第11話 誰かここから

 意識が朦朧もうろうとする。

 かすむ視界には、一人の女の子……いや、女性か。

 この状況で、女の子と呼ぶのは失礼だろう。

 頭のてっぺんから足の先まで、雪のように純白の女性。

 赤い瞳が近づいてくる。


 荒い息づかい、生暖かい風と呼吸の音が景護の耳に届く。

 横たわった体の上に、馬乗りになられている。

 腹の辺りに、彼女……セツハの体温を感じる。

 ゆっくりと倒れかかってきた彼女は、自分以外の存在を求めるように、強く抱きしめる。


「あなたに決めました。わたくしに出会ってくれて、ありがとうございました。今日のこと、あの言葉、本当に嬉しかったです。景護様が、私のことを忘れてしまっても、あなたと私が出会った証があれば大丈夫です。その証を胸に、このセツハ、役目を果たします」


 顔に触れたのは、震える小さな手。

 体は動かない。

 思い当たる点としては、食事に何か入っていた……そのくらいか。


「な、何も、してやれて、……ないのに、感謝される、い、いわれはない」


 無理やり言葉を絞り出す。


「ッ!!ま、まだ意識がありましたか。……いいのです。私を助けてくれると言ってくれる人がいた。それだけで、それだけで、十分なのです」


 まぶたを下ろすように、顔を撫でられ、何か呟くセツハの声と共に、景護の意識は途絶えてしまった。


「こんな汚らわしい女と、体を重ねることをお許しください。必ず忘れられますので、どうか、どうか一度のあやまちに付き合ってください景護様」


 深呼吸一つ。

 セツハは景護が、動かなくなったことを確認し覚悟を決める。


 自分の服を緩めようとした、その時。


 眠ったままの男に、手を掴まれる。


『こいつが、いい男なのは保証するが、お嬢さんがそんな暗い顔のままそんなことするのは、見過ごせないな』


「え!?景護様……じゃない?」


『あら、この世界だと力が顕現けんげんしやすかったけど、声まで聞こえたのは初めてね』


「こ、今度は女性の声!」


あねさん、景護はまだ起きないのか?』


『うるさいわね。今やってるわよ……何飲ませたのよ。まったく』



 セツハは、自分が眠らせたはずの男が、一人で会話をするのを眺めるしかなかった。

 男性の声と女性の声。

 どちらも、景護のものとはもちろん違った。


「きゃ」


 一晩は動かないはずだった男が、ゆっくり体を起こし、バランスを崩したセツハは、景護にしがみつく。

 零距離。

 女性の柔らかさと優しい香りを感じる。

 

「す、すみません!景護様」


 慌てて離れようとする彼女を、景護は優しく抱きしめる。


「セツハ、アナタはいったい何を背負っている?」


「……言えません」


「言わないとこのままへし折るぞ」


「この生が終わるのなら喜んで」


「襲うぞ」


「景護様になら喜んで」


「ここに居座り続けてセツハのヒモになるぞ」


「共にいてくれるなら喜んで」


 景護はセツハを離し、仰向けに倒れる。


「……ったく、強情だな。説明くらいしてくれよ」


『教えてくれないのなら、当てりゃいいだろ景護』


 大将の声に、ビクリとするセツハ。

 今まで、体に宿る彼らの声に反応する人なんていなかったから新鮮だ。


『私達の声が聞こえる……彼女は特別な力を持っているのは確実ね。役割……町の人は魔物を封じていると言ってたかしら。そして、景護を何に使おうとしたか……まぁこの状況から、もう分かるわよね景護』


「代々、彼女の血筋が魔物の封印という役割を背負う。……噂は遠からずか。彼女のわずかな自由は、子供をつくる相手を選べる……騎士は黙認というか協力してるんだろうな。こんな決まり、自由なんて言いたくないけどな」


