甘えたがりのすれ違い 後編

「……カリムの兄ちゃんが何の用だよ……」


 ラルスはそういうと目じりを吊り上げてクラウを見つめる。目つきが悪いために自然と睨みつけるような形になっているが、必死に虚勢を張っているようにクラウには見えた。その証拠にドアを力いっぱい握り締めている。


「ちょっと挨拶しようかと思って」


 最大限に優しい笑顔を意識して笑いかけるが、ラルスの表情は変わらない。それどころか先ほど以上に強張った、泣くのを必死にこらえるような顔でクラウを見上げた。


「どうせアイツが、俺と片割いやだって言ったんだろ」


 ポツリとつぶやかれた弱々しい声はクラウの胸に突き刺さった。10歳になったばかりの子供が言うには諦めが混じった寂しい声。違う。とクラウはすぐさま否定しようと思ったが、嘘を言ってもすぐにバレてしまう。そう、じっと見上げてくるラルスの目を見て分かってしまった。


「俺だって……アイツの片割すきでなったわけじゃねえし……。俺だってアイツの事嫌いだし……」


 顔をしかめ、視線を下げたラルスは吐き捨てるようにいった。嫌悪というよりは悲しみの方が強い。それを必死に誤魔化そうとしているが、上手くごまかしきれなかった。それが分かってしまうから、一層悲痛にクラウには見えた。


 これのどこが可愛くない片割なんだろう。そうクラウは思った。

 どう見てもカリムと仲良くなりがっている。カリムに嫌われて落ち込んでいる。これほど分かりやすい態度をとっているというのに、一体カリムは何をしているだ。


 初めて自慢の可愛い弟をクラウはしかりつけたい気持ちになった。

 運命の相手。生まれた瞬間から共に生きると決まっている強い絆で結ばれた存在。そう言われている相手をここまで悲しませて、国を守る。そう代々誓って生きてきたカークライト家の三男を名乗るとは何事か。今すぐ叱りたい気持ちになるが、それよりも先に目の前の子を慰めるのが先。そう思ったクラウは優しい表情を意識して、落ち着くように話しかける。


「カリムは関係ないよ。私が気になって会いに来たんだ」


 しゃがみ込んでラルスよりも視線を低くする。下から見上げる形になるとラルスは戸惑った様子を見せた。それでもドアから入っては来ず、クラウを疑うようにじっと見つめている。


「ウソだ……」

「ウソじゃない。きっかけは確かにカリムの手紙だけどね、カリムがラルス君のことばかり書いているから気になって」

「どうせ悪口だろ。知ってるし」


 ラルスは眉を寄せてぎゅうっとドアを握り締めた。メキッと小さくドアがきしむ音がしてクラウは驚いた。

 ワーウルフは人間よりも腕力が強い。その気になれば木製のドアを破壊することも簡単だ。それは子供であっても一緒なのだと知識を思い出したところで、クラウは疑問をもつ。


 カリムとラルスはよくケンカをしている。そうカリムの手紙でも書かれていたし、案内してくれた職員にも聞いた。しかし、カリムがケガをした。という話は聞いていない。本気でワーウルフが人間を殴ったならば、平気でいられるはずがないというのに。


「ラルス君、いつもカリムとケンカするとき手加減してくれていたの?」


 クラウの問いにビクリとラルスは体を震わせた。泣きそうな顔をして、それからギュッとドアを握り締める。また、メキメキとドアがきしむ音がした。


「……一回……、噛みついたら血が出たから……」


 言いながら思い出したのか、目じりに涙が浮かぶ。必死で泣くのをこらえようとしているらしく、不格好な表情になったラルス。クラウに対して懺悔し、怒られても仕方ない。そう覚悟を決めて下を向く姿を見て、クラウは思う。

 この子はとても優しい、よい子だ。


「人間弱いから、本気で噛んだらダメだって。先生が……。他の奴らも危ないって……」

「でも、カリムのことは嫌いなんだろ」

「……嫌いだけど、血でたら痛いだろ」


 痛いのは噛みつくラルスではなく噛みつかれたカリムだ。それでも自分が傷ついたかのように落ち込むラルスを見ると、無性に甘やかしたくなる。

 とっさにクラウはラルスの頭を撫でた。自分だって驚いただろうに偉い。そう思ったら、とっさに手がでた。カリムを誉める感覚と一緒だったのだが、撫でてから気が付く。目の前にいるのは初対面の子供。しかもクラウを警戒しきっている子供である。


 先ほどの懺悔から考えて、クラウにいきなり噛みつく。そういった行動にはでないだろうが、不快にさせるんじゃないか。そうクラウは焦った。慌てて謝ろうとラルスの頭から手を放し、顔を覗き込む。驚きのあまりに目を見開いて、じっとクラウを見つめるラルスと目が合う。

