7th NUMBER『君と痛みに溺れたい』


 許されない官能のひとときからゆっくりと現在へ覚めていく。そっと瞳を開いた雪那ぼくの前には顔を真っ赤に染めたクー・シーさんが居る。


「そ、そっか……やっぱり運命には抗えないんだろうね。なんていうか、その〜……」


 朱色の目をしきりに泳がせ、大きな両手で空気を搔き集めるみたいにしている。優しいこの人はまた僕の罪を救いある言葉へ変換しようとでもしてくれているのか。


「情熱的、だね」


 思った以上にストレートだった。



 この間ちらっと聞いたけど、クー・シーさん二児の父親なんだよね? こんなにウブだなんて……将来お嬢さんに恋人でも出来たりしたらどうなるんだろう。怒るどころか卒倒しちゃうんじゃないのと要らぬ心配まで浮かんでくる。


 それとも僕が赤裸々に話し過ぎなのかな。正確さを求められているから正確に伝えているつもり、なんだけど。よく言われるよ、とてつもないロマンチストだって。それだって相当オブラートに包んだ表現だと思う。多分何処をどうぼかしていいかわかってない上に、無駄に詩的な言い回しになってるんだろうね、僕は。



 お昼も近いからひとまずは休憩を挟むことになった。クー・シーさんは一緒に食堂へ行くか誘ってくれたんだけど、僕はそれに対して小さくかぶりを振る。


「後で行きます。もう少し、ここに居てもいいですか?」


「うん、わかった。ちゃんと食べに来るんだよ」


 僕を案ずる言葉をかけてくれる一方で、何処か救われた様子の表情を見た。やっぱりこの判断で良かったらしい。一緒に居たらどうしてもここ手の話になっちゃうものね。この人にも息抜きが必要なはずだ。



 そして僕にも……


 いいや、僕の場合は息抜きとは言い難いかな。



 ベッドの隅で膝を抱えて、カーテンの隙間から冬の晴天を仰ぐ。もう少し、もう少しだけ、あの頃に戻りたい。


 自分で選んだ道だけど、僕はもう大多数の男性みたいに自分を慰めることも許されないから。僕が再び身を委ねる回想はとても切なく罪深く、癒しとは程遠いんだけど、それでも愛おしさが勝るんだ。



 これ以上は何も欲しがらないよ。だから今だけは許して……神様。




 再び瞳を閉じてみると瞼を通して伝わる陽の光が僕の天使を連れて来てくれた。



 もつれ合いながら情を交わしたその翌朝。潮騒の音で目覚めた冬樹ぼくは、窓際に佇む彼女の後ろ姿をこっそり見つめていた。痩せ型な僕のシャツでもやっぱり彼女が羽織ると大きいらしい。微風になびく白に生まれたままの身体が透けていて、それが半透明を彷彿とさせて、今に彼女自体が消えてしまうんではないかと怖かった。


 僕はわざと小さな唸り声を上げた。寝ぼけているように演出した。彼女が振り返ることを予測して寝返りをうち、背中を向けたまま天使の再来を待っていた。



 彼女が見つめてる、見下ろしてる。気配でそう察した僕は頃合いを見計らってうっすらと瞼を開いた。そして小さく息を飲む。



 哀しげで、だけどちょっぴり嬉しそうで、僕からすると何処か懐かしい表情。



――大好きじゃけぇのーっ! ユキ!――



 何処かで見たような顔。僕は根拠も無い実感に怯えた。ここで引き止めなければきっと君は……戻って来ない。



(嫌だ、嫌だ……!)



「ナツメ」


「あ……っ」



 ぐいと彼女の腕を引っ張るとシャツが肩から腰へと滑り落ちる。甘い悲鳴を零す彼女の唇を封じて、しなやかな指先が僕へ爪を立ててくるまで容赦もなく続けた。


 そうして僕はまた天使をけがした。意地悪な言葉ばかりを浴びせながら。



 優等生であるはずの彼女を何故か罵りたくて仕方なかったんだ。いや、何に於いても優れているからなのかも知れない。


「もう、だめ……冬樹さ……っ」


「……可愛い」


 周囲の目を欺いていい子の顔をしてるけど、こんなにはしたない顔を隠し持ってるんだね、悪い子だね。誰にも見せちゃ駄目だよ。誰もが癖になってしまうに違いないから。荻原くんにも駄目。見せないで。どうやって介抱されたのか知らないけど、お願いもう触らせないで。気が狂ってしまう。知っているのは僕だけでいいんだ。ああ、痛いよ、痛いよ。そんなに爪を立てて僕の背中が抉れてしまう。だけど君にされるなら構わないさ。ずっとずっと永遠に僕の腕の中で乱れて。僕の腕の中だけで鳴き続けて。



