第14話『魔王×王子』
森の中を進み海から見えた町を目指す彩兼。
鬱蒼とした木々の間をしばら進んで行くと、岩場から湧き出す泉を見つけた。
「やった! これも日頃の行いだな!」
早速、その場で一休みすることにする。
クライミングサポートアームを外し、ウェットスーツも脱ぎ捨てて素っ裸になり水で塩を洗い落とす。水は冷たかったが、高揚し火照った頭と体には心地よい。
(きもちいい……生き返るな)
さっぱりしたところで身体を拭いて服を着ようとしたとき、森の奥から草木を踏みしめ何者かが近づいてくる気配を感じる。
(動物か? いや……)
わずかに金属が当たるような音がする。近づいてくるのは恐らく人だ。それも武装している可能性が高い。
彩兼は荷物を纏めると、岩陰へと隠れる。
うまくやり過ごせればそれでよし。見つかっても水浴びしてましたと正直に開き直ればいい。それでトラブルが起こるとすれば仕方がない。
それでも自衛の用意はしておくこしたことはない。
クライミングサポートアームに装備されている射出式ワイヤークローは強力な武器になるが、堅い岩にも打ち込めるほどの威力があるため、人に対して使うのは危険すぎる。
彩兼は音をたてないよう、慎重に左腕のアンカークローの先端部分を外すと、代わりに小さなスタンガンを取り付ける。
テイザーガンとなった左腕だけ腕に嵌めて、息を殺して様子を伺う彩兼。
だが、彩兼が向こうの姿をこ確認するよりも早く、木々の向こうから声がした。
「ふむ。先客がいたか」
落ち着いた低めの男の声だ。
「警戒することは無い。俺も少し水を飲みに来ただけだ」
どうやら彩兼の存在はすでに気づかれていたようだ。
こちらの様子を見透かしたかのように、真っ直ぐ岩陰に潜む彩兼に向けて語りかけて来る。
(どうやってこっちを? いや、その前にこれじゃ出るに出られないし)
素っ裸の彩兼はすぐに出ていくこともできず、仕方なく彩兼は隠れることを諦めて声がした方向に向かって返事を返す。
「すみません。水浴びをしていたもので……」
「ふむ。そのようだな」
声はすぐ背後からした。
驚いて振り返る彩兼。そして凍りつく。
魔王がいた。
独特な存在感から年齢は判断しづらいが、おそらく20代半ばくらいだろう。長い黒髪を後ろで束ね、背は彩兼より頭ひとつ分くらい高い。美形と言って間違いない顔立ちだが、その目は視線一つで人を切り裂けそうな程に鋭い。
背中には巨大な太刀。黒光りする具足には精緻な装飾が施され、男が高い立場にいることが伺える。
(父さん、母さん、弥弥乃! 俺、こんどは魔王に会っちまったよ!)
魔王。少しも言い過ぎだとは思わない。それだけの存在感が彼にはある。実際彩兼はその男と目があっただけで、心臓を冷たい杭で打ち付けられたかのように動けなくなってしまったのだから。
「驚かせてすまない」
彩兼の心境を察したのだろう。魔王は彩兼にそう詫びると、静かな口調で語りかける。
「見ない顔だな。このあたりに住んでいる者か?」
「い、いえ。旅をしている者ですが、泉を見つけたので水浴びをしていたところです」
「そうか。このあたりには人を襲う獣も生息している。気をつけることだ」
「は、はい。ありがとうございます」
当たり障りなく答える彩兼。男は特に疑問を持たなかったようだが、その視線は彩兼を捉えたままだ。
「いい身体をしている」
「なっ!?」
予想外の言葉に声が裏返ってしまった。
(この男、そういう趣味なのか!?)
男子が圧倒的に多い水産高校に通っていたこともあり、これまでそういった趣味を持った連中の視線を感じたことは幾度かある。
もちろん、実際手を出されたことは無い。視線もいつの間にか消えていた。
だがそれは、彩兼の知らないところで悪い虫を排除していた健気な騎士がいたからだ。
今、この場に彩兼を護る騎士達はいない。
しかしだ。腐らせないことを誓いに立てていた彩兼の親衛隊の少女達は、今この状況でも誓いを護ることができただろうか? 魔王×王子の誘惑に抗えただろうか?
