火花を刹那散らせ

lager

火花を刹那散らせ

 埃っぽい空気を呼吸していた。

 饐えた黴の匂いが肺腑に染み込み、思わず咽そうになるのを必死に堪える。

 隣では目の端に涙を浮かべたキリコが、蒼白となった顔でぶるぶると震え、懸命に口元を抑えていた。


 その袖に縋りつくようにして、小さなアリカが膝を抱えて縮こまっている。

 少し離れて、長身のケイナが光を映さぬ瞳を虚空に彷徨わせて立ち尽くしていた。

 キリコが恐怖に歪んだ眼でケイナの袖を引き、しゃがませる。


 私はキリコに目配せをすると、その反応を見もせずに障子の隙間から顔を半分だけ出して、自分たちが今しがた進んできた廊下の奥を伺った。

 所々に燭台が立ち、そのいくつかには人魂のように不気味な明かりが灯っている。


 長い廊下だ。

 先はとても見通せない。

 天井は高く、ただ暗黒の帳を頭上に落とすだけ。

 時折幽かな風が抜け、朽ちた木の匂いを運んでくる。

 不規則な明かりに照らされ、艶々と濡れ光る濃い色の木目には、所々にどす黒い血の跡が残っている。


 ああ、あの染みは、一昨日にクロナがやられた時のだっけ。

 いや、それともその前の日に撒き散らされた、セセリの脳漿だっただろうか。


 あと二時間。


 あと二時間逃げ切れば、私たちの勝ちだ。


 思わず手に力が篭り、古くすり切れた畳の目に指先が擦れた。

 ひく。ひく。と、すすり泣く声が小さく響く。

 アリカがキリコの腕に顔を押し付け、震えていた。

 キリコはその頭を撫でさすり、私に縋るような視線を投げかけてくる。

 ただ黙って膝をつくケイナは、もはや感情を表すこともできない様子である。


 三人とも、心身の限界をとうに超えている。


 あと二時間。


 この鬼ごっこが終われば、私たちは『卒業』できる。

 

 みしっ。


 そんな夢想を打ち破るような音が、背後から響いた。


 全員、弾かれたように立ち上がる。

 アリカはキリコの腕にしがみついたまま、キリコはそれを庇うように半歩前に出て。

 顔を恐怖に引き攣らせ、それ・・を見た。


 腕が。

 六本。


 剣を。太刀を。槍を。鎌を。槌を。斧を。


 ぬらりと光る、灯火が映し出す。


 針金を縒り合せたような筋張った手足。

 細い体躯。

 頭には、三分の一ほどが欠けた兜。

 顔には面頬。

 真白いざんばら髪。

 踏みしめた裸の足が、腐れた畳の一枚を破いている。


 きぃぃえええええええ!!!!


 甲高い、咆哮。


 ざん。

 

