捕食衝動

 大事な話がある。そうカリムに言われて、ラルスはカリムと向かい合って座っていた。

 なぜかベッドの上で。何でベッド? 大事な話って寝室でするものか? 俺寝るぞ? とラルスは混乱しながらも、真面目な空気のカリムに合わせて押し黙る。


 今日のカリムはいつもと違ってみえた。

 普段から無表情だが、今日はいつもより表情が険しい。

 他の者にいうと「どこが?」と首をかしげられる程度の差だが、付き合いが長く、恋人。という立ち位置を手に入れたラルスには分かる。


 そう、恋人である。

 何かよくわからないが、いつの間にかそういう感じになっていた。

 ここまで至る経緯についてはラルス自身よくわかっていない。

 最初の印象は最悪だったし、ケンカしてた時期の方が長かったのに、何でこうなった? と未だに疑問はつきないが、恋人になることを了承するくらいにはカリムのことは好いていた。


 だからこそラルスは不安だった。

 なんだろう。自分は何かカリムの気に障ることでもしたのだろうかと。

 昔だったらともかく、カリムに好きだ。と挨拶のごとく言われるようになってから、ケンカの頻度はぐっと減った。


 たまにカリムがよくわからない怒りを見せることもあったが、ラルスが理解するよりも先にカリムが一人で納得して、なぜか一人でへこんでいた。

 あの一連の流れは未だによくわからない。


 そうしてカリムの謎行動は増えたが、衝突は各段に減った。

 ラルスとしても、カリムと少しは仲良くなれた。と浮かれたくらいだ。

 それがここにきて、急に大事な話。なにかあったのかと不安に思う。やっぱり恋人なんて勘違いだ。別れよう。とか言われるのだろうか。付き合って一カ月くらいしかたってないが。


「私とお前が付き合いだして、一カ月たつのだが」


 そう思ったところでカリムが口を開いて、ラルスは思わずビクリとする。

 これは想像どおり、別れ話なのか。恋人という肩書になってから恋人らしいことは一つもしてないというのに、もう終わりか。

 別にカリムと恋人になりたかった。というわけではないのだが、終わりと言われると寂しくなる。ラルスは肩を落とした。

 ケンカしてた時期より短かったな。とラルスが一人自嘲していると、人一人分ほど距離をあけていたカリムが急に近づいてきた。


「いいかげん、恋人らしいことしてもいいだろう!」


 ふだん無表情とは思えない、必死な形相でカリムはそういってラルスの両肩を掴んで詰め寄ってきた。

 ラルスは予想外の言葉に固まって、それから首を傾げる。


「別れ話じゃねえの?」

「何でそうなる! どれだけ私が苦労したと思ってるんだ! 別れてたまるか!」


 一言いったら倍になって返ってきて、ラルスは目をまたたかせた。

 どうしたカリム。今日はやけにテンション高いな。と首を傾げる。


「お前、なんか今日おかしくね?」

「おかしくもなる……お前、一カ月の間、いやその前からずっと我慢し続けてきた、私の気持ちが分かるか!?」


 今度は急に落ち込みだした。なんだ情緒不安定か。何か悩みでもあるのか? とラルスは心配になってカリムに近づき、すんすんと匂いを嗅いだ。

 毎日やっている体調チェックだが、とくに変わった匂いはしない。健康そのものである。

 だからこそラルスは首をかしげるが、カリムは先ほどよりも険しい形相で「だから、お前はあ!」と叫んだ。

 心の病だろうか。とラルスは本気で心配になってきた。


「恋人らしいことっていったって、具体的に何すんだよ」

 とりあえず先ほどの言葉の続きをうながすと、カリムは顔をしかめる。


「具体的にってお前、言わないと分からないのか?」

「んー? 一緒に暮らすはもうやってるしな」


 寮生活も踏まえたら8年以上は一緒に住んでいることになる。学校を卒業してからもカリムと、なぜかセツナとナルセに後押しされて一緒に暮らしている。特に不満はない。だからこそラルスは恋人らしいこと。と言われてもよくわからない。


