第9話『人魚姫は力持ち』

 会話に夢中になり、お菓子と飲み物の用意が途中だったことを彩兼は思い出した。

 

「そういえば、お茶も出さずに悪かったね」

「あ、お構いなく」

「いやいや、そうはいかない」


 意外と謙虚なことを言うファルカだったが、何も出さないとあっては船長として名折れである。彩冷蔵庫を開ける彩兼。


 ゲストが乗船することを想定していない航海だったためにあまり上等なものは積んでいないが、氷を入れたグラスにレモンティーを注ぎクッキーを盛り付ける。


「口に合うかわからないけれど、どうぞ」

「わぁ、ありがとう」


 最初は遠慮していたファルカだったが、タコに襲いかかるくらい腹が空いていたことと、見たことのない飲み物と菓子にすぐに興味を示した。


「うわ、綺麗なコップ。それに冷たい……うん! 美味しい!」


 レモンティに口を付けたファルカ。どうやら口に合ったようだ。メロウといえど味覚は人間と変わら無いようだ。


「アヤカネ。これ、氷だよね? ニッポン人って魔法が使えるの!?」


 ファルカはグラスに入った氷を見て言った。


「いや、それは機械で作ったもので魔法じゃないよ。魔法で氷は作れないのかい?」

「うーん。あたし達は海の水を凍らせることはできるけど、普通の水はできないよ」

「へえ、そういうもんなんだ」


 ファルカの話だとメロウ族が操れるのは海水に限定されているようだ。


「ニッポン人すごい。お菓子も美味しい……」

「喜んでもらえて良かったよ」


 にこにこ顔でクッキーをもぐもぐしているファルカに彩兼顔もほころぶ。クッキーも気に入ってくれたようだ。


「ニッポン人って機械の精霊と友達なんだね。なんだ。ニッポン人って魔族だったんだ」

「いや、それは違う……」


 ファルカの勘違いを訂正するために、彩兼は自分が暮らしてきた地球社会を説明する。


 しかし、ファルカは話の内容に驚いたりはしているものの、どこか御伽噺を聞くかのような反応を見せるだけだった。逆に彼女からこの世界のことを聞いてみると、やはりここは地球ではなさそうである。


 まず公用語は発音が異なるものの英語だが、ファルカは英国も米国も知らなかった。それどころか、彼女の語るこの世界では人の住む国はわずかな数しかないという。


 そして魔獣や魔族の存在についてだ。


 魔獣とはその名の通り、魔族と同じく魔力によって変化した獣のことで、この世界の人や魔族では手に負えないほど強力なものもいるらしい。よって人はそれらから逃げるように分布して現在に至るとのこと。


「魔力による変異種。魔獣の存在か……」


 そこで疑問が生まれる。そもそも魔力とはなにか?


「アリス、船外の放射線量を測定」


 生物を怪物に変化させる因子として真っ先に思い浮かぶのは放射線だ。某怪獣王のせいである。


『船外放射線量、0.28ミリシーベルト。人体に影響はありません』

「基準値以下か……人類がまだ知らない因子であると考えたほうが良さそうだ」


 ファルカは彩兼が何を考えているのかが分からずきょとんとしている。


「アヤカネがいたチキューでは魔獣もいないの?」

「いたかもしれないけど、人を脅かすほどじゃなかったんだろうな。それに魔族や魔獣を生み出した魔力ってのが何かがわからない。魔法もファルカにさっき見せてもらったのが初めてだったしね」


 彩兼には魔力とやらを観測する手段がない。よって、地球にもそれがあったのかどうかがわからないのだ。


「あれ? でも、アヤカネ、最初にあたしを人魚(マーメード)って呼んでたよね? それにエルフもドリアードも知ってるみたいだし。どうして?」

「ああ、それはね。物語や伝承ではよく登場するからさ」


 彩兼はタブレットPCを持ってくると、アリスリット号のメインコンピューターに繋いで人魚に関連したデータを呼び出す。


アリスリット号には世界各地の神話や伝承に語られる幻獣や亜人、神、悪魔、UMAなどの情報がまとめられている。


 何故そんなものがあるのかといえば、旅の途中で万が一それらに遭遇した場合を考えていたからだ。


(まさか、本当に役に立つ日が来るとは思わなかったけどね)


