第33話 小さな約束

 どんなに主婦友の誰かが悪く言っても、私たちがそんなに打ち込むほどのやりがいのある仕事を持っている秋塚さんへの嫉妬を抱いているのはおそらく見え透いたことだろう。

 でもそれを誰にも悟られまいと私たちは生きている。

 私とてそうだ、パートは扶養の範囲内で、そう決めたのは税金対策等もあるがいちばんはそんなに社会に出たくないという結婚する前は存在すら考えなかった感情があるからかもしれないと秋塚さんに言われた。確かに、子供が生まれてゆっくりな時間が流れてみれば、そういうのはもういいかな、と言ったことはある。

 それも負け犬の遠吠えのようなものかもしれない、しかし若いころの苦労を、それこそ秋塚さんの言うようなそれを思えば、夫以外の誰も名前で呼んでくれなくて、話し相手もいなくって、ただ毎日が、昨日と同じ今日が流れていくだけでも……。それでも私はそこから少しだけ飛び出した、ままごとみたいな仕事だけれど、ちょっとだけでも生活の足しになるほうへ、陽の射す方へ、といって普段の生活にはもちろん温かく穏やかな光が差してはいるけれど、何かが足りない。

 もしかしたらそれは健一さんが冗談で言った若い間男かもしれない、とふと思い立って、私にそんな魅力なんてもう無いでしょう?もっと若い子に行くわよ普通、とぼやけてみせる。もちろんじょうだん、それでも婚外恋愛というほどのものでもないけれど、ときめきというのならそうかもしれない、私は、小野さんにおかずをあげることで見ていられる原塚さんのまつ毛の長い顔にそれなりには惹かれていたから。

 だからと言って、私たちはただの仕事仲間で、それに不服はない。

 あぁ、でもいつか私は作り過ぎたと言って原塚さんにもおかずを食べてもらうのだろうか?なんだかすこし怖い。私の料理に、たいした意味もないけれど。もしかしたら大したことない料理を作る人だと思われてしまう、それか腕を振り過ぎて引かれる、どちらにしても美味しいと食べて欲しいものだ……。

 そんなある日、小野さんはいつものように私のお弁当からおかずの秋刀魚かば焼きをつまんでこう言った。

「にしても、あいかわらず大平さんのおかずは美味しいですね、これ缶詰とは違うんでしょう?」

この日の秋刀魚は、昨日の残りをたれで甘く味付けしたものだった。

「えぇ、秋刀魚があったから」

私はこともなげに言った、小野さんがこんなに美味しそうに食べてくれるだけでも、楽しみが一つ増えたし。

「いいなぁ、こんな風に作れたらなぁ、ハラ、この店確か料理のレシピコーナーあったよな?」

原塚さんはカップ麺をすすりながら呟いた。

「あったけど、お前に作れるか?」

「できるよ」

ちょっとだけムッとして小野さんは言った。

「お前食べるのはともかく作るのって得意なの?」

「あのな、食べるの好きなやつはそれでだいたい得意になるの!」

小野さんはちょっと語気を荒げた、

「そりゃお前その体型で食べるの嫌いってことはないだろ、でも料理は、そうは見えない」

原塚さんは小野さんをからかって笑った。確かに体の大きな小野さんはいつも美味しそうに食べてくれる。

「ねぇ、大平さん、これのレシピって聞いていいですか?」

小野さんはスパゲッティだけ入っているという大きなお弁当を抱えて言った。

「いいわよ、じゃあ今度何か紙に書いてくるわね」

私は小野さんに見せるだけならと、たわいもないことのように快諾した。

 しかし、これはたわいもない話ではなかったのだ。 

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