11th NUMBER『アイニイキタイ』


 突如歩道へ突っ込んできたのは、大量の木材を積んだ大型トラックだった。無残に薙ぎ倒されたガードレール、腰を折るようにして曲がった道路標識の柱、ざわめく人々、その中で



 パーーーーーーーー



 延々と鳴り響くクラクションの音。



 トラックの前輪のすぐ目の前で腰を着いた僕は、ゆっくり呼吸を整えながら辺りを見渡した。


 僕は……間一髪のところで跳ねられずに済んだ。


 見たところ通行人にも怪我は無いようだ。いや、運転手は? フロントガラスは向こう側が見えないくらい細かくヒビが入っている。大丈夫なのか……そう案じたときに運転席のドアがガチャリと開いた。



――す、すみません!



 青ざめた顔をした中年の男があたふたと周囲を見渡しながら何度も頭を下げる。みんなよほどびっくりしているのか彼を責めようとする者はいない。


「大丈夫ですか!? 本当に申し訳ありません!」


「……あ、はい。転んだだけなので」


 男は前輪に最も近い位置に居る僕に気付いて駆け寄った。ぶつかっていないか何度も訊かれ、でもやっぱり驚いて転んだ覚えしかないから、衝突による怪我はしていないと答えておいた。


 居眠りだったのかも知れないけど、運転手の男は割としっかりしていて、後で体調が悪くなるかも知れないから念の為連絡先を教えてくれ、そのときは医療費の負担をすると僕の腕を引っ張り上げながら言った。



「しかし良かったよな、誰も大きな怪我してなくて」


「ほんとね、周りはこんなに滅茶苦茶なのに……」



 事故現場を囲む人々の声がした。運転手さんもちょっと額を怪我してるけど、擦り傷程度の軽いものに見える。僕は安堵のため息を漏らす。



 そのときだった。


 ちょうど車体の前方から後方へ移動していたとき。運転手さんが警察に電話をかける為に僕の側を離れたときだ。



「うわ……! 崩れるぞ!!」



 誰かが叫んだ。



 僕はゆっくりと見上げた。



 こちらへ迫る大量の木材が、空から押し寄せる津波みたいな、その動きがゆっくりに、見えた。



 悲鳴と共に皆が散り散りになるのもなんとなくわかった。



 だけど、僕は……





――駄目だよ。動かないで――




 僕は……




――ナツメに逢いたいんでしょう? 彼女はね、この世界には居ないんだ。僕と一緒に逢いに行こう――




 僕は何故か動けなかった。誰かの声が耳元で響いていた。誰かに羽交い締めにされている感覚があった。金縛りって、こんな感じなんだろうか。



「おい、何をしている! 早く逃げろ!!」


「きゃぁぁ!! 駄目、間に合わないわ!」



 周囲の声が聞こえても、ここだけ時が止まっているみたい。



――我慢して。大丈夫、痛いのは一瞬だから――



「君……は……?」



 寸前まで迫った木材の群れに見入ったまま、僕は尋ねた。不思議と怖くはない。だけどこの声の正体は知りたくて。



――そうだよね、怖くないよね。だって貴方は現代に於ける僕の器。僕は貴方の一部。僕らの願いは共に一つ、愛する魂に再会することさ――



「ナツ、メ」



――そう、僕にとっては“夏南汰”――



「カナタ……」



――さぁ、僕に任せて。ここから先は僕が貴方の器になる。逢引転生の力を保ってくれたことに感謝するよ――




――さようなら……“磐座冬樹”――




「……雪之丞。僕は……僕は」




 ガラガラガラッ!!



 カラン、カラン




 視界は暗転して、ほんの少し乾いた音だけが、最後に、残った。痛かったかどうかは、よく……わからない。






 再び目を覚ます頃、僕は……



 いや、僕ら・・は……




 真夜中の森林で仰向けになって倒れていた。実際は辺り一面真っ暗で詳細は見えない。だけど木々のざわめく音と蒸した草の匂いでなんとなくわかった。



 こうなる前、最後に見たのは、前方のひしゃげたトラックと、大きな木材が雪崩れる光景。理解していく。僕は多分、押し潰されたんだと。



 そして今、こんな鬱蒼うっそうとした場所に居る。僕はこれまでの自分の所業を思い出して勝手に納得する。


(やはり地獄に落ちたのか)


 ……当然だ。教育者の立場でありながら生徒と関係を持ったんだ。実家も裏切ろうとしていた。善人の顔をして周囲を欺いた実質罪人。こうなってしまった以上はもう受け入れるしかない。



 罰を受ける覚悟で僕は瞼を閉じた。しかしそんなとき。



――まだだよ――



 光景は再び変化を遂げる。




「…………わぁ」




 僕の目の前にはぽっかりと穴が開いているのがわかった。ちょうど木々がひらけている部分だ。


 暗雲が晴れ、満天の星屑が僕に降り注ぐ。風に舞う木の葉も青白い星明かりを纏い、天使のようにひらひらと踊っている。あんなに不気味だった森林が今、光と闇の幻想世界へと変わっていく。



