純然たる悪癖の披露 弐


 しばらく後、宇賀地うがちが両脇に何かを抱えて戻ってきた。藁束わらたばでできた子どもほどもある人形ひとがただ。謌生の人数分あるようだ。

 秋とはいえ、今日はかなり暖かい。そんな中、小汗をかきながらやってきた彼は、謌生の何人かが麦湯を飲んでいる羨ましそうな、もとい怪訝そうな顔をしたが、すぐに眠たげな半眼に戻って人形を地面に立てる。

「さて、退屈な座学より、外で動くほうがお前たちもいいだろう。知っての通り、うたよみには様々な能力が求められる。占卜せんぼく祈祷きとう 、そして人ならざる『モノ』との対話だ」

 一度言葉を切って、宇賀地は皆を見回す。

「『モノ』は人ならざる存在の総称であり、大きく分けて『カミ』と『』の二つが存在する。『神』は一定の基準以上の力を持つ『モノ』だ。所謂いわゆる神聖な存在としての神ではないが、人外の力をふるう存在であるため、畏怖を込めてこう呼ぶ。我々が謌を使って力を借りている神とはこれのことだ。『怪』はそれ以外の雑多な存在。それ故に『怪』の種類は性質別に更に細分化されて……まあ、この話は今はいいわ」

 またぞろ退屈な講義が始まりそうな気配に、空を行く大きなとびを目で追い始めていた紅緒は、うたよみの最後の言葉で引き戻された。

「とにかく、当たり前のことだが『モノ』には人間の道理は通らない。ときに攻撃的な『モノ』との対話を試みなければならない場面もある。というわけで、お前たちにはこれから人形に向けて謌を詠んでもらう。何でもいいぞ、得意なやつで。ただし今回は身随神みずいじんは使わないでくれ。それはまた別に見せてもらう機会を設けるから」

「というわけで、とおっしゃるからには、その人形に攻撃をおこなう謌を詠むという認識でよいのでしょうか」

 軽く挙手して質問したのは、日和である。語尾の感じからして、疑義ぎぎていしているわけではなくただの確認だ。ともするとへらへらしているともとれる笑いとは裏腹に、少々回りくどい丁寧な物言いに人柄がにじんでいる。

 熊のようなうたよみは鷹揚おうように頷いた。

「あぁ、そうだ。まあ、動かない人形などをどんなに上手く壊しても評価など出来まいと思うだろうが、そんなことはないぞ。指導する側にはそれでも見るべきことはたくさんあるし、俺が退屈して寝てしまわないようにするために、ここは一つやってみてくれ」

 私情をさらりと挟み込んで、「では、まず」と謌生を見回した。

「そうだな、景気づけに鴉近あこん、お前から行こう」

「はい」

 高鞍鴉近が一歩進み出る。相変わらず険のある表情をしているが、特に気負った様子はない。

 謌生の中でも特に優れた才のある宿能生すくのうせいとしてここへ来た彼が、どのような謌を詠むのか、全員が期待とともに見守る中、鴉近は静かに口を開いた。

ごうく身の業深さ 降りしく時の囂々ごうごうと 剛たるいわおの貫けり が魂を かそ削る やよ かそ削る』

 深みのある声が朗々と謌う力強い謌の最中より地が小さく揺れ始め、その不穏な響きに鴉近以外の全員が藁の人形と距離をとる。そして謌い終わると同時に、踏み固められた土の地面が薄くひび割れ始め、全員が注視した次の瞬間には地中より硬質の音を立てて勢い良く突出した石柱が、人形を一瞬で貫いた。

 五角の、太さが人の胴ほどもある先の尖った石柱である。

 地の揺れがおさまってから、宇賀地がそれに近づき触れようとすると、石柱はさらさらと音を立てて微細な砂となり崩れ去った。あとには、無残な姿となった人形だけが残されている。

 最小限の魂魄の消費でありながら、速さといい、威力といい、申し分ない謌であった。おそらくは捧げた魂魄のほぼ全てが、この辺りを統べる地の神の手へと渡っているに違いない。

