第4話

 ハッと顔を上げると、


 おかっぱ頭の少女——に見紛うほどに綺麗な顔立ちの少年が立っていた。


 思わず見惚れてしまったが、高揚した奏多の心は瞬間、不安に包み込まれていた。


「どこ? ここ……」


 たしかに先ほどまでコンクリートに囲まれた薄暗い路地裏にいた……はずだった。


「え? え!? あれ? ……せ、先生…………?」


 振り返っても、振り返っても、そこにあるのは見慣れない風景。そして今、自分の両側を囲っているのは、今まで奏多が出会ったことのない赤みを帯びた壁だった。


 慌てて上を向く。唯一明るく光っている空が異様に遠く感じた。



(どこ……? なんで突然……何が起こってるの?)



「おっ、お前っ……!!!」


 動揺しているのは、目の前の少年も同じようだった。


「なんてことしてくれたんだ!」

「な、何がっ…!? って……」


 足もとに散らばる鏡の破片。


「あ、ご、ごめん。もしかしてこれってアナタのだった? てっきりあの雑貨屋さんの売り物だと思ってたんだけど……。どこで紛れ込んだんだろ、ホント……」


 どうにか弁解しようと頭をフル回転させている奏多の隣りで、少年は静かにその場に崩れ落ちた。


 鏡の破片を目の前にため息をつき、破片に混ざって落ちていた鏡の枠を恐る恐る手に取ると赤褐色の縁をなぞって裏返した。

 そこに彫られたスズラン模様を目視で確認して、少年は乾いた唇を舐めた。


「……やっぱり間違いない……」


 その言葉は、悲哀に満ち満ちていた。


「えっと……。ご、ごめんなさいっ! サヨナラっ!」


 奏多はそう言って猛ダッシュで逃げようと思ったが、さすがに奏多の良心が己をその場に踏みとどまらせた。


 ……こういう時は『ごめんなさい』、だ。


 そうだよ。担任の先生も言ってたじゃん。

 悪いことをしたら、素直に謝りましょう、って。


「…………ご、ごめん……なさい。わ、私、あの、弁償、するよ。お金無いんだけど、えっと……ぁ、どうしよう…………。ねえ、こ、この鏡、どこで買ったの?」


 少年が顔を上げた。艶やかな髪がさらりと揺れた。前髪の向こうに透けて見える彼の瞳は確かに『怒』の感情がメラメラと燃え上がっていた。


 無言のまま立ち上がると、少年は奏多の腕を強引に掴み上げた。


「痛っ……」


 抵抗しようとしたがこの状況は明らか自分のせいだし、ヘタに強く出ることは出来ないと悟った。


 鏡の破片を——拾えるものは二人で拾い集めて——それも無言で——奏多は少年に連れられるがまま狭い路地裏を歩いていた。


 赤みを帯びたレンガ屋根の建物が密集してさながら迷路のようだ。


 赤い砂岩の外壁がひときわ目立つあざやかな道を縫って、さらに暗い路地へと入って行く。


 二人は、薄暗い路地に面した木の扉をくぐった。


「——ただいま」


 少年の声が発せられた。と、同時くらいに、部屋の奥からどデカイ声が飛んで来た。


「どうだ! 見つかっただろ、トーマ!」


 少年は臆して立ち止まることなく、すたすた一直線で歩いて行くと奥のソファの上でこれでもかと満足そうな笑みを浮かべている男の頭を、無言で力任せに叩いてみせた。


「っ痛ぇ〜〜〜!」


 涙目になる男を見下す形で少年はソファの前で仁王立ちして、


「何が『見つかっただろ』だ! もう、最悪だ!」苦言を呈した。


「まぁた、そんなイラついちゃって。可愛い顔が台無しだぞ? 一体どうしたんだよ……。って、ん? そちらさんは……」


 浅黒い肌に少し伸びた後ろ髪をチョンと短く束ねた男が、奏多に気がつく。


「あ、えっと……私は……」


 『初めましての人には、自己紹介を』。

 母親に言われたとおりに名乗ろうとして——


「コイツがっ! お前の言う『救いの神』ってヤツなのかよ! 逆だよ逆! むしろオレを不幸のドン底に落としやがって! 悪魔だ! 魔女だ!!!」

「…むっ……」


 少年の弾丸のような罵倒に、奏多はムッとむくれた。初対面ながら、そこまで言われる筋合いはない。……いや、鏡割っちゃったけどさ。


「《魔女》……その名を口にしていいのかな」


 と、男はやや低いトーンで少年に返した。

 瞬間、少年の瞳孔が見開かれた。先ほどまで強気だった彼は、青菜に塩、シュンと項垂れていた。


「……。あ、あの……。ごめん。……言い過ぎた」

「ウンウン! いやぁ。素直なトーマの方が、俺は好きだな!」


 笑顔でそう言ってから、蚊帳の外になっている奏多に対して男は「クロイ」と名乗った。唐突な自己紹介に、奏多は慌てて頭を下げた。


「あ、えっと、私は奏多です」


「カナタちゃん、だね。よろしくね。で……何があったの?」


 それだ。


「それが、あの私もイマイチよく分かってないんですけど…多分、この子が怒っているのは、私が壊しちゃったせいなんです」

「壊した?」

「コレ……」


 頑張って集めた鏡の破片と鏡の枠組みをクロイに見せると、途端にクロイは顔をくぐもらせた。


「……やっちゃったね。コリャ」

「あの、あの、い、言い訳じゃないんですけど、鏡を覗いたらこの子の顔が映って、ビックリしちゃって思わず鏡を落としちゃって…」

「オレのせいかよ!」

「だから言い訳じゃないんだけど、って、言ったじゃん! 本当のことで…!」

「……はぁ……。オレはこの先、どうすればいいんだよ…」

「大丈夫だよ、トーマ。オレもまた色々情報集めてくるからさ。そう、気を落とすな」


 クロイがポンポンと優しく少年の肩を叩くと、その手を乱暴に跳ね除けた。その際に大きな声で、


「オレ、死ぬかもしれないんだぞっ!」

「トーマ…おいっ……!」


 トーマはそう叫ぶと、勢いよく建物から飛び出して行ってしまった。


「…………ごめんね。カナタちゃん」

「あ……いえ……」


 言葉が出てこない。


「カナタちゃんは、トーマからは何も聞いてない?」

「え? ……はい。あ、あの……」


 こくりと頷く。

 出来れば、あまり口にしたくない言葉だけど……。


「あの……あの子、……?」

「……うん、まぁね。まだそうと決まった訳じゃないんだけどね」

「そのことと……あの《手鏡》と、一体どう関係があるんですか?」


 クロイの眉がピクリと動いた。


「ああ。そのことか。そうか。何も聞かされてないんだったね、キミは」

「そうですけど……」

「そう。彼はね、」


 クロイはひとつ大きく息を吐くと、今までのどの声よりも低い声でつぶやくように言った。


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