 饐えた空気を断ち切るように振るわれた太刀が、深々と畳を抉った。

 私は転がるようにそれを避け、四方に視線を走らせる。

 全員、避けている。

 六臂の鎧武者は軋むような音で武器を掲げ、狙いを私に定めている。


 早い。

 見つかるのが早すぎる。


 いつもなら一回遊んだ後は必ず小休止があったのに。


 狙いを私に向けてくれたのはまだ幸いだった。

 ケイナとキリコはともかく、アリカがそろそろヤバい・・・


 ごうっ。


 ミサイルのような発射音と共に槍が突き出される。

 全力で後方に飛ぶ。

 突きを出されたからといって横に避ければ、次の腕の攻撃を躱せない。

 こちらも傾向と対策は練っているのだ。

 尊い犠牲の上に。


 私の鼻先数センチ前で穂先が引っ込み、武者は奇声を発して槌を振り絞る。

 今度は大げさなくらいの横っ飛びで躱す。

 数瞬遅れて振り下ろされた槌によって畳がぶち抜かれ、藺草の粉を舞い上げて足場が崩れる。

 あれを紙一重で避ければ、体勢を崩されて『おしまい』だ。


『逃げて。とにかく逃げるの』

『立ち向かっては駄目よ。逃げるのが唯一の正解』

『逃げて。逃げて。逃げて!!』


 リフレインする過去からの呼び声。


 私は『鬼』の一挙手一投足を凝視し、生き残る活路を探った。

 部屋で襲われたなら、一度廊下に出て別の部屋に入るしかない。

 視界の端で三人が『鬼』の気を引かぬように障子に手をかけているのが見えた。


 一先ず三人は大丈夫。

 後は私が、この場を潜り抜けるだけ。


 そう噛み締めた私の心を。


 ぐしゃ。

 っと、叩き潰す音が鳴った。


 廊下と部屋を隔てる障子が、木枠をへし折られ、傾いで倒れる。

 砂埃と、血煙。


 きかかかかかかか。


 かたかたと歯を鳴らし、頭にブリキのバケツを被った力士が笑ってる。


「二人目!?」


 ふざけるな!

 そう怒鳴りつけたい衝動を必死に堪える。

 ルールはどうした。一回につき『鬼』は一人までじゃなかったのか!?


 いや。

 見ればアリカの足が、半歩だけ廊下の外に出ていた。

 きつくキリコの腕を握り締め、急かすように踏み出したその足が外に出た時、その最悪のタイミングで廊下での『一回』が始まったのだ。


 これまでになかったパターンに一瞬思考が停止する。


 力士はカタカタと笑い声を上げながら巨大な棍棒を肩に持ち上げている。

 私の前の武者が突然の闖入者に僅かに動きを止めたのを見て、私は声を荒らげた。


「アリカ! 手を放しなさい!」


 アリカの小さな腕が、キリコの袖をきつく掴んで離さない。

 まん丸に見開かれた目と口はがくがくと震え、それでも聞こえた私の声を、首を横に振って拒んだ。


「いや……やだ」

「いいから! 手を放しなさい!!」

「やだぁ!!」

「っ……!!」


 ずん!!!


 振り下ろされた力士の棍棒がアリカの脳天を直撃する寸前で、ケイナがアリカの首筋を引っ張り、自分ごと横に飛んでそれを躱した。


 轟音。


 アリカの腕から、既に体半分を失っていたキリコの腕が離れる。

 畳の染みと化した残り半分の体を、無遠慮に力士が踏みつけた。

 何とか二撃目を躱した二人は、しかしそのまま部屋の隅へと追いやられてしまう。

 これでは逃げられない。

 

『逃げて』

『逃げて』

『逃げて』


 呪いのように木霊する声。


 脳髄が痺れていく。


 二人の『鬼』は、まるで互いの存在を無視するかのようにばらばらの動きで武器を構えた。

 ケイナの虚ろの瞳が、私の姿を捉えた気がした。


「逃げて、サクラ」


 久しぶりに聞いた、その掠れるような声が。


 私の名前を呼ぶ。


 その声が、振り下ろされる棍棒に叩き潰されるよりも速く。


 私は、駆けた。


「うああああああ!!!!」


 武者に踏み抜かれて半分になった畳を掴む。

 駆け出した勢いを全てそこに乗せて、力士の頭部に叩きつけた。


 一瞬、力士の動きが止まる。


 視界の端で、アリカを抱きしめるケイナの姿が見える。


 一度『鬼』に狙われた者が、その狙いを逸らす方法は一つだけ。

 他の誰かに狙いを向けさせること。


 今、力士の狙いは、私に向いた。


 きかかかかか。

 きえええええ。


 表情の全く見えない二人の『鬼』の顔が、二方向から私に向けられる。

 右手に力士。左手に武者。


 最初に動いたのは力士だった。

 私の体重二つ分はあろうかという巨大な棍棒を楽々と片手で持ち上げ、太い足で畳を踏みしめる。

 あれを撃たせたら駄目だ。


 私は傍から見れば転んだようにしか見えないだろう動きで血の海と化した畳に体を沈み込ませると、拾い物をした・・・・・


 ごめんね、キリコ。


 まだ微かに、恥ずかしがり屋だった少女の面影を残すその肉塊を、力士に向かって投げつける。

 野太い腕がそれを払う。

 

 私を挟んだその反対側で、武者が槍を引き絞るのが見える。

 

 呼吸を合わせて。


 私は、全身の筋肉を総動員して、後ろに仰け反った。


 づん!!!


