4 疲れを癒すホットミルク

 朝からどんよりと、気分が重くなるほどに空を覆い隠した灰色の雲。

 今にも一雨きそうな空模様に、トーマは困り顔で首を捻る。


「うーん……これは、ちょっとまずいな。さて、どうしたものか……」


 旅人であるトーマには直感で分かる――これは、確実に降ると。

 それも、通り雨や小雨程度の軽いものではない。

 今までも旅の途中に何度も雨に降られたことはあったが、その度にトーマは、近くの家で屋根を貸してもらい、雨宿りしてやり過ごしていた。

 しかし今回に限っては、昨日の事もあってルウンに屋根を貸してくれるよう頼むのは気が引ける。


「一旦森を抜けて、近くの村か町まで戻るか……」


 頭を悩ませながら空を見上げていたトーマの耳に、ふと微かな物音が聞こえた。

 振り返ると、昨日トーマが椅子にかけておいた黄色い布を手に、所在無さげに立ち尽くすルウンがいた。

 向かい合う二人の間に、しばし沈黙が流れる。


「えっと……」


 先に口を開いたのはトーマの方で、その声にルウンも、遠慮がちに靴の先に向けていた視線を上げる。


「おはよう、ルン」

「……おは、よう」


 挨拶のあとは、また沈黙。

 お互いにお互いの様子を探り合うようなその沈黙に、先に耐えられなくなったのはトーマだった。


「ルン、昨日はごめん!」


 言い切ってから深々と頭を下げると、自分の声に被るようにして「ごめんなさい!」と声が聞こえた気がした。

 そっと顔を上げてみると、ルウンが自分と同じように深々と頭を下げている。


「……ん?」


 思わず漏らしてしまった疑問符混じりの声に、ルウンもそっと顔を上げる。


「昨日……肩、貸してくれた。でも、逃げた。……ビックリして。だから、ごめんなさい」


 たどたどしく紡がれるセリフを理解したトーマは、なるほどと一つ頷いて、それから笑みを浮かべた。


「僕の方こそ、よく知りもしない人にあんなことされたらビックリしちゃうよね。配慮が足りなかったと思う。本当にごめんね」


 ふるふると首を横に振ったルウンが、「それから……」と続けて一旦言葉を切る。

 しばらくして、僅かに頬を緩めたルウンは、はにかむようにして笑ってみせた。


「……ありがとう」


 ほんの少しだけ頬を染めて照れたように笑うその姿は、神秘的な髪や瞳の色から醸し出される近寄りがたさが抜けて、年相応の可愛らしさだけが覗いていた。


「どういたしまして」


 危うく見とれそうになってしまうのを何とか堪えて、トーマも笑顔で返す。

 ルウンの頬が、また少し嬉しそうに緩んだ。

 そうして空気が和んだところで、トーマは思い出したように空を見上げる。

 どんより曇った空の色は、ますます雨の気配を濃厚に感じさせるものに変わっていた。

 おかげで、昼前にもかかわらず既に辺りは薄暗い。


「あのさ、ルン。ちょっと、頼みたい事があるんだけど……」


 おずおずと切り出したトーマに、ルウンが小首を傾げる。


「良かったら、屋根があるところ……貸してくれないかな?」


 トーマは、空を指差して苦笑する。


「荷物を濡らすわけにはいかないし。なにより、いくら僕でも雨の中で寝るのはちょっと遠慮したいから」


 トーマが指差す先を追いかけるように顔を上げて、今にも一雨きそうな空模様を確認したルウンは、視線を下げると同時に頷いた。


「良かった……。ありがとう、助かるよ」


 ふるふると首を横に振ったルウンは、「お礼、だから……」と小さく呟いて歩き出す。


「今、なにか言った?」


 後ろから聞こえたトーマの声に、振り返ったルウンは首を横に振る。

 トーマもそれ以上は追求せず、ルウンの後を追うようにして歩き出した。

 湿り気を帯びたまとわりつくような風が、二人の間を吹き抜けていく。

 その風に雨の匂いを感じたトーマが顔を上げると、その鼻先にぽとりと水滴が落ちてきた。


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