9話 狩猟者
今年の4月、ある学術雑誌に一報の論文が掲載され注目を集めた。芝地で発見されたシバヤマヨウセイの死骸――その死骸と周辺の土を調べたところ、キノコの生長促進物質が発見されたという内容だ。死骸からキノコの生長促進物質が土中へと放出され、周囲でキノコの生長が促進されるのだ。アカマツなど植物では、抽出液がキノコの促進をすることは報じられているが、哺乳類では前例のない話だった。ヨウセイがどのような方法、また目的で生長促進物質を貯めこんでいるのか――研究者たちの間で多くの議論がなされた。
有力な仮説として「外部の植物由来」というものが挙げられた。一部の草食性ヨウセイは植物の成分を体内に蓄積することで知られている。つまりは、キノコの生育を促進する植物(アカマツなど)をヨウセイが食べ、植物内の生長促進物質を溜め込んでいるという考えだ。だが、この仮説には矛盾が生じた。なぜならシバヤマヨウセイは肉食性だからだ。シバヤマヨウセイは集団でネズミなどの小動物を狩る。植物由来の成分をため込むとは考えにくい。ここで、研究者たちは新たな仮説を提唱した。シバヤマヨウセイは食物連鎖の過程で生長促進物質を溜め込んだのではないか、と。
自然界での一例。テトロドトキシン、という有名なフグ毒がある。しかしこのテトロドトキシン、フグだけではなく数多くの生物が有している。有名どころではアカハライモリ、ヒョウモンダコ、カブトガニ、ヒトデなど。フグとは類縁関係のない生物がなぜ同じ毒を有しているのか。答えは単純である。そもそもテトロドトキシンはフグそのものが生合成しているわけではないからだ。テトロドトキシンの生産は特定の細菌により行われている。細菌がヒトデなどに寄生や共生をすることで、その生物を毒化する。毒化された生物をフグが捕食することで、フグはその毒を取り込み、テトロドトキシンを獲得するのだ。それはつまり、毒化された生物を食べなければフグは毒を持たないということ。この知見を活かした無毒フグの養殖法も存在する。海中のフグを網で仕切り、海底から10メートル以上離す。これによりフグが毒化した底生生物を捕食できず、毒を蓄積しない。
つまり研究者たちは、フグと同じことがヨウセイでも起こったのではないかと考えた。草食性のヨウセイが、植物を食べてキノコの生育促進物質を蓄積する。シバヤマヨウセイがそのヨウセイを捕食することで、植物由来の成分を取り入れた。
植物→草食性ヨウセイ→肉食性ヨウセイ
という流れでキノコの成長促進物質が移動しているという説だ。だがこの仮説は、否定的にみられている。なぜなら極一部の例外を除き――ヨウセイがヨウセイを殺すという行動は目撃されたことがないからだ。仮説は仮説。立証されることもなく、なぜシバヤマヨウセイが促進物質を溜め込んでいるかは謎のままだ。
その答えの一端を、釧路は目撃していた。
闇の中を縦横無尽に、何かが飛び回っている。目で追うことはできず、ひゅんと風を切る音と、ぶぶぶという羽音のみが釧路の耳に届く。
かさっ、と上から音がした。
頭上を見上げると、枝の上にヨウセイの姿が見えた。体長は十数センチほど。ゲツガコウヨウセイと比較すると、足、腕ともに太ましい。ヨウセイは背中に円筒状の容器を背負っていた。爪楊枝ほど小さい矢が何本も入っている。そして手には「く」の字に曲がった木製の弓を持っていた。
その姿を見て、釧路は目を瞠る。
「シバヤマヨウセイ……?」
道具を用いて狩りをする代表的なヨウセイ。だがそれはあり得ない。なぜならシバヤマヨウセイは平野に生息しているからだ。山間部で目撃されたという話は聞いたことがない。それに目の前のヨウセイは筋肉が発達しているように見受けられる。ここまで筋肉質なヨウセイは見たことがない。
(シバヤマヨウセイの亜種、いや、新種のヨウセイか……?)
