2 飴玉

 否。

 ‎その子はまた宙に浮かび、私の体を持ち上げた。空を飛ぶあの清々しさが、感覚として蘇る。私は一瞬で泣き止み、笑顔を取り戻した。

 ‎女の子は、私と目を合わせた。


「本当に、戻らなくて良いのね?」

「…うん!」


 瞬間、私はまた物凄いスピードで、草薮の上を通り抜け始めた。風の音が、びゅんびゅんと耳の側を横切る。


「あははははは!」


 私は大声で笑っていた。森の中を風になって通り抜ける感覚は、とても気持ちが良かった。

 ‎私を呼ぶ大人の声が遠ざかってゆく。私は少し後悔したが、それよりも今置かれている状況の方が、幸せで楽しかった。

 ‎

 ‎日はすぐに落ちそうだった。私はどこに連れて行かれるんだろう? この子は何者なんだろう?

 ‎妖精? 妖怪? 気になって仕方がなかったが、なぜか信頼はできた。


「ずっと山の中にいるの?」

 顔を上げて聞くと、女の子は一瞬私と目を合わせたが、すぐに前を向いて答えた。

「そうよ」

「道の駅にも行かないの?」

「行かないわ」

「じゃあ、何を食べてるの?」

「…後で分かるはずよ」


 謎が多すぎる。

 ‎曖昧な答えに疑問を抱えながらも、私は最後に一番気になっていた事を問いかけた。



「お姉さんは、人間なの?」



 途端に、女の子の飛ぶスピードが遅くなった。女の子はしばらく私の顔を見つめたまま、答えなかった。


「妖精? それとも、魔法使い…?」


 すると、女の子は寂しそうに笑ってこう答えた。



「…私にも、分からないわ」



 私は首を傾げた。

「…え? どういうこと? じゃあ、名前は?」

「秘密」

 結局、はっきりとした答えは帰って来なかった。私は少しふてくされたが、表情には出さなかった。

「これからどこ行くの?」

 そう聞くと、女の子は突然止まり、私を抱えたまま着地した。

 ‎突然の出来事に呆然とする私の両肩を、女の子はがしっと掴んだ。


「私と会ったことも、これから起こることも、絶対に誰にも言っちゃ駄目。良いわね?」


 目を合わせながら強く念を押してくる女の子に、私は何も考えずに頷いた。

「う、うん…」

 すると、女の子はにっこりと笑い、「約束よ」と言ってから、私の前を歩き出した。


「ついてきて」


 私は頷き、無言で女の子の後をついた。

 ‎歩く先は、今までと変わらず暗い森の中だった。この先に何があるのかさっぱり分からず、私は安易に頷いてしまったことを後悔した。


 しばらく無言で女の子の後をついていると、草木の間から光が差し込んできた。女の子は、その光に吸い込まれるように森から姿を消した。私も慌てて、その光に飛び込んだ。


 目の前の景色は一瞬にして変わり、薄暗い景色から、美しく開けた光景に変化していた。


 青く輝く湖と、花が咲き乱れる草原。

 ‎そして何よりも不思議だったのは、無数の小さな輝きが、星のように宙に浮いていることだった。

 

 そしてその場所には、目の前を歩く女の子のように不思議な格好をした女の子が何人もいて、空を飛んだり、走り回ったりしていた。どの子も大きな獣耳や羽や尻尾を持っていて、私はファンタジーの世界に来ているような気分になった。