「素晴らしい、ほとんど無駄がない。諸兄、これが彼が宿能生たる理由だ。この謌から察するに、鴉近は後衛としての活動を得意とするということでいいか?」

「はい」

「わかった。ご苦労さん、もういいぞ」

 一歩下がる鴉近を、謌生たちの驚きと羨望せんぼうと少しの嫉妬を含んだ目線が追う。紅緒は純粋に感心した様子で呑気に「おー」などと感嘆の声をあげている。

「さてでは次は、玄梅、どうだ?」

「……はい」

 あのように質の高い謌を聞かされたすぐあとに詠むのは多少躊躇ためらわれるのだろうか、玄梅は考えるような顔をして少し間をおいた。皆が黙って見守る中、固唾かたずを呑んだ玄梅の紅梅色の瞳が、ちらりと紅緒の様子を窺った。反射的に紅緒が眉を上げる前に、玄梅の視線は人形に戻され、一歩進み出ていた。よほど緊張しているのか、その額にはうっすらと汗が浮いているように見える。そして、おもむろに懐から、白木の扇を取り出した。それは、日頃使うものより少しばかり長いように見える。

 二、三度口を開いたり閉じたりしてから、意を決したように息を吸った。

『……春宵はるよいの。くらあわい微睡まどろみを。裂けよ刻めよ沈丁花じんちょうげ疾走はしやいばすがし香よ』

 ふつりふつりと、暗がりで泥が沸くような声である。柔らかな物腰とは随分印象が違う。

 おや、と紅緒はわずかに目をみはった。玄梅は何故あんな謌を詠んだのだろう。違和感があるのは、私の記憶違いのせいだろうか。

「吾が魂を取り削る。そら、取り削る」

 詠みながらはらりとひらいた扇を、ゆったりとした動作で振り上げた。

 途端、生まれた風はまるで質量を持つかのように砂埃をあげて、見る間に大鎌ごとき凶刃きょうじんに変じて、ざっくりと音を立てて人形を通り抜けたあと、さっと霧散むさん した。

 ややあってから、人形の四肢が胴体部から離れ、乾いた音を立てて地面に落ちた。藁束の切り口は美しく平らに揃っている。頭に当たる部分と胴体だけが残った人形が、そこはかとなく背筋を寒くさせる。

 玄梅がぱちりと扇を閉じて、皆がなんとなく息を呑んだ。

「……お粗末様でございました」

「うん、なかなか良い謌だった。玄梅は拍子のとり方が秀逸だな。だが、なんだ、その、わざわざ四肢だけをいだのは、お前の趣味か?」

「は?」

 閉じた扇を仕舞いながら間の抜けた顔で聞き返す玄梅に、宇賀地はいや、何でもないと誤魔化す。謌生たちは、この細身で気弱そうな男に対する認識を少し改めた。

 そんな中、紅緒だけが顎に手を当てて、訝しむような表情で玄梅を見つめている。

「よし、では、紅緒」

 宇賀地の呼びかけに我に返った紅緒は、軽く返事を返して人形の前に立つと、無造作に真更衣のたもとを探って、鈍色にびいろ に光る棒状の物を取り出した。紅緒の肘下ひじしたほどの長さに、細い竹ほどの太さで等間隔に節のある、それは、くろがねで出来ているようだ。太刀でいうところの冑金かぶとがねの部分には、黄金色の房がついている。

鉄鞭かなむちか……?」

 目を細めた氷雨がぼそりと呟き、玄梅は不穏な物体の登場に言い知れぬ不安を感じた。

「日和様の兄君、もそっと右へ」

 不意に振り返って、真後ろに立っていた氷雨に横へずれるように言う紅緒は、相変わらずにこにことしている。

 氷雨が動くのを待ってから、紅緒はそっと目を閉じて、一瞬の後に大きく開眼した。

 宇賀地が「あ?! ちょっと」と静止の言葉を掛けようとしたのは、紅緒の翡翠ひすい色の両眼から同じ色の燐光りんこうぜていたからだ。

 だが、もう遅い。

『ほむらのいろの あおきこと きみがまなこに うつさせん こころのいろの もえさかる そのみをあくたと こがすまで』

 低く穏やかな声で謌う様は、しかし、その鮮烈な美しいかおとあいまって、奥に潜む岩漿がんしょうの如き激しさを感じさせる。

 紅緒は、鉄鞭をさっと頭上に振り上げる。

『あがたまの ほのけずる やよ ほのけずる』

 謌が終わるやいなや、鉄鞭がまるで高温で熱せられたように鮮やかな橙色に輝いたように見えた。謌生たちが目を凝らして、それを見ようと身じろいだとき、一条の灼熱が音の速さで空気を裂く。

