第8話『それは未知への冒険』

「アリス、セキュリティを解除。それからゲストを設定。名前はファルカだ」

『セキュリティシステムが機能していません。本船は搭乗員の脅威に対して無防備な状態となっています。……新規のゲスト登録が完了しました』


 人工知能特有の文言の後、無事ファルカのゲスト登録が完了する。

 これによってアリスはファルカ客として認識し、言葉に返事を返すようになる。


 彩兼は重たいハッチを開くと、執事が主を迎え入れるかのように、背筋を伸ばし優雅に腰を折る。

 特別フェミニストを気取るわけではないが、女性への礼儀は冒険者の嗜みとして叩き込まれていた。譲治曰く、現地の女性の信頼を得ることは言話を覚えるより重要なことらしい。


「ようこそアリスリット号へ、ミス、ファルカ」

『ようこそファルカ様。本船は貴方を歓迎いたします』


 ファルカが驚いたように周囲を見回す。


「……アヤカネ? ここには他に誰かいるの?」

「ああ、この船が喋ってるんだよ。……ああ、そうだった。アリス、言語をEnglishに変更」

『Englishに変更しました』

「すごい! ニッポンのお船って喋れるんだね!」

「ははは、すごいだろ。アリス、ゲストに自己紹介を」

『はじめましてファルカ様。ようこそアリスリット号へ。私のことはアリスとお呼び下さい』


 アリスの言葉は英語でも聞き取りやすく設定されている。ファルカも発音に違いはあれど理解できたようだ。


「よ、よろしく。アリス」

『よろしくお願いします。ファルカ様』

「い、いえいえこちらこそ……アリスさん?」


 やはり文明から切り離された世界に生きてきたのだろう。ものが喋ることにファルカは相当驚いているようだ。

 彩兼に対しては最初からタメ口だったファルカだが、アリスに対してはなにやら低姿勢で、おっかなびっくりといった感じでハッチを潜り船内へと足を踏み入れる。

 こうしてメロウ族の少女ファルカは、アリスリット号の栄えある初ゲストとして乗船することになったのだった。



***



「これが、ニッポンのお船……」

「狭くて悪いけれどね」


 アリスリット号は一般のプレジャーボートに比べて船体の大きさ割に中は狭い。形状が特殊な上に譲治が思いついた機能や発明品を、何でもかんでもとにかく積み込んでいるせいである。


 船体中心にはリビングがあり、温かみのある木目調の縦長のスペースに、簡易キッチンやテーブル、ソファー、観葉植物が固定されている。


 ファルカにソファーへ座るよう促すと、彩兼はお菓子と飲み物を用意を始める。


「うわぁ、ふかふか……」


 ファルカはソファーの座り心地に満足しているようだ。。

 本当は体についた塩を落として欲しいところだが、客にそんな野暮を言うつもりはない。

 それに不思議なことに、ついさっき海に入ったはずなのに彼女の体は濡れている様子がなかった。長い髪の毛もすでにサラサラに乾いている。

 しかし彼女が纏っているボロ布の方はじっとりと海水を含んでいた。


「あ、ちょ、ちょっとまってね!?」


 ファルカは衣服が濡れたままなことに気がついたのか、あたふたとまるで埃を落とすかのように叩き始めた。


(塩でも落としてるのかな?) 


 できればあまりやらないで欲しい彩兼である。後で掃除が面倒だからだ。


「気にしないで寛いでくれていいよ。よかったらシャワーを貸すけど?」


 それに今更だが、ファルカの格好は刺激が強すぎる。なんといっても下着をつけていないのは大問題だ。

 スタイルが良くて可愛い女の子と2人きりの状況とあってやはり意識してしまう。


 ちなみに影で王子と呼ばれ女子に人気があった彩兼だが、これまで女の子とつきあったことは無い。もちろん未経験である。表面上、紳士ぶってはいるが実は心臓ドキドキなのだ。


 着替えを貸そうかとも思ったが、弥弥乃やティーラの服ではサイズが合わないだろう。


(バスローブでも羽織っていてもらおうか?)