『おいおい、成り立つか?一発で子供できるとは限らんだろ?』


『……はぁ、言葉を選びなさいよ』


 黙ってうつむくセツハを見上げる。

 かすかに震えているようにも見えた。


「よし」


 パンと手を打ち、勢いよく景護は起き上がる。


「その魔物、倒してくるか。ここは広くはない。探せば見つかるだろう」


「やめて……それだけはやめてください」


 胸に飛びついてきて、胸の中で小さな声で訴える彼女。

 

「なぜ?」


 上げた顔、その瞳に涙が浮かぶ。


「勝てませんから……。高ランクのギルドの方でも、国で一番と言われた騎士でも、特別な力を持つ宙の祝福シエルレガロでも……。……分かりました、この場所のことを説明しますから、来てください」




 殺風景な部屋を出て、廊下を歩く。

 古い木製の廊下はどこか懐かしさを感じる。

 セツハが持つろうそくだけが、視界を照らす。


「ところで景護様。その、あの……」


「ああ、二人のことか。俺の中に、宿っているというか、憑いているというか……とにかく味方」


「外では、そのような人が普通なのでしょうか?」


「いや、そういうわけではない。なんというか……俺がおかしいだけだ」


「フフッ、そうですか」



 微笑む彼女は部屋の前で立ち止まり、障子を開ける。

 生き物の気配はしないが、複数の影。

 火が灯され、部屋の中心で横たわっている物の姿が明らかになる。


「人形……?」


「はい」


 部屋の奥には、乱雑に積み重ねられた人形達。

 一体の大きさは、ほぼ人と同じくらい。

 目や鼻、大きな凹凸はないが、人に似通ったその姿。

 そして、部屋の中心にある一体にセツハは近寄り顔を撫でる。


「これが、私の子供となる予定のものです」


「え?」


「その……景護様にご協力いただいた状態で、この子に私が力を注げば、次の巫女として起動するのです」


「……協力ってかアレだよな」


 白い顔が真っ赤に染まる。


「い、言わないでください」


「あっちに積まれた人形は?」


「……あれを、魔物に捧げるのです。封印なんて言われていますが、抑えているだけなのです」


「巫女が起動とは?アナタも同じ原理……いや、失礼。生まれは同じ感じなのか?」


「おそらくそうです」


「おそらく?」


「はい、私が自我を持った頃には先代はもういませんでした。ですが、私達の使命はこの体に術式として刻まれています。人形の製造法、そして次の巫女の作成、最後の役割も」


 大きく息を吸い込み、一つ息を吐く。

 透き通った白髪はくはつが静かに揺れる。


「次の巫女に力の譲渡。そして、この身を捧げ、封印の強化を施し、私の役割は終わりです。最後の役割は、次の巫女が自我を持つまでの時間稼ぎなのです」


「……」


 重そうに、人形の一体を背負うセツハ。

 見ていられず、代わりに持つ。

 担いだそれは、不思議な熱を放っていた。

 それはまるで、生きているかのような……。


 セツハが暮らしている小さな神社のような建物から外に出る。

 周りが暗いのは確かだが、結界に囲まれているからか、空は見えにくい。


 二人は、小さな湖の周りを静かに歩く。

 急にセツハが、立ち止まり地面を触れば、そこが輝く。


「開け、迷宮への道」


 地面が開き、現れた階段を下り、下り、下る。


 辿り着くは、明かりの灯された地下空間。

 かなり広く、奥行きもある。


 目を凝らす。


 檻。

 十字に組まれた金属は、動物園を思い出させる。

 だが、腕。

 隙間から伸ばされる屈強な腕。

 そして、何より見上げなければならないほど大きなそれは……。


「ミノタウロス……この大きさ、家程度はあるな」


 人のような体に、牛の頭。

 ただ、大きさが想像以上の怪物だった。


「その線から先には、絶対に入ってはいけませんから」


 檻の前には白線。

 おそらくあれのリーチがあそこまで届く可能性があるのだろう。


 セツハが目で合図をするので、人形を投げつけてみる。

