第3話

 町の片隅にひっそりとたたずむ雑貨屋。小学校から自宅までの帰り道、必ずそこに立ち寄ってから帰宅するのが奏多かなたの日課だった。


 今日も無事に授業を終えて、いつも通り、緑の塗装がげた観音開きの扉を開け薄暗い店内をゆっくりと歩き回る。


 十二畳ほどの狭い店内は飾り棚が四方の壁を覆い、店内中央には二つの長机がポンと置かれていた。その上には所狭しとアンティークな代物シロモノが並べられている。奏多にとって、その価値がどれほどのものなのか見当もつかなかったが、眺めているだけで胸がくすぐられたような、ムズムズした感覚に襲われるのだった。


 店内に入るとカビ臭いものが鼻をつく。古びた木の匂いと共に、それはどこか懐かしい感覚さえ呼び起こした。


「やあ。ちょうど来る頃だと思っていたよ」


 薄暗さに目が慣れてきた頃、店の奥からそう声を掛けられた。店の奥にはレジカウンターがある。そのレジカウンターに半ば寄りかかるようにして立派な白ひげをたくわえた老人が「よっこらしょ」小さく唸り声をあげて姿を現した。


 奏多は重たい教科書の入ったランドセルを背負い直すと、にっこり。満面の笑みを老人に向けた。


「あ! えっと、こんにちは!」

「こんにちは。そうそう。奏多ちゃんが来たら、見せようと思っていたものがあってね。待っていたんだ」

「なになに?」


 お爺さんは、小さな奏多にも見えるように大きな身体を折り曲げてくれた。その手には、金属で出来た長い筒が握られていた。


「なぁに? これ」

のぞいてごらん」


 手渡された筒は、思った以上に重たかった。

 言われるがままに筒についているレンズを覗き込む。そこには宇宙が広がっていた。思わず漏れ出る声。覗きながら、くるくると筒を回していくと、色鮮やかな花が次々と姿形を変え、小さな筒の中で咲き綻んでいた。


「すごーい。魔法みたい」

「それはね、カレイドスコープっていうんだよ。日本では万華鏡とも言われているね」


 感嘆の声を上げる奏多を見て、お爺さんは満足そうな笑みを見せると、今度は近くの棚から先ほどよりもさらに太い筒がついた木の台座を持ち出した。

 

「これも?」

「これはね、ここの取っ手を回して回転させるんだ」

「覗いてみる」

「覗いてごらん」


 近くにあった低い座椅子に乗っけてもらい、台座で固定された万華鏡を覗く。

 先ほどと同じようにレンズに右目を押し付け、黒い厚紙の筒の先についた舵輪のような取っ手を回すと——


「…………」

「ん? どうしたかな?」

「………………見えない」

「本当?」

「うん。真っ暗」


 「あれー?おかしいなぁ。見えない……? ちょっと場所変わってね」と言いながら、お店のお爺さんも奏多と同じ格好で万華鏡を覗き込む。丁度その時、店の窓越しを歩く学年主任の先生と奏多の目が、バッチリと合ってしまった。


 いけない!


 奏多は慌てて自分の両手で自分の口を塞いだ。


 今日の学年集会であれほど、「寄り道しちゃいけません」と、きちんと学年のみんなと一緒に復唱したのに……!


 奏多は自分で自分の口を塞いだまま、右を見て、左を見て、もう一度右を見た。


 先生に見つかったら、マズイ……!


 いまだに万華鏡を覗き込んでいるお爺さんに、奏多は心の中で「ごめんなさい」と謝罪すると、そのまま音を立てないように細心の注意を払いながらレジ横の裏口から店の外へ出た。すぐさま周囲を見回して先生の気配を伺う。どうやら気がついたのは奏多だけだったようで、先生の姿はもうそこにはなかった。


 ホッと胸を撫でおろすも——またいつ鉢合わせするかもしれない。


 奏多は、ランドセルを胸の前で抱え込んで路地裏を抜けると先生に見つからないようそのままコソコソと帰宅したのだった。


       ◇◆◇


 ——なんでだろう。目がチカチカする。


 奏多はその視界が霞む度に両目をゴシゴシこすった。しかし、いくらこすっても光の点滅がおさまることはなかった。


 もうあと三日もすれば夏休みだ。


 そこで奏多は、事前に配布された夏休みの宿題を休みが始まる前に出来るだけ片付けてしまおうと目論んでいそいそと配布されたテキストを開いたのだが、何故か印刷された問題文はどれもかすんでいた。プリントのせいではない。自分の目がおかしいのだ。