「デートとかしたい柄じゃないだろ。したいの?」

「それも楽しそうではあるが、違う……」

「ノリ気ではあんのな……」


 男2人でデートして何が楽しいんだ? 外に出なくても家でゴロゴロしてるだけでも楽しいし、別によくないか? というのがラルスの意見だが、カリムはそうではないらしい。

 恋人の願いはなんでもかなえてあげたい。なんて乙女思考でもないので、ラルスはめんどいな。と正直に思った。


「じゃあ、何がしたいんだよ……」

「逆に何でお前は分からないんだ……。まだ10代だろ。性欲とかないのか!」

「せい……よく……?」


 カリムの言葉にラルスは目を見開いた。カリムが発するとは思えない単語に驚いたのだ。

 これをいったのがセツナだったら、セツナだしな。で話は終わったのだが、言ったのはカリムである。


「むしろ、お前そういう欲求あったの? そういうの全く興味がないかと思ってた」

「自分で言うのもなんだが、今までの私の行動を見てよくそんなことが言えるな」


 そうカリムは言ったあと、ということは今までの私の行動は全く伝わってなかったということか。と何故か頭を抱えだした。

 何だ。どうした。今日は本当に可笑しいぞ。とラルスは下を向いたカリムの顔をのぞきこむ。

 カリムはブツブツと何かをつぶやいてから、何度か深呼吸し、それからラルスに改めて視線を合わせる。


「お前、私のことが本当に好きか?」

「……たぶん?」


 カリムが見たこともないほど顔をしかめたのを見て、流石にまずいとラルスは慌てて次の言葉を口にする。


「いや、好き……だとは思うけど……?」

「何でさっきから疑問形なんだ。お前好きでもないやつと一緒に住んで、好きでもないやつと恋人なるのか」

「いや、そんなことねえけど……」


 嫌いなやつと暮らすなんてごめんだし、ましてや好きでもない相手と恋人なんて想像もしたくない。そうラルスは思ったところで首をかしげる。


「ってことは、俺お前のこと結構好きなのか?」

「今か! それ今なのか!」


 カリムがいつになく大声で叫んだ。お前そんな声出せたんだな。とラルスは驚いて後ずさる。


「鈍い、鈍いとは思ってたが、お前自分の気持ちにも鈍いな」


 ぐいっと顔を近づけられて、ラルスはさらに後ずさる。気付けば壁際まで追い詰められ背中が壁の感触がした。

 何だかマズい気がするが、目の前にカリムの顔があって逃げられない。いつになく真剣な表情でラルスを見つめるカリムの瞳には、強い決意が見える気がした。


「お前は私に触られるのは好きか?」


 そういってカリムはベッドのシーツを掴むラルスの手に触れる。ただ触っただけなのに、いつもの接触とは全く違う。わっと何かが這い上がってくるような感覚がした。

 それでも手を振りほどく。という選択肢はなぜか浮かばず、ラルスはじっとカリムの目を見る。


「……嫌いじゃねえけど」


 くっついてるのは正直安心する。人の体温を感じるのがラルスは好きで、とくにカリムの体温や匂いは落ち着く。一日中くっついていても飽きないぐらいだが、カリムはすぐに離れたがるため実行に移せてはいない。


「どこまでだったら嫌じゃない?」

「どこまで?」


 どういう意味だ? と首を傾げるとカリムは突然ラルスを抱きしめる。

「これは好きだよな?」


 耳元でささやかれて、何だか落ち着かない気持ちになりながらラルスは頷く。

 このくらいであれば普段からラルスの方が抱き着いている。それなのに妙にそわそわして、いつもと同じなのにとラルスは不思議に思った。

 そういえばカリムの方から抱き着かれたのは初めてだ。そうラルスは少し間をおいてから気が付いた。


「じゃあ、これは」


 そういうとカリムは、今度はラルスの腰のあたりをなでる。

 ラルスが抱き着いていると、カリムがこうして触ってくることは何度もあった。そのたびにラルスはゾワゾワと形容しがたい感覚がして不安を覚え、嫌だ。そういってカリムから逃げてきた。