 何らかの措置は必要だろうと考えていると、ファルカの方から外に出たいと申し出があった。


「ねぇ、ちょっとお外に出てもいい?」


 ファルカの方は特別彩兼を意識している様子はない。単に手に持った何かを捨てたいようだ。


「それは?」


 見ると、ファルカの手のひらの上にピンポン玉くらいの透明な玉がある。それもなんだか微妙に動いているようだ。


「スライム?」


 彩兼は子供の頃に作って遊んだスライムを思い出した。「ゴケミドロが侵略を開始したのだー」と、満面の笑みの弥弥乃から青汁の粉末で染色されたゲル状物体を額にぶつけられたという、とても良い思い出である。


「違うよ。これはただの海の水。服が濡れたままだったから悪いと思って。……どうしたの?」


 それは衣服に染み込んでいた海水を集めたものだった。


 そっと指でつつくと確かに水なのだが、彩兼の指が濡れることはない。


「これどうなってるの?」

「どうって、あたし達メロウ族が海の精霊と友達だからだよ?」

「セイレイトオトモダチ?」

「うん。ほら、こんなこともできるよ?」


 掌の上で海水の形を四角や三角に変えてみせるファルカ。


「おおっ!」

「それにね」


 彩兼の驚く様子に気をよくしたのだろう。ファルカは自身の髪を少しつまんで水滴を指先へと持っていく。そしてその形態を鋭利な刃へと変化させて、毛先を撫でた。金色の髪の毛が僅かに切断されはらりと舞う。


「なっ!?」


 はっとして、ファルカの首から下げられたペットボトルを見た。海水がいっぱいに入ったそれを見て、彩兼は彼女がそれを欲しがった意味を理解して内心少し焦る。


(やばいものを持たせてしまったのかもしれない……)


 彼女にとって、海水は武器でもあるのだ。彩兼の脳裏に映画で見た液体金属で作られた殺人マシーンの姿が浮んだ。刃物にしたとしてどれほどの強度になるのかはわからないが、髪の毛を切断した切れ味をみるに、人を切り裂くことくらいは容易だろうと推察できる。


(わざわざ手の内を自分から晒すくらいだ。俺を害する気は無いんだろうけど、機嫌は損ねないように気を付けないとな)


 ファルカの手の中の水滴はキッチンのシンクに捨ててもらったのだが、ファルカの手から離れたその海水は普通の液体となってシンクに流れていった。


 恐る恐る舐めてみる。普通にしょっぱい。


「ファルカの身体や髪がもう乾いてるのってその力のせい?」

「そうだよ。陸に上がるとき身体に付いた海の水は海に返してるんだ。でも操れるのは直接触れてるところだけだから。まあ、普段は少しくらい濡れてても気にしないんだけどね」

「なるほど」


 どうやらファルカは、ソファーを濡らさないように気を使ってくれたらしい。


 ファルカの話では、海の精霊と友達であるメロウは、その力を借りて海水を自在に操れるのだという。だがそれは肌や髪の毛といった直接身体に触れる部分のみに有効なため、衣服は一部濡れたままになっていたというわけだ。


 力の規模や使い方は個人によって違うらしいが、メロウでは主に海水を固形物に変化させて、武器や道具として使うらしい。

 そして、ファルカはその力をこう呼んだ、魔法と。


「……それは未知への冒険」

「うん? どうしたの?」

「いや、こっちのことだよ」


 そこで彩兼はあることに気がついた。


「もしかして、あのタコ自分でなんとかできた?」


 海で襲われていたのを助けたつもりだったが、この魔法を使えば自力でなんとかできたのではないか?

