エピローグ 妖精狩猟儀礼

 木槌きづち直樹なおきは山中を走っていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 暗闇の山中は足場が悪く、一歩踏み出すごとに体力を取られる。樹々の合間からかすかに覗く月明かりだけが頼りだ。その明かりにしたって眼鏡が吹き飛び、ぼんやりと見えるだけ。


「ギッ」「ギギギギ」「グギ」「イギギギギギギギ」「ギィ」「イイイイイイ」


 背後からは、無数の狩猟者が追ってきていた。


「どうして! どうして、ヨウセイたちが僕を……!」


 木槌の身体には何十本もの矢が刺さっており、服は血まみれになっている。腕には猟銃を抱えているが、弾は全て打ち尽くしてあった。もはや無用の長物なのだが、文明の利器を放り出して丸腰になるのは抵抗があった。撃てなくても銃は銃。絶体絶命の状況に置いてそれだけが心のよりどころだった。


「ギィ!」

「うっ!」


 左前方からヨウセイの集団が飛び出し、木槌は右へと急転換する。先ほどからこの調子だ。前からヨウセイが現れ、木槌は逃げる方向を変えざるを得ない。登山道を大きく外れてしまい、もはや自分がどこを走っているのかも分からない。


 しゅっ、と右斜め前から矢が飛んできた。木槌の左足付近へと当たる。十分以上走り続け木槌の速度は落ちている。それにもかかわらず、致命傷は受けてない。方向転換させられているのもそうだが、追い込み漁でもされているかのようだ。――。


「ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!」


 後ろから一際大きな叫び声。振り返ると数十匹近いヨウセイたちが束になって迫ってきている。どんどん速度を上げ、飛びながら弓矢を構えている。大きく見開かれた目に殺意を感じ取る。どこかへと誘導されているだなんて所詮は希望的観測か――。


「くそぉ!」


 木槌は大声で叫び、最後の力を振り絞って全速力で前へと駆けた。


(死ねない。こんなところで死ぬわけにはいかない。僕はそんな人間じゃあない!)


 木槌は全力で駆け、そして――。

 すかっ、と。

 足が宙を空ぶった。

 目の前には地面がなかった。

 暗澹たる闇が広がっている。


「は?」


 いつの間にか、眼前には山の斜面が迫っていたのだ。足を前へと踏み出した木槌は、斜面をなすすべもなく滑り落ちていく。


「う、ぉおおおおおおおおっ!?」


 頭の中を走馬燈が駆け巡る。空を舞うヨウセイたち。ばらばらにされる同級生。神々しいその姿。その感動を追い求めてきた自分がこんな最後を――。


 どん、と身体全体に衝撃。肺の中の空気が吐き出される。地面に激突して死んだのか――と思ったがそうではない。身体のあちこちが激しく痛むが、動けないことはなかった。木槌は瞼を開けた。濃紺の夜空に、真ん丸い月が浮かんでいる。


「ここは……」


 木槌の身体は、斜面から突き出した樹の上にあった。樹々が受け止めてくれ、地面に激突する前に止まったのだ。顔を突き出して下を覗けば、そこには深い闇。斜面の上までは数メートル近い高さがあり、一人で登ることはできない。


「……」


 ぎしぎしと枝の軋む音がする。木槌の体重に耐えきれないのか、長時間ここにいれば折れてしまうだろう。しかし、上へも下へも移動はできない。おまけに近くには多くのヨウセイがいる。万事休すか――と思ったところで。


 「ギ」とヨウセイの鳴き声が横からした。


 声がしたのは斜面の方からだ。顔を向け、木槌は驚く。樹々が生えている斜面のすぐ下、樹々の陰になったところに直径1メートルほどの大きな穴が開いていた。そして一匹のヨウセイがその穴から顔を出して、木槌を見つめていたのだ。先ほどまで木槌を追っていたのと同じ、シバヤマヨウセイに似通った種だ。


 斜面の上からヨウセイが何匹も降りてきた。ヨウセイたちは木槌をちらりと見ると、次々と穴へ入っていく。木槌を明らかに視認しているのに、襲うつもりがないようだ。穴から顔を覗かせ、こちらを見つめている個体も多くいる。


「……どういうことだ」


 木槌は、予想はやはり正しいのではないかと思い始める。ヨウセイたちはここへ招くために、わざと手加減して襲ってきたのでは。。


 選択肢はなかった。斜面を登ることも降りることもできない以上、木槌はこの穴へと飛び込むしかないのだ。木槌は枝を伝いゆっくりと斜面へ近づくと、木の枝に捕まりながら足を穴の中へと入れた。腰まで身体を入れ、中へと飛び込む。着地の衝撃で身体に突き刺さった矢がさらに深く食い込み、疼痛が走る。


「く、くそ。は、はぁ……」


 木槌は穴の中に座って息を吐いた。入り口近くにいたヨウセイたちは奥へと逃げていく。穴は丸く掘られている。自然にできたものとは思えないし、掘られたものだろう。穴の奥からはかすかな明かりが見える。


(熊の冬眠用の穴か? いや、こんな斜面に作るはずがない。だとすればまさか――ヨウセイ自らが掘った穴だとでもいうのか……?)