 鼻先数ミリ先を、豪速で突き出された槍が通り過ぎた。

 死の一撃。

 頭の上で、聞き慣れた音がする。

 肉と骨が同時に突き破られる音。

 命が撃ち抜かれた音が。


 飛沫が顔にかかる。

 棍棒を肩に担いだまま、鳩尾から槍の柄を生やした力士の姿を逆さまに見た私は、目の前で静止したその槍の柄を、全力で蹴り上げた。


 小気味よい音と共に木製の柄が砕け、腕を引いた武者の手の中にはただの棒切れが、私の目の前には巨大な肉の壁に突き込まれたままの槍の穂先が残される。

 深く食い込んだそれを、肉壁に片足をかけて、引き抜く。

 その衝撃で、力士の死体が崩れ、轟音と共に棍棒が畳に突き刺さった。


 荒い息を吐き、短槍となった得物を構える。


 私の後ろで、アリカとカナエが息を呑んだのが分かった。

 分かってる。

 これは、悪手だ。

 私はきっと、ここで死ぬ。


「ダメぇ! サクラぁ!」


 それでも、その声に背を押されるようにして、私は前へと踏み出した。


 ごう。


 横薙ぎに振るわれたのは斧。

 私の胴を、真っ二つにするための刃。

 飛び込むように頭を下げる。

 項を死の風がなぞる。


 咄嗟に目に映る武者の足取りは、右前。

 強く踵を踏み、重心を右へ。

 武者の左肩に突きを繰り出す。


 武者は振りかぶっていた槌を振るい切れず、次の手を中断して体勢を入れ替えた。

 私は突き出した槍をそのままに、体全部で前へ踏み出し、再び突きの構えを取る。


 武者の腕とそれぞれの得物を伸ばした距離分の半径が、私のデッドゾーンだ。

 それより内側に踏み込めば、奴は長柄の武器を振るえない。

 つまり、次の一撃は。


 ざん。


 鈍く光る鎌――最もリーチの短い武器が私の右手から迫る。

 狙いは過たず私のこめかみへ。


 その刃の先に、まだハルカの目玉の血は残っているだろうか。


 私は何度となく見たその鎌の軌道に合わせるように、槍の穂先を構えた。

 衝撃。

 槍を構えた両の手に鈍い痛みが走る。


 鎌の先は私の目の前で静止し、それを握る武者の手首を槍が刺し貫いている。

 その腕から鎌が零れる。


 きえええええええ!!!


 絶叫が耳を撃つ。


 私は落下した鎌を空中で掴み取り、270度の遠心力を乗せて縦に振り抜いた。

 肉を裂く感触。

 武者の下腹部に赤い筋。


 浅い。

 躱された。


 そして、彼我の立ち位置を見て。

 武者の右手が振りかぶった槌を見て。

 私は全力で後ろに飛んだ。


 轟音。


 畳が割れる。

 土埃が舞い、薄明りに照らされた部屋の空気を汚していく。

 鈍く尾を引く残響が腹の底を震わせる。


 間合いを取られた。

 私が失策を悔いる暇もなく、武者が飛び込んでくる。

 右か。

 左か。

 腰を下げた私の足が、先程力士の棍棒によって崩壊した畳の残骸を踏んだ。

 一瞬、姿勢が崩れる。


 まずい。


 武者が右手に太刀を振りかぶっている。

 それと逆側の腕に握られた剣が刺突の構えを見せている。

 避けたらやられる。

 受け止めてもやられる。


 なら、弾いていなす・・・


 弧を描く太刀の閃きは、右袈裟。

 私は槍を左側に引き絞り、全力でかち上げた。


 ぎぃぃん!!!