 まるで、消えかかった電球が延々と目の前で点滅しているよう——


 母親にそう告げると、目に虫でも入ったんじゃないか、と言う。それか、漫画かテレビの見過ぎなんじゃないの? とも。そうして目薬をさしてもらったが一向に治らなかった。


「お医者さんに行く?」


 母親の言葉に、奏多は全力でブンブンと首を振った。

 病院にだけは、絶対に、行きたくなかった。

 本当はお医者さんに掛かった方がいいのだろうが、インフルエンザウイルスの検査時に受けた苦痛が極度のトラウマとなり、つい先日、一生涯病院にだけは行くまいと固く誓ったところだった。


 そうなると、奏多に残された選択肢はただひとつ。


 夏休みの宿題をすることを諦めよう。


 夏休みが終わるまでに終わらせたらいいんだよ、うん。時間はまだたっぷりあるし。


 自分で出した結論に満足した奏多はテキストをしまおうとランドセルを開けて——その中に見覚えのない手鏡を見つけた。紅褐色の木材で縁取られたアンティーク風の手鏡で、鏡の裏にはスズランをあしらった模様が刻まれていた。


 ふと、奏多の手が止まる。


 ——おかしいな。


 首を傾げる。


 こんなもの、入れた覚えはない。

 それにこんな鏡——買ってもらった覚えも、誰かにもらった覚えもない。


 もしかすると、雑貨屋さんから慌てて出て来た際に間違えてカバンに入り込んでしまったのかもしれない。


 奏多は手鏡を手に持つと、その足で雑貨屋に向かった。そう、店の前に、先生さえいなければ——


(なんでまだいるわけぇ……!?)


 サイアクだ。思わずそうつぶやきたくなった。

 下校指導中なのだろう。

 店の前で先生が男子生徒二人に向かって早く帰宅するようにとうながしていた。


 ただ、奏多自身はランドセルは背負っていないし、一度帰宅しているから「寄り道」ではないので大丈夫だとは思うが、この流れで見つかると絶対追い返されるに決まっている。


 、考えに考えてそう結論づけた奏多は、でもこのまま引き返すのもシャクだし、と、ひとまず、雑貨屋の一つ手前にある路地裏に逃げ込んだ。


「……はぁ。……もぉ〜。先生、早くいなくならないかな〜」


 小声でぼやきながら待ちぼうけしている間に、奏多は改めて手にしている手鏡を見つめた。


 長いこと磨かれていない表面はもはや鏡としての役割を果たしていないに等しかった。

 試しに洋服の袖で鏡の表面を少し擦ってみると意外といけたので、奏多は他にすることもないし、と、ただただ夢中になって磨き続けた。


 そうして服の袖で磨き続けて数十分後——


 どんな具合が確かめようと鏡を覗き込んだ奏多は、思わず「あっ」と鋭い悲鳴をあげていた。


 そこに映っていたのが、からだ。


 自分より年下だろうが映っていた。


 そして——


 あろうことか、驚いた拍子に


 鏡は当然のごとく地球の引力に引っ張られ——文字通り、

 ガラスの割れる音が辺りに響き渡った……はずだった。


 しかし、


 実際には鏡が割れる音はせず、代わりに奏多を襲ったのは、まばゆいばかりの閃光だった。


 次に目を開けた時、奏多はまぶたの裏に再びあの謎の光の点滅を感じていた。まるで星が瞬くようにチカチカしている。

 それを振り払おうと頭をブンブンと振ってみたがその行為は頭がクラクラしただけだった。

 思わずその場にしゃがみこむ。足元にはキラキラした破片が無数に散らばっていた。


 (そうだ——私、鏡割っちゃったんだった……)


 反射的に、破片に手を伸ばす……と、すぐ近くで、パリッと破片を踏みしめる音がした。


 ハッと顔を上げると、そこにはおかっぱ頭の少女が立っていた。

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