吉良平治郎傳

結城慎二

遭難

1 宿しゅくとくない 山中 夜


   猛烈な地吹雪の中

   もがくように雪を漕ぎ

   前進しようとしている平治郎。


平治郎

 ミノ……八郎……ミノ……八郎……ミノ……八郎……八郎……ミノ…………ミノーッ!




2 平治郎の家 中


   薄暗闇の中

   布団から跳ね起きるミノ。

   突風が家を揺さぶる。


ミノ

 あんた……。




3 山中 夜明け前


   吹雪でほとんど何も見えない。


ナレーション

 大正十一年一月二十日未明、一人の男が殉職した。

 昆布森郵便局臨時逓送人ていそうにん吉良きらへいろう

 検死官報告書には、きゅうじんしゅ平民へいみんと記されている。

 旧土人……アイヌ民族の事である。


   竹の棒に巻かれた手拭いが激しくはためき

   その下で郵便行嚢こうのう(郵袋)が雪に埋もれかけている。


ナレーション

 職務に就いて三日目。

 後に発見された時、郵便物は外套でくるまれ一切無事に守られていたと言われ、昭和二十年の敗戦までは忠君愛国の鑑として国定教科書・修身書に「責任」の題で採録されていた。


   吹雪が弱まり朝日が海を照らす。


ナレーション

 アイヌである事を伏せられたまま……。




4 平治郎の家 中


   落ち着きなく戸を開ける努力をしているミノ。

   健気に手伝う八郎。

   外から男たちの声。

   外から戸が開けられ山本すけ他数名の男たちが入ってくる。


多助

 ミノさん、大丈夫だったかい?


ミノ

 多助、あの人は、平治郎さんは無事かい?


   飛びついてきた八郎を撫でながら、


多助

 平治郎さん?

 昆布森にいるんでないのかい?


ミノ

 ならいいんだが……な、村長の所さ連れてってくれ。あの人捜さねば……。


多助

 捜すって……ミノさん身籠ってんだベ?

 この大雪の中無理しちゃ……。


ミノ

 お願いだ、連れてってくれ。


多助

 …………あ、あぁ……判った。


   多助、仲間に目配せして出発の準備。




5 釧路警察署 中


   山内巡査が男たちと向い合っている。


山内

 行方不明?


青年1

 へい。

 こんもりから宿徳内の海岸伝いに来る奴らに片っ端から訊いているんですが、誰も見たり聞いたりしたもんがおらんのです。


山内

 いつからだ?


青年1

 へ?


山内

 最後にその吉良なる人物を見たのは?


青年2

 十九日の夜中……二十日になってたんでねぇかと思うが、嫁さんと別れたのが最後です。へい。


山内

 では、もう丸三日も行方知れずという事ではないか。


青年1

 そう言われても……昨日も一昨日もあの通りの猛吹雪……。

 隣の家に出掛けるのだって難儀した程なわけで……。


山内

 そうだったな…………判った。

 お前たちは引き続き捜索に当たってくれ。我々もすぐに捜索に当たる。


青年1

 よろしくお願いします。


   男たち口々に懇願し、頭を下げ署を出て行く。


山内

 誰か、釧路郵便局に連絡をとってくれ。


巡査1

 山内さんは?


   メモを手渡す山内。


山内

 すぐに昆布森へ出発する。


巡査1

 では、昆布森局と駐在にも連絡を入れておきましょう。


山内

 よろしく頼むよ。




6 釧路くしろ郵便局 中


   電話で話し中の小林、落ち着きのない津田と岡本。


小林

 はい……はい…………はい。

 では、やはり戻っていないんですね?

 ……えぇ、判りました。

 わざわざのご連絡ありがとうございます。


   そこに中野、山口が入ってくる。

   電話を切る小林。


小林

 おぉ、中野くん。


中野

 小林さん、遭難ですって?


小林

 あぁ。

 今、山内巡査が昆布森から知らせてくれた。

 間違いないようだ。


岡本

 ……やはり、あのとき私が引き止めていれば……。


津田

 いや、私のせいかも知れん。

 第1日目に私が……。


中野

 岡本さん、津田さん。

 今はそんな事を言っている時ではありません。


小林

 そうだ。大事なのは一刻も早く行方を探り当てる事と郵便物の確保だ。

 今から誰かに出発してもらわねばならんだろうな。


岡本

 それなら私が……。


中野

 いえ、私が行きましょう。


津田

 中野くん……。


岡本

 中野。


中野

 失礼ですが、岡本さんは動揺が激し過ぎるようだ。


小林

 うむ、先発隊には中野くんがいいだろう。

 津田くん、第二陣の陣頭指揮は君に任せよう。

 私は佐藤局長に連絡する。

 岡本くんには留守を頼もう。


岡本

 小林さん。


津田

 岡本くん、それがいい。

 君は残って連絡を待っていたまえ。

 中野くん、大変だろうがよろしく頼むよ。


中野

 判りました。

 ……確か当日の夜勤は……。


山口

 私です。


小林

 山口だったか。


中野

 では、当日の資料を集めて私と一緒に昆布森へ。


山口

 はい。

 すぐに支度します。


   と、部屋を出て行く。


中野

 では、私も。


岡本

 あぁ、中野。


中野

 何か?


岡本

 すまん。


中野

 気に病む事はありません。

 我々の使命は郵便物の安全を確保し、確実に受取人に渡す事。

 これも任務ですよ。


   中野、部屋を出て行く。

   間。


小林

 ……さ。我々は我々で今後の方策を打ち合わせよう。




7 宿徳内海岸


   集落の近く、漂着物などを確認しているきんろうと人足三名。

   住民と話をしている山内。

   山内、住民から離れ金次郎の元へ


金次郎

 どうでした?


山内

 駄目だ。

 逓送人の手掛かりになるようなものは何もない。

 そっちは?


金次郎

 いえ、こちらも……浜に打ち上げられているのは流木の類いばかりで……。


山内

 逓送人は本当にこの海沿いを通ったと思うか?


金次郎

 判りません。

 ……ただ、我々土地の者は荒れている日は浜伝いに行くものと決まっておりますから、恐らくは……。


山内

 そうか……。


   と、チラリと高台を見上げる。


山内

 もう少し先の方まで捜してみよう。


金次郎

 そうしましょう。おーい。


   と、人足を呼ぶ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る