火花を刹那散らせ

善吉_B

 

「―――― あ」

 微かな声に釣られて思わず顔を上げると、また一筋の光が爆ぜていくところだった。

 土手に腰掛ける彼の頭より少し下の高さまで、夜目でも緑と判る程にあおあおと高く長く茂った草。

 そのくさむらのすぐ上の、青から光を消し去り深めてしたような色の夜空を引っ掻いて、光がジグザグに横切った。

 一瞬目が眩むかと思う程の明るさで輝くそれは、横切る間にもみるみる光をしぼませていく。そして最後は小さな無数の火の粉となって弾けた後、ゆっくりと落ちて消えていった。

 草叢の下へと降り行く光の最後を見送っていると、視界の端で今度は二つの光が夜の空気を掠めて消える。それと同時にまた、彼の直ぐ下から微かな声があがる。

 星空よりも遥かに地に近い場所から落ちる流れ星たちの正体は、生き物が死ぬ時の輝きだった。



 セン フォ チャイたちの最期はいつも美しい。

 稲妻のように不安定でまばゆく、一瞬の力強さを以て空を切り裂いては、流れ星のように音もなく、静かに爆ぜて消えていく。

 そしてその粉々になった光が燃え尽き小石となり、やがて秋の深まる頃、その小石達がまた集まり星火仔として生まれ新たな命を繋いでいく。その一年後、前の命の道筋をなぞるように強く明るく輝きながら、その身を燃やし尽くし、そして再び秋に生まれ変わるまで。

 よくよく耳を澄ませれば、岩の焼ける燻りと、爆ぜる火の粉の音が微かに聞こえてくる。その音を容易く上書きするだろう蟲の音が、何故かいつも星火仔たちの最期の日にはぴたりと聞こえなくなることに、彼は数年前から気付いていた。

 明る過ぎる輝きが警戒心を呼び起こすのか、それとも爆ぜる小石に巻き込まれるのを避けるためか。

 蟲に詳しい人物に尋ねるか、中心街の図書館で調べるかすればすぐに分かることなのだろう。しかしそのどちらも彼は未だに実践出来ていなかった。

 蒸気に覆われた中心街へと行く度に今日こそは調べてみようとは思うのだが、いざ図書館に着くと文献の少ない星火仔に関する資料を探して読み漁る方にいつも必死になってしまう。そして帰り道に自分の住む四角い塔の灯が見える頃になってから、ようやく蟲の音について思い出す、ということを、かれこれ十五回は繰り返している。

 かといって、誰かに尋ねるということは到底あり得なかった。

 まず第一に、蟲に詳しい人物に思い当たる知り合いが一人もいない。

 そして何より、夏の新月になる度に、こうして星火仔の死を眺めに彼が一人郊外より更に先、彼の住む配管まみれの塔の群れがペン先よりも更に小さく見える所まで、燈會ランタン片手に出向いていることを打ち明けられるような相手に、彼は恵まれていなかった。

 人々が彼のことを話す時、決して孤独だとは表現しないであろうことは彼自身もよく分かっていた。友人に誘われれば会合には顔を出すし、愛想が悪いことも決してない。振り撒く愛嬌は無く内気な印象を与えるだろうが、人の話には笑って耳を傾け、言葉を求められれば穏やかに己の言葉で訥々と語る。

 けれども誰かとそうやって笑い語らう間は、心のどこか見えない場所で気が張りつめているらしい。

 皆と別れて塔に戻り、一人工房で小さな部品を組み立てている時になってようやく、彼は自分を取り戻したような気持ちになる。そしてその度に彼は、ああ己は家族にも友にも恵まれど魂は孤独なままなのだと、そう静かに悟るのだった。

 そういう彼であったから、幼い頃より夏に星火仔の命が爆ぜるのを見送ることなど誰にも言えやしないままで今に至り、こうしてまた一人誰にも知られていない特等席まで出向いている。


 もしもこのことを言えるような相手がいたのならば、彼はやがて過去の何処かで星火仔の死を見ることを止めていたかもしれない。

 仮にそうであったとすれば、今こうして心の内を話すような人がいなくても構わぬかもしれないと、彼は密かに思っていた。

「―――――――あ」

 また一つ二つ、すぼんだ光が最期にパッと火の粉を散らす。

 それにまた小さな声を漏らしたのは、膝の上に乗せた小さな生き物だ。

 隕石の欠片を繋ぎ合わせて頭と手と足と胴体のようなものを作ろうとしたら、恐らくこんな形になるのだろう。彼にはとんと縁の無い、辿々しい赤子の声のような鳴き声は、意味を成しているかも分からない、体の一部が空気に触れて出るだけの音なのだと過去に図書館の本で読んだ。