 それは、私が初めて聞く音であった。


 金属同士のぶつかる音。

 火花の散る音。


 当然だ。

 私たちは今まで、徹底して逃げることに専念してきたのだから。

 『鬼』の武器を奪って、反撃して、撃ち合うことなど、あるわけがない。

 

 時間にすれば、何十分の一秒にも満たない、刹那の瞬間。

 それが幾重にも引き延ばされていく。

 漂う土埃の一片までもが知覚されるような時の中で。


 面頬の奥に隠された武者の瞳に、火花の色が映る。

 互いの魂が発火したような、オレンジ色の光。



 私はそれを、美しいと感じて・・・・・・・しまった・・・・



 引き延ばされていた時間の感覚が戻って行く。

 私は血液が沸騰しそうなほどに滾る心臓の鼓動を感じながら、槍を構えた。


 武者は何故か斧と槌を畳に放ると、右手に太刀を、左手に剣を掲げ、二刀の構えを取った。

 私はこの時、初めて『鬼』と視線を交わしたような気がした。


 一秒。

 二秒。


 空白の後。


「きえええええええ!!!!!」

「ああああああああ!!!!!」


 絶叫が、二つ重なった。


 突き出される剣の刺突。

 首の動きだけで避けて躱す。

 一撃。

 二撃。

 三撃目を槍で弾く。


 手首を返して脇腹を突く。

 躱される。

 前進。

 振りかぶり、振り下ろす。


 剣で受け止められる。

 逆の手から太刀の刺突が足を狙う。

 身を引いて躱す。

 横薙ぎの追撃。

 弾く。

 火花が咲く。


 私は、自分の口角が徐々に持ち上がっていくのを感じていた。

 

『逃げて』

『逃げて。逃げて』

『逃げて。逃げて。逃げて!』


 うるさい!!


 背中に響く呪詛のような声を振り切って、足を踏み出す。

 迎え撃つ太刀を沈んで躱す。

 剣の突きを打ち払い、体ごと回転する。

 脇を獲った。

 槍を振るう。

 後ろに飛んで躱される。


 一合ごとに体温が上がっていく。

 感覚が研ぎ澄まされていく。

 疲労が消え、体が軽くなっていく。

 武者の視線が見える。

 武者の鼓動が聞こえる。

 やがてはその、吐息の匂いまで。


 白刃。

 血煙。

 轟音。

 残響。

 火花が、刹那に散る。


「あは」


 いつしか私の口から、笑みが零れていた。


「あはは」

「かははははは」

「はははははははははははは!!!!!!」




 狂った。




 ……。

 …………。


 それから、一体どれ程の時間が経ったのだろう。

 十分か。三十分か。それとも、二時間ほどだろうか。


 私は武者の首筋に噛みつき、頸動脈を引き千切っていた。

 暖かな飛沫が頬を打つ。

 愛する者に抱き着くように、私は武者の体を押し倒した。

 いや、共に倒れ込んだ。


 互いの武器はとっくに無くなっていた。

 私の両腕は不自然に折れ曲がり、もはや感覚もない。

 武者の六本の腕は、半分が先を失い、赤黒い血をとろとろと流している。


 私は体だけでもぞもぞと武者の体を這い、その顔を覗きこんだ。

 そこに、火花の幻を求めて。


 ぱき。


 か細い音を立てて、面頬が割れた。


「え…………?」


 中から顕れたのは、女の顔であった。


 私より、十は年上だろうか。

 精悍な顔に、ほんのり微笑を含ませて、ざんばらの白髪が二筋、その額にかかる。

 私の口元からぽたぽたと垂れる赤い滴がそこに重なる。

 瞳は既に色を失い、ガラス玉のように虚ろだった。


 その時。


「おめでとう。サクラ」


 背後から、声が聞こえた。

 振り返れば、部屋の奥、伺い知れぬ闇の奥から、風が流れているのを感じる。


「君は『卒業』の資格を得た」


 その風に乗って、声は聞こえてきた。


「そつ、……ぎょう……?」


 とうに嗄れ果てた私の喉から、喘鳴のような声が漏れ出る。


「そう。『卒業』だ。今期『卒業』の資格を得たのは、君だけだよ、サクラ」


 その声に、白くぼやける頭のどこかで疑問符が飛ぶ。

 私だけ?