――僕の中で壊れてよ――



 事を終えて冷静になってみると狂愛以外の何ものでもないと思った。引いていく熱と入れ替わるように絶望が満ちてくる。


 彼女がシャワーを浴びている間、僕は姿見に映った自分の姿をおぞましく感じて頭を抱えた。見たくない、これが初めての女性を三度も襲った獣の顔……


(若気の至りどころか三十路の至り……いや待って、僕もう三十路すら超えてるじゃない……!)


 もう准教授を名乗る資格も無ければ大人と称する資格すら無い。過ちなんて逃げの言葉は使いたくなかったけど、いつか彼女が後悔したならそういうことに出来ないだろうか。それがこんな悪いオジサンに貞操を解禁してしまった彼女の救いとなるならば……



 ガチャと浴室のドアが開く音を耳にして僕は小さく飛び上がった。ああ、けがされた憐れな天使がやって来る。僕は怯えながら何度も自分に言い聞かせた。



 一晩だけ。今回だけだよ。



 だけど無駄な抵抗だとその日のうちに知ることになった。彼女と二人、平静を装って学校へ向かった。そしていつもの研究室で二人っきりになったそのときに長い黒髪を一つに束ねた彼女を見てしまったんだ。


「凄く……似合う」


 僕は何故かそう口にした。口にしたばかりのところへ悪戯いたずらな天使がそっと舞い降りた。僕に口付けた。


「過ちなんて言わせませんから」


「……ああ、ナツメ。愛してる」


 観念せざるを得なかった。彼女は全て見抜いていたから。



 そうして僕たちは二度、三度と繰り返すことになってしまった。重なる度に痛みに溺れ、罪にまみれていく。それでも離したくはなかったよ。それどころかこの秘密の逢瀬は、僕に新たな決意さえもたらしたんだ。


「僕の願いは犠牲を無しにしては手に入らないとわかったよ。お前もそうだったんでしょう、春樹」


 僕の人生最大の我儘は広島の大学に進んだことだと思ってたけどまだあったなんてね。人生って本当にわからない。だけど男にとって、大人にとって、大切なものを手放してでも欲してしまうくらい彼女の存在が大きくなっていた。




「ねぇ、ナツメ。君に触れられないならせめて、君に与えた罪を全て僕へ流し込んでほしい」



 回想から還りゆく雪那ぼくは決して叶わない願いを口にする。馬鹿だよね、何も欲しがらないと誓ったはずなのに。本当は、本当は……あの痛みが欲しくてたまらない。


 今考えると愛の言葉以上にこっちの方が大切だったんだと思うよ。痛みは裏切らない。生きていると、繋がっていると実感させてくれるから。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 雪那と別れたばかりのクー・シーは、食堂へ向かう道のりの途中で、背後からの気配に気付いて足を止める。


「アリエス親衛隊! 調査報告が上がりました」


 やはり。思った通りの人物がやってきたなと思いクー・シーは目を細めて振り返った。


「ありがとう、ミモザ。今……」


「かしこまりましたっ!」


 開けてみるね、そう言う前から彼女は既に行動した。いつもそう、調査報告を開封する際には手を後ろに組みくるりと背を向けてみせる。二十歳ハタチの新人ながらも頭のキレる女性だ。



 親衛隊長へ渡る調査報告は例え内部の者であっても簡単に開封することは出来ない。卓越した能力を持っている者でさえだ。クー・シーは周囲に人気ひとけが無いのを確認した上で、鍵形の魔力機器を取り出し、発動させた魔法陣の中央に調査報告の封書を置く。


 待つこと約一分でようやく開封だ。ここまでするのは前世の記憶を有するこの世界だからこそ。内部関係者の中にだって、参考人や容疑者の前世を知る者が存在する可能性があるからだ。


 調査報告のやり取りをする親衛隊長と副親衛隊長も然り。ある程度の時間をかけて共に過ごし、互いの波長をよく感じ取った上で任務に就くことが許される。その為に一年間同室での生活を余儀なくされるくらいの徹底ぶりなのだ。