 膝に乗せた星火仔は、意図など何一つ乗らぬ音を時折立てながら、己の仲間が光を放ちながら宙を滑り落ちては弾ける様を眺めている。

 そこには何の感慨も無いように見えるが、かといって何を思い眺めているのかは、彼にはいつだって分からない。

 星火仔の墜落は毎年夏、決まって新月の日の夜だ。

 そして二度訪れる新月のうち、必ず彼等は自分の前世が爆ぜた方の夜を選び、己の最期を迎えに同じ場所へと集まる。

 膝の上の星火仔は、去年の二度目の新月の日に粉々になった欠片から生まれた。

 今宵は彼に連れられて此処まで来たが、次の新月の夜になれば引き寄せられるように己の本能に従い此処までやって来るはずだ。 

 今ここで一瞬の輝きを放ちながら死んでいく仲間達と同じ、何巡したか分からない最期をなぞるように迎えるために。




 寝室の窓際で、何かが灯台のように光を明滅させている。

 窓と反対側の壁際に置かれたベッドの上で眠っていた彼は、瞼の向こう側から飛び込んでくるその光に、徐々に深い眠りから覚醒の手前へと手を引かれていく。

 これは幼い頃の彼の記憶だ。

 初めて星火仔の死に際の輝きを見た年の秋、まだあの生き物の命の循環もその季節もろくに分からなかった彼は、またあの光を見ることが出来るのではと足を運んだ土手の下で、生まれたばかりの星火仔を見つけて彼の部屋へと連れ帰った。

 家族にも言わずこっそり部屋の隅で匿った星火仔はすくすくと成長した。中心街の図書館で子供に見つかる限りの星火仔に関わる本や図鑑を借りた彼は、ようやくそこで星火仔の生態の大まかなことを学んだ。

 瞼の向こう、どこか遠くで光が明滅している。

 遠い記憶の中で、その光を不思議に思いながらも、彼は尚も微睡んでいる。

 星火仔が一年で今生の最期を迎え、また秋に新たに生まれ変わると知ったのもその時だった。

 拾った星火仔が育つのを見るうちに情も愛着も湧いてしまった当時の彼は、しかし他の生き物の命の短さをそうと受け入れるには余りにもものを知らず、命を知らず、可愛がっている星火仔の死に無邪気に抗おうとした。

 死の間際に自分達の生まれた場所へと集まることも学んだ幼い彼は、あの草叢へと行かせなければこの子も死なずに済むと考えた。そして夜中勝手に消えてしまわないようにと、新月が来る前に硝子の瓶に閉じ込めたのだ。

 光は尚も明滅している。

 その光は徐々に瞼の裏側で強く、激しくなっていったが、やがてある一点を通り越すと反対に勢いを失っていった。

 光が萎んでいくのに合わせて、幼い彼の意識も覚醒から深い眠りへと一歩また一歩と引き返していく。

 だが、眠りへと転落していく最後の一歩を踏み出しかけたその時、少し輝きが変わった気がしたのに合わせて明滅が突如止んだ。

 それと同時にパリンと硝子が割れた音が部屋に響き渡り、彼の意識は覚醒へと一気に引き上げられた。

 破裂音に慌てて起き上がり、まず確認したのは窓だ。しかし少しずつ目を凝らして見た窓にはどこにも異常はない。寝る前と変わらず月の無い夜空を四角く切り取ったままの窓に、では今の音はと首を傾げたところで、初めて彼の意識は窓の横に置かれた棚の上へと向けられた。

