第四話 魔王はお怒り中です

魔王は忘れてません


「あの、クラウゼ様……」

「なんすか、お姫様」


 どうやらジルは、なかなか朝食の席にやって来ない二人を心配して、わざわざ呼びに来てくれたらしかった。

 しかも、侍者が呼びに行きますよと申し出たところを断ってまで、自らが来てくれたらしい。

 それなのにあんな恥ずかしいところを見られてしまい、メルヴィナとしてはかなりいたたまれない。

 一方、アランはというと。上機嫌でメルヴィナの後ろをついて来ている。結果としてはジルに邪魔されたことになるのだが、その前に存分に楽しめたようで、最初の不機嫌はどこふく風だ。

 その満足そうな表情といったら、ジル曰く「一発その顔殴らせてくんない? もっとかっこよくしてやるから」と言ってやりたくなるほどムカついたとか。


「その、ですね。朝のあれは誤解と言いますか。アランを蹴り上げようしたら、逆に捕まってしまったと言いますか……」


 メルヴィナにとって、ジルは将来の夫候補だ。今から誤解を与えるわけにはいかないし、できれば仲良くやっていきたいと思っている。

 でなければ、お互いに辛いだけだから。


「いや、ちょっと待って。お姫様今、なんて言った?」

「え? ですから、朝のあれは誤解で」

「そのあと」

「アランを蹴り上げようとしたら、逆に捕まってしまいました?」

「蹴ったの!? お姫様が!?」


 あ。と思っても今さら遅い。

 はしたない女と思われただろうか。いやでも、彼にはすでにヴァリオとのことも見られている。あれは渾身のかかと落としだったから、あちらのほうが見られてはまずいものだろう。

 そう思うと「あ、詰んだわ」と頭を抱えたくなった。

 しかし。


「ぶっはははは! すげぇなお姫様! マジか! あのアランを? 蹴った? じゃあさ、今度やるときは男の……」

「クラウゼ様? メルヴィナ様に何を吹き込もうとしているのでしょう。余計なことを言わないでいただきたい」

「何言ってんだよ。俺は痴漢撃退法をだな」

「問題ありません。そんな輩がメルヴィナ様に近づけば、私が生き地獄を味わわせてやりますので」

「いや、おまえだよ? お姫様の痴漢はおま――ぐふっ」

「虫が止まっていました」

「てめっ、下手な言い訳使いやがって……!」


 なんなのだろう、この二人は。

 実は一番仲が良いのでは、とメルヴィナは思った。

 

「メルヴィナ様、言っておきますが、私と彼は仲良くなどありませんからね?」

「っ、そ、そうなの?」


 まるで心を読んだようなタイミングで言われ、メルヴィナの心臓がドキリと跳ねる。

 まさか優秀すぎる護衛は、いつのまにか読心術まで会得してしまったのだろうか。


「お姫様って意外と分かりやすいからなぁ。今のは俺でも分かったし、マジ勘弁して。それだけはないから」

「そ、そうですか」


 そんなに分かりやすかったのか。ちょっと落ち込む。気を引き締めよう。


「にしても、さっきから気になってんだけどさ、おまえその腹どう――ぐへっ」

「口は災いの元とは、まさにあなたにぴったりの言葉ですね、クラウゼ様」

「だとしても口で止めてくんない!? 暴力反対!」


 やっぱり二人は仲良しなのではないだろうか。メルヴィナはそう思わずにはいられなかった。

 そんなこんなで食堂に辿り着くと、そこにはすでにエレーナとヴァリオがいた。全員が揃うまで朝食は待っていてくれたらしく、細かい刺繍が施されたテーブルクロスの上には、まだ三人分のモーニングティーしか置かれていない。

 それを見て、申し訳ない気持ちでメルヴィナも席に着いた。


「おはようございます、メルヴィナ様、アラン様。昨夜はよく眠れまして?」


 メルヴィナたちが来たことにより、端で待機していた侍者が部屋を出て行く。おそらく朝食の準備に行ってくれたのだろう。

 メルヴィナは軽く目礼すると、それからエレーナの挨拶に応えた。


「おはようございます、エレーナ様。おかげさまでよく眠れました。コスド様も……って、どうされたんです!? そのお顔っ」


 昨日のことはあるが、正直実害のなかったメルヴィナとしては、そこまでヴァリオに怒ってはいない。だからこのとき、普通に挨拶をしようとした――のだが。

 よくよく見たヴァリオの顔は、左まぶたが紫に変色していて、見るも無残に腫れていた。そのせいで左目はよく開けられないのか、せっかくの垂れ目イケメンが、かわいそうな糸ンになっている。


