増やすことになってしまった。


(俺のせいだ。俺がみんなを煽動したから……)


 悔やむチョウタ。だがに既に包囲され既に身動きが取れない状態。


「ちょーさん! 危ねぇ!」

「しまった!?」


 仲間のひとり、漁師のネッドが叫んだ。チョウタの死角から一匹のマリンリーパーが現れ彼に向かって飛びかかる。しかし疲弊したチョウタの体は鉛のように重くその動きは鈍い。


 鋭い牙を持った顎がチョウタの首筋に迫ったそのとき、マリンリーパーは空中で何かに掴まれて明後日の方向へと引き寄せられていく。


「な、なんだ?」


 チョウタがそれを見上げた先、1軒の建物の屋根の上に捕らえたマリンリーパーを手にした首の無い不気味なシルエットが見えた。

 チョウタはその姿に見覚えがあった。あのニッポンジンだ。


「あ、アヤカネ君!?」

「あれが!? ミスター・アヤカネ!?」


 チョウタとネッドが声を上げ、他に戦っていた町の面々もその異様に唖然とする。

 屋根から飛び降りる彩兼。それは着地というより落下する言ったほうがいいだろう。クライミングサポートアームは地上30メートル程度からの落下ならば確実に装着者を保護する衝撃吸収性能を持つ。

 背中から落下した彩兼は転がるように起き上がってチョウタ達と合流する。


 ヒーローの登場にしてはあまり格好の良い姿ではなかった。


「遅くなりましたが手伝います」

「な、何やってるんだいアヤカネ君!」


 てっきりルワと一緒に防獣壕に避難しているものだと思っていたため、チョウタは驚いて声を上げる。彩兼は異国からの大事な客人であり、無事にマイヅルから来る向かえの使者に引き渡すこと。それが彼の任務なのだ。


 ところが当の彩兼はどこかで勝手に暴れていたようで、シラベが残していった矛を手にしている。クライミングサポートアームのカーキ色のボディはマリンリーパーのものとみられる血で汚れていた。


「川にいた連中を始末してました。死骸を集めて誘導できるかと思ったんですが、そう上手くは行かなかったようですね」

「そんなことをひとりでやっていたのかい!? 無茶だよ!」

「無茶は冒険者の嗜み」


 仲間の死骸でも食べる習性のあるならばうまく誘導できるかもしれないと、死骸を土手の下に山積みにしてみたのだが、残念ながら効果は薄かった。


 彩兼も集まりが悪いことから早々に見切りをつけ、町の様子を見に来たのだが、どうやらリーパーはより下流から水路を伝って町の中へとに侵入していたらしい。


 もしかしたら大量のリーパーの死骸を集めた彩兼の行動は、むしろリーパーを恐れさせる結果となってしまったのかもしれない。


「俺が退路を開きます。チョーさん達は避難してください」

「いや、君を置いては行けないよ!」

「いいからいいから」


 彩兼は持っていた矛をいったん地面に突き刺すと、先ほど捕らえたマリンリーパーを群れの中心めがけて思い切りぶん投げた。


「ファイト一発!!」


 クライミングサポートアームのパワーアシストによって投げられたマリンリーパーは砲弾のような勢いで進み、数匹を巻き込んで固いレンガの壁に当たって弾けた。


「……それが君の本当の力なのかい? アヤカネ君」 


 その威力に驚くチョウタ。その声は少し震えている。最初に彩兼に矛を向けたとき、彼もあのリーパーのように森の木に叩きつけられていたかもしれないのだ。


「まさか、ただの機械の力ですよ。それに結構無理してるんであんまり長くは持ちません」


 ケイン・ブースト。ここ一番で力が必要な時に備えた、クライミングサポートアームのリミットブレイク機能である。瞬間的に大きな力を得られるが、身体機能以上の力を上乗せするため、彩兼の肉体にも負荷がかかるのが欠点だった。加えてバッテリーの消耗も大きい。


 彩兼はアンカークローを飛ばし、またリーパーを捕らえると今度はワイヤーに繋いだままモーニングスターのように振り回してリーパー達を薙ぎ払っていく。これには暴走しているリーパーの中にも逃走を図るものが現れる。彩兼はそこに散々振り回してズタボロになったリーパーを投げつけた。


「な、なんなんだあいつ……」

「ひでぇ……」


 瞬く間に数を減らしていくリーパーの群れ。その様子を驚愕の顔で眺めているチョウタと町の人達。


「素敵……」


 約一名、場にそぐわない目で彼を見つめる者もいたが……


「今のうちに離脱してください。俺はもう少し暴れてから行きます」

「わ、わかった。助かったよアヤカネ君」


 流石に心配するだけ無駄と思ったのか、彩兼を残して撤退していくチョウタ達。彩兼の姿にに釘付けになっているネッドも引きずられていく。


 町民のひとりが彩兼に振り返って聞いた。


「なぁ、君は何者なんだ?」


 彩兼は頭部のカバーを外すと答えた。


「鳴海彩兼。冒険者さ」



***



「ふふ、"ここは俺に任せて”か、まさか現実に言う日がくるとはね……悪くないな」


 地面に突き刺していた矛を手に取る彩兼。

 対人用としてはあまりに無骨で洗練されていないと思っていたが、彼らの武器はこういった化け物に対抗するためのもだったのかと納得する。


「どっせい!!」


 重量ある矛を一振りするだけで数匹まとめて千切れ、飛ばされ、叩きつけられる。

 圧倒的とも言える力を見せつける彩兼だったがその表情に余裕は無い。

 バッテリーの残量は残り少なく、背中から肩、肘、手首はケインブーストの影響で疲労している。

 しかし彼の奮戦も虚しく後から後からリーパーは湧いてくる。


「……潮時か」


 新たな集団が出現したのを見て、自身の撤退を決意する彩兼。とはいえ彼はチョウタ達と一緒の防獣壕へ入るのではなく、町を脱出してアリスリット号へ戻るつもりだ。


 河川にはまだ多くのマリンリーパーが残っている。それらを一気に殲滅する手段がアリスリット号にはある……


 矛を手にしたまま町の外へと走る彩兼。その眼前に一際大きなリーパーの集団が見えるが、彩兼はそのまま走り続ける。そして接敵の瞬間矛を地面に突き立て、棒高跳びの要領で空中高く飛び上がった。リーパーの群れを飛び越えて、町の入口付近まで数十メートルを滞空する。


「エアバック!」


 空中でノブを引く。破裂音がしてクライミングサポートアームに備えられていたエアバックが作動。そして落下。


 エアバッグは想定通りの性能を発揮し、彩兼は軽い衝撃を受けただけで無傷だった。


「ありがとうな」


 エアバックが開いたクライミングサポートアームを脱ぎ捨てる。勿論、後で回収するつもりだ。


 町の出入り口へ彩兼は走る。


 行く手を阻むマリンリーパーを勢いに任せて蹴飛ばし、踏みつけ、飛び越えて彩兼は走る。


 門まであと少し……


 その時だ。腹の底から響くような何かの声が街中に響き渡った。

 

 グォォォォォン!!!!!


「なんだ? 遠吠え?」


 獣の咆哮のように聞こえたがそれにしては大きすぎる。


 足を止め周囲を見回す。


 そこへ門からマリンリーパーが集団が侵入してきた。


「やばっ!?」


 すでに武器を失い対抗する術はなく、彩兼はそれに飲み込まれた。

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