 するとファルカは忘れていたことを思い出したかのような反応を見せた。


「ああ! お腹が空いたからあの子の足の先を少し貰っちゃおうと思ったの。そしたら意外と手強くて気がついたら結構沖の方まで出ちゃっててびっくりしたよ」


 ファルカの口から明かされる真実。襲われていたのはタコの方だった! タコは食われまいと必死で抵抗していたのである。


「……俺、余計なことしたのかな」


 しかし彩兼の言葉にファルカは頭を振る。


「殺すのは可愛そうだと思って振りほどこうとしてたけど、あのまま沖にいたら大型の魔獣に襲われていたかもしれないもん。だから助かったよ彩兼」

「はあ、魔獣に……ですか」


 人魚も魔法もあるならば、魔獣とやらもいるのだろう。彩兼は頭の中で巨大イカに襲われるファルカの姿を想像してしまう。


(おっといかんいかん!)


 慌てて不健全な妄想を振り払う。

 

(人魚がいて、魔獣がいて、魔法がある世界。もしかしたら、ここは地球のようで地球で無いのかもしれないな)


 人魚に魔法。そして魔獣の存在。流石にそれだけのものがこれまで未発見であったはずがない。

彩兼は自分が知ってる地球とは別の世界に来てしまった可能性を考える。


 星空や、太陽は地球から観測できるものと変わらない。しかし違う理がある世界。


 つまり、パラレルワールドだ。


「魔法って俺にもできる?」


 目を輝かせる彩兼にファルカは大きな目をぱちくりさせた。そして残酷な一言を告げる。


「無理」


 輝きが消えて硬直する彩兼。現実は厳しかった。


「魔法が使えたら人じゃなくて魔族でしょ?」

「……魔族?」

「うん。魔族。あたし達メロウや、エルフとかドリアードとか、魔法が使える種族のこと。ニッポンではそう呼ばないの?」


 それを聞いて今度は彩兼が目をぱちくりさせる。目に輝きが戻ってくる。


「エルフやドリアードがいるの!?」

「うん。学校の友達にいるよ。魔族っていうのは大昔に魔力で人が変化した種族のことで、魔力変異新人種。それで通称『魔族』。ニッポンにはいないのかな?」

「なん……だと!?」


 人魚、エルフ、ドリアード……この世界には地球で幻想とされてきた者達が存在する。それだけでも驚きなのに、彼等が学校に通っている。


 自分は今そんな世界にいる。


「天国か?」


 瞬きすらもわすれて期待に胸を膨らませている彩兼をファルカは不思議そうに眺めている。


「どしたのアヤカネ? おーい、アヤカネー? 戻ってこーい」


(母さん、弥弥乃、ごめん。心配してるだろうけど俺しばらく帰れそうに無い)


「アヤカネってば!」

「えっ? 近っ!?」


 気がついたらファルカの顔が間近にあった。


「どうかしたのアヤカネ? 大丈夫?」

「ああ、ごめんごめん。あまりに驚いたことばかりだったから少し考え事してたんだ。メロウに会うのも魔法を見るのも初めてだったからね」

「ニッポンに魔族はいないの?」

「そうだね。会ったことは無いな」


 彩兼は、世界は人類がまだ知らない何かで溢れているという考えを持って生きている。だからはっきり「いない」とは言わない。


 そういった未知なる存在との出会いを夢見て、冒険家は旅立つ。


 彩兼は決断する。


 この世界を冒険しよう。そう決断する。


(帰る手段も探さなきゃいけないしな)


「ファルカ。よかったら君が住んでた場所を案内してくれないか?」

「え、うーん……それは……」


 小さく表情を曇らせ、歯切れの悪い反応をするファルカに、不安になる彩兼。


「よそ者お断りとか、そういうの?」

「ううん。そうじゃないんだけど……」


 その時、やや大きな問題がメロウの少女の中で起こっていた。


 きゅぅぅ~。


 小さく可愛らしい音が鳴る。顔を赤くして視線を逸らすファルカ。

 泳いでるタコを襲って食べようとするほど腹が減っていたのは本当だったようだ。

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