第50話 さよなら智美さん

 「優子さん筋がいいのね。どう?ここに通わない?」

そんなことを言われたのは料理教室の体験が終わるころだった。

 さて困った。

 まずここの料理教室のお金はそんなにたくさんではないけれど、けして馬鹿にしていい金額ではない。

 ここに通わなくってはならないほどレパートリーが少ないわけでもない、ただ褒めれたら嬉しい、それだけ。それだけの為に月謝を払う?それもなんだか……。

「あの、今週中でよろしいでしょうか」

私はあいまいな返事をした。何かが引っかかった、でも何かって何だろう?そういえば私は智美さんの年齢を知らなかった、ふとそれに気づいたものの、特にお互い敬語を崩すことはない。

「どう?平凡な主婦でもここまでできるのよ」

それが智美さんの口癖で、平凡な主婦であることに自負もあった私は、『このぐらい』になることを夢見てもいた。

 でも、ここに通って調理師免許なんか取れるの?

 そんなことは智美さんにかかれば「ささいなこと」になってしまった。

「あら、そんなの無くても料理教室ぐらいできるわよ?」

言われてみれば確かにそうだけれど……ちいさな料理教室の先生になりたいのかと聞かれても困った。智美さんは魅力的で、『こんなふうになれる』と言われれば揺れ動くものもあるけれど、でもそんなの誰が来るの?

 私は小さいお店のいつか閉まったのを知っていた。そして少しの収入が欲しいだけだったので、教室を開けると言われても、少し、違うかなと漠然と思うだけだった。

 そんななか私は知ってしまった。

 智美さんは私より年下だったのだ。

「あいかわらずお綺麗ですね」

生徒の一人が智美さんにおべっかを使う。

「あら、私なんて三十四のおばさんよ?」

それだけのこと。

 それでも、智美さんの『おばさん』だと言った年齢は私より年下だった。

 おばさんという言葉は、自分で言うには謙遜の言葉のようになるけれど、他人が使うとこんなにも皮肉に聞こえるものなのか。

 私は自分の言葉に気をつけようと思うのと同じぐらい、なんとなくもやっと湧き立っていた智美さんへの不信感を強くした。

 それでもまだ気持ちを固めるのは……と思っていたのに、同じ日にこんなこともあったのだ。

「そうだ、皆さん、料理が上手になったら教室出したいんでしょう?今日はそんな主婦目線でもできる自分サイズの起業についてお話が……」

あまりのことに、私は最初、智美さんが何を言っているのかわからなかった。

 そうか、だから夫は私のことを「怖い女」だと言っていたのか。

 確かにことさらに『女性でも』と言われるものは嫌いだったもの。

 全く夫はこんなにちゃんと私のことを見てくれているなんて……。

 智美さんの言葉はもう私の頭には入らない。ここから生徒を引っ張っていくとか、たまに来るからとか言っていた気はする。

 私は、近いあまり流行っているとは言えないレストランのことを思いながら、けしてそんなに甘いものではないとぼんやり考えていた。

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