 硝子の割れる音で飛び起きてから、部屋に明かりを点けた覚えはなく、明滅も止んだ後の新月の夜空には月明かりすらない。

 それなのに、その時見た光景ばかりはどういうわけか、彼の記憶の中でいつも鮮明に映し出される。

 棚の上に置いた筈の、星火仔を死なせたくないと閉じ込め蓋をした硝子瓶。

 瓶は中にあったものが破裂したように割れ、容器としての役割を放棄した瓶底だけがぱっくりと開いた割れ目を晒している。

 中にいた筈の星火仔は、どこにもいなかった。

 代わりに、可愛がっていたあの生き物がいた筈の瓶底の上に一部を残して、細かい鉱石の欠片のようなものが硝子の破片と共に周囲に飛び散っていた。

 恐る恐る近付いた棚の上で、残された鉱石の欠片が目に飛び込んできた瞬間、可哀想なことをしてしまったという思いが初めて彼の中で湧き起こった。

 その思いは現れた途端に膨れ上がり、彼の心どころか全身をぶわりと飲み込んでしまった。夏の新月に必ず死ぬ命を、死なせてしまったとすら思った。

 込み上げる嗚咽を押さえきれぬまま、幼い彼は硝子の破片も気にせず瓶底に残る、最早動かぬ鉱石の塊をそっと掬い上げる。

 本当は、大声をあげて泣きたかった。

 けれどそれをしてしまっては、きっと驚いた家族が起きて部屋に来てしまう。それだけは駄目だと、あの時の彼には分かっていた。

 皆が来ては駄目なのだ。皆が来て、この部屋を見て驚いて、泣く己を慰め一緒にこの塊を埋めてやろうと言ってしまっては駄目なのだ。

 これは己の悲しみであり、申し訳なさであり、寂しさなのだ。

 そこに誰も踏み入らせてはならず、そしてこの石を皆で弔うことなど決してあってはならないのだ。

 だから彼は、両手の中の物言わぬいしくれを抱えるようにして床に丸く丸く蹲り、時々漏れ出でる嗚咽を圧し殺しながら一晩中泣いた。




「あ」

 膝上の微かな声と、胸の辺りで何か固いものが当たる感触で、ぼんやりとした追憶から意識が戻された。

 彼が胸から下げている首飾りの小瓶が気になったのだろう。立ち上がった星火仔が、一生懸命腕を伸ばしながら小瓶に触れようとしていた。

「危ないよ」

 通じているのかも分からないまま囁くと、彼はそっと小瓶を摘まんで星火仔の手の届かない方へと持ち上げた。その動きに合わせて、瓶の中身がことりと転がり硝子の壁へとぶつかる感覚が指へと伝わる。

 今度は四つ五つ、同時に光がてんでばらばらの方向へと横切ると、四方八方に最後の輝きを散らしていった。

 夏の夜の草叢で、踊る光の数が徐々に増えてきた。

 後少しもすれば、一斉に沢山の星火仔が輝く様子を見ることが出来るだろう。


 瓶の中身は、彼が死なせてしまった星火仔の、硝子瓶に残された一番大きな欠片だった。

 夏に一斉に命と身体を散らせた後、秋にまた甦る筈の星火仔なのに、どういう訳か彼が瓶に閉じ込めていた個体だけは何度秋が巡っても甦らなかった。

 生態がまだ詳しく分かっていない生き物だから、詳しいことは例え彼が偉い先生か何かに聞いたとしてもきっと分からないままだろう。

 だが彼は漠然と、この生まれた地に戻り、前世と同じ夜空の下で仲間と共に命を散らすこの光景が、きっと彼等の命の巡りに必要なのだと理解していた。

 だからきっと、幼き彼がその輪廻を止めてしまったこの個体だけは、後幾つの秋が来ようとも蘇りはしない。

 それでも彼は、この欠片を手放すことが出来ないまま、今年も夏の最初の新月を迎えている。

「――――あ」

 光が六つ程、同時に爆ぜて草叢へと落下していく。

 手の届かぬ所に行ってしまった欠片を目指した腕が宙を引っ掻き、膝の上の星火仔が仰向けに転んだ。その何処か間の抜けた様子が可笑しくて、思わずくすりと漏れた笑い声は、あっという間に夜の静寂へと呑まれていった。

 上手く起き上がれず不器用に手足をばたばたと動かす星火仔をそっと起こしてやり、草叢の方へと石の身体を向けて座らせる。

「ご覧。お前の兄さんや姉さんが、また生まれ変わるために光っているんだよ」

 星火仔には生殖機能も無ければ雌雄もない。恐らくは、ヒトの話す言葉だって一片たりとも分かりやしない。

 それでも彼は宙を指差し、ふらつく光の筋を辿りながら膝の上の生き物に話し掛けた。

「次の新月には、お前もあの光の一つになるんだよ」

 それは教えと言うよりも、誓いや願いのような声音だった。

 星火仔を死なせてしまってから、彼は夏の二度目の新月の夜が開けた後、草叢で星火仔の欠片を一つだけ拾うようになった。

 初めはどの欠片が新しく生まれ変わるのかはよく分からぬまま、ただ当てずっぽうで比較的大きい欠片を選んでいただけだった。そのうちどの欠片から孵るかだけでなく、死に際の光り方までも検討がつくようになっていった。