 ヂッと音を立てて氷雨の前髪が僅かに焼き切れた。彼は髪と空気の焦げる臭いを嗅ぎながら、微動だに出来ない。黒目だけを動かして、紅緒に退かされるまで自分が立っていた場所を見ると、見事に刃の形をした灼熱しゃくねつが刺し貫いていた。隣の日和は頬を引きらせた。

 振りかぶった鉄鞭に炎の刃が生じ、凄まじい速さで紅緒の背丈ほどの長さに伸びたのだと、その場の者たちが理解したときには、紅緒はそれを人形に向かって無造作に振るっていた。

「どっせぇい」

「どっせい?!」

 紅緒の掛け声の絶望的な鈍臭どんくささにおののいた玄梅の、悲痛な叫びを掻き消す轟音ごうおん をあげて、上段から振り下ろされた炎の刃により、人形は焼き切れるように両断されたあと、パチパチと爆ぜながら見事に灰燼かいじんと化した。なんなら隣の無関係な人形の右半身も焼失した。

 ちらちらと火の粉の名残が舞う中、豊かな黒髪を熱風に踊らせる紅緒は、酷く美しかった。

「以上だ、宇賀地殿」

 早くもただの冷たいくろがねに戻った鉄鞭を右手にぶら下げて、彼女は指導役のうたよみを振り返った。

 玄梅がさっと駆け寄って「あぁ、あぁ、もう! 火傷などしていないでしょうね……御髪おぐしも焦がしてないですか。手は? 衣は?!」などとぶつぶつ言いながら、紅緒のそこかしこを点検し、紅緒本人はされるがままである。

 その様子を見て、氷雨はやっと小さく息を吐くことができ、日和が額の冷汗をそっと拭った。鴉近は、酷く険しい表情で紅緒をめつけている。

 彼女は今、彼らの目の前で、不可解なことをやってのけたのだ。

 眉間に手をやって、何やら考えていた宇賀地が唸るように声を絞り出した。

「わかったぞ、お前の問題点が」

「おお、流石はうたよみ殿でいらっしゃる。わかってくださってよかった。口で説明するのは私には難しく、困っておりました」

 嬉しそうな紅緒に宇賀地は、少々怯えた表情を浮かべる。

「魂魄の総量がひくぐらい多いんだな」

 神に捧げる魂魄の量は十段階あり、段階によって謌に詠み込む詞が決まっている。

今、紅緒が謌ったのは、『ほのけずる』であり、これには魂魄の総量のうち、二割を捧げるという意味がある。

 だが、紅緒が実際に神より与えられた力には、一般的に考えて、魂魄二割分を優に超える強力さがあった。

 常人ならば魂魄を五割捧げなければ、使役できない力だ。

 いくら魂魄の総量には個人差があるとはいえ、常軌を逸している。

 考えられる可能性は、紅緒の魂魄の二割の量が、平均的な魂魄の二割の範囲をはるかに凌駕りょうがしているということしかない。

「そうなのです! 正直私も自分の魂魄のすべてがどれほどなのか、わかっておりませぬ。ゆえに全く微調整がきかぬのです」

「そうか……わかった、ちょっと考えさせてくれ。あと掛け声の鈍臭さも大問題だしな」

 宇賀地は一つ深いため息を吐いた。

 もともと今年は何だか嫌な予感がしていたのだ。「掛け声がまずかったか……」などと浮かない顔をしている紅緒を眺め、これはとんだ問題児を押し付けられたな、と後ろ頭をかいた。

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