20:バクダンゴ

  《バクダンゴ》



 脱皮薬開発成功から90年が過ぎた甲殻歴4000年、未だ記憶の保持には成功していなかった。


 最初に脱皮した彼女は3回の脱皮を成功させ、元気に生きていた。


 しかし、90年間まったく記憶の保持は成功しなかった。


 我々のDNA研究者に突き付けられた命題が難解過ぎたというのもある。

 だがもっと大きな問題は、DNA研究者の1位が90年間、激しく入れ替わっていることにあった。


 50歳を過ぎた1位の者は記憶の保持には興味を持たなかった。50歳以上の研究者は、50歳以上でも脱皮出来るかの研究をした。気持ちはわかる。


 本来であれば1位の入れ替えなどは無いのだが、この記憶保持に関わる生物学系研究者は、例外的に50歳以上の者を1位メンバーから除外した。


 50歳以下の我々の種のDNA専門研究者の、優秀な者たちが集められチームが組まれた。

 しかし優秀な者たちは50歳前後になると、自分が実験台になると言って改良を加えた脱皮薬で脱皮した。

 脱皮薬は高値で取引されている。それが実験の為に無料で使えるという事もあった。失敗することもあったが、だいたいは成功した。


 改良など加えていない場合が多かったのだ。

 そして記憶を失い、一から人生をやり直すことになった。


 ノーヴェル研究施設は生まれ変わった彼らを、またDNA研究の道に進ませた。

 しかし多くは優秀な研究員にはならなかった。生まれ持っての脳のスペックに加え、経験のもたらす外的要因が人生の情熱を決めていくことを知った。


 そんなことを繰り返すたびに、DNA研究者の質は落ちていった。


 脱皮の記憶保持に取り組んで90年、研究者の質が落ちていく中で、もう記憶の保持は無理なんだと誰もが思っていた。


 そんな時、新しい我々の種のDNA研究者として一人の男が研究室に呼ばれた。50歳以下の新しい1位だった。


 研究者が激しく入れ替わる中で研究者の質は落ちに落ちていた。彼はもはや専門の我々のDNA研究者ではなかった。


 彼の専門は、下等生物DNAの改造であった。


 彼は畑を耕すのにモグラを使ってみたり、害虫駆除にカメレオンを使ってみたり、ヤシガニにヤシの実を大量に落とさせてみたり、ウミガメに地引網漁をさせてみたり、カニを使って深海の黒い球を取ってこさせたりしていた。


「カニをね、カニの体をね、黒くするとね、黒いもので体をカモフラージュするんですよ。だから砂浜に持ってくるって習性だけいじってやればいいんです。白い砂浜に上がれば黒いものは捨てたくなる。捨てても自分の体も黒いから目立つんですけどね。だから海に戻っていく。簡単な事です。」


 海底深くに転がる工業用に使われる希少金属の塊、マンガンノジュールを取ってくるカニ、マンガン拾い。彼はそれを作った男だった。


 彼の名前をツキモトと言った。


 ツキモトは驚いた。

 なぜ専門ではない自分が1位なのか、3年前は5位以内に入ってなかった。5位以内に入ると次回の試験問題を作らされるのだ。最上位決定試験を受けるのは100位以内だから受けたが。


 そしてノーヴェル研究施設でツキモトに突き付けられた課題は、脳の記憶を保持しながら脱皮するようにDNAを改良する薬を作る、という畑違いなものだった。


 ツキモトは初めて訪れるノーヴェル研究施設で、ベテラン研究員のローラから説明を受けていた。


「リセット脱皮はご存知ですよね。」ベテラン研究者のローラが言った。

「脱皮?もちろん知ってますよ。自分は若いからまだですが。」ツキモトは答えた。

「どこまでご存知ですか?」ローラが言った。

「記憶をなくして人生をリセットするってやつでしょう、有名じゃないですか。」ツキモトが答えた。「最近やっと値下がりしてきたとか。」


「記憶を無くさないで脱皮したいんです。」ローラが言う。心の中で、なんでこんなパッとしないオスが自分より実力が上なのかと思いながら説明をしている。

「えっと、そんなことは無理でしょう、とか言っちゃいけないんでしょうね。」ツキモトがやる気なさそうに言った。


「しかし、あなたが新しい1位です。研究する義務が発生します。」ローラが少しイライラしながら言う。

「なんで自分が呼ばれたのか分からないんですけど、1位決定のデータ収集とか間違ってませんかね。」ツキモトが返す。

「あなたは我々のDNAを、現時点で世界で一番理解していらっしゃる。」ローラが我慢強く説明する。


「いや、専門分野が違うもので。」ツキモトが得意分野が違うことをアピールする。

「専門分野が違っても記憶保持の研究をしていただきたいんです。」ローラが言って溜息を吐く。

「生物のDNAは詳しいと言えなくもないんですが、人のDNAはいじったことが無いんでね。」ツキモトが言った。

「実験体の死刑囚がいます。思う存分いじっていただいてかまいません。」ローラがイライラを隠さずに大きめの声で言った。


「私の専門分野的に考えれば、死刑囚なんか使わなくても記憶の移行は、なんてことないことなんだけど、この方法だとズルになっちゃうのかなあ。」ツキモトが天井を見上げながら言った。