 そして拾った欠片から生まれる星火仔の幼体を大切に大切に育てては、毎年の夏の新月の夜、その星火仔を連れてここまでやって来る。そして二度目の新月の夜には、その最期の瞬間をこの目で一人見届ける。

 そんなことを続けているうちに、もう幾年もの夏が過ぎてしまった。

 夏の二度目の新月が近付く度、彼は過去の自分の思い出と新たな不安に、心臓の上の辺りをゆっくりと、穏やかに押し潰されるような感覚を味わう。

 ぼんやりとした不安を抱えたまま新月の夜を迎えた彼は、無事に育てた命を手放しその最期の灯火を見届けてから、ああ今年も死なせずに済んだとようやく静かに安堵の息を吐くのだ。

 そんなことをしても、首から下げた小瓶の中の鉱石は生まれ変われない。

 彼のことを責めることも赦すこともしないまま、永遠にただの石塊として眠ることもなく停止しているだけだ。

 それでも彼は、己の手からこの命を逃してやることを夢見ながら、夏が来る度に新たな星火仔の欠片を迎えては育てている。

 草叢の上を飛び交う静かな光は、いよいよその数を増してきた。

 月の無い夜は暗い。今宵は雲も少ないのだろう、頭上高くに瞬く本物の星の粒達も鮮やかに見えた。蒸気で覆われた中心街では、今夜が月の見える日かどうかすらも分からない。それに比べれば、ここの暗闇は上から下まで随分と澄んでいるようだった。

 光は更に数を増やしていき、とうとう目の前の暗闇一帯が、数え切れぬ程の光の群れで埋め尽くされた。

 その一つひとつがあっという間に燃え付き爆ぜていく間にも、また新たな星火仔の光が勢い良く草叢の上を横切っていく。

 次から次へと現れては滅茶苦茶な道筋を描き、パッと火の粉を散らして消え行く様は、軌道を外れた流れ星達の洪水のようだった。

「―――――あ」

「ああ、そうだね。綺麗だね」

 座らせている位置をずらした拍子に漏れた微かな声に、彼は意味もなく相槌を打つ。

 星火仔の最期はいつだって美しい。

 夜のそよ風に頬を撫でられながら耳を澄ませば、大勢の星火仔達が燃える小さな音が聞こえて来る。


 暗闇を出鱈目に引っ掻いては消える沢山の小さな星を眺めながら彼は、己の身も彼等のようにいつか燃えてばらばらになってしまえば良いのにとふと思った。

 彼だけではない。あの蒸気で覆われた中心街の図書館も、彼の住まう配管まみれの四角い塔も、今朝買ったばかりの珈琲豆も、鉱石に戻ってしまった瓶の中の命も。何もかもが星火仔のように、光輝きながらやがて弾けて墜落してしまえば良い。

 彼等のような美しい光は、とてもじゃないが己は放てやしないだろう。

 けれど一度真っ更に燃え尽きて、粉々になった欠片から生まれ変わることが出来たのなら。

 次の命ではもう少しだけ、綺麗な光で爆ぜることが出来るかも知れない。

 そうしたらどれ程愉快で、穏やかな気持ちになることが出来るだろう。

「――――あ」

「そうだね」

 意味の無い相槌を打ちながら、珍しく彼は膝の上の星火仔の頭をそっと撫でる。

 彼には不思議そう、とも見える顔で此方を見上げる星火仔に、彼は憧憬の籠った眼差しのまま、意味も無く微笑んでみせた。

 今は鈍い色の石で出来たこの体も、次の新月にはあの光のように瞬時に輝いた後に、火の粉を花開かせて墜落していくのだろう。

 顔を上げて、飛び交う光の洪水を眺める。


 いっそ今この瞬間にでもあの星空ごと全てが光りを放ちながら弾けてしまえと、真っ暗な宙に祈るでもなく彼は思った。


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火花を刹那散らせ 善吉_B @zenkichi_b

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