斬る者

白川津 中々

第1話

 二刀の長物はまったく同じ形を維持し向かい合っていた。

 宙にゆらりと反った刀身は八相。それを持つ両者の距離は、どちらかがあと一歩踏み出せば両断できる距離であり、また、どちらの業前もそれを可能とするのに十分であった。


「なぁ、よしみじゃないか……」


 一方が構えながら弱気に請うた。天に掲げた一振りとは対照的にか細く震えたその声は腰に挿す人間にあるまじき不覚悟であった。


「……」


 対峙したもう一方は答えない。ただ目の前にいる、同じ構えをした男を見据えるばかりである。


 先に弱気を見せたのは伊勢 勘兵衛といった。食い扶持がなく、いつもボロを纏っている浪人である。埃に染まった肌は煤けており見窄みすぼららしく、欠けた前歯と抜けた頭髪が薄汚さに拍車をかけていた。

 その伊勢と相対するは阪原 新左衛門といって、伊勢とは違い藩に召し抱えられている武士であった。簡素だがしっかりとした織られた半裃を着けており、端正な顔立ちもあって実にできているように見える。

 身分が逆位の二人であったが、伊勢が誼と言った通り彼らはお互いを知らぬ中ではなかった。伊勢も阪原も、かつて同じ流派を磨き剣の道を目指した同門の士だった。


 遡る事十年。尾張の地に百鬼打倒を掲げた流派があった。その名を千葉一心流といい、開祖である千葉 幻斎はかの合戦にて敵方の首級を四十討ち取り、千葉の首離し。と称される程の武功を立てた猛者である。合戦が終わり莫大な恩賞を賜ると幻斎は尾張へと帰藩し開いたのが千葉一心流であった。一刀必殺を理念とし、数多の戦さ場にて会得した万里一眺の間合いを持ってして千葉一心流は隆盛を極めた。

 その千葉の元で修練をする者の一人が阪原だった。阪原は近江の豪族の出であり、父の重永が千葉と旧知だった事から預けられたのであるか、その実、尾張入りは本人たっての希望であった。幼き笠原は、父から首離しの逸話を聞いたその日から千葉幻斎に支持すると心に決めていた。


 その夢が叶ったのははな咲く前の冬の終わり。雪が溶け、地に張った薄氷が割れる頃である。



「戦は終われど剣の道は未だ果てなし。我が道は、先生の振るう切っ先にございます」


 この時阪原はまだ前髪だったが礼節の通った所作に一分の隙もなく、千葉は「ほぉ」と感嘆の息を漏らした。それを見た重永は「我が息子ながらあっぱれよな」と、つい口を突いて出そうになってしまったが寸での所で真一文字に口を結び、間を置いて厳かに言うのであった。


「未熟者だが、ま、使ってやってください」





 かくして千葉一心流に身を置いた阪原だったがその才に偽りはなく、千葉を持ってして「天稟がありよる」と言わしめる程の剣の冴えを見せた。無骨で寡黙だったが素直な性格は他の門弟達にも嫌味を抱かせず非凡な腕を持ちながらも妬まれる事はなかった。万事が万事、阪原に吹くのは順風であった。


 その風が止んだのが、阪原が終わりに腰を下ろし、三年が経った時の事である。


 それは蝉の時雨が注がれる夏日。木剣を打ち合う中に響いた異な音……それは、道場の隣にに作られた庭で男がのたうち回る音であった。その者の姿は実に見すぼらしく、よく見ると前歯が欠け、頭髪の一部が抜け落ちていた。


「乞食かと思って……」


 男の横で女中の菊が長箒を持っておろおろとしていると、千葉が見兼ねて庭に下り下がらせて、男に問うた。


「何用か」


 千葉の姿を一目見た男はぴたりと動きを止め、不器用に平服し、こう述べたのである。


「千葉先生! 俺を弟子にしてください!」


 瘤を作った頭を必死に擦り付け懇願するその男が伊勢 勘兵衛であった。

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