12 探しもの、それは贈りもの

 会話のない食事風景なんて、二人にはさして珍しくもない。けれど今日の朝食の席は、和やかな沈黙とは程遠い静けさに包まれていた。

 もそもそとパンを食べるルウンと、視線を器に落としてスープを飲んでいるトーマの視線は、食事が始まってからこの方一度も交わっていない。

 時折ルウンは窺うように顔を上げるが、トーマの方がどこか心ここにあらずと言った様子でぼんやりとしている。

 例え会話はなくとも、今まではそこに穏やかな空気が確かに流れていたのに、だから安心していられたのに、今日はそれがないから、ルウンの心は妙にざわざわした。

 何か言わなければ、なんでもいいから、他愛ないことでいいから会話をしなければと、常にはない焦りが生まれる。

 それでも、元々自分から会話をするようなたちでないルウンには、会話の糸口が見つけられない。

 そうこうしているうちに、スープを綺麗に飲み干したトーマが食器を重ねて立ち上がった。


「今日も美味しかったよ。ありがとう」


 お礼は確かにルウンに向いているのに、心はやはりここにない。それが、どうしようもなくルウンを不安にさせる。

 食器を手にキッチンへ向かうトーマの背中を見つめながら、ルウンはそっと胸に手を当てた。

 またそこが、ツキツキと痛み出す。

 視線が合わない、会話もない、それに加えて今日はまだ一度も“ルン”と呼んでもらっていない。それが辛くて、胸が痛くて苦しくて堪らなかった。

 食器を洗う音をぼんやりと聞きながら、ルウンはもそもそとパンを口に運ぶ。

 今日の食事は、どこか味気ない。

 スープで半ば流し込むようにして食事を平らげ、ルウンも食器を重ねて席を立つ。

 後ろから近づいてみると、トーマはまたぼんやりと手元に視線を落としていた。

 手は動いている、だから食器は確かに洗われていくけれど、そこに心はない。

 どこか抜け殻のような気配を漂わせるトーマに、ルウンの不安は募っていく。そのまま、どこか遠い場所に行ってしまうような、そんな気がして。

 ああでも、彼は旅人だから。いつかは行ってしまうのか……どこか、遠い場所へ――ルウンもまたぼんやりとトーマの背中を見つめていたら、水音が止んで振り返る気配がした。


「おわっ!?」


 出会った時のように、トーマは後ろに立つルウンにビックリして声を上げる。

 何か言うべきだろうか、だとしたら何を言うべきだろうか。考え込みながら徐々に俯いていくルウンを、トーマはしばらく黙って見つめた。

 そして――


「ちょっと話があるんだけど、いいかな……?」


 先に、トーマの方が切り出した。


「片付け終わってからでいいんだ、急ぎじゃないから。あっ、僕がやるよ」


 伸ばされた手にふるふると首を横に振り、ルウンは食器をシンクに置いて水を張っておく。


「いいの?」


 片付けは、という意味を込めた問いかけに、ルウンは頷きで答える。


「じゃあ……向こうで。家の中で立ち話もなんだしね」


 笑っているのに、その笑顔はどこかぎこちない。それは、いつものトーマの温かい笑顔ではない。

 それにまた不安を感じつつ、ルウンは歩き出したトーマのあとに続いた。

 先ほど無言の朝食を終えたばかりのテーブルに戻り、二人はそれぞれの席に腰を下ろす。

 ルウンの中には、言い知れぬ不安が渦巻いていた。

 トーマの様子を見ていれば、楽しい話でないことはなんとなくでも想像できる。それなのにぎこちなくも笑顔を浮かべるところが、また更にルウンの不安を煽った。


「話っていうのはね」


 そこで一旦言葉を途切れさせたトーマは、話し始めてなおどこか迷うように視線を泳がせる。

 テーブルの上から始まり、壁、窓、天井と回って、またテーブルに戻ってきた視線が、ようやく決心したようにルウンへと向けられた。


「……今までたくさんお世話になったお礼と、それから、結局お世話になりっぱなしで何も返せなかったお詫びが言いたくて」


 浮かぶのは、またぎこちない笑顔。

 その言葉の意味は、みなまで言わずともルウンにだって分かる。分かるからこそ、こみ上げるものを押さえ込むように、ギュッとスカートを握り締めた。


「そろそろ雨季が終わるでしょ。だから僕、行こうかと思っているんだ」


 嫌だ――はっきりとした感情が、喉元までこみ上げる。それなのに、声にならないのは何故なのか。

 黙り込むルウンに、トーマはぎこちなく笑ったままで続ける。


「短い間だったけど、今まで本当にありがとう」


 短いようで、長かった。いややっぱり、長いようで短かったかもしれない。

 そんなトーマとの日々が、一人ぼっちではない時間が、終わりを告げようとしている。

 嫌だ、と言いたかった。できることなら、心の赴くまま、駄々っ子のように喚きたかった。

 けれど、旅人は風なのだ。

 一つの場所に留まることのない彼等を、引き止めることはできない。

 知っている、ちゃんと分かっている。それでも、嫌だと思ってしまうのは止められない。せめぎ合う心が、ルウンから言葉を奪う。

 何も言えないまま、ただ真っ直ぐにトーマの瞳を見つめ続ける。

 こんなにもしっかりと目が合っているのに、話しかけてもらえているのに、今はそれがちっとも嬉しくない。

 胸が痛い。ツキツキ、ツキツキ、痛くて痛くて堪らない。

 テーブルの上にあるトーマの手は、ルウンの頭に伸びてくることはないから。その手の温かさが恋しくて――――寂しい。

 ああ、そうだ。本当はずっと、一人ぼっちが寂しかった――。

 自覚してしまったら、こみ上げてくるものを抑えきれなくなった。あとからあとから、次から次へと、こみ上げたものが頬を伝う。

 どうして……。声にならない声が、嗚咽に混じって口から零れ落ちる。


 ――どうして、雨は止んでしまったのだろう。



 頭から布団を被った暗闇の中、手足をギュッと胸元に寄せて、まるでアルマジロのように丸くなる。

 突然泣き出したルウンに初めは戸惑っていたトーマだが、ほどなくしてポケットから取り出したハンカチをテーブルに置くと、気を利かせたようにそのままキッチンへと向かった。

 置きっぱなしにしていた食器を洗い始める音が聞こえると、ルウンは逃げるようにして寝室へ飛び込む。

 布団に潜り込んでから、トーマが置いていってくれたハンカチをテーブルの上に忘れてきた事に気づいたが、今更取りに行く勇気はない。

 流れ落ちる涙を袖口で拭って、ルウンは鼻を啜り上げる。

 泣くつもりなんてなかった。それなのに、気づいたら涙がこみ上げてきて、抑えられなかった。

 拭い取るのも億劫になってきた涙をそのままにしていたら、頬を伝ってシーツにどんどん染みていく。

 声を抑えてぽろぽろと涙を零しているうちに、体が鉛のように重たくなってきた。

 体から水分が流れ出ているのだから軽くなってもいいはずなのに、体はどんどん重たくなる。目を開けているのも辛い程に、瞼さえずっしりと重たくて、ルウンは抗いきれずに目を閉じた。

 閉じた目の端から零れた涙が、スーっと頬にあとを残してシーツに落ちる。


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