 しばらくすると、その子達はこちらの存在に気がついたようで、動きを止め、私に視線を集めた。驚いた様子の子もいれば、不審そうに私を見ている子もいたような気がする。


 私は女の子の影に隠れながら、私を見つめる女の子をちらちらと見ながら歩いた。

 ‎

「その子、誰?」

 茶色い服にピンクのスカートを履いた女の子が、真っ先に私の元に近づいてきた。犬のような、茶色い大きな耳を持っていた。

「新しく生まれた子じゃなさそうだよね?」

 その女の子は、私にぐいぐいと近づいてきた。ハイライトの無い剥製のような目が、少し怖かった。

「…もしかして、人?」

 女の子は、私を連れてきた子にそう問いかけた。その表情は、とても明るかった。

「ねぇ、人だよね? 人だよね?」

 私を連れてきた子は、言葉に迷っていたのかしばらく黙り込んでいた。

 ‎茶色い耳の女の子は、今度は私に聞いてきた。

「ねぇキミ、人だよね?」

「…うん」

 私はうつむき加減に答えた。

 ‎すると、徐々に集まってきた女の子たちが、次々と言葉を発し始めた。


「人!?」

「私、人初めて見た!!」

「どこから来たの? どこから来たの?」

「何か美味しいもの持ってる?」


 質問攻めされ、受け答えに迷っていると、その子達の後ろから大きな声がした。


「落ち着くのです!」


 私も女の子たちも、ビクッとして黙り込んだ。

 ‎女の子達を一括した張本人は、私の前に出てくると、しばらく私を見つめてから、私を連れてきた子に問いかけた。


「どういうことですか?」


 小柄で、茶色い木の幹のような模様のコートを着た子だった。角のような髪の毛が前髪から2本生えており、頭には羽のようなものも付いていた。

 ‎

 ‎私を連れてきた子は、落ち着いて答えた。

「道に迷っていたから、元の場所に戻してあげようと思ったの。でも、どうしても帰りたくないって言い出したから連れてきたのよ」

 すると、コートの子はオレンジ色の大きな目を細めて、ため息をついた。

「…これで、我々の居場所がばれたらどうしてくれるのです」

「大丈夫よ。誰にも言わないって約束したから」

「この子が100%その約束を守ってくれる保証が、どこにあるのですか?」

「……」

 女の子は表情を変えないまま、また黙り込んでしまった。反論したいのか、言い訳を探しているのかは分からなかったが、私はその子の代わりに訴えた。


「だ、誰にも、言いません」


「?」

 コートの子は私に目線を移した。

「誰にも言いません、道に迷った私が悪いから」

「………」

 コートの子は、しばらく私を見つめていた。


「ま、まぁまぁ、喧嘩してもしょうがないからさ! ね?」

 コートの子の肩に手を置いて笑いかけたのは、先程声をかけてきた茶色い耳の子だった。

「道に迷ったの? 大変だったでしょ」

 茶色い耳の子は、そう言って私にも笑いかけてきた。私は軽く頷いた。

「あはは、顔に泥ついてるよ。向こうで遊ぼ!」

 私は突然腕を掴まれ、引っ張られた。

「えっ、ちょっと、ちょっと待って!」

 私は茶色い耳の子を慌てて止めた。女の子は驚いて、掴んでいた腕を離した。

「? どうしたの?」

 私は、振り返って歩き出した。


「おーい、どうしたの?」

 茶色い耳の子は、後をついてくる。まだ動かずに固まっていた女の子達を掻き分けて、私は連れてきてくれた子の前で立ち止まった。


「?」

 女の子は、不思議そうに私を見ている。私は掛けていたバックの中から飴玉を取り出し、その子に差し出した。

「助けてくれた、お礼…」

 当時、先生や親から『助けてもらった時は必ずお礼をすること』と強く教えられていた私は、それを遂行しなければ気が済まない性格だった。

 ‎

 私を連れてきた子は、驚いた様子で飴玉を見た。

「…これは……」

 そして、飴玉を受け取り、顔の目の前まで持って行くと、懐かしい物を見るかのように、しばらく見つめていた。

「あーっ!!」

 後ろにいた茶色い耳の子が、大声を張り上げた。

「それ、アメじゃん! 僕にもちょうだい!」

「い、いいよ」

 私はバックから飴をもう1つ取り出すと、茶色い耳の子に差し出した。茶色い耳の子は手馴れた様子で包装から飴を取り出すと、口の中に放り込み、とろけるような表情を見せた。

 ‎

「あー、美味し~い!!」


 そんなに喜ぶものかな…と、その子の幸せそうな表情を見ながら思っていると、今度はコートの女の子が、私の腕をがしっと掴んできた。

 ‎

「私にもよこすのです!」

 

 ものすごい形相でそう言われ、私は慌てて飴玉を差し出した。コートの子はそれをかっさらうと、すぐに包装から取り出し、口の中に入れた。

 瞬間、その子の目がきらきらと輝いた。


「…懐かしい、味なのです……」


 懐かしい…?

 ‎私は首を傾げた。


「ありがとう」


 私を連れてきた子が、そう言って私に笑いかけた。


「アメって何だ!?」

「私も食べたい!」

「ねぇ、それ私にもちょうだい!」


 次の瞬間、女の子たちの手が、一斉にバッグに向かって伸びてきた。

 ‎私は慌ててそれを静止し、順番にひとつずつ、飴玉を差し出した。開けたばかりだった飴は、残り3個ほどになってしまった。

 ‎女の子たちは、包装の開け方が分からず試行錯誤していた。それを、茶色い耳の子やコートの子が必死に教えていた。


 女の子たちは飴の味に満足していたが、その食べ方が不思議だった。そのまま飲み込んだり、口に入れた瞬間からバリバリ噛み始めたりしていた気がする。まるで、飴の食べ方がわかっていないようだった。


 私は、女の子たちの正体がますます分からなくなった。

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