 そうだったっけ?


 何となく周りを見渡せば、部屋の中には、いくつかの肉の塊が転がっていた。

 半分の体積になった体を、さらにへし折られた、キリコ。

 体の中心に大穴を開けた、力士の『鬼』。

 頭を縦二つに割られた、小さな少女――アリカ。

 お腹の中身を撒き散らしているのは、誰だったか。……ああ、ケイナだ。


 そういえば、希釈された記憶の中で、武者の『鬼』以外の何か・・の肉を切ったような気がしないでもない。


 そうか。

 私が最後か。


「君は今日、『卒業』することができる」


 放心する私の様子を気にすることもなく、闇からの声は言葉を続ける。

 私はその声を、どこか他人事のように聞き流そうとしていた。

 あれほど恋焦がれたその言葉が、今の私には、何と虚ろに響くことだろう。


「そして、『卒業』しないこともできる」


「……え?」

 私は再び呆けた声を漏らし、暗闇に顔を向けた。


「君が選ぶのだ。サクラ」


 そんなことを、言われても。

 私は、私たちは、ずっと『卒業』するために生きてきた。

 いや、死んできた。


「そつ、ぎょう、しなければ、どうなるの?」


 とぎれとぎれに、そんな問いを口にする。

 一音ごとに喉がひりつき、焼けるような痛みが走る。

 口の中には、鉄の匂いが充満していた。


「『進級』するのさ」

「しん、きゅ……?」


 何でもないことのように言うその言葉を、オウム返しにすることしかできない。


「『卒業』を選ばなかった生徒は、そのままここに残って『進級』する。今しがた君が食い殺した、その女のようにね」


 私は呆けた表情のまま、自分の体の下で満足そうに横たわった女の死体を見下ろした。

 

 そうか。

 その一瞬で、全てを理解できたような気がした。

 次は、私の番なんだ。


 これまでの日々が、死んでいった仲間が、自分が殺した少女の顔が、脳裏をよぎり。

 それを、明滅する火花の残像が掻き消した。


 あの、美しい光を、もう一度。


 そうだ。


 今度はもっと、長く、長く。


 そうだ。


 私は。



「さあ、選びたまえ」



「私は――」



 ……。

 …………。



 私は、自室に設えられた箪笥からハンガーを取り出すと、かかっていた真白いセーラー服を外し、袖を通した。

 クリーニングに出したばかりのそれは、ふんわりと優し気な香りがする。

 紺色のプリーツスカートは、膝上5センチ。

 藤色のリボンタイを姿見で直す。

 

 髪を頭の後ろで縛り、お気に入りの花柄のシュシュでまとめる。

 そして、引き出しの上から長い晒を取り出すと、自分の顔を隠すように、ぐるぐると巻き付けていった。


 さあ、準備万端だ。


 今年の『新入生』は活きがいいそうだ。

 昨日は私は休みだったけど、先輩が一人返り討ちにあったのだとか。


 自然と、口元に笑みが浮かぶ。


 箪笥に立てかけていた日本刀を持ち上げる。

 すらりと半ばまでを抜くと、綺麗な波紋に、私の顔が映った。


 あの日私が倒した先輩みたいに、腕が六本生えたりということはなかった。

 その代わり、口を閉じても隠し切れないほどの犬歯が二本、にょっきりと生えているのが分かる。


 きん。


 清らかな音と共に、刃を仕舞う。


 そろそろ出番だろう。

 あの日見た刹那の中の火花を、私はあれから見られずにいる。


 今日こそは。


 きっと見せてくれるだろう。


「あは」


 思わず漏れた笑みも軽やかに、私は暗い廊下へと足を踏み出した。

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