 嫌悪が浮かんでいないことに安心したが、固まってしまっていることにクラウは再び焦った。


「すまない。嫌だったよね」


 そう声をかけると、ラルスは一拍を間をおいてからどこか残念そうな顔をした。

 その表情の意味が分からずにクラウが困惑していると、ラルスがしまった。という顔で視線をさまよわせる。どうにか気持ちを落ち着かせようとしているようだが、チラチラとクラウ、とくに先ほどラルスを撫でた手を見つめていた。

 その様子を見てクラウは人から聞いた話を思い出す。

 ワーウルフはスキンシップが好きで、特に子供は頭を撫でられるととても喜ぶという話。


「……ラルス君、嫌じゃなかったらなんだけど、撫でてもいいかい?」


 自分でも何をいっているんだろう。そう思いながらクラウは聞いた。これで嫌がられ、悲鳴でもあげられたら大事になる。そういった不安もありはしたが、そんな不安はラルスの反応でふっとんだ。

 ラルスはクラウの言葉を聞いた瞬間、ぱあっと表情を明るくした。花が周囲を飛んでいる。そんな幻覚が見えるほどに輝く笑顔にクラウは息をのむ。心臓の辺りをわしづかみにされたような衝撃。何だこの可愛い生き物は。そうクラウは思い、弟が世界一可愛いと信じて疑わなかった持論がグラグラと揺れる。


「撫でてくれんの?」


 ドアから動かなかったラルスが部屋の中に入ってくる。先ほどまでの警戒はどこに行ったのかと思うほどの浮かれた様子。しまっていた耳としっぽも飛び出ていた。しかもしっぽが、嬉しそうにブンブンと左右に振られている。

 全身で喜びを表現する姿にクラウはこみあげる衝動を抑えるため、口元に手を当てた。

 そうしなければ「可愛い!」そう初対面の少年にいったうえ、抱きしめてしまいそうだった。


「……初対面の私で嫌じゃないか?」

「うん! 俺、なでられるの好き!」


 クラウのすぐ近くまで近づいたラルスは、クラウに合わせてしゃがみこむとクラウの膝に手を置く。そして間近で満面の笑みを浮かべた。期待のこもった瞳はキラキラと輝いている。子供特有の丸みのある頬が赤く染まり、子ども特有の小さな手にブンブンとふられるしっぽ。

 全てが可愛くみえて、何だこの子はとクラウは何度目かの衝撃をうけた。


 目つきが悪い。そんな初対面の印象は吹っ飛んでいた。むしろ笑顔を浮かべたとき、ふだんとの表情とのギャップが癖になりそうだ。

 撫でてくれる。と知ったら初対面でも近づいてくる警戒心のなさも含めて、とても心配になってくる。しかし無邪気に撫でてくれるのを待っているラルスを前にして、今更ダメ。などと言えるはずもない。


 クラウはラルスの頭をゆっくりとなでる。カリムに日頃からしているようにと意識したが、考えてみればほとんど知らない子供の頭を撫でるのは初めてて、妙に緊張した。

 変に力を入れないようにゆっくりとなでる。黒髪は思ったよりも柔らかくて手触りがいい。犬は耳の後ろを撫でられると喜ぶ。という知識を思い出してゆっくりとなでると、ラルスの表情がふにゃりと緩む。もっともっとと、先ほどの警戒が嘘のようにすり寄ってくる小さな体。ブンブンと千切れそうなほど振られるしっぽを見て、クラウは思った。


 カリム、よくこの相手を邪見にできるなと。

 ある意味うちの弟はすごい。そう謎の思考に落ち着きそうになったところで、ガチャリとドアがあく。


 そこにいたのは、今まさに思い浮かべた弟とカリムを連れてきたであろう職員。目の前の状況を見て職員とカリムの目が見開かれる。その変化を見ながら、クラウは冷静に今の状況を考えて、なぜだか冷や汗が流れた。

 弟の片割とはいえほぼ初対面の子供の頭を撫でている。それだけならまあ、いいとして、問題はラルスがクラウに身をすり寄せていることにある。

 ただのじゃれ合い。それだけの話なのだが、なぜだかクラウは浮気を見つかった男のような、複雑な気持ちを抱いた。そしてそれは、全く見当違いではなかったと次のカリムの反応を見て悟ったのである。


「この駄犬がぁあ!」

「ぎゃぁああ!?」


 カリムは状況を理解するとすぐに、ブンブンと振られていたラルスのしっぽを引っ張った。ラルスは悲鳴をあげると、俊敏な動きでクラウの後ろに回り込む。背中にピッタリをくっつく子供の体温を感じて、クラウはなぜ自分の後ろに隠れた。と焦った。