 木槌は生唾を飲み込んだ。痛みをこらえ、中腰になって穴の奥へと向かう。


 一般的にヨウセイは、冬季には目撃されない。越冬すると言われているのだが、越冬している現場そのものは目撃されたことがない。そのため、ヨウセイたちが冬場をどう過ごしているかは謎に包まれていた。木槌は、その答えの一端を垣間見ている気がした。最大で十匹程度で行動すると言われているヨウセイだが(妖精の道フェアリーロード等の現象を除く)、ここには明らかにそれ以上のヨウセイが潜んでいる。だとすればここは、ヨウセイたちの越冬用の巣なのではないか。未だかつて発見されたことのない幻想種の根城。


 進むにつれ、穴の直径は徐々に大きくなっていく。洞穴にもかかわらず、穴の終点からは淡い光。何か光源でもあるのだろうか。穴を通り抜け――木槌は目を見開く。穴の中にホールのような大きな空間が広がっていた。天井は二メートル近くあり、立ち上がることもできる。「ギィ」という声。壁際には数百を超える無数のヨウセイが待機していた。成熟した個体もいれば幼体も多くいる。弓矢や斧を持っているが、木槌に襲い掛かって来る様子はない。黒々とした瞳でじっとこちらを見つめている。


 壁にはロウソクがいくつか並べられ、炎が灯っていた。さすがにヨウセイたちが自作したとは思えない。落ちていた物を拾ってきたのだろうか。


(なんだこの状況は。襲ってこない。僕は歓迎されてるのか? ……ん?)


 ホールの最奥に、何かが座っている。眼鏡が取れてしまい裸眼だからかよく分からない。木槌は眼を細め、それが何かを理解し――はっとする。


 ヨウセイたちの奥に座していたのは、全裸の少女だった。身長は小さく、恐らく一メートルほど。頭は小さく、細い体型。少女は膝の上に手を置き、じっとこちらを見つめているようだった。周囲には取り巻くように多くのヨウセイたち。


(に、人間? な、なんでこんなところに……? ど、どういうことだ?)


 木槌の頭は混乱していた。少女の身長から見て、恐らくはまだ幼稚園か小学校低学年くらいだろう。なぜそんな少女がヨウセイたちに取り囲まれ、こんな穴にいる?


(……まさか)


 木槌の脳裏に、ある考えが浮かぶ。


(まさか、まさか、まさかまさかまさか――っ!)


 つぅ、と木槌の目から涙が溢れ、頬を伝っていく。二十年前と同じく、木槌の胸を感動が満たしていた。涙が溢れて止まらない。心が満たされていく。


「あ。あ。ああああああああ……っ」


 木槌は膝をついていた。身体の痛みなど消し飛んでいた。手を合わせ、目の前の少女を拝む。地に頭を垂れ、滂沱として涙を流し、むせび泣く。


「そ、そうか。そういうことなのですね……。あ、ああああ……」


 それは伝承上の存在。ヨウセイがれっきとした生物として認定される前の創作だ。夢物語であるはずの幻想が――目の前に降り立っている。


 全てはこのためだったのだ。ヨウセイたちの襲撃も、身体を貫いた痛みも、自分をここへと招くため。選ばれた人間として、彼女と向かい合うための儀礼。


 木槌は泣きべそをかいたまま、顔を上げる。


「お目にかかれて光栄です――


 ああ、やはり自分は間違っていなかった。

 ヨウセイとはかくもすばらしい生物で――。


 ひゅん、という風切り音。

 次いで、木槌の視界左半分が消失する。


「……え?」


 木槌は自分の左目に手をやる。指先に何か棒のようなものが触れる。目から何かが飛び出ていた。左眼球に無数の矢が突き刺さっていることを認識する。


「え、あ?」


 ひゅん、ひゅん、ひゅん、ひゅん――と。

 四方八方から矢が飛に、木槌の身体を貫いていく。


「ひ、ひいいいいいいいい!」


 身体に痛覚が戻り、木槌は絶叫した。


「ギ」「ギィ」「ギ!」「ギギギギギ」「ギ」「ギィギィ」「ギ!」「ギギギギギ」「ギグ」「ギィ」「ギイイイイ」「ギギギギ」「ギ」「ギィ」「ギ!」「ギギッ」「グギ」「ギィ」「ギ!」「ギギギ」「ギィ!」「ギッ!」「ギギゲギ」「ギ」「ギィ」「ギ!」「ギギギグギギ」「ギ」「ギィ」「ギ!」「ギギ」「ギ」「ギィ」「ギグギギグギ」「ギギッ」「グギ」「ギィ」「ギイイイイイィ」「グギイイイイ」


 飛んでくる無数の矢。歓喜に満ちたヨウセイたちの声。木槌の周囲を飛び回る幼体。奥に座してこちらを見つめている


「なぜ! なぜですか! なぜ僕が! 僕が僕が僕がああああ!」


 開いた口の中にも矢が飛び込んできた。舌を無数の矢が貫き、木槌は喋ることすらできなくなった。ヨウセイたちが取り囲むホールの中、苦痛に呻く木槌が躍る。





 祭季まつりぎ山は標高も低く、登山道も整備されている初心者向けの山だ。それにもかかわらず、不思議なことに数年に一度は秋から冬にかけて行方不明者が出る。


 狩猟儀礼――狩猟を生業とする人々により行われる、狩猟獣の豊猟祈願、死霊を成仏させる鎮魂、狩りを神へと示す祭事。だがヨウセイたちが何を目的としてこれを行っているかは不明である。

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