砂星の道しるべ 〜Haru's Story〜

1 飛ぶ

prologue


 これは、私が幼稚園の年長だった頃の記憶である。


 10年以上前のことであるため、記憶が曖昧な部分もあるが、覚えている限りの出来事を記した。

 

 人の記憶力は頼りない。が、覚えている限り、その記憶は過去に現実となっていたはずである。

 この出来事は、残しておく必要がある。いや、価値があると言うべきか。ともかく、現在の大人が言っている事と、私が体験したあの出来事は、確実に矛盾しているのだ。

 大人たちは、何か勘違いをしているのではなかろうか。そう思った私と同年代の子供は、案外身近にいるのかもしれない。


 とにかく、もし大人たちが勘違いをしているのであれば、この記録はそれを裏付ける証拠となるだろう。

 今の私にはそれを声を大にして言える力はないが、いつかきっと…。


 そのために、この記憶を残しておく。


 さて、最初から曖昧な記憶の再現に入る。



 きっかけは、幼稚園の卒園直前に行われた遠足だった。『幼稚園最後の思い出をみんなで作ろう!』と、担任の先生が言っていた記憶がある。いわゆる卒園旅行だ。


 保護者も同伴し、向かった先は仁賀村。

 サンドスター火山があることで有名な村である。

 火山から出ているサンドスターの影響で、仁賀村は実に様々な環境に恵まれていた。東部は1年中雪が降り積もり、西部は寒冷な山岳地帯、南部は乾燥した砂漠地帯、北部は青葉市と同様に温暖な気候……と、いった具合である。その特長が活かされ、仁賀村はホートク大陸有数の観光地となっていた。


 遠足で向かったのは、温暖な気候に恵まれ、森林や湖が広範囲に渡っている北部だった。ホートクで最も大きなレジャー施設・仁賀グリーンパーク内にあるアスレチックを、家族と協力してクリアするという内容だった気がする。当時の私は今よりも運動神経が良く、どんなアスレチックだったかはあまり覚えていないが、クラスの中で1番にゴールし、景品の文房具を貰った覚えがある。


 が、問題はアスレチックではない。その帰り道の途中の話である。

 公園を出た直後に誰かがトイレへ行きたいと言い始め、バスが急遽、公園の側にあるサービスエリアに停車した。私はトイレに行きたい訳ではなかったが、興味本位でバスから降り、母に駄々をこね、自販機のアイスを買ってもらった。


 バスへ戻る途中に、私はどこからか視線を感じた。

 振り返ると、林縁の影からこちらを見る、中学生か高校生くらいの女の子と目が合った。灰色と黒の髪の毛に、青っぽい服。強気そうなつり目で、私の顔をじっと見ている。

 次の瞬間、私の目線はその子の頭に釘付けになった。


 女の子の頭には、大きな耳が付いていた。イヌ? キツネ? よく分からない。


「お母さん、あの子…」


 私が母を呼び、その子を指差した瞬間、女の子はガサッと音を立てて逃げ出した。

 母が振り返るや否や、私はその子を追いかけるべく駆け出した。幼い人間は誰もが持つ好奇心のせいだったのか、とにかく、その女の子が気になって仕方がなかった。森の中へ入り、がさがさと草を掻き分けながら、女の子の背中を追いかけた。

 背後で大人たちが何か叫んでいたが、あまりの必死さに頭に入ってこなかった。


 女の子はスカートの下から出た尻尾を揺らしながら、ものすごいスピードで私から逃げた。いくら私が小さかったとはいえ、あの子のスピードは尋常ではなかった。

 私はその子の背中が見える限り走ったが、女の子はあっという間に姿を消してしまった。


 我に返り立ち止まった瞬間、私は周囲を見渡して絶句した。



 道が分からない!!!



 当然といえば当然である。

 木や葉がうっそうと茂っていて、帰り道はおろか、ここがどこなのかも分からない。

 さっきまで聞こえていたはずの大人たちの声も、全くもって聞こえなかった。

 あの時の絶望感は、今でもよく覚えている。


 両親を探してふらふらと歩き回ったのが、更に悪かった。今の私ならじっとその場で助けを待つが、当時6歳だった私にそんな事が分かるはずもなく、出口を探して森の中を右往左往した。


 日が傾き始めた頃、私はやっとその場に座り込んだ。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。両親をひたすら呼んだせいで、声もまともに出なくなっていた。

 バッグに入っている飲み物も、母に貰った飴も、半分以下にまで減っていた。私はここで死ぬんだろうと思い、1人ですすり泣きしていると、頭上でがさがさと音がした。


 私は驚いて跳び上がった。

 クマ? サル? リス?