 ラルスの選択肢としてはクラウしかいないのは理解できる。しっぽをわしづかみにする。という暴挙にでたカリムに近づく選択肢が消えたとなれば、カリムの後ろにいる職員に隠れるよりは近いクラウの背後に行くのが妥当。そう分かってはいるが、目の前に怒りの形相を浮かべて仁王立ちする弟を見て、クラウは冷や汗が流れた。


 初めて見る顔だった。

 兄上、兄上。とカリムは目を輝かせて、いつもクラウの後をついてきた。その表情は尊敬と家族愛。それしかなかったというのに、今クラウを見下ろすカリムの目にはそのどちらの色もなかった。

 あったのは怒り。そして嫉妬。カリムの水色の瞳の奥が燃えている。それは10歳の子供が浮かべるにしては深すぎる。クラウですら抱いたことがないような重たい感情に思えた。


「何だよ! 兄ちゃんと話したぐらいで怒んなくてもいいだろ!」


 ラルスがクラウの背中に隠れながら吠えた。

 いやいや、違う。とクラウは引きつった笑みを浮かべた。何でこんなどす黒い感情を向けられているのに気づかないのか。明らかにカリムが敵視しているのはラルスではなく、クラウだ。

 自分の兄が他人にとられたからの嫉妬ではなく、自分の片割が他人になついていることへの嫉妬。そう理解したからこそクラウは、どうすればと額に手を当てた。


「うるさい! 駄犬! とっとと離れろ!」

「嫌だ! お前近づいたらまたしっぽ掴むだろ! 痛かったんだからな!」

「お前が媚び売ってるのが悪い!」

「はあ!? どこが媚びうったんだよ! 挨拶してただけだろうが!」

「どこが挨拶だ! どこが!」


 ギャーギャーとクラウを挟んでケンカし始める2人の怒鳴り声を聞きながら、クラウは頭痛がしてくるのを感じた。

 思った以上に事態はややこしいことになっている。そう理解してしまったのである。


 ヒートアップした2人は至近距離で睨み合って胸倉をつかみ合っている。仲が悪い。そういうには近すぎる距離を見て、クラウは悟る。

 この2人。実はものすごく相性が良いのではないかと。


「……どう思います?」


 少し離れた場所から事態を見守っていた職員が、困った顔で聞いてきた。この職員がどこまで2人の関係を把握したのかは分からない。カリムの身内であり、カリムの性格を理解しているクラウだからこそ分かったともいえる。

 だが、これを言葉で説明することの難しさ。そもそも他人が口出したら余計にこじれそうな気もする。


「……とりあえず、ラルス君の精神的ケアを優先してもらえれば。カリムに関してはほっといて大丈夫だと思います」


 身内を放り投げたともいえるクラウの返答に職員は不思議そうな顔をしたが、頷きはしてくれた。もっと細かなことに関しては、落ち着いてから改めて手紙を送る。そう約束し、未だに騒ぎ続けるカリムとラルスを見る。


 やはり距離が近い。背を押したらキスしてしまいそうな近さで言い争う2人。胸倉をお互い掴み合っているというのに、お互いに手は出さないあたり、無意識にセーブしているように思えてならない。

 おそらくは理性が本能に追いついていないのだ。そう理解したクラウはため息をついた。


 カリムが過ごしてきた環境は、大人が多かった。みなカリムの思考を理解し、察して動いてくれるうえにカリムを可愛がり甘やかした。それが当たり前になっていたカリムにとって、自分の感情を明確に伝えなければ理解してくれない同世代は未知の生物に違いない。

 しかもカリムは正確に自分の気持ちを理解していない。自分でも理解できない苛立ち。察してくれない、教えてもくれない周囲。初めての環境にカリムは戸惑っているが、大人ぶった態度を貫き通してきた結果、折れる。という選択肢がない。


 すれ違いの原因に気づいたクラウは、多大な迷惑をかけているラルスに心の中で謝罪した。うちの弟が我儘ですまない。と。


「甘やかしすぎたかなあ……」


 末っ子だからと可愛がりすぎた。そう後悔しているクラウだったが、今さらいってもどうにもならない。早くカリムが自分の気持ちに気づき、正直にラルスに気持ちを伝えてくれるように祈る他ない。

 クラウは信じていた。カリムは聡い子だ。いつか自分で気付けるだろう。その時まで兄として助け、見守ろう。そうクラウは騒ぐ2人の怒声を聞きながら決意したのだった。

 

 その考えすらも甘かった。そうクラウが気付くのはそれから数年後。

 カリムが自分の気持ちを自覚するのは、ラルスと出会って7年目のことだった。

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