 今回もそうしようと口を開きかけると、カリムの瞳とかちあう。

 真剣でありながら、どこか拒否しないでくれ。そうすがっているようにも見えて、ラルスは言葉が出ない。


「嫌か?」

「……嫌じゃねえけど……」


 とっさに出たのは言おうとしたものとは真逆の言葉で、何で。とラルスは思う。

 だが、それを聞いてカリムがホッとした顔をしたのを見たら、細かいことはどうでもよくなってきた。


「じゃあ、これは」


 次にカリムはそういうと、先ほど以上い顔を近づけてきた。

 童顔ではあるが整った顔がだんだん近づいてきて、ラルスはとっさに身をひこうとする。ところがすでに背中は壁に触れていて、これ以上下がることができない。


 どうしようと思っている間に、カリムが両手がラルスの頬を包み込む。

 何を。とラルスは聞こうとするが、口を開くことはできなかった。言葉を発する前に唇に柔らかい感触でふさがれる。

 ラルスの理解が追いつく前に感触はあっさり離れ、カリムが至近距離でラルスの目をのぞきこんできた。


「これは嫌か?」


 その言葉でキスされた。そうやっと脳が理解して、理解した瞬間に顔に熱が集まった。何かを発しようと口を動かすものの、湯だった頭はまったく動かず言葉にもならない単語だけが転がり落ちる。


「嫌じゃないんだな?」


 頬に触れたままカリムが額をくっつけてきた。今までは全く気にならなかったのに、急に吐息がかかる距離が恥ずかしくなって、ラルスは混乱した。

 普段は落ち着く体温が気になって、すぐに逃げたいのに背後には壁があり、目の前にはカリムがいる。そのうえ、いつの間にかカリムはラルスの体の上にのっていて、全く身動きが取れない。


 まずい。よくわからないが、逃げないとまずい。そう先ほどから本能が警鐘をならすのに体には全く力が入らない。本気で振りほどけば逃げられると分かっているのに、ピクリとも体が動かなかった。


「なあ、ラルス。嫌じゃないんだよな?」


 嘘は許さない。ごまかしも許さない。そういった凄みのある表情でカリムがラルスの瞳をのぞき込んでくる。目をそらしたいのに、そらすことができない。縫い付けられたようにずっとカリムだけをラルスは見ていた。

 いつのまにか表に出ていた耳としっぽが下を向いている。カリムが上で自分が下。そう認める己の本能を認めたくないのに、次の瞬間、自分でも驚くほどあっさりと声が出た。


「嫌じゃない」


 慌てて自分の口をふさごうとしたもののもう遅く、しっかり聞き届けたカリムは初めて見る表情でほほ笑んだ。

 いつも無表情なカリムを見ては、面はいいんだから笑えばいいのに。そう思っていたラルスだったが、これはダメだ。この笑みは早々表に出していいものではない。元々整った容姿がさらに際立って、顔だけじゃなくて体全体が熱くなる。


 ゾワゾワと何かが這い上がってくる感覚がする。今までは何だか分からなかったが、ラルスはこの感覚の正体をやっと理解した。

 これは捕食者が目の前にいるという危険信号だ。


「嫌じゃないなら、いいよなラルス?」


 疑問形でありながら、全く譲る気がないカリムは微笑みながらそう言って、ラルスの耳としっぽをなでる。

 止めろ。と言いたいのに、ゾワゾワした感覚が強くなって何も言えない。そのうえもっと別の、今まで感じたことのない感覚が混ざって、ラルスはわけのわからない衝動を抑え込もうときつく目を閉じる。


 カリムが満足気に笑うのが目を閉じていても、なぜだか分かった。

 極上の獲物が目の前に現れたとき肉食動物の気配。それを間近で感じ取ったラルスは、もう逃げられない。そう思った。

 すぐに自分は食べられてしまう。頭からつま先まで余すことなく。


 それは恐怖のはずなのに、カリムならいいか。そう思ったラルスは、自分はカリムが思っていた以上に好きなのだと、遅すぎる自覚をしたのであった。

 

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