第12話 もしかして両思い?

「それじゃあ、靴脱いでくれる?」


 椅子に座った私の脚を保険の先生が確認すると……ペンキの缶が落ちたところが小指の爪の上だったようで、爪がパックリ割れていた。


「これは痛いわね……。消毒と絆創膏は貼っておくけど、あまり無理して動かさないようにね」

「ありがとうございました」


 保健の先生にお礼を言うと、私は保健室をあとにした。

 たもっちゃんに抱かれてやってきた道のりを、今度はひょこひょこと足を引きずりながら一人で歩く。

 痛い……けど、教室でのたもっちゃんと女子の会話や……先程の、抱きかかえられて保健室まで運んでもらったことを思い返すと、ズキズキと痛む足よりもドクンドクンと大きく音を立てて鳴る心臓の方が痛くて苦しい。

 落ち着かなければと思えば思うほど、気持ちが高ぶっていく。


「はぁ……頬が熱い」


 早くなる心臓の音と共鳴するかのように、全身の血が沸騰しているかのように熱くなっていく。

 パタパタと両手で顔を仰ぐけれど、火照りは取れることがない。

 ポケットに入っていたハンカチでも濡らして冷やそうか……そう思って、近くにあった水道へと向かうとそこには先客がいた。


「貴臣君……?」

「あれ? 美優だ。どうしたの?」

「あ、うん。ペンキの缶足に落としちゃって」

「え、大丈夫!? めっちゃ痛かったんじゃない? 保健室には行った?」

「うん、今先生が連れて行ってくれたから大丈夫だよ」

「先生が……。そっか、ならよかったね」


 そう言った貴臣君の表情は、優しい口調とは裏腹に、何故か悲しげに見えた。


「貴臣君……?」

「え?」

「あ、ううん。貴臣君は何やってたの?」


 なんとなくそのわけを聞けなくて……思わず話を逸らすと貴臣君はペンキまみれになった腕を見せた。


「塗ってたら自分の腕にかかっちゃって。今洗い流していたところ」


 貴臣君の言う通り、左腕がペンキで真っ黒だ。でも、腕だけじゃなくて……。


「顔にもついてるよ」


 ポケットから取り出したハンカチで、頬についたペンキを拭ってあげると……じっとわたしを見つめる貴臣君と、目があった。


「っ……ご、ごめん!」


 思ってたよりも近い距離に、思わず後ずさろうとするけれど、そんな私の腕を掴むと、貴臣君は笑った。


「ありがとう」

「ち、近いよ……」

「美優が近付いてきたんでしょ?」

「そ、そうだけど……」


 恥ずかしさに視線を逸らすけれど、どんどんと顔が赤くなっていくのが分かる。

 どうしよう、こんなに近かったら、貴臣君にも気付かれちゃう……。


「ね、美優」

「何……」

「顔、真っ赤」

「っ……!!」

「もしかして、ちょっとは俺のこと、好きになってくれたとか?」


 茶化すように言う貴臣君の手を振りほどくと、私は後ろに飛びのいた。


「そ、そんなわけないじゃない!」

「なーんだ、残念」


 ケラケラと可笑しそうに貴臣君は笑う。私は、恥ずかしさとドキドキが治まらない心臓を隠すように、わざとらしい口調で言った。


「自意識過剰だよ! 私が好きなの、誰か知ってるでしょ!」

「うん、片思いだよね。よく知ってる」

「っ……りょ、両思いかもしれないんだから!」

「……え?」


 私の言葉に、貴臣君の声のトーンが下がったのが分かった。


「何それ? あの人、何か美優に言ったの?」

「私にってわけじゃないけど……。その、さっきクラスの子と先生が話しているのを聞いちゃったの。そんな対象じゃないって思っていたけど、気付いたら気になるようになっていた、とか……。あと、それって幼馴染とか? って聞かれたときに、内緒って言いながら私の方を見てたって友達も言ってたし……」

