その日の夜、ベッドに仰向けで寝転んだトーマは、目を閉じることなくぼんやりと天井を見つめていた。

 頭にあるのは、ルウンの事。

 無理をしているようには見えなかったけれど、何となく不安が消えない。

 くしゃみや、体が震えていたことに加え、頬がやけに赤かったし、ぼーっと一点を見つめていることも多かった。


「風邪の時は温かくして、栄養のあるものを食べて、それから…………薬、か」


 お金に余裕のある人ならいざ知らず、普通の家にはまず常備されていることはない。

 富裕層が多く暮らす中心地の街では、当たり前のように薬が売られているが、中々に高価であるため、小さな町や村で暮らす人達には手が出せない。

 そんな人達は、薬に頼らない独自の治療法を持っている事がほとんどだった。

 かくいうトーマも、旅の途中で体調が悪くなったときは、有り金で栄養のあるものをたらふく腹に詰め込み、あとはひたすら寝るという、治療法とも呼べないような方法で体調を回復させてきた。

 けれどそれをルウンに実践させるわけにはいかない。何しろ、相手は女の子だ。


「まあ、まだ風邪って決まってないからな。全部僕の考えすぎって可能性も、まだ大いにあるわけだし」


 そうであってほしいという願いも込めて、トーマは独り言ちる。

 万が一ルウンが風邪を引いたとしたら、その理由は今日の雨に濡れたことが原因に挙げられるだろうが、同じように濡れたはずのトーマはといえば、元々の頑丈さもあってか、体調に微塵も変化はなかった。


「ああ……なんでこんな時、僕はレインコートの一つも持っていないんだろう。やっぱりあの時、町で買っておけばよかった」


 ここに来る途中、雨季が近いことをすっかり失念していたトーマは、しきりにレインコートや傘を勧めてくるおばさんに丁重なお断りを告げて、その三軒隣の店で新しいノートとペンのインクを買ったのだ。

 今更悔やんでもしょうがないし、ノートもインクも無駄な買い物であったなんて少しも思ってはいないけれど、それでもあの時、レインコートも買っておくべきだったと後悔の念が押し寄せる。


「まあ、うん。これはもう、しょうがない」


 自分を納得させるように“しょうがない”と呟いて、ひとまずどうにもならない過去のことは、ここで一旦考えるのをやめにする。

 問題は過去ではなく未来にあって、今考えるべきはレインコートよりルウンの体調。

 明日は一日、さり気なくルウンの様子を伺いながら過ごすことにして、今日のところはとりあえず、眠りにつくためにトーマは体制を変える。

 徹夜には慣れているので数日くらいは平気だが、それでもやはり思考力も判断力も徐々に鈍る。

 そんな状態では万が一の時の対応が危ぶまれるので、それを避けるためにもトーマは目を閉じた。

 ルウンが朝方危惧していた通り、昨夜トーマは寝ていない。

 だからこそ、目を閉じてから眠りに落ちるまでの時間は短かった。

 バケツをひっくり返したようだった土砂降りの雨が、少しずつその勢いを弱めていく。

 空が白み始める頃になると、降り続いていた雨は止んだ。

 灰色の雲の隙間から青空が顔を出し、久しぶりの太陽が、濡れた大地を明るく照らす。

 そして今日も、二人の一日が始まった――。

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