「女のように細いにもかかわらず、均整の取れた美しい筋肉の付き方だ。良い鍛錬を積んでいるようだな」
尤も、男はただ本心から彩兼の身体つきを褒めたかっただけのようだ。とはいえ、緊張から解放されたわけではない。
「ど、どうも。お粗末なモノをお見せしまして……」
「謙遜することはない」
「ど、どうも」
とはいえ、かつてない身の危険を感じた彩兼。濡れた体を拭くこともほどほどに、そそくさとパンツを穿いて、シャツとジーンズへと着替える。
ウェットスーツはざっくり絞ってから防水パックに詰め込んで、アイテムいっぱいのベストの上からクライミングサポートアームをしっかり身に纏う。
(見られてる……めっちゃ見られてる。やばいやばい……)
彩兼が着替えている間、男は片時も目を離すこと無くずっとそれを眺めている。
この男は気配を一切立てずに一瞬で岩を迂回して彩兼の背後に立って見せた。間違いなく戦闘のプロであり、男がその気なら命を奪うことも、それ以外の何かを奪うことも簡単だろう。
抵抗は無意味。そう思わせるのに十分なオーラを男は纏っている。
「あの……。何か?」
「……まぁ、気にするな」
「気にしますって!」
そうこうしていると、森の方から挂甲武人埴輪のような具足を身に着けた衛士が現れる。数は3人。
彼らは男の存在に気が付くと整列して姿勢を正し敬礼する。
彩兼の予想通り、男は高い身分にいるらしい。
「長官。こちらにおいででしたか」
「ホワール士長か。いいところに来た」
「どうかなさいましたか?」
現れた3人の中のリーダー格であるホワール士長。この場にいる誰よりも年嵩で、ベテランの下士官を思わせる風貌である。
ちなみに士長というのは彼らの階級で下から4番目辺り。日本の警察で言えば警部補といったところで、将官の補佐や小隊以下の分隊長などを行う。
ホワールを始め衛士達は岩陰の彩兼に気が付いて驚いて声を上げる。
「長官! なんですかこいつは!?」
「魔獣か!?」
「なんと面妖な!?」
その様子に嘆息する彩兼。
(しまった……貞操の危機を感じてついフル装備で着込んでしまった……)
このクライミングサポートアームのボディアーマーのデザインはどうやらこの世界の人間には理解されないらしい。
しかし、ここにいる長官と呼ばれた男は彩兼がクライミングサポートアームを身に着けるところをずっと見ていたはずだ。
男の証言を期待する彩兼だったが、男はまるで悪戯でも思いついたかのように一瞬わずかに口元を緩ませると部下に命じた。
「どうやら新種の魔物のようだ。駆逐しろ」
「ちょっとまって! ストップストップ!」
「こいつ喋った!?」
「気にするな。やれ」
何とか敵意が無いことを伝えようとする彩兼だったが、男はそれを一蹴するように部下に彩兼の討伐を命じる。
(なんでこうなるんだよ……)
とはいえ4対1では勝ち目は薄い。特にあの男はやばい。
だが幸い、男は全て部下に任せる気でいるようで、衛士達も男の手を煩わせるつもりはないようだ。
(この3人だけならなんとかなるか?)