 幻想世界辞典と美麗なイラストで飾られたトップページを開く。作ったのは母親であるティーラだ。


 人魚とは。


 抵抗の大きい水中で活動する人魚は筋力、持久力、肺活量が人以上であり、極めて強靭な肉体を持っていると推測される。長時間水中にいても体温が低下しないなど温度変化にも強い。

 これらの特徴は、歌声を遠くまで響かせる、屈強な猟師を海に引きずりこむ、可憐な少女が大の男を海で救助するなどの伝説や物語と一致する。即ち人魚はファンタジー界でも屈指のパワーファイターである。


(パワーファイター? なんの冗談だよ母さん)


 ファルカの華奢な肩をチラ見して内心ため息をつく。


「また考え込んでる。大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ。ほら、これを見て」

「なになに? うわぁ!」

「う、近い……」


 タブレットをのぞき込んで歓声を上げるファルカ。彩兼に密着する形だが全く気にする様子はない。


(異性を気にしないのか? 裸に近い格好でも平気みたいだし、後で羞恥心に乏しい種族って書き足しておこう)


 ファルカと一緒に添付された画像を眺める。


 デンマークにある人魚像の写真。アンデルセン童話を元にした世界的名作アニメーション。日本の人気コミックに登場するキャラクター。その他、絵画や投稿サイトで拾った絵師によるイラストなんかもある。


 だが、最初は物珍しげにそれらを眺めていたファルカだったが、しばらくすると不機嫌そうに声をあげた。


「なによこれ。気持ち悪い!」

「どうしたの急に?」

「だっておかしいわよこんなの。ニッポンの人魚ってこんな変な種族なの!?」


 最初は漫画的にデフォルメされた絵が気に入らないのかと思ったがそうではないようだ。写実的な絵や芸術を容赦なくディスり始める。


「まぁまぁおちついて。全世界の信者に睨まれちゃうから!」


 だが、ファルカの気は収まらない。岩場に腰掛けて海を見つめる人魚像の写真を指差して、ファルカは目を吊り上げる。


「だって体折れてるじゃない! ニッポン人はあたし達をなんだと思ってるの!?」

「や、これを作ったのは日本人じゃないんだけど……」



***



 ファルカが広い場所を求めたので、リアデッキへと移動する。ファルカはその場で横になると下半身が変化させる。変幻メタモルフォーゼだ。


 白い美しい鱗と、白い肌、金色の髪。人が空想した人魚姫の姿そのものだ。だが、ファルカはその姿で、まるで陸揚げされた活きの良い魚のようにリアデッキで跳ね回り始めた。


 幻想的な美しさの全てが台無しだった。


「ファルカさん? 何してますのん?」

「何って! あの絵の中の像みたいにやってみせてあげようと思ったのよ!」


 どうやらファルカは、岩場に腰掛けて海を眺める人魚像の姿を実際に再現しようとしていたらしい。


「ほ、ほら? わかった?」

「ああ、納得したよ」


 そして彩兼はまたひとつ理解した。


 それは人魚の体の構造が地球で考えられているものと根本的に違うのである。

 ファルカの尾びれは体に対して横に広がっていることから、おそらく下半身の作りはトドやイルカに近いのだろう。

 その下半身が人の足のように曲がるはずがない。浜辺や岩場で腰掛け優雅に海を見つめるポーズなんてできるはずがないのだ!