たっ、と四方から音がする。見ると他の枝にも同じヨウセイが飛び乗っていた。ざっと数えられるだけで五、六匹。音を聞くに他にも潜んでいるだろう。
「ギィイイイイイ……」
ヨウセイたちは三人を警戒しているようだった。丸い黒々とした瞳で釧路たちを見つめている。威嚇のような低い唸り声を発している。
「ギイァ」「ギッ」「ギィイイイイイ」「ギッ、ギッギギギギ」
頭上にいたヨウセイたちが唱和した。最初の一匹を皮切りとして次々と枝から飛び降り、先ほど射ち落としたゲツガコウヨウセイの下へと飛んでいく。謎のヨウセイたちは集団でゲツガコウヨウセイを取り囲むと、石でできた小さなナイフのようなものを取り出した。そして死骸目がけて躊躇なく振り下ろす。肉の潰れる音。肉の引き裂かれる音。ゲツガコウヨウセイの身体がばらばらにされていく。
(な、なんだこりゃ……)
釧路は茫然とその光景を見つめていた。ヨウセイを狩るヨウセイ。そんなものは考えたこともなかった。いや、生物の世界で同種を襲うことは珍しくはないが、幻想的な姿形をしたヨウセイがそれを行っているのは――おぞましささえ覚える。
「……! は、ははは。これはまた驚いたな」一方の木槌は、困惑しながらも笑みを浮かべていた。「僕以外にも誰か潜んでいるのかと思ったが、まさかヨウセイだったとはね。これはシバヤマヨウセイか? いや、こんな山奥にいるはずもない。だとすれば亜種か新種か……。ふふ、いずれにせよ面白いことになってきた。ヨウセイを狩るヨウセイ。人間を狩る人間である僕としては、同族意識を覚えてしまうよ」
木槌が銃を構え直した。照準は釧路へと向けられている。
「……!」
「種族の壁を越えて僕らは繋がっているらしい。愛を感じるね」
木槌が、引き金に指をかける。と、木槌の横にヨウセイが一匹だけ飛んできた。ホバリングのように空中に停滞している。手には小さな弓が握られている。
「なんだ、邪魔だな」
と木槌が言いかけた直後だった。しゅ、という小さな風切り音。続いて「へ?」と抜けた声を出す。木槌の右頬に、小さな矢が深々と突き刺さっていた。
「な……!」
木槌が右頬を手で抑える。その手の甲に、連続して矢が突き刺さる。ヨウセイは背負っていた矢を取り出し、弓につがえ、目まぐるしいスピードで放っていく。
「が、あああ! な、なんだ、何をする!」
「ギィ」「ギギギ」「グギイイイイイイイイィ」
死骸を取り囲んでいたヨウセイが、木槌目がけて飛び立ってきた。木槌の周囲を衛星のように飛び交っている。どのヨウセイの手にも弓が構えられており、容赦なく矢を放っていく。木槌の身体に何十本という矢が刺さっていった。
「が、あああああああああ! や、止めろ! 離れろおおおおお!」
木槌が宙に浮かぶヨウセイ目がけて発砲する。しかし暗闇の中を縦横無尽に飛び回るヨウセイに当たるはずもない。頬に、喉に、頭に、矢が突き刺さる。
「あああああああああああああああああああああああああ!」
闇夜に木槌の絶叫がとどろいた。
茫然としていた釧路だが、今の状況は自分たちに有利であると気づく。ヨウセイは木槌へ集中放火している。この間になら逃げだせる。釧路は立ち上がると、雪花が伏せている茂みまで駆けて行った。
「おい雪花、行くぞ!」
ぐったりとしている雪花を、釧路は抱きかかえようとした。だが釧路の目の前にもヨウセイが飛び降りてくる。丸い瞳で釧路を見つめ「ギ」と鳴く。その手には弓が構えられている。木槌だけでなく、釧路たちも同様に標的にされていた。
「どけ!」
釧路はヨウセイを叩き潰すつもりで払いのける。が、ヨウセイは軽く飛び回って拳をかわした。ヨウセイが矢を放つ。手首に突き刺さり鋭い痛み。頭上から一匹、新たにヨウセイが飛び降りてきた。ヨウセイたちの数はどんどん増している。ヨウセイの数は始め数匹程度だったが、今では数十匹近くなっていた。楽しそうに、自由に暗闇を飛び回っている。
(くそ、くそ、くそ! ここさえ突破できりゃあ、木槌を巻けるのに……!)
ヨウセイたちは一定の距離を開け、周囲を飛び交う。釧路の手が届かない距離から、ちまちまと矢を放つ。腕の中の雪花にまで突き刺さっていく。
「くそ、くそ、くそ! どけ、どいてくれ! ここさえ抜けりゃ――」
「待て、お前らぁ!」
「!?」
背後から怒声。振り返ると、ヨウセイたちに取り囲まれながらも木槌がこちらへ叫んでいた。身体には数百にものぼる矢が刺さりハリネズミのようになっている。身体中が血まみれになりながらも彼は立ち、怨嗟の籠った瞳でこちらを睨みつけている。
「逃がさない。お前らは僕の剥製だ! ここで仕留めてやる!」
銃口が向けられる。
森閑とした闇夜に、大きな銃声がとどろいた。
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