「なんてことないってどういうことですか?」ローラは不快さを露わにした。


「我々のDNAは、いじる必要ないってことです。」ツキモトが言った。


「イジルヒツヨウガナイ?」ローラはツキモトの発した言葉が理解できなかった。「言っている意味が分かりません。」


「アフリカ大陸のね、南端に生息する虫で、獏ダンゴムシってのがいるんですよ。」ツキモトはのんびり話す。

「爆弾?」ローラが聞く。


「爆弾のダンゴムシじゃないんです。獏、つまり夢を食うダンゴムシ。」ツキモトが説明する。

「夢を食べる?」ローラが不審がる。


「この虫はちょっと変わってまして、巨大なカブトムシとかの記憶を吸っちゃうんですよ。寝てる間に。」ツキモトが言う。「もちろん我々も吸われます。」

「我々も夢を吸われるんですか?」ローラが聞く。


「詳しいメカニズムはまだ研究中なんですが、触角を伝って脳の電気信号だかシナプスの何かだかを吸収するみたいなんですよね。」ツキモトが言う。

「なぜそんな行動を?」ローラが聞く。


「吸われた奴は記憶を失って動かなくなる。そこをゆっくり食べるんです。」ツキモトが説明する。


「それでですね、ここからが面白いんですが、奴はその記憶を保持してるんです。そして次の獲物に流し込むんです。同じ獲物に返してくれることはありません。」ツキモトが言う。

「同じ獲物に返してくれることは無いんですね。」ローラが言う。


「流し込まれた別の個体は、脳の記憶が混乱します。パニックになります。そして泡を吹いて倒れるんです。奴はその泡を吹いたやつも食べます。」ツキモトが言う。

「肉食なんですか、狂暴なんですか?」ローラが言う。


「甲殻を少し食べます。小食です。内臓などは、おそらく食べません。」ツキモトが言う。

「それは肉食とは呼ばないんですかね。狂暴そうな風貌に思えますが。」ローラが言う。


「いや、見た目はただの大きなダンゴムシです。手のひらぐらいかな、頭の上にペロンて乗っかる。触角の間に。」言いながらツキモトは自分の手を頭に乗せた。「絶対に乗っけちゃダメですが。」

「頭に乗せたら記憶を吸われるんですね。」ローラが言う。


「実験で、巨大カブトムシの記憶を、若い巨大クワガタに移してみたんです。そうしたら、そのクワガタはカブトムシのメスを取り合って、別のカブトムシのオスと戦ったってのがありまして、クワガタなのに自分がカブトムシだと思っちゃったんですねえ。」ツキモトが思い出しながら話す。

「そんな生物の話は聞いたことが無いんですが、本当に存在するんですか?」ローラが聞く。


「生息地はアフリカ大陸の最南端なんで、かなりの田舎なんですが、現地の伝承では、ある日若いやつが別人になって帰ってくるって奇妙な話があります。おそらく奴のしわざだと睨んでます。」ツキモトが言った。



 獏ダンゴムシと一緒に繭に入ると、どうなるだろうか。


 繭を作る時に、獏ダンゴムシをケースに入れて一緒に中に入る。

 繭を完成させた直後の、眠りに入る前に獏ダンゴムシをケースから出す。

 すると記憶を吸う。そして甲殻を食べ始める。

 甲殻はどうせ脱皮で脱ぎ捨てるから食べさせていい。


 繭の中で1年をかけた脱皮が終わると、新しく表れた頭部に獏ダンゴムシは記憶を流し込む。

 脱皮が終わって起きるから、新しい甲殻を食べられることは無い。


「記憶の保持が1年も出来るのかは微妙ですが、そういう事なら僕の腕の見せ所です。おそらく何とかなります。」ツキモトが言った。得意分野だ。



 甲殻歴4000年の終わり頃、実験は成功した。


 記憶は移行された。おそらく。


 繭の中で、古い甲殻をゆっくりと脱ぎ捨て、脱皮の最後に我々は長い夢を見るようになった。

 それは長い長い思い出の夢だ。


 リアルで、人生のように長い夢だ。

 ただ、完ぺきではなかった。


 ツキモトは言った。

「10年前の事を細部まで鮮明に覚えていますか?自分は1日だって怪しい。そういうことです。」


 記憶力1位に言わせると「半分ぐらい」だそうだ。


 獏ダンゴは量産され飼育され、脱皮薬と並んで薬局で売られるようになった。

 リセット脱皮薬という薬の名前は、リフレッシュ脱皮薬に変わった。


 獏ダンゴはその後もツキモトにより調整され、より完璧に記憶を保持されるようになり、より完璧に記憶を移せるようになった。


 甲殻歴4003年。


 次の1位決定試験では、ツキモトは何の1位でもなくなっていた。


「1位ってタイプじゃないんだ。10位ぐらいがちょうどいい。」ツキモトは言った。




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