 恐る恐る音のした方を見ると、先程とは違う女の子が、木の上から私を見ていた。


「どうしたの?」


 木の葉が邪魔で顔しか見えなかったが、その子も先程の子と同じようなつり目をしていた。オレンジ色の瞳で、私の泣き顔をじっと見ている。


 この子はただの人間じゃないと、幼少期の私でも直感した。が、人間であろうがなかろうが、話をすることができる存在が目の前に現れたことが、私にとってはこの上ない救いだった。


 私は声を枯らしながら答えた。

「……お父さんとお母さんが、どこにいるか分からない…」

「え?」

「不思議な子がいたから、追いかけたら……ぐすっ」

「道に迷った、ということ?」

 小さく頷くと、女の子は顔をしかめてこう問いかけてきた。


「あなた…ヒトよね?」


 何を当たり前なことを聞いているのかと思ったが、そんな口答えをする余裕もなく、私はまた黙って頷いた。

 女の子は数秒ぽかーんとしてから、辺りを見回し、木の上から降りてきた。一瞬、ふわりと浮かんだような姿勢を取って着地し、その子は私の目の前に現れた。


 女の子の姿は、とても印象的だった。

 頭からは翼が生えていて、腰の辺りには鳥の尾羽のようなものが付いていた。服は、白い制服に黄色いタイツと靴を履いていた。

 黒髪に黄色い前髪をたなびかせながら、すらりとした体型のその女の子は、私と目線を合わせるようにかがんだ。


「どこから来たのかしら?」


 私はその子の人間離れした容姿に驚きつつも、少し落ち着いて答えた。

「…道の駅」

「みちのえき…?」

 女の子は首を傾げた。

「みちのえき…みちのえき……あぁ、あの車がたくさん停まってる所ね?」

 確信は無かったが、私はぶんぶんと首を縦に振った。すると女の子は軽く微笑み、


「分かったわ。私が連れて行ってあげる」


 と言いながら、私に手を差し伸べてきた。

「ほんと!?」

 私は表情を明るくした。

「えぇ。日が暮れる前に、帰った方が良いでしょう?」

「うん!」

 女の子の手を取った瞬間、私の体はそのままふわりと浮かんだ。女の子は私を抱えたまま、頭の羽を羽ばたかせた。


「わっ、えっ、あの…!」


 瞬間、私の体はものすごいスピードで前に向かって宙を進み始めた。


 私は、強い向かい風を受けながら女の子を見上げた。しかし、女の子は動じなかった。

 夢のような出来事に頬をつねりながら前を見ると、木の幹がものすごいスピードですれすれを横切っていた。

 先程まで掻き分けながら歩いていたはずの草が、真下を流れるように通り過ぎていく。


 私は終始、唖然としていた。人間ではとても体験できないようなことを数分経験したのち、女の子はまだ出口が見えない森の中に私を降ろした。


「ここをこのまま真っすぐ行けば、道の駅に着くはずよ。気をつけてね」


 何の目印もない方向を指差され、私は忘れていた恐怖と不安を思い出した。

 そして、辿り着いたとしても、両親や先生からどんな仕打ちを受けるのか、考えると怖くてたまらなくなった。


 結局私はまた泣き出し、その場に座り込んだ。

「え、えぇ…?」

 女の子は困惑した様子を見せた。ひたすら泣き続ける私をどうすれば良いのか分からず、あたふたしているようだった。


「ど、どうしたの…?」

「帰りたくない……ぐすっ」

「えっ? さっきと言ってることが…」

「やっぱり…ぐすっ、帰りたくない…!」

「えぇ…?」


 理由を言うべきか泣きながら迷っている内に、遠くから聞き慣れた声が耳に入った。


「葉琉ー!」

「葉琉ちゃーん!!」


 私は顔を上げた。

 あの声は確実に、両親と担任の物だった。

 私は余計怖くなり、また顔を伏せた。


「…あなた、ハルって言うの?」


 女の子にそう聞かれ、私は伏せたまま小さく頷いた。すると、女の子は私から後ずさるように離れ、こちらに向かって手を振り出した。

「じゃあ、ここで待っていればあのヒト達が来てくれるってことね。私はこれで…」

 笑顔で立ち去ろうとする女の子を、私は大声で食い止めた。


「待って!!」


「…え?」

 女の子は立ち止まり、驚いた様子で私の顔を見た。


「葉琉の声だ!」

「土屋さん、こっちです!」

「葉琉ー! どこにいるのー!?」


 私の大声に気づいた大人達の声も、同時に聞こえた。草を掻き分ける音が、徐々に近づいてくる。その度に、女の子は動揺しているようだった。


「わ、悪いけど、私は本当にこれで…」

「やだ! 待って!」

「いや、だから待ってって…」

「帰りたくない!!」


 叫ぶ度に、声量を大きくして叫んだ。



 女の子は眉をひそめながら私を見続けた後、何かを決心したように、真顔に戻った。

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