――ここは地獄なんかじゃない。ナツメの居る世界だよ。さあ、行こう――



「待って、雪之丞! 僕は何故君の名前を知っているの? 君は何処から僕に語りかけているの?」



 明るくなった森林の真ん中で立ち上がり、辺りをぐるりと見渡してみるも僕以外に人の姿は無い。どう見ても身体はここに一つしかない。


 事故に遭ったときもそれが不思議で仕方なかったんだけど、“雪之丞”は僕の問いかけに至って落ち着いた声色で答えるのだ。



――貴方は肉体を手放した。今に自分の名前も忘れるよ。しばらく経って前世の記憶と一つになったらまた思い出す。その頃には受け入れられるようになってるから安心して――



「今……前世って言った? 雪之丞」



――そう、僕は貴方の前世。僕らは同じ魂なんだ。肉体はそのことを忘れてるけど魂は覚えているんだ。だから貴方は僕の名前を思い出した――



「あれ、待って……僕の、名前、現世いまの、僕の……名前って……」



――時が来たようだね。ここからは僕がこの幽体カラダを動かす。必ずナツメのところへ連れていくからね――




 僕の前世だという雪之丞の解説は、わかるようでやはりわからないような、完全に理解するのは不可能だった。



 そして現世の記憶が薄れていく。こうやって雪之丞と語り合ったこと自体も忘れていきそうだ。だって僕は、もう……現世の自分の名前さえ、思い出せない。





 ころり、足元に一つの果実が転がってきた。拾い上げると宝石のように艶めく赤だとわかった。



――僕は。



「僕は、春日雪之丞。この世界でもう一度、愛する君とやり直すんだ」




 禁断の果実に歯を立てて。


 貪欲な眼差しで前方を見据えた。



 ゴオッと足元から冷たい旋風が巻き起こり、スカイブルーのシャツにチノパンだった僕の衣類が藍色の着流しへと変わる。草履ぞうりを履いた足で僕は歩き出した。



 終わりの見えない森林の中で朝と夜を何度か繰り返し、飲料は川の水だけ、食事は果物と木の実だけ、身体そのものは痩せ細っていくのに、肌の質感は若返っていった。視界も思いのほかはっきりしていた。


 何度か得体の知れない音を聴いた。どぉん、どぉん、と。弾けるような音に合わせて僕の足元がだいだいや白に点滅した。花火、だろうか?


 草木がザワザワ揺れ、生き物の気配を感じることもあった。野犬や熊が居るのかも知れないと思うと当然怖かった。だけど愛する“君”に辿り着く為と思えば耐えられたよ。本当の原動力は執念だったのかも知れない。



 そうして僕は心も身体も、ほとんどが春日雪之丞となったんだ。







「三度目の……春日雪之丞」



 ここまで聞いたクー・シーさんが大きく目を見開く。雪那ぼくは大きく頷く。



「通常、なんらかの経緯でアストラルに渡った者は、約一週間程かけて前世の記憶と姿を取り戻していくと言われてますよね。確かにどれくらい気を失っていたのかもわからないし、森林を出たのはそれくらい後だった気がする。時計も無い状態で正確な時間も知りようがなかったけど、春日雪之丞になったのは多分一週間以内……結構イレギュラーだったんじゃないかと思います」


「それほど雪之丞くんの想いが強かったのかな……いや、それも大事なんだけど、雪那くんっ!」



 何やら重大なことに気付いたらしいクー・シーさんの顔がみるみる蒼白していく。戦慄わななく声で恐る恐る訊いてくる。



「それじゃあ、磐座冬樹さんを殺そうとしたのは、雪之丞くん……って、ことになるの?」



「はい。話が曲がって伝わったのか交通事故と思ってる人もいたみたいですが、実際冬樹ぼくは跳ねられてなかった。木材が崩れてきたとき、すぐに逃げれば助かったんです」


「そんな……」



「ね、だから言ったでしょう。優しいだけの人間じゃない、執念が並外れてる。目的の為なら自分の現世だって容赦なく抹消しようとする。雪之丞は怖いんですよ」



 こんな話を聞かせてごめんね、クー・シーさん。僕はレモネードの残りを喉へ流し込み、一呼吸置いた。自分の話なのに僕の方が落ち着いてる。案外そういうものなのかな。



「だけど冬樹の執念も負けてなかったんですよ」


「と、いうと?」



「雪之丞に乗っ取られても、冬樹は祈りをやめなかった」



 “ナツメに逢いたい”


 “ナツメに逢いたい”



「そればかり繰り返していたから、雪之丞も自分が探しているのは“ナツメ”だと認識するようになったんです。自分自身の記憶は昭和の大学院生のままだけど、愛した人は女性。逢いたいのはナツメ。記憶が混乱した状態になったんです」



 僕はふっと瞼を伏せた。胸が抉られるような記憶が蘇る。



「ボロボロにやつれた状態だったところを稀少生物研究所の人に保護され、ナツメにも会うことが出来ました。でも……」



――君にとっての私は、ナツメではない……ッ!!――




「僕は“夏南汰”を悲しませてしまった」



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 ああ 知っているよ

 僕は前世

 彼は今世

 もう生まれ変わった後だ

 もう別の人格だ


 ああ 知っているよ

 僕は罪人

 彼も罪人

 どちらも罪だ

 だけど重さが違う



 禁断の果実を口にした彼と

 彼ごと喰らおうとする僕

 さあ

 どっちが重罪だろうね


 なぁに 造作も無かったよ

 確かにもう別の人格だけど

 やっぱり魂はおんなじだもの

 求めている魂もおんなじだもの

 


 ねぇ?

 怖くなんかないだろう

 愛する魂に逢えるのなら


 現世を飲み込んで酔い痴れたい

 嗚呼 僕も味わいたい


 彼女と何度も交わった身体の中で

 禁断の果実がとろとろに溶けて

 よく熟成されているはずだよ

 極上の美酒を僕にもおくれ



 さあ 行こう

 僕は知っているよ

 僕の持つ執念

 そして君へ対する愛は


 生まれ変わったくらいじゃ衰えないってね


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