七話:彼の想い、私の想い。

 目の前には、さっきと異なる光景が広がっていた。


 部屋の中央に置かれたピアノに、その上に乗っかっているクマのぬいぐるみ。内装などはほとんど変わっているけれど、どこか懐かしい彼の部屋だ。



「久しぶり……でいいのかな? ようこそ我が家へ」


「そうね……5年ぶりになるのかしら。お互い、そりゃ歳をとるわけだ」


「何言ってるの。僕も水樹も、まだ25歳じゃないか」


 水樹、と私の下の名前を呼ぶ眼前の男性。


「とりあえず、助けてくれてありがとう。どうお礼していいかわからないけど……」


「お礼なんていいよ。僕はただ、約束を守っただけだから」


 耳の後ろを掻きながらはにかむ。その仕草は、彼が恥ずかしがるときにしていたものだ。


 懐かしい、彼の言葉。


「それでも、あんな約束を守ろうなんて人、そうそういないよ。だから、私は彼が———」


「だって、困ってる人を放っておけるはずないじゃないか。それが、昔からの知り合いならなおさらだよ」


 私の言葉を遮るように、言葉を被せてくる。彼らしい、損をするかもしれないけれど、どこか心が温かくなるような言葉。


 懐かしい、彼の言葉。


「知り合い、か。正直、学生時代って私のことどう思ってたの?」


「うーん、そこまで気が回ってなかったっていうのが本音かな。それに、僕は水樹と違う人を好きになってたし」


「要は、桐生くんが鈍感だった、ってことだよね?」


「辛辣だなあ……否定できないのが悲しいけど」


 その鈍感さも、不器用さも、素直さも全部が懐かしい。


 けれど———


「ねえ、一つ聞いてもいい?」


「ん? 急に改まってどうしたの?」


 その問い返す姿も、どこか彼を連想させる。けれど、私は問わなければならない。


 他ならぬ、彼のために。


「あなた、『桐生』くんではないでしょう?」


「……なんでわかったの?」


 この目の前の男性は、私の待ち望んだ『彼』ではない。だって———


「彼は、2年前に亡くなってるもの。この時代に、彼がいるはずがないのよ」


 2年前、彼はバイト先へ向かう途中にトラックにはねられて亡くなった。トラックの運転手は今も牢屋の中にいるけれど、もう彼は戻ってこない。


「私が無理を言ったせいで、彼はバイトのシフトを詰めすぎた。そんな私のわがままが、彼の命を奪った」


「それは……」


「違う、とは言わせないわ。これは、私の責任だもの」


 私は知っていた。彼が私のためにすごく頑張ってくれていたことを。


 私は知っていた。彼が2年前———23歳で亡くなることを。


 私は全て、知っていたのだ。


「私を買い戻してくれたお金、彼がキミに託したものでしょう? それに、キミと彼では顔が全然違うわ」


「そんなことまでわかるの……それでも、僕じゃ———」


「『僕じゃだめかな』なんて言わないでよね。彼がそこまで信用するぐらいなら、きっとあなたはとてもいい人なのでしょう? そんな人が、自分をそこまで殺す必要なんてないわ。これは、私と彼の問題だから」


 この目の前の心優しき男性は、予定された悪夢に巻き込まれただけの『友人A』だ。彼の遺志を私に伝えるなんてことは、最初から知っていた。


「このループでも彼を救えなかった……次、行きますか」


 私は認めない。彼が死ぬ運命なんて。


 私は認めない。彼の努力は、彼自身が報われるべきだ。


 私は認めない。こんな物語の終わり方なんて、絶対に間違っている。



 だから私は、今日も『飛ぶ』のだ。 



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