 興奮した怪物は、夢中でそれを掴み、肉や骨をかじるような生々しい音をたてながら喰らう。

 そして、それが終われば、セツハを見つめひたすら檻を殴り始める。


「景護様がいるだけで、この暴れよう……人が多く来ればこの守りの結界は、手痛い損害を負うでしょう。だから無理なのです。少人数であれを倒すなど」


 セツハは、今までになかった圧のこもった睨みを景護に向ける。


「景護様に覚悟はありますか?やってみなくては分からないといった浅い考えで、今まで封じている状態だったものを不安定に……最悪この怪物を解放してしまう。そんな災害に触れる覚悟が!私のような作られた人形一つで済むのなら、それは賢い選択だと思いませんか!」


 景護は胸に手を当てる。

 

「アナタが助けを求めていたから、助けに参りました」


 セツハがカッと目を開く。

 嘘でもいいから、誰かに言ってほしかった言葉。

 そして、彼なら、彼と結ばれるのならこの生に意味があったと思えた言葉。


「自分の言葉に責任は持つ。二人とも、力を貸して欲しい」


『そうね、牛は嫌いじゃないけど、ここは景護を立てようかしら。やりましょう』


『よっしゃ、全会一致!コイントス不要!景護、やってやろうや!』


「ありがとう。それじゃ、セツハ行ってくる」




「それは、困るよ国坂君。世界を危険に晒すのは」


「ガッ!」


 背後から、魔法をくらう。

 詠唱はなかったが強力な効果を発揮する。

 頭の中を抉られるような感覚に、膝をつく。


「忘却の術式を含んだ刻鏡石こくきょうせき。本来は、結界を出た後に使う予定だったのだけど……セツハ様、どうしてこんなことに」


「ク、クロカさん」


「つい、貴重な一番強力なやつを使ってしまった。ところで、なぜ彼に言わなかったのですか?この怪物にと。レベルの差とか、相性とかそんな次元ではないのだと」


「そ、それは……」


 クロカはわざとらしく、溜め息を吐く。


「期待ですか。……焦らないでくださいよ。大丈夫です。いつも言ってるじゃありませんか。このクロカが必ず、セツハ様をお救いすると」


「……」


「それに、世代交代も焦る必要ありませんよ。まだ時間はあります。この男は、あなたの相手に相応しくなかった。それだけです」



 クロカは景護を背負い、俯いたセツハがそれに続く。

 地下から、地上へ。


 そして、この空間と外の境目、結界の前。


「この男は、僕がちゃんと帰しておくので、安心してください。……しばらくは、セツハ様の依頼は騎士だけで行うかもしれませんね」


「はい」


「では、また。何かあればこのクロカがすぐ駆けつけますので」


 


 セツハは二人を無言で見送る。

 自分を救ってくれると言ってくれた男は姿を消した。

 彼の記憶も消され、なかったことに。

 まるで、都合の良い夢を見ていた気分だった。


「さようなら、景護様。あなたの言葉、ずっと……ずっと忘れません」



 



 首都ガーランサス。

 女王の好意により、貸してもらった城内にある一室。

 荷物だけ置かれた景護の自室。

 男は眠る。

 一夜の出来事を忘れ。

 あの出会いは夢のように、儚く消えた。

 だが、彼は憑かれていた。



『あの牛を狩るなら、牛刀?とかブッチャー?とか準備した方がいいのかね。姐さん!』


『知らないわよ、そもそも戦闘用じゃないでしょ。あと話しかけないで!景護の記憶の修復で忙しいんだから!』


『万能だねぇ。この世界の訳の分からない術式をどうにかできるなんて』


『このままだと、この子が納得しないでしょ』


『……そうだな。記憶が無くとも、心がずっと引きずるだろう』


『私達が教えてもいいけど、それだと彼女がね……』


『ヒュー、姐さん、最高。……幸せな結末、目指しますか』


『ええ』


 動けぬ男の体の中が、心が燃えていた。

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