「…………」

「ね、だからきっと私への気持ちに気付いてくれたんだよ! 年下の可愛い幼馴染だって思ってたけど実は――って」


 浮かれ気分で言う私に、貴臣君はそう、とだけ言うと黙り込んでしまった。


「貴臣君……? どうかした……?」

「……ううん、なんでもない。またね」

「あ……」


 そう言うと、貴臣君はその場から立ち去った。

 貴臣君の表情は気になるけれど追いかける訳にもいかず、私はなんとなく沈んだ気持ちで教室へと戻ってきた。

 あんなにウキウキしていたのに、どうしてだろう。まるでしぼんでしまった風船のように、心がしょんぼりしている。

 私、どうしちゃったんだろう……。


「おかえり、大丈夫だった?」

「うん、もう平気だよ」

「さっきの先生、カッコよかったね!」

「そう、だね」


 テンションの高い美咲とは反対に、歯切れの悪い私を二人は不思議そうに見る。

 二人の隣に座った私は、はーっと大きくため息をついた。


「どうしたの? なんかあった?」

「……ううん、なんでもない」

「ホント? 何かあったらちゃんと言ってね」

「……ゆきちゃんもだよ」

「え……?」


 私の言葉に、ゆきちゃんは驚いた表情を見せた。


「ゆきちゃんも、何かあったらちゃんと言ってね?」

「美優……」

「話したくなったらいつでも聞くからさ」

「そうだよ、ゆきちゃんのことだって私たち心配してるんだからね」

「美優……美咲……。うん、ごめんね」


 話したくなった時でいい。でも、私たちはそばにいるからね。そう伝えたいだけなのに……。

 謝らせたいわけじゃないのに、悲しそうに目を伏せるとゆきちゃんはもう一度小さな声で謝った。


「ごめんね……。隠し事ってわけじゃないんだけど……もう少し待ってもらっていいかな」

「うん、待つよ! 大丈夫だよ」

「ありがとう……。話せるようになったら、話聞いてほしい」

「わかった」


 ゆきちゃんの悩みが何かは分からないけれど、それがどんなことだったって私たちだけは味方でいたい。

 だって、ゆきちゃんは……私がたもっちゃんを好きだって知った時も、笑ったり呆れたりからかったりせずに、「じゃあ、いっぱい頑張らないといけないね」って微笑んでくれた。

 だから、私もゆきちゃんが悩んでいるのなら、大丈夫だよって言ってそばにいたい。

 大事な、大事な親友だから……。


「はーそれにしても、先生に好きな人かー」


 そう言うと、美咲は俯いてしまう。

 そうだ、美咲もたもっちゃんのことが好きだったんだ……。

 なんて言っていいか分からずに困っていると、美咲はパッと顔を上げた。


「っ……!」

「まあ、しょうがないよね! すっぱり諦めよう!」

「……え、えええ? いいの? それで」

「いいも何もしょうがないじゃん! それとも、美優は諦めないの?」


 隣で困ったような表情をしたゆきちゃんと目が合う。そんな私たちを見て、美咲は不思議そうな顔をした。


「ん? どうかした?」

「あの、ね……前に言ったと思うけど、たもっちゃんと、私、ね親同士が仲が良くて小さい頃から知り合いで」

「うん、言ってたよね。羨ましいなーって思ってたもん」

「そ、そっか。つまり、その……そのいうのって……幼馴染って、世間一般ではいうのかな、なんて……」

「あーそっか、そうだよね。幼馴染かー。幼馴染……って、えええ!?」


 初めて気が付いたのか……私の言葉に、美咲は大きな声を上げた。


「っ……! こ、声大きいって!」

「ご、ごめん……」


 クラスメイトがなにごとかと私たちの方を見てくるから、気にしないでーと笑って誤魔化した。今にも叫びだしそうな口を両手で必死で押さえながら、美咲は声にならない声で口をパクパクさせたまま私の方を指差していた。


「それって、もしかして、もしかしたりする!?」

「わ、わからないよ! で、でもどう思う……? ……その可能性、あると思う……?」

「内緒って言ってたけど、否定してなかったもんね! ヤバい、失恋したのとかどうでもよくなるぐらいテンションあがってきた!」

「み、美咲。だから声大きいって……」


 だんだんと声が大きくなっていく美咲をたしなめると、へへへっと笑いながらごめんねと言うけれど……その表情は興奮を隠せずにいるのがバレバレだった。


「で、どうするの?」

「どうするって?」

「聞いちゃう? 直接聞きに行っちゃう?」

「き、聞けないよ!」

「まあ、それもそっか」


 それにまだ決まったわけじゃないのに、どうやって聞けと言うのか。

 「さっきの話って、もしかして私のこと?」なんて口が裂けても言えない……。


「じゃあ、向こうが言ってくるまで待つの?」

「それも……」

「だよねー、気になるよねー」


 真剣な表情で悩み始める美咲と、困ったように笑うゆきちゃん。

 そんな二人に私は、さっきから考えていたことを口にした。


「あの、ね……それなんだけど……もうすぐたもっちゃんの誕生日なんだよね」

「え、いついつ?」

「十月三十日」

「うっそ、来月じゃん!」

「そうなの。だからその時に……プレゼントと一緒に告白、してみようかなって……」


 本当に私のことを言ってくれているかなんて、正直なところ自信はない。でも、今ならさっきのたもっちゃんの言葉が背中を押してくれる気がする。


「いいんじゃないかな! きっと上手くいくよ!」

「うん、頑張って!」

「ありがとう!」


 文化祭が終わって、十月になったら、プレゼントを買いに行こう。

 それで、可愛い服を着て、たもっちゃんをデートに誘って、それで……それで……。


「私、頑張るから」


 小さく呟いた私を、二人は優しく見守ってくれていた。

 でも、そんな私の決意をあざ笑うかのように、その日はやってきた――。

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