 ファルカが地球の人魚の登場作品を見て、体が折れてる、気持ち悪いと言ったのも無理はない。人だって、体があらぬ方向に曲がっていたら気持ち悪いと感じるだろうから当然だ。


 ファルカも疲れたのだろうか? しばらくしてうつ伏せになったまま大人しくなった。


「なんというか、地球人類を代表して謝る。ごめん」

「……わ、わかればいいわよ」


 うつ伏せのまま何やらもがいている。体勢的に苦しいらしい。


 大きく発達した下腿の先には熱帯魚のように優美な尾鰭。それが邪魔で体位を変えるのに手間取っているようだ。


 人の足になればいいのではないかと思ったが、人魚の姿をもっと見ていたかったのでそれを言わずにいる彩兼。


「大丈夫? 手を貸そうか?」

「うん? ありがとう」


 もちろんファルカの変幻メタモルフォーゼした下賜に触る口実である。


「……この変幻メタモルフォーゼってのも魔法なんだよな?」

「うん、そうだよ?」

「ふむ……」


(骨格どころか内蔵の配置まで変化してるだろこれ……質量も倍くらい増えてる。どこからでてきたんだ? 水を操るのもすごいけどこっちは次元が違いすぎる。これが魔法……?)


「ねえ、変幻メタモルフォーゼって結構体に負担だったりする?」

「そんなことないよ? 寝てる間に変わっちゃうこともあるくらいだからね。精霊を使って海の水を扱うほうが難しいかな? メロウはそれを小さい頃から練習してようやくできるようになるんだよ?」


 ファルカ達メロウにとって変幻メタモルフォーゼより精霊との交信の方が難しいのだという。


「ふぅむ……」


 考えるだけで気が狂いそうになる程の疑問が生じる。彩兼はその辺は一時保留することにした。


 白い鱗に触れてみる。鱗は実は雲母のように半透明なようだ。触った感じ軟質で、人肌と同じくらいの温もりを持っていた。


「ひゃ……っ」


 ファルカが小さく声を上げる。


(感覚がある? 鱗にまで神経が通っているのか)


 尾鰭に気をつけて仰向けにする。その下半身はずっしりと重量感があり、発達した筋肉の塊であることが伺える。メロウというのは見た目の美しさからは想像もできないほど強靭な種族なのは、どうやらティーラの想像通りであるようだ。


「これでいいかい?」

「あ、うん。……ありがと」


 そのとき、ファルカの頬がほのかに朱に染まっていたようだが、彩兼は気がつかなかった。考えていたのは他のことだ。


(そういえば引き上げるときも引き込まれそうになったっけ)


「ファルカ? ちょっといいかい?」

「う、うん? なぁに?」

「いや、ちょっと実験。やましい気持ちはそんなに無い」


 女の子に触りたいというやましい気持ちは少しはある。人魚の鱗にもっと触れて間近で観察してみたいという好奇心はもっと強い。


 だが、今気になるのは、自分は彼女をお姫様だっこできるだろうか? というものだった。


 今のファルカの体長は彩兼の身長を遥かに上回っている、頭から尾鰭の先まで2メートル以上あるだろう。

 実際体長2メートルクラスの魚だとその重さは150キロから200キロくらいあって普通だ。ファルカの場合半分は人だからそこまで重くはないのだろうが、それでも100キロは軽く超えていることが予想できる。


「ちょっと失礼」

「え? きゃっ!?」


 ファルカの背中と下腿に手を回すと持ち上げようと力を込める。


「せーの、よいっしょ!」

「あっ……ぁん! ひゃっ! きゃはは! くすぐったい! くすぐったいってば! アヤカネ!」

「ぐぬぬぬっ!」


 思った通り相当重い。残念ながら彩兼の力ではお姫様だっこは無理のようだ。


「ち、ちょっと! 動かないで……だめだ……重い」

「ちょ!? もう! 失礼ねっ!」


 頬を膨らませたファルカが彩兼を突き飛ばす。白く細い腕から繰り出されたとは思えないほど強い力だ。


「わぁぁぁっ!?」


 彩兼はバランスを崩して手すりを越えて、彩兼は海へと落ちてしまった。


「そして人魚姫は力持ち……流石だよ母さん……ブクブクブク」


 冷たい海に浸かりながら、彩兼は母の考察が間違ってないことを認識したのだった。

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