 しかしそれだってアストラルに生きている限りはやむを得ないことだと実感する。それ程までに人の情はあなどれない。



「うん……そうか」



 中身を見たクー・シーは小さな笑みと共に安堵のため息をついた。参考人数名の疑惑が晴れた。秋瀬夏南汰の父親も生まれ変わりを特定できたらしい。なんとまだ五歳の少年。このような犯行はいくらなんでも不可能だろう。


(ブランチ……秋瀬陽南汰の生まれ変わり。まさかヤナギさんと同じ職場だったとはね。この人も可能性は低そうだ)


 だけどまた所在さえ明らかになっていない人物が何人かいる。秋瀬夏南汰の母とその他親族、それから……



――アリエス親衛隊長。



 クー・シーは少しばかり驚いて顔を上げた。普段は良しと言うまで絶対に口を挟まないミモザが背を向けたまま呼んできたからだ。


 調査報告を封に納め、ふところにしまったクー・シーは問う。



「なんだい? もう振り向いて構わないよ」


「はい。あの……っ」



 彼女は金の短髪をさらりと揺らして身体ごと振り向いた。ややつり目のエメラルドグリーンの瞳で真っ直ぐクー・シーを見上げ、少し頰を上気させて意気込みを放つ。



「厳しい守秘義務があるのは存じております。でも、こんな私にも出来ることがあったらお申し付け下さい。イヴェールさんを絶対助けたいんです!」



 ああ、そうだったとクー・シーは思い出した。ミモザは歌手・イヴェールの熱狂的なファンなのだ。歌声と雰囲気だけで、それがかつての子役・雪那であることを見抜いたくらい。


 普段はフィジカルに於ける英雄の一人、かのジャンヌダルクを彷彿とさせる勇敢な女性なのだが、いま目の前にある真剣な表情がやけに少女じみたものに見えてクー・シーは思わず笑みを零した。それに気付いたミモザがはっと我に返り頰を染める。


「申し訳ございません。こんな個人的な感情……」


「いいよ、もちろんだ。君が大切に思っている人を守ってみせる。全力を尽くそう」


「はい!!」


 元気を取り戻したミモザを見てクー・シーは安堵を覚えた。この後の流れは大体予想がつくけれど。



「イヴェールさんは凄いんですよ! 聴く者の涙を自然と誘う歌唱力はもちろんですが、彼自身が魂を削って天へ願いを込めているのがよく伝わります。泣きながら歌うんです。声だけでもわかります。それがまた痛ましく、だけどこの上なく優しい音色で……ああ、これが神の恩恵を受けし大天使ラファエルの歌声でなかったら一体なんなのでしょう」


 どうやらスイッチが入ってしまったらしい。食堂で一緒に過ごす間もずっと、彼女は恍惚とした表情で憧れの神童の話を続けていた。



「……凄いんです。哀しいくらい優しいんです、昔から」



 時折やけに哀しげな表情をしていたのが少し引っかかったけれど、何か彼女なりの思い出でもあるのだろうとクー・シーはそれ以上を探らなかった。



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 約束は所詮 約束でしかなくて

 実に儚いものだと知ってたんだと思う

 身体で感じられるものだけを信じようとする

 現実主義者になろうとした


 今 目に映るものだけを

 今 感じられる温度だけを

 今 ここにある痛みだけを

 今、今、それだけを


 永遠なんて存在しないと

 諦めていたんだと思う

 そんなものに縋りたくなかったから


 今、今、君と痛みを分け合う為だけに

 嘘じゃないという実感を得る為だけに


 君と重なってから 僕は

 ただのロマンチストな自分と決別したくなったんだ



☆✴︎☆✴︎☆



 さて、ここで初登場となる人物がもう一人出て参りました。今のところ、この『真夏の笑顔に届くまで』のみに登場するキャラクターとなっております。彼女もまた今後の展開に関わってくる重要人物なので、紹介させて頂きますね。



 ✴︎ミモザ・I・レーヴェンガルド


 アストラル王室親衛隊に入隊して一年目の女性隊員。現在二十歳ハタチ。マッシュボブの金髪にエメラルドグリーンの瞳が特徴。背丈はやや小柄なものの、日々のトレーニングにより腹筋も割れ始めている。身体能力は見た目以上だ。大変勤勉であり上司への礼儀も重んじている様子。一を聞いて十を知る聡明さ、抜群の行動力を備えていることから将来を期待されている。幼い頃からイヴェール(雪那)の大ファンであり、彼の話を始めるとなかなか止まれない。

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