「相手は得体が知れない! 三方向から一斉に行くぞ!」
ホワールが中心に立ち指示を出す。
「や、作戦を相手の前で言うもんじゃないよ」
彩兼はホワールに向けて容赦なくテイザーガンを向ける。
「ウミヘビ!」
「げぶるっ!?」
その先端は具足に守られていない肩口に命中し、その衛士は電流を受けてひっくり返った。
ワイヤーを巻取り収納する。テイザーガンは電力を食うのでこれで打ち止めだ。
「借りるよ」
よくわからない攻撃でホワールが一撃で倒された驚く衛士達。それを尻目に彩兼は素早く彼が落とした武器を拾う。
その矛はトップヘビーでかなり重く、扱うには相応の訓練が必要だろう。素人が適当に振り回せば腕を壊しかねない。しかしそれを補うのがクライミングサポートアームである。
彼らの矛は正しく突いて使えば恐ろしい凶器だが、振り回すならただの鈍器だ。
「さあ、来いよ! チャンバラは日本人の嗜み!」
矛を振り回し、衛士2人を相手にチャンチャンバラバラ始める彩兼。持ち前の反射神経と、補強されたパワーに任せて矛を振り回し、互角以上に渡り合う。
元々矛は突き通すための武器だが、彩兼は彼らを傷つけるつもりはない。
彼らの持つ矛を上から打ち付けてそれを叩き落とし、柄で胴や脛を打って瞬く間に2人を倒すと、三国志に出てくる武将のようにくるくると矛を回して格好よくポーズを決めてみたりする。
「ほう。やるな」
男はその様子を手を出すことなくそれを眺めていた。その姿は完全に悪の組織の大幹部そのもので、部下が苦戦していても余裕のある表情でどこかそれを楽しんでいるようにも見える。
とんだドS上司だ。
「おのれ! よくも!」
それは最初にテイザーガンで気絶させたはずのホワール士長。彼は起き上がると、腰に差していた鉈のような剣を抜いて斬りかかる。
反射的にそちらを向く彩兼。
まだ痺れがのこっているのだろう。足元はふらつかながらも、鬼気迫る形相で迫る彼のその気迫に押されて彩兼の判断が遅れた。
そのわずかな遅れが、避ける、逸らす、受けるといった数ある選択肢を選ぶチャンスを奪う。そして気が付けば彩兼は自らを守ろうとする本能のままに手にした矛を向かってくる衛士に向けていた。
(やばっ!)
矛先はまっすぐホワールに向けられ、このままでは彼は串刺しだ。だが矛を逸らせば彩兼が攻撃を受ける事になる。
結局、彩兼は矛先を僅かにずらす。
それがホワールの胴を守る具足を掠め、破片が飛び散るが、彼はそれに構わず自らの間合いに入ると手にした剣を振り下ろす。
ボディアーマーの性能を信じて衝撃に備える彩兼。だが、その瞬間は訪れることなく、頭上で金属が打ち合わされる音が響いた。
見上げてみれば横合いから伸びた巨大な太刀が衛士の剣を受け止めている。
「そこまでだ」
その太刀はずっと様子を見ていた男のものだった。
片腕のみで太刀を無造作に彩兼の頭上に繰り出し、少しもぶれることなく衛士の剣を受け止めるとはなんという腕力だろう。
(助かった? この人もファルカみたいな魔族なのか? それとも本当に魔王?)
「長官!」
「下がっていろ」
男に窘められ、ホワールも剣を引く。
「試すような真似をしてすまなかった。俺はルネッタリア王国警邏庁北方本部長官のフリックス・フリントという。お前は?」
聞きなれない肩書きではあるがその意味はなんとなく理解できた。
一般では警邏隊と呼ばれているそうだが、ファルカから警邏庁というこの国の治安維持組織のことを聞いていたからだ。
フリックス・フリントはその長であり、また決してお飾りでは無いだけの実力とカリスマを持ち合わせていることが、部下である衛士達の態度から伺える。
彩兼は矛をその場に捨てると、ボディアーマーと一体化されたフード状のヘッドカバーを外す。
「熱烈な歓迎、誠に痛み入りますフリント長官。俺は鳴海彩兼。日本人です」
「ニ、ニッポンジンですって!?」
「そうか。……なるほどな」
妙に納得した様子のフリックス。ホワールの驚く様も尋常ではなかった。
「俺が日本人であるとなにか問題でも?」
「まあな。だが、それにはまず彼女に事情を聞くとしよう」
彼が視線の先、そこから楽しげな話し声が聞こえて来たのは間もなくのことだった。
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