「はは、いい反応だな、メルヴィナちゃん。実はさ、昨日運悪く何もないとこで盛大にけちまって。その転けた先にこれまた運悪く凸凹の大きい石があってな。俺の反射神経をもってすれば避けられると高を括ってたら、まさかのそこで金縛りだ」


 いやあ、金縛りって起きてる状態でもなるんだなぁ、と呑気なことを言うヴァリオに、メルヴィナはさっと己の護衛騎士を振り返る。

 まさか。いや、まさか。

 え、まさか……?


「アラ――」

「そんなことがあったのですか。大変でしたねコスド様。コスド様ほどの剣士ともあろう御方がそうなってしまわれるなんて、いやはや、慢心はしたくないものですね」

「全くだ。おまえも気をつけろよ、ジル」

「…………ああ、全力で気をつけるわ」


 ジルが遠い目をする。彼が今何を思ったかなんて、考えなくてもすぐに分かった。


(やっぱりアランの仕業じゃない! だめだわ、本気で頭が痛くなってきた)


 とてもキラキラ輝くスマイルが、これほど白々しいと思えるのも逆に凄いと思うメルヴィナである。きっとジルも同じことを思ったに違いない。

 そんななか、エレーナだけは一人優雅にモーニングティーを楽しんでいた。





 セトカナンの浄化を終えた一行は、最後のアルマ=ニーアへと転移した。

 ちょっとしたハプニングはあったものの、襲われた司祭たちの命に別状もなく、別れ際は元気よく手を振ってくれるほどにまで回復したようで、メルヴィナたちも笑顔で見送られることとなった。

 そして、次のアルマ=ニーアでの浄化が終われば、遂に魔王討伐に向けての本格的な旅が始まる。そこから先は、もう転移が使えないからだ。

 

 メルヴィナたちが最後の転移を終えると、目の前には、セトカナンのセス・テーナ教会とはまた違った外観の教会が建っていた。特徴的な双塔が天高く伸びている。レ・カンテ教会だ。

 セス・テーナではなかに転移したが、今回はどうやら外に転移したらしい。主礼拝堂の裏に造られた庭園の開けた場所に、一行はいた。

 出迎えてくれたのは、魔術師と思われる二人と、この教会の大司教と思われる者が一人である。

 その内の、大司教だろう人物が進み出た。


「皆さま、ようこそおいでくださいました。ええ、ええ、本当に。自分めがこの教会の大司教でございます。いやあ、遠路はるばる、になるのかはちょっと疑問ですけど――なんせ今は転移魔術がありますから――来ていただけてとてもありがたいです。えーと……」


 恰幅のいい大司教は、常に額の汗を拭っている。一行を見渡した後、メルヴィナのところで視線を止めた。


「おお! 間違いない、この神々しさ! あなたこそ、神が遣わしたもうた聖女様ですね!」


 本物の聖女に感動したのか、あろうことか、彼はメルヴィナの手を握った。

 いや、握ろうとした。

 もちろんアランが許さない。


「これはこれは大司教様。興奮されるのは分かりますが、そう簡単に聖女様に触れないでいただけますか」


 おまえが言うか、とジルが内心で突っ込んだのは言うまでもない。


「ああ、これは失礼。ええ、ええ、本当に。つい年甲斐もなくはしゃいでしまって……」

「いいえ、大司教様。これほど歓迎していただけて、私もとても嬉しいです。聖女として期待に応えられるよう、精一杯努めさせていただきますね」

「ああ、なんとお心の広い方でしょう。ええ、ええ、本当に。では、まずはお部屋に案内いたします」


 大司教がそう言うと、いつのまにか揃っていた聖職者たちが、一行をそれぞれの部屋へと案内していく。

 アランも、このときばかりは神官の役を務めなければならない。たとえどんなに面倒でも。

 

 しかし、このちょっとした油断が命取りになることを、さすがのアランも今はまだ気づきそうもなかった。


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